今日は、歴史の授業でもよく出てくる「治安警察法」と「治安維持法」の違いについて、わかりやすく解説していきます。

どちらも「国の平和を守るための法律」として作られたものですが、実は目的も内容も時代背景も大きく違うのです。名前が似ているので混同しやすいですが、きちんと理解すればテストでも役立ちますよ!

この記事を読めば、「何が違うの?」「なぜ必要だったの?」「どうして廃止されたの?」といった疑問がスッキリ解決します。それでは、塾長と一緒に学んでいきましょう!

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治安警察法と治安維持法の違いを分かりやすく解説

ここでは、「治安警察法」と「治安維持法」がどう違うのか、時代や目的、取締り内容、廃止の経緯までをしっかり比較していきます。まずは、分かりやすい比較表で全体像を見てみましょう。

治安警察法と治安維持法の違いを比較表で簡単に

比較項目治安警察法治安維持法
制定年1900年(明治33年)1925年(大正14年)
制定の背景自由民権運動や労働運動の活発化共産主義の拡大への危機感
主な目的労働運動や女性の政治活動の制限国体変革や共産主義思想の取締り
主な内容集会・結社・言論の規制思想・結社の弾圧、予防拘禁など
罰則の厳しさ警告・罰金・禁錮など比較的軽め死刑や無期懲役もあり非常に厳しい
廃止された時期1945年(昭和20年)GHQにより廃止同上(1945年)

このように、見た目は似ていても、中身はかなり違うんですね。

制定された時代と背景の違い

まず、治安警察法ができたのは明治時代の1900年です。ちょうど自由民権運動が盛んで、国民が政治に参加しようと声をあげていました。また、工場で働く人たちの労働運動も増えてきて、政府は社会の混乱を心配するようになったのです。

それに対して、治安維持法が作られたのは大正時代の1925年。当時、ロシアで起きた「共産革命(ロシア革命)」の影響で、共産主義が日本にも広がるのではと心配されていました。政府は、天皇中心の国の形(国体)や私有財産を否定する考えを止めさせようとして、この法律を作ったのです。

つまり、治安警察法は「国内の動き」に対する対応で、治安維持法は「海外からの思想」に対する対策だったと言えます。

目的の違いとは?労働運動vs思想弾圧

治安警察法の目的は、集会や労働運動、政治活動をコントロールすることでした。特に、当時は女性が政治に参加することが禁止されており、この法律でそれがさらに厳しくされました。つまり、「目に見える行動」を取り締まる法律だったのです。

一方、治安維持法の目的はもっと思想の部分に踏み込んでいます。共産主義のように、天皇を中心とする国の形や、財産を個人が持つことを否定する考え方そのものを取り締まりました。人の「考え方」まで罰する内容だったため、より厳しい法律といえます。

同じ「治安を守るための法律」でも、治安警察法は行動の取り締まり、治安維持法は思想の取り締まりだったのが大きな違いです。

取り締まり内容や規制の強さが全然違う

取り締まりの方法も大きく違いました。治安警察法では、警告や罰金、短期間の禁錮刑など、比較的軽い罰が中心でした。警察が取り締まる範囲も、あくまで目に見える行動に限られていました。

しかし治安維持法は、さらに厳しくなりました。1928年には改正されて、天皇中心の国の仕組み(国体)を変えようとする人には「死刑」まで科せられるようになったのです。1941年には、「予防拘禁制度」といって、罪を犯していなくても「将来何かやりそうな人」を拘束する制度まで導入されました。

このように、治安維持法は思想だけでなく、その予兆さえ取り締まろうとする非常に厳しい法律でした。

廃止された理由とその後の影響も比較

両方の法律は、第二次世界大戦が終わった1945年、アメリカのGHQ(連合国軍総司令部)の指導によって廃止されました。戦後、日本は「民主主義」を取り入れることになり、「言論の自由」「思想の自由」が大切にされるようになったためです。

とくに治安維持法は、共産主義を理由に多くの人が不当に逮捕・拷問され、亡くなった人もいました。そのため、戦後は「悪法」として批判されるようになりました。治安警察法も思想弾圧に使われたことから、あわせて廃止されました。

この2つの法律が廃止されたことで、日本の自由や人権の考え方が大きく変わっていくきっかけとなったのです。

治安警察法と治安維持法の違い:それぞれの内容

ここでは、治安警察法と治安維持法の中身について、一つずつ詳しく解説していきます。どちらも時代の流れの中で生まれた法律ですので、その背景や目的、どんな影響があったのかを知ることがとても大切です。

治安警察法とは何か?制定背景や目的・内容を簡単に説明

治安警察法は、1900年(明治33年)に山県有朋内閣のもとでつくられた法律です。明治時代は、国民が自由に意見を言ったり、集まったりする「自由民権運動」が盛んでした。また、工場で働く人たちの労働運動も目立つようになってきました。

そこで政府は、「国の秩序を守るために、これらの運動をおさえる必要がある」と考えて、治安警察法をつくりました。内容としては、労働争議(ストライキ)や政治集会の制限、そして女性の政治活動を禁じることなどが含まれていました。

つまり、「国民の行動を制限する」ことで社会の安定をはかる法律だったのです。

治安警察法の改正内容と女性運動との関係も紹介

治安警察法は、最初の段階ではとても厳しく、特に女性に対しては「政治活動をしてはいけない」と定めていました。そのため、女性たちが集会に参加したり、演説したりすることができませんでした。

しかし1922年、大正時代になると、この部分が改正されて「女性が政治集会に出席すること」ができるようになりました。これは、日本で女性の権利が少しずつ認められ始めた大きな一歩でした。

治安警察法は、女性解放運動にとっては大きな壁でもあり、同時にその改正は女性の社会進出への道を開くきっかけにもなったのです。このことからも、法律が時代とともに変わっていくことの大切さがわかりますね。

治安維持法とは何か?共産主義と国体変革への危機感から制定

治安維持法は、1925年に加藤高明内閣のもとで制定された法律です。ちょうど同じ年に「普通選挙法」も成立し、すべての成人男性が選挙に参加できるようになりました。これは国民の自由を広げる大きな改革でした。

しかし政府は、選挙で共産主義的な考えを持った人たちが増えるのではと心配しました。共産主義は「天皇中心の国の形(国体)」や「私有財産制度」を否定する考え方です。政府にとっては「国家を揺るがす危険思想」と考えられていたのです。

そこで、そのような思想や団体、活動を厳しく取り締まるために治安維持法が作られました。これは思想そのものを制限する、非常に強い力を持った法律でした。

治安維持法の改正と予防拘禁制度、死刑規定の問題点を解説

治安維持法は、最初からとても厳しい法律でしたが、1928年にさらに改正されて、「国体を変えようとする者は死刑にする」という内容が加わりました。これは、考え方によって命を奪われるという、とても恐ろしいルールです。

そして1941年には、また改正されて「予防拘禁制度」が導入されました。これは、「まだ何もしていないけれど、将来、犯罪を犯しそうな人を事前に捕まえておく」という制度です。このような考え方は、現代の法律ではとても問題があります。

また、治安維持法のもとで行われた取調べでは、拷問や人権侵害も多く、たくさんの人が命を落としました。小林多喜二という作家も、この法律で捕まり、拷問を受けて亡くなったことで有名です。

戦後の廃止とその評価、今も残る影響とは?

第二次世界大戦が終わると、日本はGHQ(連合国軍総司令部)の占領下に入りました。GHQは、日本を民主的な国に変えるために、多くの戦前の法律を廃止しました。その中に、治安警察法と治安維持法も含まれていました。

GHQは「言論の自由」や「思想の自由」を大切にする考え方を持っていたため、国民の自由を制限するこれらの法律はすぐに廃止されました。

しかし、治安維持法のような強い権力を持つ法律の考え方は、今でも議論されることがあります。たとえば、テロ対策やスパイ防止法など、新しい時代の法律が「過去の法律と似ているのでは?」と心配されることもあります。

このように、治安警察法や治安維持法の歴史を知ることは、今の自由がどれだけ大切かを考えるきっかけにもなります。

総括:治安警察法と治安維持法の違いまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

比較項目治安警察法治安維持法
制定年1900年(明治33年)1925年(大正14年)
制定の背景自由民権運動や労働運動の活発化共産主義の拡大への危機感
主な目的労働運動や女性の政治活動の制限国体変革や共産主義思想の取締り
主な内容集会・結社・言論の規制思想・結社の弾圧、予防拘禁など
罰則の厳しさ警告・罰金・禁錮など比較的軽め死刑や無期懲役もあり非常に厳しい
廃止された時期1945年(昭和20年)GHQにより廃止同上(1945年)