「フランシスコ・ザビエル」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?
日本にキリスト教を伝えた人として、教科書にも載っている有名な人物ですよね。しかし、彼の最期について詳しく知っている人は少ないかもしれません。
実は、ザビエルは中国に渡る直前に病気で亡くなり、彼の遺体は今もインドのゴアに安置されているのです。さらに、不思議なことに遺体は腐敗せず「ミイラ」となり、多くの人々に「奇跡」として語り継がれています。
では、彼はなぜ亡くなったのか?遺体がミイラ化した理由は何なのか?歴史的な記録をもとに、分かりやすく解説していきます!
フランシスコ=ザビエルの死因とは?病気や最期の様子

フランシスコ・ザビエルの死因については、さまざまな説がありますが、最も有力なのは「肺炎」です。
彼は中国での布教を目指しましたが、思うように入国できず、広東省にある「上川島(サンジョアン島)」で足止めされてしまいました。その間に体調が悪化し、ついには息を引き取ることになりました。
では、具体的にどのような経緯で亡くなったのか、詳しく見ていきましょう。
フランシスコ=ザビエルの死因は「肺炎」?最期の様子を解説
ザビエルは、日本での布教を終えた後、さらにキリスト教を広めるために中国へ向かいました。当時の中国は外国人の入国を厳しく制限しており、彼は密入国を試みましたが、島から出ることができず、数か月間足止めされてしまいました。
12月になると、寒さと疲れから体調を崩し、高熱に苦しむようになります。当時の医学では病名を特定することは難しかったのですが、彼の症状から「肺炎」であったと考えられています。激しい咳、息苦しさ、体の衰弱が進み、1552年12月3日、46歳で亡くなりました。
フランシスコ=ザビエルの死因は「過労と栄養不足」か
ザビエルの死因には「過労と栄養不足」も関係しているといわれています。彼は宣教活動のために長年旅を続け、ポルトガルからインド、日本、そして中国へと渡りました。その移動距離は当時の人にとっては驚異的なものでした。
移動中は船の中での生活が続き、十分な食事や休息をとることができませんでした。特に上川島での滞在時は、寒さやストレスも重なり、体調がどんどん悪化していきました。
歴史的な記録によると、彼は最後の数日はほとんど食事ができず、寝たきりの状態だったといいます。このように、彼の死にはさまざまな要因が絡んでいたのです。
フランシスコ=ザビエルの遺体はどのように扱われたのか?
ザビエルが亡くなった後、弟子たちは彼の遺体を手厚く埋葬しました。最初は上川島の海岸近くに埋められましたが、2か月後、遺体をマラッカへ移すことが決まりました。驚くべきことに、その時遺体を掘り起こしてみると、まったく腐敗していなかったと記録されています。
その後、マラッカからインドのゴアへと遺体が運ばれ、現在もボン・ジェズス教会に安置されています。これは当時のカトリック信者にとって「奇跡」とされ、多くの巡礼者が訪れるきっかけとなりました。
ミイラ化した理由を解説
遺体が腐らなかった理由には、いくつかの説があります。
まず、埋葬の際に石灰を使ったことが関係していると考えられます。石灰には防腐効果があり、細菌の繁殖を防ぐ働きがあります。また、埋葬されていた場所の環境が乾燥していたため、遺体の保存状態が良かったともいわれています。
さらに、当時の人々はこれを「聖人の奇跡」として広め、ザビエルの遺体は大切に保管されることになりました。こうした背景から、ザビエルの遺体は「ミイラ」として現代まで残り、多くの人に崇拝されているのです。
ザビエルの死因にまつわる歴史的な誤解
ザビエルの死因については、歴史の中でいくつかの誤解も生まれました。一部では「毒殺された」という説もありましたが、これには根拠がありません。彼が亡くなった当時の状況を考えると、肺炎や衰弱死の可能性が圧倒的に高いのです。
また、「日本での布教失敗が原因でショック死した」という説もありますが、これも誤解です。彼は日本で布教活動を成功させましたが、日本の文化や風習を十分に理解していなかったため、一部の武士や仏教徒からの反発を受けました。
しかし、それが直接の死因になったわけではなく、彼自身は新たな布教地を求めて前向きに行動していました。
フランシスコ=ザビエルの死因の後に:遺骨の分布や信仰の影響

ザビエルの遺体は、亡くなった中国ではなく、遠く離れたインド・ゴアに安置されています。これは、当時のポルトガルの植民地であり、イエズス会の重要な拠点だったためです。しかし、ザビエルの遺体はその後、世界各地に分散されることになりました。
なぜ遺骨が分けられたのか?そして、それぞれの場所でどのように扱われているのか?詳しく見ていきましょう。
ザビエルの遺体はインド・ゴアに安置!現在の状況を解説
現在、ザビエルの遺体はインド・ゴアのボン・ジェズス教会に安置されています。この教会は、ポルトガル統治時代からの歴史を持つ重要な建造物であり、世界遺産にも登録されています。
ザビエルの遺体は、ガラスケースの中に保管され、通常は公開されていません。しかし、10年に1度だけ一般公開される特別な機会があります。この際には、世界中からキリスト教徒が訪れ、ザビエルの遺体を拝みます。

この特別公開には毎回数百万人もの巡礼者が訪れ、現在でも多くの人々に敬愛されていることがわかります。
ザビエルの遺体の一部は世界各地に分散!どこにある?
ザビエルの遺体は、信仰の象徴として世界各地に分けられました。これは、カトリックの聖人崇拝において「聖遺物(せいいぶつ)」が重要視されているためです。
では、具体的にどこにあるのでしょうか?
- 右腕:ローマのジェズ教会(イタリア)
- ザビエルが布教活動で多くの人に洗礼を授けた「右腕」は、イエズス会の本部であるローマに送られました。
- 胸骨の一部:日本(東京)
- 日本でもザビエルは大きな影響を与えたため、胸骨の一部が保管されています。
- 耳や毛髪:リスボン(ポルトガル)
- ザビエルが属していたポルトガルのリスボンでも、彼の一部が保存されています。
- 歯:ポルト(ポルトガル)
- 聖遺物として、ポルトガル各地に分散されています。
このように、ザビエルの遺体は世界各地に分けられ、それぞれの場所で大切に祀られています。
ザビエルの遺体がもたらした「奇跡」
ザビエルの遺体に関する「奇跡」は、何度も記録されています。最も有名なのは、彼の遺体が腐敗しなかったことですが、他にも次のような話があります。
- 50年後の遺体検証で「血が流れた」
- 1605年、ザビエルの遺体が再び検証されました。この際、胸の小さな傷口から血がにじみ出たとされ、「生きた体のようだった」と記録されています。
- 右腕を切り取る際の奇跡
- 1614年、イエズス会員がザビエルの右腕を切り取ることになりました。しかし、その際に「新鮮な血」が流れたとされ、さらに信仰を集めることになりました。
- 遺体の保存状態が現在も良好
- 一般的に遺体は長い年月が経つと朽ちてしまいますが、ザビエルの遺体は現在でも保存状態が良いといわれています。
このような話が伝えられることで、ザビエルは「聖人」としての評価を確立していきました。
フランシスコ=ザビエルの死後:キリスト教布教はどうなった?
ザビエルの死後、彼が命を懸けて広めようとしたキリスト教の布教はどのようになったのでしょうか?
- 日本では禁教令が発令
- ザビエルが布教した日本では、その後キリスト教が広がりました。しかし、江戸幕府が「キリスト教は国を脅かすもの」と考え、厳しい弾圧を行うようになりました。その結果、多くのキリシタン(キリスト教徒)が迫害を受けました。
- 中国では布教が困難に
- ザビエルは中国での布教を夢見ていましたが、彼の死後も中国の鎖国政策が続き、キリスト教の布教は困難を極めました。
- イエズス会は世界へと拡大
- ザビエルの影響で、イエズス会はさらに多くの地域へと布教活動を進め、南米やアフリカにもキリスト教が広まっていきました。
彼の死後も、その影響は世界中で続いているのです。
フランシスコ=ザビエルの影響
ザビエルの影響は、現代においても強く残っています。彼を記念する教会や施設は世界中にあり、日本にも彼の功績を称える場所があります。
- 長崎のザビエル記念教会
- 日本での布教の歴史を伝えるため、長崎にはザビエル記念教会が建てられています。
- 鹿児島のザビエル像
- ザビエルが最初に日本に上陸した鹿児島には、彼の銅像があり、多くの観光客が訪れます。
- ミイラ化した遺体の一般公開
- 先述したように、ゴアでは10年に1度、ザビエルの遺体が公開されます。このイベントには、キリスト教徒だけでなく、多くの歴史ファンも訪れています。
- 学校の名前にも残る
- ザビエルの名前を冠した「ザビエル高校」など、教育機関にもその名が残っています。
彼の影響は、日本だけでなく、世界中に広がり続けています。
総括:フランシスコ=ザビエルの死因まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
フランシスコ=ザビエルの死因について
- 死因は「肺炎」が有力
- 中国への布教を目指していたが、上川島で足止めされ、寒さと疲労により体調が悪化。
- 高熱や咳、息苦しさといった症状から肺炎で亡くなったと推測される。
- 「過労と栄養不足」も影響
- 長期間の旅と厳しい生活により、栄養不足と疲労が蓄積。
- 上川島での滞在時には食事も十分にとれず、衰弱死の可能性も高い。
- 「毒殺」や「日本での布教失敗によるショック死」などの説は誤解
- 彼は日本で布教活動を成功させており、それが死因となることは考えにくい。
ザビエルの遺体がミイラ化した理由
- 遺体が腐らなかったのは「石灰の防腐効果」
- 埋葬時に石灰を使用したため、細菌の繁殖が抑えられた。
- 埋葬場所の乾燥した環境も保存に適していた。
- 「奇跡」として崇拝された
- 50年後の遺体検証時、傷口から血が流れたとされる。
- 右腕を切り取る際に「新鮮な血」が出たとの記録もあり、聖人としての評価が高まった。
ザビエルの遺体の行方
- インド・ゴアの「ボン・ジェズス教会」に安置
- 現在も保存され、10年に1度一般公開される。
- 遺骨の一部は世界各地に分散
- 右腕:ローマ(イタリア)
- 胸骨の一部:日本(東京)
- 耳や毛髪:リスボン(ポルトガル)
- 歯:ポルト(ポルトガル)
フランシスコ=ザビエルの影響
- キリスト教の布教に大きな影響を与えた
- 日本では布教が進むも、後に禁教令で弾圧される。
- イエズス会は南米やアフリカなど、世界各地へ布教を拡大。
- 記念施設や銅像が各地に存在
- 長崎の「ザビエル記念教会」、鹿児島の「ザビエル像」など。
- 教育機関の名前にも使われている(ザビエル高校など)。
