みなさんは「新渡戸稲造(にとべいなぞう)」という名前を聞いたことがありますか?

かつて5,000円札の顔にもなった人物で、「武士道」を英語で書いて世界に日本の心を伝えたすごい人です。

今回は、新渡戸稲造が「何をした人なのか」「どこがすごいのか」を、小学生でもわかるように、塾長がやさしく解説していきます。さあ、いっしょに見ていきましょう!

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新渡戸稲造は何をした人か簡単に解説!功績と役割まとめ

新渡戸稲造は、教育者であり、作家であり、国際人でもありました。日本の良さを世界に伝え、世界とのかけ橋となることを目指した、心の広い人物です。

ここでは、そんな彼がどんなすごいことをしたのか、5つに分けて紹介します!

『武士道』の著者!世界に日本の道徳を伝えた人

新渡戸稲造がいちばん有名なのは、英語で『武士道(ぶしどう)』という本を書いたことです。これは、日本人の考え方や心のあり方を、海外の人たちに伝えるために書かれました。

ある日、新渡戸が外国の先生に「日本には宗教の授業がないけど、どうやって子どもに道徳を教えているの?」と聞かれたのがきっかけです。それに対して、「日本には武士道がある」と答えたのです。

武士道とは、勇気・礼儀・誠実・名誉などを大切にする、武士の生き方のことです。新渡戸は「これはキリスト教に負けないほど立派な道徳だ」と思い、『武士道』を書き上げました。

この本は、アメリカの大統領ルーズベルトにも読まれて、世界中でベストセラーになりました。

国際連盟で活躍した国際人

新渡戸稲造は、日本だけでなく世界でも活躍しました。第一次世界大戦のあと、世界の平和を守るために「国際連盟(こくさいれんめい)」という組織が作られました。

その中で、新渡戸は「事務局次長(じむきょくじちょう)」という大切な仕事をまかされました。これは、世界中の国の間に立って、もめごとを平和に解決する仕事です。

たとえば「オーランド諸島(しょとう)」という島の争いを話し合いで解決したり、教育や文化の交流をすすめるために、ユネスコのもとになるグループも作りました。世界の人からも「誠実でやさしい」「ユーモアもあるすてきな人」と、たくさんの信頼をあつめていたのです。

教育者として女子教育にも尽力

新渡戸稲造は、子どもたちの教育にも力を入れた人です。特に、当時あまり重視されていなかった「女子教育」にも目を向けていました。

東京女子大学という学校を作り、その初代学長になりました。また、のちに短期大学となる「女子経済専門学校」でも校長をつとめ、女の子たちがしっかりと学べる場を増やしました。

津田梅子(つだうめこ)という同じく女子教育をすすめた人物とも関わりがありました。

新渡戸は「学問も大事だけど、人としての思いやりや常識(コモンセンス)も大事なんだよ」と、生徒たちに教えていたそうです。

農業経済学者としても活躍

実は新渡戸稲造は、農業の分野でもすごい人でした。若いころから「日本の農業をよくしたい」という思いを持っていて、ドイツやアメリカでも農業の勉強をしていました。

日本に帰ってからは、台湾に行ってサトウキビの栽培を指導しました。「糖業改良意見書(とうぎょうかいりょういけんしょ)」という文書を出して、サトウキビの生産や品質を高める工夫をしたのです。

その功績から、「台湾砂糖の父(たいわんさとうのちち)」とも呼ばれています。農業を通して、人々の暮らしをよくしようとがんばったんですね。

「太平洋の架け橋」になろうと努力した人

新渡戸稲造が若いころからずっと大切にしていた夢があります。それが「われ、太平洋の架け橋(かけはし)とならん」という願いです。

これは、日本とアメリカのように海をはさんだ国どうしの、心のつながりを作るという意味です。そのために、新渡戸は英語を学び、アメリカやドイツに留学しました。

アメリカでは、メリー・エルキントンという女性と出会い、国際結婚をしました。ふたりで文化の違いをこえて、理解し合うことの大切さを広めていったのです。そして、彼の講演や本を通して、日本と世界の人たちの間に、心の橋をかけようと努力し続けました。

新渡戸稲造は何した人か簡単に:凄さと魅力

ここからは、新渡戸稲造の人柄や考え方、「どうしてお札の顔になったのか」など、ちょっと深いところを見ていきましょう。知れば知るほど「こんな人が日本にいたんだ!」と驚くはずですよ。

新渡戸稲造の名言に見る生き方と考え方の凄さ

新渡戸稲造は、たくさんの名言を残しています。その中でも特に有名なのがこちらです。

  • 「われ、太平洋の橋とならん」
  • 「武士道とは知識を重んじるものではない。重んじるものは行動である」

この言葉から分かるように、新渡戸稲造は「言葉よりも行動」「夢は世界へ」という考え方を大切にしていました。

また、「理想を行動に移すことが人生である」という言葉もあります。どんなに良いことを考えていても、実際に行動しないと意味がないと教えてくれています。新渡戸の生き方そのものが、これらの言葉を体現していたのです。

新渡戸稲造が5000円札の肖像になった理由

1984年、新渡戸稲造は5,000円札の肖像として登場しました。どうして彼が選ばれたのでしょうか?

まずひとつ目の理由は、世界に誇れる日本人だったからです。彼は「武士道」を通して日本文化を紹介し、国際連盟でも活躍した「国際人」として高く評価されています。

もうひとつの理由は、偽造防止のために、はっきりとした写真が残っている人物だったこと。お札に使うには、顔の輪郭や細かい表情がわかることも大切なのです。

そして、新渡戸が描かれた5,000円札には、地球儀のデザインも入っています。
これは、彼の「太平洋の橋になる」という夢を表したものです。

新渡戸稲造の生涯年表

ここでは、新渡戸稲造の一生をざっくり年表で見てみましょう。

出来事
1862年岩手県に生まれる
1877年札幌農学校に入学、キリスト教に入信
1884年アメリカへ留学(ジョンズ・ホプキンス大学)
1887年ドイツへ留学、農学博士号を取得
1899年『武士道』を英語で出版
1920年国際連盟事務局次長に就任
1933年カナダで死去(71歳)
1984年5,000円札の肖像に選ばれる

このように、若いころから世界を意識して学び続け、晩年まで国際平和のために働いたことが分かりますね。

新渡戸稲造と津田梅子・後藤新平などとの関係

新渡戸稲造は、同じ時代に活躍したいろんな人物と深く関わっていました。
たとえば、女子教育に力を入れた津田梅子とは、ともに女性の学びを支える仲間として交流がありました。

また、政治家の後藤新平とは、台湾での仕事を通じて関係があります。後藤のすすめで、新渡戸は台湾総督府の技師として、農業の近代化に取り組みました。

こうした人とのつながりを通して、新渡戸は「教育」「農業」「国際平和」といったさまざまな分野で活躍の場を広げていったのです。

新渡戸稲造はどんな人柄だったのか?誠実で温厚な性格に迫る

新渡戸稲造は「知識があるだけでなく、人として信頼される存在」でした。
とても誠実でやさしく、どんな相手にも丁寧に接することで知られていました。

国際連盟でも、仲間たちから「ムードメーカー」「信頼の厚い人物」として慕われていたそうです。ユーモアもあり、笑いの絶えない雰囲気を作るのが上手だったとか。

また、教育者としては「知識だけでなく、常識や人間性が大事だ」と教え、生徒に親のように接しました。その温かさが、多くの人の心を動かし、今でも「日本が誇る偉人」として語り継がれているのです。

総括:新渡戸稲造が何した人か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 新渡戸稲造は『武士道』を英語で書いた人物で、日本の道徳を世界に伝えた。
  • 国際連盟の事務局次長として、国際平和のために働いた国際人。
  • 東京女子大学の初代学長をつとめるなど、女子教育に大きく貢献した教育者。
  • 台湾の糖業発展に尽力し、「台湾砂糖の父」と呼ばれる農業経済学者でもある。
  • 「太平洋の架け橋になりたい」という夢をもち、国際結婚や講演活動で異文化交流に努めた。
  • 「行動こそが大事」といった名言を残し、誠実で思いやりのある性格だった。
  • 世界での評価が高く、1984年に5,000円札の肖像に選ばれた。
  • 同時代の人物(津田梅子・後藤新平)とも協力し、多方面で活躍した。