今回は、日本の初代内閣総理大臣であり、明治時代の重要な人物「伊藤博文(いとう ひろぶみ)」がどうして暗殺されてしまったのか、そしてその死因や背景について、わかりやすく解説していきます。

歴史の授業で「日韓併合」や「韓国統監」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。でも、「どうして伊藤博文が殺されたの?」「暗殺されたとき、どんな様子だったの?」と疑問に思ったことはありませんか?

この記事では、事件の流れからその理由、さらには暗殺の裏にあった複雑な事情まで、塾長がしっかりとやさしい言葉で説明していきますよ。

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伊藤博文の暗殺事件と死因をわかりやすく解説

伊藤博文が1909年に暗殺された事件は、歴史における大きな転換点のひとつです。なぜ彼は命を落とさなければならなかったのでしょうか?その背景を詳しく見ていきます。

伊藤博文の死因は暗殺

伊藤博文の死因は「暗殺(あんさつ)」です。つまり、だれかにわざと命をうばわれたということですね。事件が起きたのは1909年(明治42年)の10月26日、中国のハルビン駅というところです。

このとき伊藤博文は、ロシアの財務大臣と会談をするために列車でハルビンにやってきました。ところが、駅に降り立ったすぐあと、韓国の民族運動家・安重根(あんじゅうこん)に銃(ピストル)で撃たれてしまいます。伊藤博文は3発の弾を受けて、そのまま亡くなりました。68歳でした。

つまり、伊藤博文の命をうばったのは病気や事故ではなく、「政治的な理由でうらまれていた人物による殺人」だったのです。

暗殺が起きた場所と状況

伊藤博文が暗殺されたのは、中国の東北地方にある「ハルビン駅」です。これは、当時ロシアが管理していた鉄道の駅で、多くの外国人も行き来する国際的な場所でした。

伊藤博文はロシアの重要人物との話し合いのためにそこを訪れていましたが、そのタイミングで安重根が近づき、銃で撃ったのです。

不思議なことに、このとき駅には多くの人がいたにもかかわらず、警護がゆるかったといわれています。安重根はすぐに逮捕されましたが、「どうしてこんな簡単に伊藤博文に近づけたのか?」という疑問が残っています。

これにより、「もしかすると安重根のほかにも協力者がいたのでは?」という説も出てきたのです。

伊藤博文を暗殺した犯人・安重根

安重根(あんじゅうこん)は、朝鮮半島(今の韓国)の民族運動家で、日本の支配に反対する立場でした。彼は、日本が韓国を支配しようとしていたことに強く反発していた人物です。

安重根は伊藤博文を「韓国の自由をうばった張本人」と考え、暗殺を決意しました。事件のあと、彼は捕まって裁判を受け、「自分は正しいことをした」と主張しました。そして1910年に死刑となりました。

韓国では、安重根は今でも「民族の英雄(えいゆう)」とされ、記念館なども作られています。いっぽう、日本では暗殺者としてとらえられています。これも国によって考え方がちがうところです。

伊藤博文はなぜ殺されたのか?その理由

伊藤博文が暗殺された理由は、いくつかあります。犯人の安重根は、伊藤博文が以下のような行動をしたから許せなかったと話しています。

  • 韓国の皇帝を退位させた
  • 韓国の軍隊を解散させた
  • 第三次日韓協約を結ばせた
  • 韓国の新聞や教育をうばった
  • 多くの韓国人を苦しめた

これらは、日本が韓国を植民地にするための政策の一部でした。しかし、実は伊藤博文は「韓国併合」には消極的だったとも言われています。

そのため、「本当に安重根が伊藤を狙ったのか?」「誰かに利用されたのではないか?」という声もあるのです。

伊藤博文の最後の言葉と様子

伊藤博文は銃弾を受けてから約30分ほど生きていたといわれています。その間に、周りの人と少しだけ話をしたそうです。

「三発あたった。相手は誰だ?」と言ったあと、犯人が韓国人だとわかると「馬鹿なやつだ…」とも語ったと伝えられています。

伊藤博文は日韓併合には反対していたため、自分が殺されたことで併合が加速するのを心配していたのかもしれませんね。彼は、その後大勢の人に見送られて国葬となり、歴史に名を残す人物となりました。

伊藤博文暗殺と死因の後に:なぜ殺されたのかを深掘り

伊藤博文が暗殺された背景には、当時の日本と韓国、さらには国際情勢の複雑な流れがありました。

ここでは、「なぜ伊藤博文は殺されたのか?」という問いに対して、さまざまな視点から解説していきます。

韓国の人々の怒りが高まっていたから

伊藤博文が暗殺された大きな理由のひとつは、韓国の人々の間で日本への怒りが高まっていたことです。日本は1905年に「第二次日韓協約」を結び、韓国の外交権をうばいました。そして「韓国統監府(かんこくとうかんふ)」という組織を作り、伊藤博文がその長官となったのです。

このころの韓国では、日本による政治や文化への介入がどんどん進み、学校、軍隊、新聞、法律などが日本のやり方に変えられていきました。韓国の人々は「自分たちの国がなくなるのではないか」と感じ、大きな不満をもっていました。

その不満の矛先が、韓国を統治していた伊藤博文に向けられてしまったのです。

伊藤博文は日韓併合に反対だったという説

おもしろいことに、伊藤博文自身は「日韓併合(にっかんへいごう)」には消極的だったという記録も残っています。彼は「韓国はまだ自分たちの力でやっていけるはずだ」と信じていて、むやみに併合することには反対していたのです。

このため、「伊藤博文の考えは、日本国内の軍部や強硬派(きょうこうは)にとってじゃまな存在だったのではないか?」という見方もあります。実際に、伊藤博文が暗殺された後、わずか1年で日韓併合が実行されたのです。

つまり、彼がいなくなったことで、日本政府の中でも「併合すべきだ」という考えが一気に進んだというわけですね。

ロシアが暗殺に関係していた可能性

さらにもうひとつの説があります。それは、「ロシアがこの暗殺に関わっていたかもしれない」というものです。

当時のハルビン駅は、ロシアが管理する鉄道の一部でした。そして、伊藤博文はロシアの財務大臣と会う予定だったのです。事件が起きたとき、まわりにはたくさんのロシア人がいましたが、だれもけがをしていません。

さらに、伊藤博文の体から見つかった弾のひとつが、小銃で撃たれたような角度だったという話もあります。これらのことから、「ロシアが伊藤博文の動きをおそれて、何らかのかたちで事件に関わったのではないか」と考える人もいます。

もちろん、はっきりとした証拠はありませんが、国際的な思惑(おもわく)が関係していた可能性はゼロではないのです。

単独犯ではなかった?協力者の存在説

暗殺をおこなったのは安重根でしたが、「本当に彼ひとりでできたのか?」という疑問もあります。

伊藤博文を撃った銃はロシア軍が使っていたものだったとされ、また弾のうち一発は上からの角度で撃ち込まれていたという説もあるのです。これらのことから、「安重根には共犯者がいたのでは?」という話も出ています。

事件の直後、ロシアの警察によって共犯者と思われる人物が数人逮捕されていますが、詳しい情報は今もわかっていません。

つまり、この事件は「だれかが背後で動かしていたのではないか?」という疑惑が今でも消えていない、ミステリーのような歴史の一幕なのです。

暗殺後に進んだ日韓併合とその影響

伊藤博文が暗殺された翌年、1910年に日本は「韓国併合条約(かんこくへいごうじょうやく)」をむすび、韓国を完全に日本の植民地にしました。このとき「韓国」という名前はなくなり、「朝鮮(ちょうせん)」と呼ばれるようになります。

日本は「朝鮮総督府(ちょうせんそうとくふ)」という大きな役所を作って、軍隊や警察、教育など、すべてを日本のやり方に変えていきました。

つまり、伊藤博文の死が「日本による韓国支配の本格化」につながったのです。もし彼が生きていたら、日韓併合はもっと後になっていたか、あるいは別の形になっていたかもしれません。

彼の暗殺は、日韓の歴史を大きく変えるきっかけになったといえるでしょう。

総括:伊藤博文の暗殺事件と死因まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 伊藤博文の死因は暗殺で、1909年にハルビン駅で安重根によって銃撃された
  • 暗殺の場所は中国のハルビン駅で、ロシアの財務大臣と会うために訪れていた
  • 犯人は韓国の独立運動家・安重根で、日本の支配に強く反対していた人物
  • 暗殺理由は日本の韓国支配への反発で、伊藤博文が韓国に与えた影響が大きかった
  • 伊藤博文は日韓併合には消極的だったという説もあり、暗殺後に併合が急速に進んだ
  • ロシアの関与や協力者の存在が疑われているが、真相は不明なままである
  • 伊藤博文の最後の言葉が記録されていることから、死の直前まで意識があった
  • 暗殺後の翌年、1910年に日韓併合が実行され、日本による統治が本格化した
  • 安重根は韓国では英雄とされる一方、日本では暗殺犯として扱われている
  • 伊藤博文の暗殺は日韓関係と歴史に大きな影響を与えた重大事件である