今回は、「ABCD包囲網」と「ABCD包囲陣」の違いについて、子どもでも分かるように解説していきます。

この2つの言葉、実は学校のテストにもよく出てくるのですが、

「何が違うの?」
「どっちが正しいの?」


と迷ってしまう人も多いのではないでしょうか。さらに、「ABCDライン」なんて言葉も登場して混乱することも……。

この記事では、そんな悩みをスッキリ解決!それぞれの意味・背景・使われ方、そして日本への影響までを、やさしく解説していきます。

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ABCD包囲網とABCD包囲陣の違い:意味・背景・使われ方

「ABCD包囲網」と「ABCD包囲陣」、どちらも歴史の教科書で見かける用語ですが、その違いを正確に説明できますか?ここでは、言葉の意味・使われ方・背景を分かりやすく解説していきます。

ABCD包囲網とABCD包囲陣の違い:「呼称」だけで意味はほぼ同じ

ここでまず、結論をまとめておきましょう。

「ABCD包囲網」と「ABCD包囲陣」の違いは、「言い方」の違いだけで、中身はほぼ同じです。

どちらも、日本が経済的に追い詰められていた状況を指していて、国際的に正式な用語ではありません。つまり、アメリカやイギリスが「さあ、日本をABCD包囲網で囲もう!」と話し合っていたわけではないんです。

これは、日本が「自分たちは外から圧力を受けている」「四方から包囲されている」というイメージを国民に持たせるために使った、いわば“自己主張的な呼称”だったということですね。

ABCD包囲網とは

まず「ABCD包囲網(えーびーしーでぃーほういもう)」という言葉ですが、これは日本側が作った造語(ぞうご)です。

ABCDとは、アメリカ(A)、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)の頭文字を並べたもの。1930年代後半、日本が中国や東南アジアに進出していく中で、これらの国々が日本に対して経済制裁(けいざいせいさい)を行いました。具体的には、石油や鉄の輸出をストップするなど、日本にとって非常に厳しい状況をつくったのです。

日本はこの状況を国民に伝える際、「外国に囲まれている」というイメージを強調するために、「ABCD包囲網」という言葉を使いました。新聞やラジオで何度も繰り返され、国民に危機感を持たせ、戦争に向かう流れをつくるための“プロパガンダ”の一部だったのです。

ABCD包囲陣とは

「ABCD包囲陣(ほういじん)」という言葉は、「ABCD包囲網」とほとんど同じ意味で使われていました。違いはというと、単なる「呼び方のバリエーション」なんですね。

当時の新聞や雑誌では、「包囲網」「包囲陣」「ABCDライン」など、いろいろな言葉が使われていました。たとえば、朝日新聞では「対日包囲陣とわが臨戦態勢」などという連載が載っていましたし、読者の注目を集めるために表現を工夫していたわけです。

つまり、「ABCD包囲陣」というのは、「ABCD包囲網」と同じ出来事を指す別の言い方で、特に意味が違うわけではありません。「網」と「陣」で何か戦術的な違いがあると思ってしまうかもしれませんが、実際にはほとんど同義語(どうぎご)として扱われていたのです。

ABCD包囲網・陣・ラインは何が違うのか

さらに混乱をまねくのが、「ABCDライン(ライン)」という呼び方です。これもまた、同じ出来事を指す言葉の1つなんですね。

「ライン」とは「線」のこと。つまり、日本が感じた“封じ込めの線”を意味しています。ただし、「包囲網」「包囲陣」「ライン」のいずれも、使われ方はほぼ同じ。日本国内の報道や当時の世論の中で、強調の仕方が違うだけなのです。

たとえば、軍部は「ABCDラインを突破する」というように、戦略的なイメージを加えるために「ライン」を好んで使いました。一方で、新聞では国民感情に訴えやすい「包囲網」「包囲陣」が多用されました。

このように、用語の細かい違いよりも、「どうしてその言葉が使われたのか?」という背景をしっかり理解することが大事です。

学校のテストでは「ABCD包囲網」でOK

では、学校のテストではどの言葉を使えばよいのでしょうか?

答えはズバリ、「ABCD包囲網」です。なぜなら、歴史の教科書や入試問題では「ABCD包囲網」という表現が最も一般的であり、用語集や模試でもこの表記が採用されているからです。

たとえ「包囲陣」や「ライン」が使われていたとしても、それらは「別名」や「類義語」として扱われます。だから、テストや受験対策では、迷わず「ABCD包囲網」と書くのが正解です。

これは「歴史用語の標準化」の一環でもあり、どんな言葉が出題されやすいのかを知っておくことが、高得点への近道ですよ。

ABCD包囲網とABCD包囲陣の違いの後に:内容を分かりやすく

ここまでは「ABCD包囲網」と「ABCD包囲陣」の違いが、ほぼ「呼び方の違い」であることを確認しました。では、そもそもなぜABCD包囲網が生まれ、日本にどんな影響を与えたのでしょうか?

ここでは、ABCD包囲網の背景にある国際情勢、日本への経済的ダメージ、そして戦争へ突き進む理由などを、順を追って丁寧に解説していきます。

ABCD包囲網の背景

ABCD包囲網が登場する背景には、大きく3つの出来事が関わっています。それが「日中戦争の長期化」「南進政策(なんしんせいさく)」「経済制裁」です。

まず、日本は1937年に中国との間で「日中戦争」を始めました。中国に一撃を加えればすぐに勝てると思っていた日本ですが、蒋介石(しょうかいせき)率いる中国軍は予想以上に粘り強く、日本は泥沼の戦いにハマってしまいます。

この戦争を続けるには、膨大な石油や鉄などの資源が必要です。そこで日本は「資源のある南の国々を手に入れよう」と考え、「南進政策」をとります。具体的には、当時フランス領だったベトナム(インドシナ)や、オランダ領だったインドネシアへ進出を始めたのです。

この行動がアメリカなどの反発を招き、「経済制裁」という形で日本への圧力が強まっていくことになります。

アメリカ・イギリス・中国・オランダが日本に制裁を加えたのか

ABCD包囲網を形作った4カ国――アメリカ、イギリス、中国、オランダは、なぜ日本に経済制裁を行ったのでしょうか?

それは、ひとことで言えば「日本の侵略を止めるため」です。

アメリカは「門戸開放(もんこかいほう)」という方針を持っていて、どの国も平等に中国と貿易できるべきだと考えていました。そんな中、日本が中国を支配しようとしていることに強く反発します。

イギリスとオランダは、東南アジアに自分たちの植民地(しょくみんち)を持っていて、日本の南進はそれらを脅かすものでした。特にオランダはインドネシア(当時はオランダ領東インド)に石油資源を持っていたため、日本の圧力を警戒していました。

中国は当然、日本の侵略に対して激しく抵抗しており、アメリカやイギリスの支援を受けながら戦っていました。このように、それぞれの立場から見て「日本を止めなければ」という思いが一致した結果が、ABCD包囲網だったのです。

ABCD包囲網による日本の経済的ダメージ

ABCD包囲網が日本に与えた一番の打撃は、なんといっても「石油の禁輸(きんゆ)」です。

当時、日本が使う石油の約8割はアメリカからの輸入に頼っていました。つまり、アメリカが石油の輸出を止めれば、日本はすぐにエネルギー不足に陥るという状況だったのです。

1941年7月、アメリカは日本の資産を凍結し、8月には石油の輸出も全面的に停止。イギリスとオランダもこれに協力しました。これがいわゆる「ABCD包囲網の完成」です。

その結果、日本は国内の石油備蓄(びちく)だけで戦争を続けなければならなくなり、国民生活にも大きな影響が出るようになりました。石油がないと、軍艦も飛行機も動きませんし、農業や工業にも支障が出ます。

この「石油の危機感」が、日本を「なんとしても資源を取りに行かなければ」という方向へ突き動かしていったのです。

ABCD包囲陣を理由に日本はなぜ開戦に踏み切ったのか

ABCD包囲網によって経済的に追い込まれた日本は、外交交渉でなんとか解決しようとしました。しかし、アメリカとの交渉は難航(なんこう)し、最後には「ハル・ノート」という厳しい提案が出されます。

このハル・ノートには、「中国やインドシナからの無条件撤退」「日独伊三国同盟の破棄」など、日本にとって受け入れがたい要求が並んでいました。日本政府はこれを「最後通告」と受け止め、交渉を断念。開戦を決意します。

そして1941年12月8日、日本はアメリカ・イギリスに対して奇襲攻撃(きしゅうこうげき)を開始。ハワイの真珠湾(しんじゅわん)やマレー半島への攻撃から、太平洋戦争が始まりました。

日本政府はこの戦争を「ABCD包囲網を突破する戦いだ」と国民に説明し、開戦の大義名分(たいぎめいぶん)としたのです。

ABCD包囲網・陣が戦後の歴史認識に与えた影響

戦後、ABCD包囲網や包囲陣に対する評価は、立場によって大きく異なります。

日本国内では、「資源を断たれて追い込まれたから戦争になった」という見方が根強くありました。たしかに、石油が止まれば国が動かなくなるのは事実です。しかし一方で、「日本が侵略を進めたから、国際社会が制裁したのは当然」という声もあります。

戦争というものは、たくさんの要因が重なって起きるものです。ABCD包囲網は、その中の「きっかけ」の1つだったといえるでしょう。

現在、私たちが学ぶべき教訓は、外交をないがしろにして武力に頼ることの危険さです。そして、国際社会との対話の大切さを知ること。ABCD包囲網という言葉の裏にある、複雑な歴史と人々の想いを、しっかり学び取っていきましょう。

総括:ABCD包囲網とABCD包囲陣の違いまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

🔹ABCD包囲網とABCD包囲陣の違い

  • 違いは「呼び方」だけで、意味はほぼ同じ
  • どちらも日本が経済的に追い詰められた状況を示す言葉
  • 正式な国際用語ではなく、日本側が使った造語
  • 「包囲陣」や「ライン」も同様に報道などで使われたバリエーション
  • 学校のテストでは「ABCD包囲網」が正解ワード

🔹ABCD包囲網の背景と日本への影響

  • 背景には日中戦争の長期化と南進政策があった
  • アメリカ・イギリス・中国・オランダは日本の侵略に反対し制裁を実施
  • 最大の打撃は石油の輸出禁止(特にアメリカの措置)
  • 経済的に追い詰められた日本は外交失敗後、戦争に突入
  • ABCD包囲網は戦争の「きっかけの1つ」として戦後も議論の対象に