今回は歴史の授業でもよく出てくる「日ソ中立条約(にっそちゅうりつじょうやく)」について、みなさんと一緒に分かりやすく学んでいきましょう!
「なんで仲良くするための条約を結んだのに、ソ連は日本を攻めてきたの?」
そんなモヤモヤした疑問を持ったことはありませんか?この記事では、条約の内容だけでなく、どうして“裏切り”が起こったのかまで、やさしく解説していきます。
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日ソ中立条約をわかりやすく解説!背景・内容・目的
日ソ中立条約は、第二次世界大戦のさなかに、日本とソ連が「お互いに戦わないようにしよう」と約束した大事な条約です。けれど、その約束が破られたことが、のちの歴史に大きな影響を与えることになります。
まずは、その条約がどんなもので、なぜ結ばれたのかをしっかり見ていきましょう!
日ソ中立条約とは?日本とソ連がなぜ手を結んだのか
「中立条約」って聞くと難しく感じますが、カンタンに言うと「お互いに戦争しません」という約束です。
1941年、日本とソ連は第二次世界大戦に関係していた国同士ですが、直接戦ってはいませんでした。でも、すぐそばにいる国同士なので、「いつ戦争になるか分からない」という緊張感がありました。そこで、日本とソ連は「戦わないようにしよう」と条約を結んだのです。
この条約を結んだ理由は、両国がそれぞれ他に集中したい戦争があったから。つまり「ケンカしてるヒマはないから、お互い今は争わないでおこう」という利害が一致した結果だったのです。
内容をわかりやすく解説|4つの条項とその意味
日ソ中立条約には、全部で4つの決まり(条項)がありました。どれも中立を守るための大事な約束です。
1つ目は「お互いの領土を侵略しません」。つまり、戦争をふっかけるのは禁止です。2つ目は「第三国と戦争しても、お互い中立を守る」。たとえば、日本がアメリカと戦争しても、ソ連は中立のままでいなければいけないという意味です。3つ目は「条約の有効期限は5年」。ただし、1年前に通告がなければ自動で延長されます。4つ目は「満州とモンゴルの領土をお互いに尊重する」。
つまりこの条約は、戦争を避けるための大事な取り決めだったのです。
なぜ1941年に日ソ中立条約が結ばれた?締結の経緯を解説
では、なぜこの条約が「1941年」に結ばれたのでしょうか?これには当時の国際情勢が深く関係しています。
まず日本とソ連は、1939年にノモンハン事件という国境紛争で戦い、痛み分けとなりました。そのため「次に戦えばどちらかが大きなダメージを受ける」と両国ともに感じていました。
日本では松岡洋右(まつおかようすけ)という外務大臣が、日独伊三国同盟を結んだあと、ソ連とも手を結ぼうと考えました。そしてモスクワに行き、ソ連のモロトフ外相と交渉をして、この日ソ中立条約が実現したのです。
この年の6月にはドイツがソ連に攻撃を仕掛けるので、実は「戦争の直前」のタイミングでした。
目的とは?日本・ソ連それぞれの狙いを整理
日本が条約を結んだ目的は「南に進みたいから北は安全にしておきたい」というものでした。つまり、資源がたくさんある東南アジアに向けて軍を動かすには、北(ソ連)との戦争を避ける必要があったのです。
一方、ソ連にも目的がありました。それは「ドイツとの戦争に集中したい」ということです。二つの戦争を同時に戦うのは危険ですから、日本との戦争を避けて、まずドイツと決着をつけたかったのです。
このように、日ソ両国の利害が一致したことで、条約はスムーズに結ばれました。まさに「今だけはお互い手を出さないでおこう」という一時休戦のようなものでした。
日ソ中立条約の影響|日本の戦争戦略とアジア情勢の変化
この条約が結ばれたことで、日本は北を気にせずに「南進政策」を進めることができるようになりました。つまり、アジアの資源地帯に進軍しやすくなったのです。
一方で、この南進政策によってアメリカとの関係が悪化。やがてアメリカが日本に対して経済制裁(石油の輸出禁止など)を行うようになり、緊張はピークに達します。そして、1941年12月、日本は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まってしまいました。
つまり、日ソ中立条約は戦争を避けるための約束だったのに、結果的には別の戦争(太平洋戦争)へと日本を導くきっかけにもなったのです。
日ソ中立条約を分かりやすく:裏切りはなぜ起こった?
日ソ中立条約は1941年に結ばれましたが、わずか4年後の1945年、ソ連はこの条約を破って日本に攻め込みました。この出来事は「裏切り」とも呼ばれ、日本にとって大きな衝撃となりました。
なぜそんなことが起こったのか?その理由と経緯を、ひとつずつひも解いていきましょう。
ソ連が日ソ中立条約を破った理由|ヤルタ会談の密約とは
ソ連が条約を破った大きなきっかけは、「ヤルタ会談(1945年2月)」という重要な会議にあります。この会議にはアメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンという“戦勝国トップ”が集まり、戦後の世界の話し合いが行われました。
その中で、ソ連は「ドイツが降伏したら、3か月以内に日本と戦う」とアメリカとイギリスに約束したのです。そしてその見返りとして、ソ連は「南樺太(からふと)」「千島列島」などの領土をもらうことを了承されました。
つまり、ソ連はすでに「条約よりも利益」を選んでいたということになります。これが“裏切り”と呼ばれる理由です。
1945年4月の条約破棄通告と日本政府の認識のズレ
ソ連は1945年4月5日に、日本に対して「日ソ中立条約は延長しませんよ」と正式に伝えてきました。これが“破棄通告”です。
ただし、条約には「破棄するには1年前に伝えなければいけない」というルールがありました。だから、法律的には「1946年4月までは有効」だったのです。つまり、ソ連が8月に参戦した時点では、条約はまだ有効なはずでした。
しかし、ソ連は「条約は延長しないと4月に通告したから問題ない」と主張しました。対して日本側は「それでも条約期間中なのに攻撃したのは約束違反だ!」と怒ったのです。このズレが、今日まで続く“意見の対立”につながっていきます。
なぜ日本はソ連を信じた?和平工作と外交戦略の誤算
実は日本は、戦争終盤になると「これ以上戦っても勝ち目はない」と考えるようになります。そこで考えたのが、「ソ連にアメリカとの間を取り持ってもらって、平和的に戦争を終わらせよう」という作戦でした。これを「和平工作(わへいこうさく)」といいます。
しかし、ここに大きな誤算がありました。日本は「ソ連は中立条約を守ってくれる」と信じていましたが、実際にはソ連はすでにヤルタ会談で対日参戦を約束していたのです。
さらに、情報の伝達も遅れ、日本政府の中でも「ソ連が攻めてくるかもしれない」と気づいていた人もいれば、まったく危機感を持っていなかった人もいました。こうした甘い見通しが、ソ連の“裏切り”を防ぐことができなかった原因です。
8月9日のソ連対日参戦と北方領土占領の衝撃
1945年8月9日、ついにソ連は日本に宣戦布告し、満州、南樺太、千島列島に一斉に攻め込みました。このとき、日本はすでにポツダム宣言を受け入れようとしていた時期でした。
特に衝撃だったのが「北方領土」の占領です。日本が降伏を決めた後の8月28日〜9月5日にかけて、ソ連は択捉(えとろふ)島や国後(くなしり)島などを次々と占領していきました。
また、数十万人の日本人がシベリアに連れて行かれて、長いあいだ厳しい労働をさせられた「シベリア抑留」という問題も、この時に起こりました。日ソ中立条約は「紙切れ同然」となり、日本に大きな悲劇をもたらしたのです。
裏切りだったのか?ロシア側の主張と現在の論争
日本側は「ソ連の行動は明らかな裏切りだ!」と考えています。中立条約がまだ有効だったのに攻撃されたからです。そして、北方領土が今も返ってこない大きな原因になっています。
一方、ロシア(旧ソ連)は「中立条約はすでに破棄していたし、正当な戦争だった」と主張しています。また、「日本が真珠湾でアメリカを奇襲したじゃないか」とも言っています。
このように、両国の間にはいまだに「条約破棄は正しかったのか?」という意見の対立があり、北方領土問題の解決にも大きな影を落としています。
総括:日ソ中立条約をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 日ソ中立条約とは?
- 1941年に日本とソ連が結んだ「お互いに戦争しない」という約束の条約。
- 背景には、ノモンハン事件などの対立と、他戦線への集中という両国の思惑があった。
✅ 条約の内容(4つの条項)
- 互いに相手の領土を侵略しない。
- 他国との戦争中でも中立を保つ。
- 有効期間は5年で、自動延長あり。
- 満州とモンゴルの領土をお互いに尊重。
✅ 日本とソ連の目的
- 日本:南方に進出(南進政策)するため、北側の安全確保が目的。
- ソ連:ドイツとの戦争に集中するため、日本との対立を避けたかった。
✅ 条約の影響
- 日本は北の心配が減り、アジア進出を進める。
- これがアメリカとの関係悪化につながり、太平洋戦争へ。
✅ ソ連の“裏切り”とその理由
- 1945年ヤルタ会談で、対日参戦と引き換えに領土を得る密約があった。
- 1945年4月に条約の延長をしないと通告(でも正式には1946年まで有効)。
✅ 日本の誤算
- 日本は和平交渉の仲介をソ連に期待したが、すでに裏で参戦が決まっていた。
- 甘い見通しでソ連の侵攻を防げなかった。
✅ ソ連の参戦とその結果
- 1945年8月9日、ソ連が宣戦布告し満州・南樺太・千島列島へ侵攻。
- 北方領土占領、シベリア抑留など多くの日本人が被害を受ける。
✅ 現在の対立
- 日本:条約期間中の攻撃は「裏切り」。
- ロシア:破棄を通告済みなので問題なし、正当な行動だったと主張。
- 北方領土問題として今も対立が続く。