今日は「ワシントン会議ってどんな会議だったの?」という疑問に、スッキリ答えていきますよ!

この会議は、世界で初めて「軍縮(ぐんしゅく)」を話し合った国際会議で、1921年にアメリカの首都ワシントンで開かれました。

話し合われたのは、「戦争を防ぐためにどうするか」「太平洋の島々をめぐる争いをどう防ぐか」「中国の問題をどうするか」という大きなテーマです。

それでは順番に、ワシントン会議の内容や目的、3つの条約についてやさしく解説していきます!

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ワシントン会議の内容をわかりやすく解説

ワシントン会議は、1921年から1922年にかけて開催された重要な国際会議で、海軍軍縮を中心に東アジア・太平洋地域の秩序を作り上げました。今回はその内容をわかりやすく解説します。

ワシントン会議の内容:3つの重要条約

ワシントン会議では、大きく分けて3つの重要な条約が結ばれました。それが「四カ国条約」「九カ国条約」「ワシントン海軍軍縮条約」です。この3つをまとめて、「ワシントン体制(たいせい)」と呼ぶこともあります。

まず、四カ国条約では、太平洋の島々について「もう争わないでお互いの権利を尊重しよう」と約束しました。九カ国条約では、中国を勝手に支配しないよう「中国の独立や主権を大切にしよう」と決めました。そして一番有名なのが、海軍の軍艦の数を制限した「ワシントン海軍軍縮条約」です。

これらの条約によって、戦争を防ぎ、アジアの平和を保とうとしたのが、ワシントン会議の大きな目的だったのです。

なぜ1921年に開催されたのか

第一次世界大戦が終わったあと、世界中の国々は「もう二度と大きな戦争を起こしたくない」と考えていました。戦争ではたくさんのお金と命が失われ、各国の経済も大きなダメージを受けていたからです。

とくにアメリカは、戦争後も力を伸ばしていて、アジアや太平洋にも関心を持つようになりました。でも、そこにはすでに日本やイギリスが影響力を持っていたため、争いにならないよう話し合いをしたいと考えたのです。

また、日本も「軍艦をどんどん作るのはお金がかかりすぎる」と悩んでいました。そんなとき、アメリカの大統領ハーディングが、各国をワシントンに呼んで国際会議を開くことを提案しました。これが、1921年に開かれた「ワシントン会議」です。

ワシントン海軍軍縮条約の内容と目的

ワシントン海軍軍縮条約では、「主力艦(しゅりょくかん)」と呼ばれる大型の軍艦の数を、国ごとに決めることになりました。その比率は、アメリカ:イギリス:日本:フランス:イタリア=5:5:3:1.67:1.67 です。

この数字は「アメリカとイギリスが同じくらい、日本はその6割、フランスとイタリアはもっと少なめ」という意味です。このように決めることで、どの国もむやみに軍艦を作らなくなり、戦争を防ごうとしたのです。

日本は「せめて7割にしてくれ!」と主張しましたが、最終的にはアメリカやイギリスと交渉した結果、「戦艦陸奥(むつ)」を残すことを条件に、6割で合意しました。

この条約のおかげで、各国は新しい主力艦の建造を10年間やめることになり、「海軍の休み(海軍休日)」とも呼ばれる時代が始まったのです。

四カ国条約の内容をわかりやすく

四カ国条約は、アメリカ・イギリス・日本・フランスの4か国が「太平洋の領土や島々をめぐって争わないようにしよう」と約束した条約です。これによって、いまある領土をお互いに認めあい、問題が起きたときには4か国で話し合うことになりました。

この条約の一番のポイントは、「日英同盟(にちえいどうめい)」がなくなったことです。日本とイギリスは、これまで軍事的に協力する関係でしたが、アメリカがそれをよく思っていませんでした。

そこで、四カ国条約ができたことで「みんなで話し合う体制」ができたから、日英同盟は必要なくなり、1923年に正式に終了しました。これで、アメリカが日本とイギリスの関係にストップをかけることに成功したのです。

九カ国条約とは?中国の門戸開放と列強の利害調整の狙い

九カ国条約は、中国をめぐる問題を解決するための条約です。アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国の9か国が集まって、次のように決めました。

それは「中国の独立と主権を尊重しよう」「門戸開放(もんこかいほう)と機会均等を守ろう」という内容です。簡単に言えば、「中国を勝手に支配しない」「みんなが平等に貿易できるようにしよう」ということです。

この条約で、日本はそれまで手に入れていた中国の一部の権益(けんえき)を返すことになりました。とくに、第一次世界大戦で得た山東半島の権益を中国に返還しました。これはアメリカの圧力もあり、日本が国際協調を重視した結果です。

ワシントン会議の内容をわかりやすく:なぜ軍縮?

ここからは、「そもそもなぜ軍縮が行われたのか?」という疑問に答えていきます。

ワシントン会議の最大のポイントは、世界で初めて「軍備を減らそう!」という話し合いが国際的に行われたことでした。ですが、ただ仲良くなろうとしていたわけではありません。各国にはそれぞれ、軍縮をしたい「本音」があったのです。

とくに、アメリカと日本の思惑はとても重要です。では、どんな理由で軍縮が必要とされ、どんな影響を日本にもたらしたのか、一緒に見ていきましょう!

建艦競争と財政負担への国際的な懸念

第一次世界大戦が終わったあと、アメリカ・イギリス・日本などの国々は、どんどん大きな軍艦を作り合っていました。これを「建艦競争(けんかんきょうそう)」といいます。

でも、軍艦を作るにはものすごくお金がかかります。どの国も戦争のあとで経済的に苦しくなっていたため、「もうこれ以上、軍艦を作るのはやめにしよう」という声が高まってきました。

また、軍艦が増えれば増えるほど、次の戦争が起きやすくなってしまいます。だから、「戦争を防ぎ、無駄なお金を使わないためにも、軍縮を進めよう」という考えが広がっていったのです。

このような背景から、ワシントン会議では「主力艦の建造をやめる」「持てる艦の数を決める」ことが話し合われることになりました。

アメリカの狙い:日本の台頭を牽制し太平洋の主導権を確保

アメリカがワシントン会議を開いた最大の目的は、「日本の力を弱めること」でした。日本は第一次世界大戦の勝利で、中国や南洋諸島に勢力を広げました。これを見たアメリカは、「このままだと日本が太平洋で主導権を握ってしまう!」と警戒します。

とくに、フィリピンはアメリカの植民地でしたが、そのすぐ近くに日本が勢力を持っていることは、大きな脅威でした。だからアメリカは、条約によって日本の軍艦を減らし、南の島々に新たな基地を作れないようにしたかったのです。

さらに、日英同盟を終わらせることで、日本がイギリスと手を組まないようにもしました。こうして、アメリカは太平洋の平和を守るふりをしながら、自分たちに有利な国際秩序を作ろうとしたのです。

日本が軍縮を受け入れた理由|経済苦境とアメリカとの協調路線

日本にとっても、実は軍縮はありがたい話でした。なぜなら、戦争が終わったあとの日本は「戦後恐慌(せんごきょうこう)」という不景気で、国の財政がとても苦しかったからです。

軍艦を作り続けるのはとてもお金がかかります。なので、日本の政府は「軍縮によってお金が浮けば、国内の経済立て直しに使える」と考えていました。また、当時の日本はアメリカとの関係を悪くしたくなかったため、協調路線をとる方が国際的に孤立せずにすむと判断したのです。

こうして日本は、主力艦の保有比率で「アメリカとイギリスの6割」という条件を受け入れました。これは悔しい面もありましたが、外交上はうまく立ち回ったとも言えます。

八・八艦隊の断念と軍部の不満

ワシントン会議のあと、日本では大きな変化が起きました。とくに、海軍が計画していた「八・八艦隊(はちはちかんたい)」をあきらめざるを得なくなったことは、軍にとってショックでした。

八・八艦隊とは、「戦艦8隻と巡洋艦8隻を整える」日本の夢の艦隊計画です。でも、ワシントン海軍軍縮条約によって、戦艦の保有が制限されてしまったので、この計画は実現できなくなりました。

この決定は、当時の海軍大臣・加藤友三郎(かとうともさぶろう)によってまとめられましたが、海軍の中には「なぜアメリカやイギリスより少ないのか!」と不満を持つ人たちもいました。

この不満は、やがて日本の軍部が強くなっていく原因のひとつになり、のちの軍国主義にもつながっていくのです。

ワシントン体制の崩壊と軍縮時代の終わり

ワシントン会議でつくられた平和の体制は、しばらくのあいだうまく機能していましたが、1930年代に入るとだんだん崩れていきます。

そのきっかけのひとつが、世界恐慌(せかいきょうこう)です。経済がボロボロになった各国は、自国の利益を最優先するようになり、国際協調が崩れていきました。日本もその流れにのり、1931年には満州事変(まんしゅうじへん)を起こします。これは、九カ国条約に違反する行動でした。

さらに、日本は1934年にワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告し、1936年にはロンドン会議からも脱退。これによって、「海軍休日」と呼ばれた軍縮時代は15年で終わりを迎えました。

こうして、再び世界は軍拡の時代へと突き進み、やがて第二次世界大戦が始まってしまうのです。

総括:ワシントン会議の内容をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • ワシントン会議は1921年にアメリカ・ワシントンで開催された世界初の軍縮国際会議
  • 目的は戦争防止・太平洋の安定・中国問題の解決など
  • 3つの主要な条約が結ばれた
    • 四カ国条約:太平洋の領土をめぐる争いを防止(アメリカ・イギリス・日本・フランス)
    • 九カ国条約:中国の独立と門戸開放を約束(列強+中国)
    • ワシントン海軍軍縮条約:主力艦の保有比率を制限(米5:英5:日3:仏1.67:伊1.67)
  • 背景には第一次世界大戦の反省と、建艦競争による財政負担があった
  • アメリカの狙いは、日本の台頭を抑え太平洋での主導権を握ること
  • 日本は経済難とアメリカとの協調を理由に軍縮を受け入れた
  • 海軍の八・八艦隊計画は断念され、軍部に不満が残った
  • 1930年代に入ると世界恐慌や満州事変などにより国際協調は崩壊
  • 日本は1934年に軍縮条約を破棄し、軍拡時代へと突入した