「キューバ危機」のような重要な歴史的出来事は、年号とともに背景まで理解しておくと、テストでも役に立ちます。

でも、ただ数字を丸暗記するのは大変ですよね。

そこで今回は、塾長が厳選した「キューバ危機(1962年)」の語呂合わせをたっぷり紹介!さらに、テストで役立つポイントも解説していきます。

「覚えにくい…」と感じているみなさんも、この語呂合わせならスッと頭に入るはず!さっそく、楽しく覚えていきましょう。

キューバ危機の語呂合わせ一覧!1962年を覚えるコツ

キューバ危機は1962年に起こった冷戦時代の大事件です。

ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設したことで、アメリカとソ連が対立。核戦争寸前までいった危険な出来事でした。この年号を忘れないために、楽しく覚えられる語呂合わせを紹介していきます!

ひと(1)め見て、キューバ(9)にむかつき(62)、国交断絶

この語呂合わせは、アメリカがキューバに怒りを覚えた様子を表現しています。

1959年にカストロがキューバ革命を成功させ、キューバは社会主義国になりました。これに対してアメリカは「むかつき」ながらも様子を見ていました。しかし、1962年にソ連がキューバに核ミサイルを配備しようとしたことで、アメリカはついに我慢できなくなり、海上封鎖を決断します。

ここで一気に対立が深まりました。

「むかつき」「国交断絶」とセットで覚えることで、キューバ危機の背景も理解しやすくなります!

トーク(19)ろくに(62)できず急場(キューバ)しのぎでベッドイン

この語呂合わせは、アメリカとソ連の緊迫した交渉の様子を表現しています。

アメリカとソ連は、キューバ危機の間、お互いの意見がぶつかり合い、「ろくにトーク(会話)ができない」状態でした。

しかし、このままでは核戦争になってしまう!そこで、アメリカのケネディ大統領とソ連のフルシチョフ首相は、急場しのぎの交渉を行い、ギリギリのところで戦争を回避しました。

「トークろくにできず急場しのぎ」とイメージすると、両国の緊迫した状況が目に浮かびますね!

キューッ(キューバ)っとゴク(59)りでロク(62年)に働かず

この語呂合わせは、キューバ革命から危機までの流れを表しています

1959年、キューバ革命が成功し、カストロが政権を握りました。彼はアメリカと対立し、ソ連と仲良くなります。そして、1962年にはソ連がキューバに核ミサイル基地を作ろうとしました。これがアメリカを怒らせ、キューバ危機に発展します。

しかし、最終的にはソ連がミサイルを撤去し、戦争は回避されました。このときのアメリカとソ連の駆け引きを「ロクに働かず(戦争を回避)」と表現しているのがポイントです。

ミサイル撤去の日(1)クール(96)を装いつつフウ(2)とため息

この語呂合わせは、キューバ危機が収束した瞬間を表しています。

ソ連のフルシチョフ首相は、アメリカとの交渉の末、キューバのミサイル基地を撤去することを決めました。このとき、表向きは「冷静(クール)」を装っていましたが、内心は大きなプレッシャーを感じていたのです。

一方、アメリカのケネディ大統領も戦争を回避できて「フウ」と安堵のため息をつきました。緊迫した空気感が伝わる語呂合わせですね!

基地建設をひ(1)とめ見て、キュー(9)バにム(6)ッとして海上封(2)鎖

この語呂合わせは、アメリカがキューバのミサイル基地を発見し、海上封鎖を決断するまでの流れを表しています。

アメリカは偵察機を使って、キューバにソ連のミサイル基地が建設されていることを発見しました。これを知ったケネディ大統領は激怒し、「ムッとして」海上封鎖を決めました。海上封鎖とは、キューバに武器が運び込まれないように、アメリカ軍が海を封鎖する作戦です。

この封鎖によって、ソ連のミサイル搬入は阻止され、戦争に突入する寸前で交渉の場が作られることになりました。

キューバ危機の解決、ひと苦労に(1962)

この語呂合わせは、キューバ危機が解決するまでの苦労を表しています。

アメリカとソ連は核戦争の寸前まで対立し、両国のリーダーは非常に苦労しました。ケネディ大統領は、戦争を回避するために慎重な決断を求められましたし、フルシチョフ首相も国内の強硬派と交渉しながらミサイル撤去を決めました。

結果的に、両国は戦争を回避し、この出来事をきっかけにホットライン(米ソ直接対話の通信手段)が作られることになります。まさに「ひと苦労」の出来事ですね。

いく(19)日も、ろく(6)に眠れずフ(2)ルシチョフも疲労困憊

この語呂合わせは、キューバ危機の緊迫した状況が長引き、指導者たちが疲れ果てた様子を表しています。

キューバ危機が本格化した1962年10月、アメリカとソ連の間で緊迫した交渉が続きました。アメリカのケネディ大統領は、ソ連の動きを注視しながら、戦争を避けるための最適な対応を考え続けました。一方、ソ連のフルシチョフ首相も、アメリカの動きを見極めながら交渉を進める必要がありました。

実際、両国の指導者は連日深夜まで協議を行い、ろくに眠ることもできなかったといわれています。特にフルシチョフは、ソ連国内の強硬派とアメリカとの板挟みになり、精神的にも肉体的にも疲れ切っていたといいます。

この語呂合わせを使えば、キューバ危機の長期化と指導者たちの苦悩が一目で分かりますね。

いく(19)ら頑張っても無(6)に(2)なったら大変だ

この語呂合わせは、戦争の危険性と核兵器の恐ろしさを伝えています。

アメリカとソ連は、当時、世界を二分する超大国でした。しかし、核戦争になればどちらが勝ったとしても世界は壊滅的な被害を受けることになります。つまり、「いくら頑張っても、無に帰してしまう」可能性があったのです。

実際、キューバ危機の最中、核ミサイルの発射準備が進められ、一歩間違えれば第三次世界大戦が勃発していた可能性がありました。この一言で、核戦争のリスクを分かりやすく伝えられる語呂合わせですね。

人(1)急務(96)に(2)て 懸念フル

この語呂合わせは、キューバ危機の中で最も重要だったアメリカとソ連の交渉の緊迫感を表しています。

キューバ危機が最高潮に達したとき、アメリカとソ連の両国は、「核戦争を避けるためにすぐに決断しなければならない」という状態でした。特に、ソ連のフルシチョフは、「このまま戦争になれば世界が破滅する」と考え、最終的にミサイルの撤去を決断しました。

「急務(早急に解決しなければならない問題)」と「懸念(戦争への不安)」をキーワードにしており、戦争回避へのギリギリの駆け引きを思い出しやすい語呂合わせです。

キューバ危機ひどく(19)ムッツリ(62)ソ連邦

この語呂合わせは、ソ連のフルシチョフが最後にミサイル撤去を決断したときの様子を表しています。

ソ連としては、アメリカに対して強気の姿勢を貫こうとしましたが、最終的に戦争を避けるためにミサイルを撤去する決断を下しました。このとき、フルシチョフは表向きは堂々としていましたが、内心では苦渋の決断をしていたといわれています。

また、キューバ危機のあと、フルシチョフの政治的立場は弱まり、ソ連内部でも批判を浴びることになります。このように、「ひどくムッツリ」とした態度の裏には、大きな政治的な決断が隠されていたのです。

キューバ危機の語呂合わせの後に:テストで問われるポイント

キューバ危機は、冷戦時代の最も緊迫した事件のひとつです。この出来事の背景や影響を理解することで、テストでも役立つ知識を身につけることができます。ここでは、キューバ危機の基本情報や、試験で問われるポイントを詳しく解説します。

キューバ危機とは?1962年に何が起こったのか

キューバ危機は、1962年にアメリカとソ連の間で起こった核戦争寸前の危機的状況のことです。

当時、キューバはソ連と同盟関係にあり、ソ連はキューバに核ミサイルを配備しようとしました。これを知ったアメリカのケネディ大統領は、ミサイル配備を阻止するために「海上封鎖」を実施しました。このまま交渉が決裂していたら、核戦争が勃発していた可能性もあったのです。

結果として、ソ連がミサイルを撤去し、アメリカもトルコにあるミサイルを撤去することで危機は収束しました。

キューバ革命と冷戦の影響がもたらした緊張

キューバ危機の背景には、キューバ革命(1959年)と冷戦がありました。

1959年、キューバでカストロ率いる革命軍が政権を掌握し、アメリカとの関係が悪化しました。その後、ソ連とキューバが急接近し、キューバ国内にソ連の核ミサイル基地が建設されることになりました。これがアメリカの怒りを買い、キューバ危機の引き金となったのです。

ケネディとフルシチョフの交渉の裏側

アメリカとソ連は、直接対話による交渉を行いました。この交渉は、「書簡のやりとり」と「水面下での交渉」によって進められました。

ケネディ大統領は、戦争を回避するためにギリギリの交渉を行い、最終的にはソ連がミサイル撤去を決断する流れを作りました。この交渉を通じて、アメリカとソ連の首脳が直接対話を行うことの重要性が認識されるようになったのです。

テストで出題されるキューバ危機の重要ポイント

キューバ危機は、試験でもよく出題されます。特に重要なポイントは次の3つです。

  1. キューバ危機の年号(1962年)
  2. 登場人物(ケネディ、フルシチョフ、カストロ)
  3. キーワード(海上封鎖、ミサイル撤去、ホットライン協定)

これらをしっかり覚えておくと、テストでも高得点を狙えます!

ューバ危機の影響とその後の世界

キューバ危機の解決後、アメリカとソ連は直接対話できるように「ホットライン協定」を結びました。

また、核戦争を防ぐための条約も締結され、冷戦の緊張が少しずつ緩和されていきました。

総括:キューバ危機の語呂合わせまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

語呂合わせと解説

  1. 「ひと(1)め見て、キューバ(9)にむかつき(62)、国交断絶」
    • キューバ革命後、アメリカとキューバの対立が激化し、最終的に国交断絶。
  2. 「トーク(19)ろくに(62)できず急場(キューバ)しのぎでベッドイン」
    • アメリカとソ連の緊迫した交渉が続き、戦争寸前の危機的状況に。
  3. 「キューッ(キューバ)っとゴク(59)りでロク(62年)に働かず」
    • 1959年のキューバ革命から1962年のキューバ危機への流れを表現。
  4. 「ミサイル撤去の日(1)クール(96)を装いつつフウ(2)とため息」
    • ソ連のフルシチョフがミサイル撤去を決断し、戦争回避へ。
  5. 「基地建設をひ(1)とめ見て、キュー(9)バにム(6)ッとして海上封(2)鎖」
    • アメリカがキューバのミサイル基地を発見し、海上封鎖を決定。
  6. 「キューバ危機の解決、ひと苦労に(1962)」
    • 戦争を回避するための交渉が難航したことを表現。
  7. 「いく(19)日も、ろく(6)に眠れずフ(2)ルシチョフも疲労困憊」
    • アメリカとソ連の指導者たちが、交渉のストレスで疲弊。
  8. 「いく(19)ら頑張っても無(6)に(2)なったら大変だ」
    • 核戦争になれば、すべてが無に帰すリスクがあった。
  9. 「人(1)急務(96)に(2)て 懸念フル」
    • 核戦争を回避するため、両国が緊急交渉を行った。
  10. 「キューバ危機ひどく(19)ムッツリ(62)ソ連邦」
    • フルシチョフが最終的にミサイル撤去を決断した苦悩を表現。