「フランシスコ=ザビエル」は、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師(せんきょうし)として有名な人物です。
でも、「なんで日本に来たの?」「どんなことをしたの?」と気になる人も多いはずです。
そこで今回は、フランシスコ=ザビエルの生涯や功績、そして彼が日本に来た理由をわかりやすく解説します!
テストでよく出るポイントや語呂合わせも紹介するので、ぜひ最後まで読んでくださいね!
フランシスコ=ザビエルは何した人か簡単に:生涯と功績

フランシスコ=ザビエルは、16世紀のヨーロッパで活躍したキリスト教の宣教師です。彼は日本に初めてキリスト教を伝え、日本とヨーロッパのつながりを深めた人物として歴史に名を残しました。
フランシスコ=ザビエルとは:ヨーロッパの名門出身の宣教師
フランシスコ=ザビエルは、1506年に現在のスペイン・ナバラ王国で生まれました。彼の家は貴族の名門で、父親は国王の財政顧問を務めるほどの実力者でした。
若いころのザビエルは、学問を学ぶためにパリ大学に進学します。そこで出会ったのが、後にイエズス会を創設するイグナティウス=ロヨラという人物です。ロヨラの影響を受けたザビエルは、自らもキリスト教の布教に人生をささげる決意をします。
1540年、ロヨラたちと共に「イエズス会」というカトリック教会の新しい組織を作り、世界中にキリスト教を広める活動を始めました。イエズス会の宣教師たちは、当時ヨーロッパ以外では知られていなかったキリスト教を広めるために、世界各地へ旅立っていったのです。
ザビエルが布教を始めた理由:宗教改革とカトリックの危機
16世紀のヨーロッパでは「宗教改革」という大きな変化が起こっていました。これは、カトリック教会に反対する「プロテスタント」と呼ばれる新しいキリスト教のグループが増えていた時代です。
カトリック教会は、このままでは信者が減ってしまうと危機感を持ち、イエズス会を中心に「世界中にキリスト教を広めよう!」という計画を立てました。そこで、ザビエルはアジアへ布教に向かうことになります。
1541年、ポルトガル国王ジョアン3世からの依頼を受け、ザビエルはインドへ出発しました。ここから、彼の長い布教の旅が始まります。
インド・東南アジアでの布教活動と日本への関心が高まった経緯
最初にザビエルが向かったのは、インドのゴアという場所でした。ここでは一部の人々がキリスト教に改宗しましたが、大成功とは言えませんでした。そこで彼はさらに東へ進み、東南アジア(マレーシアやインドネシアなど)で布教を続けます。
その途中、マラッカで「アンジロー」という日本人と出会います。アンジローは日本で罪を犯し、マラッカに逃れてきた人物でしたが、ザビエルは彼の話を聞き、日本という国に強い興味を持ちます。
「日本人は礼儀正しく、学ぶことに熱心な国民だ」と聞かされたザビエルは、「日本ならキリスト教を広められるかもしれない!」と考え、日本への布教を決意しました。
ザビエルが日本に来た理由:戦国時代の日本での布教の狙い
ザビエルが日本に来たのは1549年のことです。彼はマラッカから船に乗り、鹿児島に上陸しました。日本に来た理由は、単に布教のためだけではなく、中国での布教の足がかりにする目的もあったと言われています。
当時の日本は戦国時代の真っ只中で、大名(戦国武将)たちが領地を奪い合っていました。ザビエルは、まずは日本の支配者層にキリスト教を広め、そこから一般の人々へ布教を進めようと考えていました。
しかし、日本にキリスト教を広めるのは簡単ではありませんでした。仏教がすでに広く信じられていたため、ザビエルの教えに反対する人も多かったのです。それでも彼は諦めず、各地を巡りながら布教を続けました。
ザビエルが日本で行ったこと:布教の挑戦と成果
ザビエルは日本で約2年間活動しました。鹿児島の次に平戸、山口、京都、大分などを訪れ、布教を行いました。
特に山口では、大名の大内義隆の支援を受け、教会を建てることができました。ここでは500人以上がキリスト教に改宗したと言われています。また、大友宗麟という戦国大名とも交流を持ち、彼の支援も受けました。
しかし、日本全国にキリスト教を広めるには時間が足りませんでした。ザビエルは1551年に日本を離れ、中国へ向かおうとしますが、病気にかかり、1552年に46歳の若さで亡くなりました。
フランシスコ=ザビエルは何した人か簡単に:日本に与えた影響とキリスト教の広まり

フランシスコ=ザビエルが日本に来たことで、日本とヨーロッパのつながりが生まれました。しかし、彼が去った後も、日本にキリスト教が広まるには多くの困難がありました。
戦国大名たちはキリスト教を利用しようとする一方で、江戸時代にはキリスト教が禁止され、隠れキリシタンの歴史が生まれました。
南蛮貿易とキリシタン大名の誕生
ザビエルの布教活動がきっかけとなり、日本とヨーロッパ(主にポルトガル・スペイン)のつながりが深まりました。その影響で、日本では「南蛮貿易」が始まりました。
南蛮貿易では、ポルトガルやスペインの商人が日本に武器やガラス製品、絹織物などをもたらし、日本からは銀や工芸品が輸出されました。この貿易は、戦国大名にとっても大きなメリットがあり、多くの大名がキリスト教を受け入れるようになりました。
この時代にキリスト教を信仰した戦国大名を「キリシタン大名」と呼びます。有名なキリシタン大名には、大友宗麟(おおとも そうりん)、有馬晴信(ありま はるのぶ)、大村純忠(おおむら すみただ)などがいます。彼らは布教を支援し、ポルトガルとの貿易を活発に行いました。
しかし、こうした動きに対して、のちに天下を統一した豊臣秀吉や徳川家康はキリスト教を警戒し、禁止する政策を進めていきます。
ザビエルの死後も広まったキリスト教
ザビエルが亡くなった後も、イエズス会の宣教師たちは次々と日本にやってきました。彼らの活動により、日本各地にキリスト教徒(キリシタン)が増えていきました。
特に、長崎はキリスト教の中心地となり、教会が建てられ、ヨーロッパの文化が広まる場となりました。1582年には、キリシタン大名たちがローマ教皇に使節団(天正遣欧使節)を送るなど、日本とヨーロッパの交流はさらに深まっていきました。
しかし、戦国時代が終わり、天下統一が進むと、キリスト教に対する見方が変わっていきます。支配者たちは、キリスト教の広がりを「外国勢力の影響が強くなりすぎる」として危険視し始めたのです。
バテレン追放令と隠れキリシタンの歴史
1587年、豊臣秀吉は「バテレン追放令」を出し、日本から宣教師たちを追放しようとしました。この命令の背景には、キリスト教の広まりが政治的に危険だと判断されたことがありました。
秀吉の後に天下を取った徳川家康も、キリスト教の禁止を進めました。1614年には「キリスト教禁止令」を出し、日本国内でキリスト教を信仰することを厳しく取り締まりました。
これにより、多くのキリシタンは信仰を捨てるか、ひそかに信仰を続ける「隠れキリシタン」にならざるを得ませんでした。隠れキリシタンたちは、仏教徒のふりをしながらも、密かに信仰を守り続けました。長崎や五島列島などには、今も隠れキリシタンの文化が残っています。
日本でのキリスト教復活!明治時代に信仰の自由が認められるまで
江戸時代を通じて、日本でのキリスト教は禁止され続けました。しかし、明治時代に入ると、日本は近代化を進めるために西洋の文化や制度を取り入れるようになります。
その結果、1873年(明治6年)にはキリスト教の禁止が解かれ、日本国内で再びキリスト教を信仰することができるようになりました。隠れキリシタンの子孫たちが公に信仰を表明し、キリスト教の教会が再び建てられるようになりました。
今では、長崎や神戸などには多くの教会があり、日本でもキリスト教が信仰されています。フランシスコ=ザビエルの活動が、日本の歴史に大きな影響を与えたことがわかりますね。
フランシスコ=ザビエルの功績を語呂合わせで覚えよう
ザビエルが日本に来た年(1549年)や彼の活動を、語呂合わせで覚えるとテストにも役立ちます!
✅ 1549年(ザビエル来日)
「以後よく(いご よく)広めるキリスト教」
✅ イエズス会創設(1540年)
「以後よれ(いご よれ)イエズス会」
✅ バテレン追放令(1587年)
「以後はな(いご はな)れるバテレン」
✅ キリスト教禁止令(1614年)
「いろいし(いろ いし)のキリスト教禁止」
このように、数字を語呂合わせで覚えておくと、歴史の流れがわかりやすくなりますよ!
総括:フランシスコ=ザビエルは何した人か簡単に解説のまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ フランシスコ=ザビエルとは?
- 16世紀のカトリック宣教師で、イエズス会の創設メンバー。
- 1506年にスペイン・ナバラ王国で生まれ、パリ大学で学ぶ。
- 1540年、イエズス会を設立し、世界各地で布教活動を開始。
✅ ザビエルが日本に来た理由
- 1541年、ポルトガル国王の依頼でアジア布教へ出発。
- インドや東南アジアで布教するも成果が少なく、日本に注目。
- マラッカで日本人アンジローと出会い、日本人の知識欲に感銘を受ける。
- 1549年、鹿児島に上陸し、日本でキリスト教の布教を開始。
✅ 日本での布教活動と困難
- 鹿児島で布教を始めるが、仏教僧からの反発を受ける。
- 京都で天皇や将軍に謁見しようとするも許可されず失敗。
- 山口では大名・大内義隆の支援を受け、500人以上を改宗させる。
- その後、大分の大友宗麟のもとでも布教を行う。
- 1551年、日本を離れ、中国布教を目指すも病死(1552年)。
✅ ザビエルが日本にもたらした影響
- 日本とヨーロッパの交流を深め、南蛮貿易を活発化。
- キリスト教を信仰する「キリシタン大名」が増加。
- ポルトガルとの貿易を通じて、鉄砲やガラス製品が日本に広まる。
✅ 日本でのキリスト教のその後
- ザビエルの死後も宣教師たちが布教を続け、日本各地で信者が増加。
- 1587年、豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発令し、キリスト教を制限。
- 1614年、徳川家康が「キリスト教禁止令」を出し、弾圧が激化。
- 信者たちは「隠れキリシタン」として密かに信仰を続ける。
- 明治時代(1873年)にキリスト教の禁止が解かれ、再び信仰が広がる。
