今日は明治時代に発布された「五榜の掲示」について解説します。五榜の掲示は、江戸時代が終わって明治新政府ができたばかりの頃に出された「最初の禁止令」です。

でも、「五榜の掲示って何?」「五箇条の御誓文とは違うの?」と思う人もいるでしょう。歴史の授業やテストにもよく出る内容なので、しっかり理解しておきたいですよね!

そこで、この記事では、

  • 五榜の掲示とは何か?
  • どんな内容が書かれていたのか?
  • 五榜の掲示が出された理由とその影響

を分かりやすく解説します!

原文や現代語訳、テストに役立つ暗記方法まで詳しく説明するので、ぜひ最後まで読んでくださいね。

五榜の掲示の内容を簡単に解説!誰が出したのか?目的?

明治政府が発足した1868年、日本は大混乱の中にありました。江戸幕府がなくなり、新政府が始まったばかりで、社会のルールを作らなければなりませんでした。

そこで、太政官(だじょうかん)という新政府のトップが出したのが「五榜の掲示」です。これは、新政府が民衆に示した最初のルールであり、当時の世の中を安定させるための重要な法律でした。

五榜の掲示とは?簡単に言うと民衆への最初の禁止令

五榜の掲示(ごぼうのけいじ)とは、1868年4月7日(慶応4年3月15日)に明治政府が発布した、5つの「高札(こうさつ)」のことです。高札とは、木の板にお触れや法律を書き、人々がよく通る場所に立てておくものです。江戸時代から使われていた方法ですね。

五榜の掲示の目的は、新政府が民衆に「これからの社会のルール」を知らせることでした。幕府がなくなったことで、日本中で世直し一揆(いっき)や暴動が増えていました。人々が何をしていいのか分からない状況だったのです。そこで、新政府は五榜の掲示を出し、最低限のルールを示したのです。

五榜の掲示の内容を簡単に解説!五つの禁止事項とは?

では、五榜の掲示にはどんな内容が書かれていたのでしょうか?それぞれの札の意味を簡単に説明します。

  1. 第一札:五倫道徳の遵守
    → 人としての道徳を守ること(儒教の教えに基づく)
  2. 第二札:徒党・強訴・逃散の禁止
    → 一揆やデモを禁止する
  3. 第三札:切支丹・邪宗門の禁止
    → キリスト教を信じることを禁止する
  4. 第四札:万国公法の履行
    → 外国人に危害を加えることを禁止する
  5. 第五札:郷村脱走の禁止
    → 勝手に村や町を離れることを禁止する

この5つの札は、当時の日本を統治するために非常に重要でした。江戸幕府の政策をそのまま引き継いだ部分もあり、新政府が急激に変化することを避けたことが分かりますね。

五榜の掲示の目的は?なぜ出されたのか?

五榜の掲示は、明治政府が民衆に示した最初のルールでした。その目的は、以下の3つです。

  1. 社会の安定を図るため
    → 江戸幕府が倒れたことで社会が混乱していた。
  2. 旧幕府の政策を継続するため
    → いきなり新しいルールを作るのではなく、江戸時代のやり方を一部継続した。
  3. 新政府の権威を示すため
    → 「これからは明治政府が日本を統治する!」と民衆に知らせる目的があった。

五榜の掲示は、新政府が発足して間もない頃に出されたものなので、すべてが「旧幕府のやり方そのまま」というわけではありません。しかし、民衆が急激な変化に戸惑わないように、江戸時代のルールを一部残したことが特徴です。

五榜の掲示を出したのは誰?発布したのは太政官

五榜の掲示を発布したのは、明治政府の「太政官(だじょうかん)」という組織でした。太政官とは、江戸幕府に代わる新しい政府の最高機関です。

江戸幕府がなくなった後、日本の政治をどのように運営するのかは決まっていませんでした。そのため、まずは暫定的な機関として太政官が設置されました。そこから政府の方針が決められていきました。

つまり、五榜の掲示は明治政府の最初の法律のようなものであり、太政官がそれを全国に広めたのです。

五榜の掲示はどこに掲示された?全国各地の高札場とは?

五榜の掲示は、日本全国の主要な町や村の「高札場(こうさつば)」に掲げられました。高札場は、江戸時代から法令を知らせるために使われていた場所です。

主に、

  • 城下町の入り口
  • 村の中心部
  • 市場や寺社の近く

など、人々がよく集まる場所に設置されました。

ただし、当時の日本は戊辰戦争の最中であり、すべての地域で五榜の掲示が守られたわけではありません。特に新政府に敵対していた奥羽越列藩同盟の地域では、五榜の掲示が掲示されないこともあったようです。

五榜の掲示を簡単に!原文や現代語訳&出る重要ポイント

五榜の掲示は、明治政府が民衆に対して発した最初の法令です。しかし、当時の言葉で書かれているため、今の私たちには少し難しく感じるかもしれません。そこで、ここでは五榜の掲示の原文を紹介しながら、分かりやすく現代語訳を解説します。

また、歴史のテストでよく出るポイントや、覚えやすい語呂合わせも紹介するので、ぜひ最後まで読んでくださいね!

五榜の掲示の原文を紹介!当時の言葉でどのように書かれたのか?

五榜の掲示は、当時の「和漢混交文(わかんこんこうぶん)」と呼ばれる文体で書かれています。これは、漢字と日本語が混ざった文書で、江戸時代の法令や公式文書によく使われていました。

例えば、第一札の原文は以下のように書かれています。

第一札(原文)
一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事
一 鰥寡孤獨癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ惡業アル間敷事

このように、当時の言葉で書かれた法令は、現代の日本語とは異なる部分が多いですね。では、次に現代語訳を見てみましょう。

五榜の掲示の現代語訳!簡単に分かりやすく解説

それでは、五榜の掲示のそれぞれの札の内容を、分かりやすい現代語に訳してみましょう。

  1. 第一札:五倫道徳の遵守
    → 人としての道徳を守ることが大切です。特に、親子の関係、夫婦の関係、友人との信頼関係を大事にしましょう。また、弱い立場の人(孤児や病気の人)を助けることも大切です。殺人や盗みなどの悪いことをしてはいけません。
  2. 第二札:徒党・強訴・逃散の禁止
    → みんなで団結して政府に反抗すること(徒党)は禁止です。また、集団で強引に訴えること(強訴)や、勝手に村を離れること(逃散)も禁止です。もし、こうしたことがあれば、すぐに役所に報告してください。報告した人には報酬を与えます。
  3. 第三札:切支丹・邪宗門の禁止
    → キリスト教(切支丹)や、それ以外の「邪宗門」とされる宗教を信じてはいけません。もし、不審な人がいれば、役所に報告してください。
  4. 第四札:万国公法の履行
    → 明治政府は、外国と平和な関係を築くことを大切にします。そのため、外国人を傷つけたり、暴力をふるったりしてはいけません。これは国際的なルール(万国公法)に基づく決まりです。
  5. 第五札:郷村脱走の禁止
    → 勝手に今住んでいる村や町を出てはいけません。特に、士族や農民が無許可で移動することは厳しく禁じられています。違反すると、本人だけでなく、周囲の人も責任を問われることになります。

このように、五榜の掲示は「道徳を守る」「暴動を起こさない」「キリスト教は禁止」「外国人に暴力をふるわない」「勝手に移動しない」という内容でした。

五榜の掲示の暗記方法!テスト対策で覚えやすくするコツ

五榜の掲示は、歴史のテストでもよく出題される重要なポイントです。でも、5つの札の内容を覚えるのは大変ですよね。そこで、簡単に暗記できる語呂合わせを紹介します。

【語呂合わせで覚える五榜の掲示】

「ご(五)ぼう(榜)は き(切支丹)と(徒党)だ(道徳)し(士族)け(外国)」

このフレーズの中に、それぞれの札の内容が含まれています。

  • き(切支丹) → キリスト教の禁止(第三札)
  • と(徒党) → 一揆・暴動の禁止(第二札)
  • だ(道徳) → 五倫道徳を守る(第一札)
  • し(士族) → 士族の脱走禁止(第五札)
  • け(外国) → 外国人への暴力禁止(第四札)

このように、簡単な言葉でまとめると覚えやすくなります。ぜひ活用してください!

五榜の掲示と五箇条の御誓文の違いを簡単に解説!

五榜の掲示と同じく、1868年に発布されたものに「五箇条の御誓文」があります。よく混同されがちですが、内容はまったく違います。

項目五榜の掲示五箇条の御誓文
発布対象民衆(庶民)貴族・大名
目的民衆を統制し、社会の安定を図る政治の基本方針を示す
内容禁止事項(道徳・一揆禁止・キリスト教禁止など)政治の方針(広く意見を聞く・知識を求めるなど)

つまり、五榜の掲示は「民衆向けのルール」、五箇条の御誓文は「政治方針」ということですね。

五榜の掲示の廃止とその理由!なぜすぐに無くなったのか?

五榜の掲示は、1873年(明治6年)に廃止されました。その理由は次の3つです。

  1. 時代に合わなくなった
    → 印刷技術が発展し、新聞や官報で法令を伝えられるようになった。
  2. 外国からの批判
    → キリスト教禁止の第三札が、欧米諸国から強く批判されたため。
  3. 明治政府の方針転換
    → 日本は「近代国家」を目指しており、古い制度をなくして新しい法体系を整えようとした。

このように、五榜の掲示は時代とともに役目を終え、明治時代の新しいルールに取って代わられたのです。

総括:五榜の掲示の内容を簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

五榜の掲示とは?

  • 1868年(慶応4年3月15日)、明治政府が発布した最初の禁止令。
  • 5つの「高札(こうさつ)」を全国の高札場に掲示した。
  • 江戸幕府が倒れ、新政府が統治する上での最低限のルールを示した。

五榜の掲示の目的

  1. 社会の安定を図る(世直し一揆・暴動を抑える)。
  2. 旧幕府の政策を継続し、急激な変化を避ける。
  3. 新政府の権威を示し、国民に新たなルールを知らせる。

五榜の掲示の内容(5つの札)

  1. 五倫道徳の遵守(儒教的道徳・殺人や盗みの禁止)
  2. 徒党・強訴・逃散の禁止(一揆やデモの禁止)
  3. 切支丹・邪宗門の禁止(キリスト教の禁止)
  4. 万国公法の履行(外国人への暴力禁止)
  5. 郷村脱走の禁止(勝手な移動や脱走の禁止)

五榜の掲示を出したのは?

  • 明治政府の「太政官(だじょうかん)」が発布。

掲示場所

  • 城下町の入り口、村の中心、市場や寺社の近くなど全国各地の高札場。

五榜の掲示の現代語訳(簡単な要点)

  1. 道徳を守り、犯罪をしないこと。
  2. 暴動や集団での反抗は禁止。
  3. キリスト教を信仰してはいけない。
  4. 外国人を傷つけることは禁止。
  5. 勝手に住む場所を変えないこと。

五榜の掲示と五箇条の御誓文の違い

項目五榜の掲示五箇条の御誓文
発布対象民衆(庶民)貴族・大名
目的民衆を統制し、社会の安定を図る政治の基本方針を示す
内容禁止事項(道徳・一揆禁止・キリスト教禁止など)政治の方針(広く意見を聞く・知識を求めるなど)

五榜の掲示の廃止(1873年)

  • 理由①:新聞や官報が普及し、高札の必要がなくなった。
  • 理由②:キリスト教禁止が欧米諸国から批判された。
  • 理由③:近代国家を目指し、より新しい法体系に移行した。

暗記のための語呂合わせ

ご(五)ぼう(榜)は き(切支丹)と(徒党)だ(道徳)し(士族)け(外国)

  • き(切支丹) → キリスト教禁止
  • と(徒党) → 暴動・一揆禁止
  • だ(道徳) → 五倫道徳の遵守
  • し(士族) → 士族の脱走禁止
  • け(外国) → 外国人への暴力禁止