「江戸幕府最後の将軍」として有名な徳川慶喜(とくがわよしのぶ)を知っていますか?学校の歴史の授業でも習う人物ですが、「実際にこの目で見たことがある!」という人はいるのでしょうか?
そこで、テレビ番組『水曜日のダウンタウン』(TBS系)では「徳川慶喜を生で見たことがある人は、まだギリこの世にいるのか?」という興味深いテーマで検証が行われました。
この調査ではなんと105歳の女性が「徳川慶喜を見たことがある!」と証言し、スタジオが大興奮!はたしてこの証言は本当なのでしょうか? また、明治時代から生きるご長寿たちは、どんな世界を見てきたのでしょうか?
今回は、番組の内容をもとに「徳川慶喜を見たことある人が本当にいたのか?」について、分かりやすく解説していきます!
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徳川慶喜を見たことある人は本当にいるの?水ダウが調査
「江戸時代の将軍を生で見たことがある人が、今でも生きているのか?」
そんな疑問を解決するため、テレビ番組『水曜日のダウンタウン』が大規模な調査を行いました。
結論から言うと、1910年(明治43年)生まれの105歳女性が「徳川慶喜を生で見た」と証言し、大きな話題となりました。
では、この女性はどんな状況で慶喜を見たのでしょうか? 番組の調査内容や証言の信ぴょう性について詳しく見ていきましょう。
徳川慶喜を見たことある人は105歳の飯島のぶさん!
番組の調査で「徳川慶喜を生で見た!」と証言したのは、1910年(明治43年)生まれの飯島のぶさん(当時105歳)でした。彼女は「日本橋の高島屋と白木屋の間を、行列を組んで歩く徳川慶喜を見た」と語っています。

番組がこの証言をもとに調査したところ、慶喜が実際に日本橋を訪れていた記録があることが判明しました。そのため、飯島さんの証言は大変貴重なものと考えられています。
「江戸時代の将軍を見たことがある人なんて、もういないだろう」と思われていたので、この発見はスタジオを驚かせました。
水曜日のダウンタウン「徳川慶喜を見たことある人」企画の詳細
番組では「徳川慶喜を生で見たことがある人」を探すため、全国の老人ホームやデイサービス施設で調査を実施しました。
しかし、100歳を超えるご長寿の方々に聞いても、「見たことがない」という回答がほとんど。なぜなら、当時の庶民が元将軍に会える機会はほとんどなかったからです。
ところが、飯島のぶさんの証言によって、「実際に見た人がいた!」という新事実が発覚しました。
飯島のぶさんが目撃したのはどんな場面だったのか?
飯島のぶさんが徳川慶喜を見たのは、1913年頃の日本橋(東京)です。
彼女は3歳の頃、日本橋の高島屋と白木屋の間を行列で歩く慶喜を目撃したそうです。
「でも、3歳の記憶なんてあてになるの?」と疑問に思う人もいるかもしれませんね。しかし、飯島さんの証言には、次のような重要なポイントがありました。
- 行列を組んで歩く慶喜を見た
- 周りの人々が特別な人物として注目していた
- 記憶に残るくらいの強い印象を受けた
さらに、「当時の建物の位置や景色を正確に覚えていた」ことから、証言の信ぴょう性が高いと判断されました。
徳川慶喜が晩年に東京・日本橋を訪れていた証拠とは?
では、本当に徳川慶喜は日本橋を訪れていたのでしょうか?
歴史の記録を調べると、慶喜は明治44年(1911年)に「日本橋」の銘板(橋の名前の石碑)を揮毫(きごう)していたことが分かっています。
つまり、慶喜は日本橋に訪れていた可能性が高いのです。
さらに、専門家によると「慶喜は東京に移住した後、日本橋周辺で目撃された記録が複数ある」とのこと。これにより、飯島さんの証言がより信頼できるものと考えられました。
歴史的に「徳川慶喜を生で見た人」がいた可能性は?
徳川慶喜は1837年生まれ、1913年に亡くなりました。つまり、慶喜を生で見た可能性があるのは、1913年以前に生まれた人だけです。
番組の調査では「102歳以上の人しか可能性がない」とされていました。そして、その条件を満たしたのが飯島のぶさんだったのです。
慶喜が亡くなってから100年以上が経ち、「生き証人」がほとんどいない中、この証言は歴史的にも貴重な発見となりました。
徳川慶喜を見たことある人が語る「明治の日本」とは
飯島のぶさんが徳川慶喜を見たことがあると証言したことは、多くの人に驚きを与えました。しかし、それだけでなく、明治時代を生きたご長寿の方々の証言から、当時の日本の様子が垣間見えることも注目ポイントです。
ここからは、飯島のぶさんをはじめとする100歳以上の方々が語った、明治時代の日本の暮らしや歴史的な証言について紹介していきます。
徳川慶喜以外にも「歴史的人物」を見た人はいるのか?
『水曜日のダウンタウン』の調査では、徳川慶喜以外の歴史的人物を目撃した人の証言も出てきました。
例えば、以下のような証言がありました。
- 「私の父親が、東京大学で夏目漱石の授業を受けた」と語る人
- 「私の義兄は、早稲田大学で大隈重信(おおくま しげのぶ)を見たことがある」
- 「戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立ったのを見た」
こうした証言は、歴史の教科書では知ることができない、貴重な「生の証言」です。特に、夏目漱石や大隈重信などの明治の偉人に関する証言は、当時の日本の教育や文化の様子を知るうえで大変興味深いものとなりました。
「100歳以上の証言」から分かる明治~昭和初期の日本の様子
100歳以上の方々の証言を集めることで、明治時代の日本がどのような雰囲気だったのかが見えてきました。
例えば、次のような話があります。
- 「私が子どものころ、村にはちょんまげの人が1人くらいいた」
- 「当時は馬車が主流で、自動車なんてほとんどなかった」
- 「学校では、竹の筆で習字をするのが当たり前だった」
こうした証言から分かるのは、「明治時代の日本は、江戸時代の名残が色濃く残っていた」ということです。
特に「ちょんまげの人がまだいた」という証言には、多くの人が驚きました。
明治政府は1871年に「断髪令」を出し、ちょんまげを禁止しましたが、実際にはすぐに浸透したわけではなく、地方ではちょんまげ姿の人も少なからずいたようです。
「慶喜を見た人」の証言が歴史的に貴重な理由
飯島のぶさんのように「徳川慶喜を見た」という証言は、歴史的に見ても大変貴重です。
なぜなら、歴史の記録は文字や写真で残ることが多いですが、生の証言は時が経つにつれて消えてしまうからです。
特に以下のような点が重要視されています。
- 庶民の目から見た歴史的な出来事がわかる
- 教科書には載らない、当時の生活や文化が語られる
- 当時の感覚や価値観を知る手がかりになる
例えば、歴史の教科書には「徳川慶喜は明治時代に東京で暮らした」と書かれていますが、実際に見た人がどのような印象を受けたのかまでは記録されていません。
しかし、飯島のぶさんの証言によって、「慶喜は日本橋で行列を組んで歩いていた」という事実が明らかになり、彼がどのように庶民の前に姿を現していたのかがわかるのです。
「徳川慶喜の生存時に生まれた最後の世代」が今後消える
徳川慶喜は1913年(大正2年)に亡くなりました。つまり、慶喜の姿を見た可能性がある人は、1913年以前に生まれた人に限られます。
現在(2025年時点)で考えると、110歳以上の人しか「徳川慶喜を見たことがある可能性」がないのです。しかし、日本でも110歳以上の人は非常に少なく、今後このような証言が聞ける可能性はほぼゼロに近づいています。
これはつまり、「徳川慶喜の姿を見たことがある人の記憶が、歴史として完全に消えてしまう」ということです。そのため、飯島のぶさんの証言は「最後の生き証人」の言葉として、非常に貴重なものだったといえるでしょう。
もし自分が「100年後に語られる歴史の証人」だったら?
みなさんは、「100年後の未来の人たちに、自分の経験を伝えたい!」と思ったことはありますか?
実は、今生きている私たちも、「未来の歴史の証人」になる可能性があります。
例えば、2020年の新型コロナウイルスの流行や、AI技術の発展、戦争や大災害の記録など、100年後の人々にとって貴重な情報になるかもしれません。
今の出来事を記録に残すことが、未来の歴史研究につながるのです。
そこで、次のような方法で、自分の経験を後世に伝えることができます。
- 日記を書く(紙でもデジタルでもOK)
- SNSやブログに記録を残す
- 写真や動画で、当時の生活を残す
このように、今の時代の出来事を残すことが、未来の人々の役に立つかもしれません。つまり、飯島のぶさんが「徳川慶喜を見た」と証言したように、私たちも未来の歴史の証人になることができるのです!
総括:徳川慶喜を見たことある人まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 『水曜日のダウンタウン』で「徳川慶喜を生で見たことがある人はいるのか?」という企画が放送された。
- 調査の結果、1910年(明治43年)生まれの105歳女性・飯島のぶさんが「徳川慶喜を見た」と証言。
- 飯島のぶさんは3歳の時、日本橋(高島屋と白木屋の間)で行列を組んで歩く徳川慶喜を目撃した。
- 調査の結果、慶喜が明治44年(1911年)に日本橋の銘板を揮毫していたことが判明し、証言の信ぴょう性が高まった。
- 飯島のぶさん以外にも「夏目漱石の授業を受けた父を持つ人」や「大隈重信を見た人」など、貴重な証言があった。
- 100歳以上の人々の証言によると、「村にちょんまげの人がいた」「馬車が主流」「竹の筆で習字」など、明治時代の生活の様子がうかがえた。
- 徳川慶喜を生で見た可能性があるのは1913年以前に生まれた人のみ。現在では110歳以上であり、その世代がいなくなると証言が消えてしまう。
- 「歴史は記録しなければ消えてしまう」という視点から、日記やSNS、動画で現代の出来事を未来に残すことの重要性が語られた。
- 飯島のぶさんの証言は「最後の生き証人」として、歴史的にも貴重な発見だった。