中学生の指導では、定期的に確認テストをします。暗記がメインで、英単語や理科社会の学校ワークをそのままテストしたりします。

もちろん、これらは純粋に暗記をしてきたか?のみが問われることで、家で一定の時間を確保し、覚えられるまで反復したかどうかが問われます。地頭よりも、勤勉性が大事な領域です。

しかし当然、きちんとやってきて満点を取る子もいれば、ほぼノー勉で来て酷い点数を取る子もいます。点を取る子は毎回同じ子で、点が取れない子も毎回同じ子です。

でも、点数が取れていない子は決まってこう言います。

「自分なりに頑張ったんです!」と。

ただ、”頑張る”なんて言葉はそもそも主観的なものです。だから、自己評価に使うべき言葉でないことはまともな大人なら誰でも分かります。言ったもん勝ちになってしまうので。

いい大人が会社に入って「自分なりに頑張ってはいます!」など発言していれば、秒速で「ダメだ、こいつ仕事できない…」と無能認定を受けるに決まっています。こう思わない人は、同類だけです。

しかし、まだまだ中学生の子供ですから、こんな正論でコテンパンにするなどしてはいけないです。少しずつその甘さを改善させ、一人前に育てていくのが塾を含む教育機関の役割の1つでもあるわけです。

ただ、特に下位50%以下の生徒の「自分なりに頑張りました!」というのは、本当に目に余るものがあるのも事実です。

自分なりに頑張りました!と言う発言の深層心理

まず大前提、「自分なりに頑張りました!」と発言する子の99%は、大して頑張っていません。

本気で頑張ってる人間は、”自分なりに”という言葉をわざわざつけないです。どう考えても「自己正当化ワード」で言い訳がましいと受け取られるわけで、あえて言う意味がないです。

まして実力テストのような頑張りがダイレクトに反映されるテストでもなく、事前に範囲を指定して全く同じ問題を出す暗記テストなど、ちゃんとやりさえすれば普通に満点取れるものです。本当に頑張って取れていないなら、学習障害や境界知能の可能性もあるので、その場合は塾も医療機関へのバトンタッチを本気で考えます。

でも、実際そのケースはほぼない。要するに、1の努力を10に見せるために話を盛るためのワードを無意識にチョイスしているということです。ハッキリ言えば、性根の部分に問題があるのです。

なお、学力が下位50%以下の生徒の場合、準備運動レベルの頑張りを強化合宿で頑張ったぐらいの温度感で話す猛者もいます。頑張りの基準値が低すぎるとここまでヤバくなるのが現実です。

結局この層は、勉強時間・反復回数と言った客観的な数値で詰められたら反論できないです。だから、”自分なりに”や”頑張った”と言った主観的で基準のない曖昧な領域に論点の軸を持っていこうとしているだけです。数字で詰められずに済みますからね。

しかしそれなら、「自分に甘く、十分に勉強出来ずに確認テストを受けました。次回は頑張ります。今回はすいませんでした。」と言った方が100億倍マシです。

でも、勤勉性のなさに加えて素直さまで欠落すると、ここで謝らずに苦しい言い訳に走ります。

下位50%の生徒の自分なりに頑張りました!に何の意味があるのか

「自分なりに頑張りました!」は、そもそも論として寒いです。

でも、性根の部分の問題を排除した時、発する人間がどの程度の学力レイヤーにいるかどうかが極めて重要です。もちろん、「勉強の場合は」です。

まず、上位50%ぐらいにそもそもいるぐらいの子であれば、条件次第では「自分なりに頑張りました」と言っても、正直そこまで嫌悪感を感じません。

なぜなら、高望みさえしなければ、そこそこの進路にはなるからです。

一般的に、自塾のエリアだと上位40%以上が公立中堅校に進学できます。これを割り込むと、偏差値40台の普通科か専門学科の高校しか選択肢がなくなり、それが嫌なら私立になります。

だけど、上位50%以上に元々の地頭レンジがあれば、その子の言う「自分なりの頑張り」でも、順当に行けば公立中堅校ぐらいは行けてしまいます。

よって、「公立中堅校で納得できる(=上位校に行きたいと言い出さない)」のであれば、その子にとっての自分なりの頑張りを尊重しても何ら問題はないわけです。最低ラインの地頭があるので、120%の力を出さなくても、中堅校にアンダーラインがあれば何とかなってしまうので。

でも、下位50%の地頭レンジにいる子はそうはいかないです。

そもそもこの層は、先天的に地頭が悪いです。完全に遺伝要因が原因であり、生まれ持ってした知能の差の問題があります。

だから、下位50%の「自分なりに頑張る」は、目指すゴールによっては周囲の大人はかなり冷静に、そして厳しく対処しなくてはいけないケースが多々あります。

まず、公立中堅校などを目指すと口にしている場合。あるいは、親がそれを望んでいる場合について。

この場合、そもそもの地頭レンジが公立中堅校のレベルにないので、この層は地頭が上位50%以上にいる子よりも、努力量そのものを増やさないといけません。知能格差を努力で埋めなければいけないと言うことです。

だから、地頭レンジがどこまで下がるかにもよりますが、その子ごとに「最低でもこのぐらいの量はやらないと知能格差を埋められないでしょ」と言う水準があります。この水準は、それなりに客観的に推定でき、塾講師などは概ね自分の中にその基準を持っています。

しかし、我々塾講師が思う頑張りの水準と、下位50%以下の生徒の自分なりの頑張りの基準はあまりにかけ離れています。

こちらは100必要と思っているのに、生徒は1の努力でいけると思い込み、その1さえやれば頑張ったと言って良いと判断してしまうのが下位50%以下の生徒に非常によくある現象です。

根本的に地頭が良くない子というのは、そもそも目標までの適切な距離を合理的に計算する力もありません。だから、どの程度の努力量が本来必要なのかをロジックや計算で想像できない。それもまた知能の低さが原因なのですが、生まれ持ったものなので仕方ないのです。

しかしこうなると、「正論を受け入れられる生徒かどうか」が次にやってくる壁です。

だって、1の努力で済むと勘違いしていたところを、100必要と言われ、そこまでやらないと努力としては認めてもらえない状況に晒されるわけです。この厳しい現実をどこまで受け止められるかが鍵になることは想像できるはずです。

でも、こちらの想定を上回る理解力の無さだったり、あるいは感情が強すぎる場合はその壁が越えられません。

よくあるのは、本来は100の努力が必要と言っているのに、なぜ100と言われているのかを理解できないケースです。ゴールから逆算したらそうなるからと言っても、知能水準が一定レベルに達しないと想像力がはたらかないため、言われている内容が腑に落ちません。

また、仮に言われていることが何となく正しいと分かっても、その内容があまりに過酷である場合、感情でそれを拒絶するケースもあります。

いずれにせよ、下位50%で公立中堅校(全体上位40%)を目指すとかになってくると、「自分なりに頑張りました!」とか舐めたことを言っている場合ではないのです。

しかし、この正論が伝わる生徒が下位50%の10人に1人でもいればいい方です。だから、元々の地頭が下半分ぐらいの子に中学以降の勉強で一定の成果(※ここでは公立中堅以上)を出さすことは極めて難しいのです。

だから、下半分ぐらいの生徒に「自分なりに頑張りました!」と言われると一気に冷めてしまうわけです。

下位50%の生徒の自分なりに頑張りました!が意味をなす場合

なお、下位50%以下のの生徒の「自分なりに頑張りました」にも、意味があるケースというのもあります。

それが、「下位50%の生徒が一般的に進学するであろう進路を目標にしている場合」です。

例えば偏差値40台の公立高校や、私立専願で中堅コースに行くなどです。

このレンジの学校は、元々学年の中でも知能水準が下半分ぐらいの子がメインに通う学校です。だから、そこまで努力という努力をしなくても、順当に進学できます。

だから、自分なり頑張りました!と言い続けていても、普通に進路としては行けてしまうので、周りの大人が小姑のようにネチネチ言わなくてもいいと言えばいいです。性根に問題があることは横に置いといてもです。

要するに最も冷めるのは、「言ってることとやってることがチグハグな矛盾野郎が救えない」という話です。

そこそこの目標があるのに、それに必要な努力量以下の努力を「自分なりに頑張った」と言い切り、目標達成のために行動を変えない人間に冷めるという話です。

そして、昔であればこういう子に説教をしてくれる、子供思いの大人もいたかもしれないのですが、最近はいい意味でも悪い意味でもお節介を焼いてくれる大人が減りました。

理由は、「褒めて伸ばせ」と言われたり、「叱る=悪」という価値観が保護者に蔓延り、ちょっとしたことでクレームになるからです。子供自身も叱られ慣れていなく、正論で少しでも詰めればそれ一発でお別れ(=退塾)になることもザラです。

だから、学校の先生も塾も本音で思っていることは言えず、「本気で向き合っても損するのは自分だから、適当に放置しておこう」と考える人が激増しているのです。その結果、学校が動物園になりました。汗

最近では、ドランクドラゴンの鈴木さんが授業参観に行って、崩壊した学校現場について苦言を呈していました。授業中に立ち歩いてても先生が注意できず、保護者もヘラヘラしていた、と。

そもそも、一昔前であれば授業中に立ち歩く生徒すらいなかったのですが、褒めて伸ばすといった叱れない教育の結果、ロクに躾がなされなかったわがままキッズが量産されました。それが学力で見るとどういうわけか下半分に密集します。

しかし、すべての子がダメになったわけでもなく、やはり上半分ぐらいはまともです。もちろん子供なので完璧ではないものの、下半分に比べて先天的な出来がいいので、そもそも論として注意しなくてもいいことが多いのです。だから、褒めて伸ばすでも何でもうまく行く子はいきます。

だからもう、上半分ぐらいしかまともに教育が機能しないという時代になりつつあり、二極化が止められないのが現在です。

総括:「自分なりに頑張りました!」に隠れた深層心理まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

「自分なりに頑張りました!」の深層心理と現実

  • 暗記テストは努力の差が如実に出る
     地頭よりも勤勉性が問われる範囲。満点を取る子は毎回同じ、取れない子も毎回同じ。
  • 「自分なりに頑張った」は努力不足の言い訳であることが多い
     本当に頑張っている子は“自分なりに”など主観的な枕詞は使わない。言い訳・自己正当化の典型ワード。
  • 努力量の認識に大きなギャップがある
     必要な努力量が100だとしても、下位層の子は1ぐらいの努力で「頑張った」と自己評価する傾向がある。
  • 地頭が悪いと「どれだけ頑張ればいいか」の計算もできない
     必要な勉強量を逆算できず、努力基準が低すぎる。
  • 知能だけでなく、素直さの欠如も問題
     正論を言われても感情で拒絶し、謝罪よりも言い訳を優先する。
  • 「自分なりの頑張り」が許容されるのは地頭が上位50%以上の子
     最低限の地頭があれば、100%努力しなくても中堅校進学は可能。
  • 下位50%層が上位校を目指すなら、自分なりの頑張りでは足りない
     目標に対して必要な努力量を理解し、実行することが不可欠。
  • 地頭が悪い子ほど、正論が届きにくい
     話の筋が理解できず、現実を受け止めきれないことも多い。
  • 「自分なりに頑張りました」に意味があるのは進路も下位レンジの場合
     偏差値40台や私立中堅校を目指す場合なら、それでも結果は出る。
  • 最も冷めるのは「目標と行動が矛盾している」ケース
     中堅校以上を目指しているのに、努力が追いついていない場合。
  • 最近は叱れない・本音が言えない教育環境に問題あり
     クレームや退塾を恐れて、先生も本気で向き合えなくなってきている。
  • 教育の二極化が進行中
     上位50%には教育が機能しているが、下位層は崩壊状態に近づいている。

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