「モンテスキューって何をした人なの?」と聞かれたら、みなさんはどう答えますか?

おそらく「三権分立を考えた人!」と答える人が多いでしょう。でも、なぜ三権分立が必要だったのか、どうやってこの考えが生まれたのか、詳しく知っていますか?

この記事では、モンテスキューがどんな人だったのか、なぜ三権分立を唱えたのかを、塾長が分かりやすく解説していきます!

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モンテスキューは何した人?その功績を簡単に解説

モンテスキューは、三権分立の提唱を通じて現代の政治思想に大きな影響を与えました。ここでは、彼の生涯や功績について詳しく解説します。

モンテスキューは三権分立を提唱した思想家

モンテスキュー(1689年~1755年)は、フランスの哲学者であり法学者でした。彼は18世紀の啓蒙思想(けいもうしそう)を代表する人物で、「法の精神」という本を書きました。この本の中で、彼は「権力を分けることで、独裁を防ぐことができる!」と考え、三権分立という仕組みを提唱しました。

当時のフランスは、絶対王政といって、王様がすべての権力を握っていました。王様が法律を決め、王様がそれを執行し、王様が裁判をする。これでは王様が好き勝手にできてしまい、国民の自由がなくなってしまいます。

そこで、モンテスキューは「権力を三つに分ければ、バランスを取ることができる!」と考えたのです。この考えは、のちにアメリカやフランス、日本などの国々の憲法に影響を与え、現在の民主主義の基本となっています。

モンテスキューが影響を受けた思想とは?

モンテスキューの三権分立の考え方は、ゼロから生まれたわけではありません。彼が影響を受けた大きな思想の一つが、イギリスの哲学者ジョン・ロックの「社会契約説」です。

ロックは「政治の権力は国民の合意によって成り立つべきだ」と主張しました。これは、国民が自由に生活するためには、政府が暴走しないようにする仕組みが必要だ、という考え方です。

また、モンテスキューはイギリスを訪れ、議会政治が行われているのを見て大きな影響を受けました。当時のイギリスでは、王様の力を制限し、議会が法律を作る仕組みがすでに存在していました。

「この仕組みをもっと発展させれば、より公平な政治ができるのでは?」と考えたのです。

『法の精神』とは?なぜ重要なのか?

モンテスキューの代表作である『法の精神』は、1748年に出版されました。この本の中で、彼は「法律とは、国をよくするためのルールだ」と説明し、そのルールを守るためには権力を分ける必要があると主張しました。

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三権分立の考え方は、ここで初めて体系的にまとめられました。具体的には、次のように権力を分けるべきだと考えました。

  1. 立法権(法律を作る権利) → 議会(国会)
  2. 行政権(法律を実行する権利) → 政府(内閣)
  3. 司法権(法律をもとに裁判する権利) → 裁判所

この考え方は、当時のフランスでは受け入れられませんでしたが、アメリカの独立革命(1776年)やフランス革命(1789年)の際に大きな影響を与えました。特にアメリカ合衆国憲法では、三権分立の考え方がしっかりと取り入れられました。

三権分立と絶対王政の関係

なぜモンテスキューは三権分立を唱えたのでしょうか?その答えは「絶対王政」にあります。絶対王政とは、王様がすべての権力を持つ政治のことです。モンテスキューが生きた時代のフランスでは、ルイ14世が「朕(ちん)は国家なり」という言葉を残し、自分が国そのものだと考えていました。

このような政治では、国民が不満を持っても、王様に逆らうことができません。税金を勝手に上げられたり、気に入らない人を捕まえて処罰したりすることができたのです。こうした王様の横暴を防ぐために、モンテスキューは「権力は分けなければいけない」と考えました。

三権分立が導入されれば、王様が法律を勝手に変えることも、裁判を操作することもできません。これにより、国民の自由が守られるようになるのです。

モンテスキューの思想はどのように現代に影響を与えたのか?

モンテスキューの三権分立の考えは、現代の多くの国で採用されています。特に大きな影響を受けたのがアメリカです。アメリカでは、大統領(行政)、議会(立法)、最高裁判所(司法)がそれぞれ独立して機能し、権力のバランスを保っています。

日本でも、内閣(行政)、国会(立法)、裁判所(司法)が分かれていて、それぞれが独立しています。たとえば、国会が新しい法律を作っても、それが憲法違反であれば裁判所がその法律を無効にすることができます。また、内閣がやりすぎた場合は国会がチェックする仕組みもあります。

このように、モンテスキューの考え方は、今の私たちの生活にも大きな影響を与えているのです。

モンテスキューは何した人か:三権分立はなぜ作られた

三権分立の考え方は、なぜモンテスキューによって提唱されたのでしょうか?その背景にある社会的な問題と、彼が何を目指したのかを深掘りしていきます。

三権分立の目的とは

三権分立が作られた一番の目的は、「権力の暴走を防ぐこと」です。もし一つの組織や人がすべての権力を持ってしまうと、独裁政治になりやすく、国民の自由が奪われてしまいます。

モンテスキューは、「権力を持つ者はそれを乱用しがちである」と述べました。つまり、人は強い権力を持つと、それを好き勝手に使ってしまう可能性があるということです。

そのため、三権分立では、「立法」「行政」「司法」の三つの権力を分け、それぞれの組織が互いに監視し合う仕組みを作りました。たとえば、もし政府(行政)が間違った決定をしたら、国会(立法)がそれを正し、裁判所(司法)が違憲だと判断することができます。こうすることで、国民の権利や自由が守られるのです。

三権分立はどのように世界へ広がったのか?

モンテスキューの三権分立の考え方は、最初から世界中で受け入れられたわけではありません。では、どのように広まっていったのでしょうか?

① アメリカ合衆国憲法(1787年)

アメリカが独立したとき、「国王のように権力を持つ大統領がいてはいけない」という考えから、モンテスキューの三権分立を採用しました。
アメリカでは、以下のように三権を分けました。

  • 立法:連邦議会(法律を作る)
  • 行政:大統領(政策を実行する)
  • 司法:最高裁判所(憲法に違反しないか判断する)

特にアメリカの特徴は、大統領と議会が完全に分かれていることです。これは、権力のバランスを取るために設計された制度です。

② フランス革命(1789年)とフランス憲法

フランス革命では、王政を倒して民主主義を目指しました。その際、モンテスキューの三権分立が大きな影響を与え、1791年にフランス憲法が制定されました。この憲法では、王の権力を制限し、国民が政治に参加できる仕組みを作りました。

③ 日本の明治憲法(1889年)と日本国憲法(1947年)

日本では、明治時代にヨーロッパの政治制度を学びました。しかし、当時の明治憲法では、天皇が強い権力を持っていたため、完全な三権分立とは言えませんでした。

戦後、日本国憲法(1947年)が制定され、三権分立の原則が明確になりました。現在の日本では、国会(立法)、内閣(行政)、裁判所(司法)がそれぞれ独立しているため、三権分立がしっかり機能しています。

三権分立のメリットとデメリットとは?

三権分立には多くのメリットがありますが、一方でデメリットもあります。それぞれ見ていきましょう。

メリット

  1. 独裁を防ぐ
    → すべての権力を一人が持つことがないので、国民の自由が守られる。
  2. 公正な政治ができる
    → 司法が独立しているため、不公平な法律が作られても裁判所が違憲判決を出せる。
  3. 国民の意見が反映されやすい
    → 立法(国会)が国民の代表によって選ばれるため、民主的な政治が行われる。

デメリット

  1. 意思決定が遅くなる
    → 例えば、法律を作るには国会での審議が必要で、すぐには施行できない。
  2. 責任の所在が曖昧になることがある
    → 例えば、行政(政府)が失敗しても、立法(国会)や司法(裁判所)がどこまで責任を負うべきかが分かりにくいことがある。

三権分立が崩れるとどうなる?実際の歴史から学ぶ

世界の歴史を振り返ると、三権分立が崩れたことで独裁政治になった例がいくつかあります。

① ナチス・ドイツ(1933年)

ドイツでは、ヒトラーが政権を握った後、三権分立を崩しました。国会の権力を奪い、裁判所も政府の言いなりにしました。その結果、国民の自由が奪われ、独裁政治が生まれました。

② ソビエト連邦(1922年~1991年)

ソ連では、すべての権力が共産党に集中しました。そのため、国民の意見が反映されず、反対する人は弾圧されました。これは、三権分立が機能しないと、民主主義が崩れることを示す例です。

③ 現代の権力集中問題

現在でも、一部の国では三権分立が十分に機能していないことがあります。政府が裁判所を支配したり、議会が強すぎてバランスが崩れたりすると、独裁的な政治になりやすくなります。

総括:モンテスキューは何した人か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

✅ モンテスキューは、フランスの啓蒙思想家で「三権分立」を提唱した人物。
✅ 彼の代表作『法の精神』で、立法・行政・司法を分けるべきと主張。
✅ 当時のフランスは絶対王政で、王がすべての権力を握っていた。
✅ 三権分立は、権力の暴走を防ぎ、国民の自由を守るために考えられた。
✅ イギリスの政治制度やジョン・ロックの社会契約説に影響を受けた。
✅ アメリカ合衆国憲法(1787年)やフランス革命(1789年)に影響を与えた。
✅ 日本では明治憲法(1889年)には不完全ながら、戦後の日本国憲法(1947年)で三権分立が明確に導入。
✅ 三権分立のメリットは独裁を防ぎ、公正な政治を実現すること。
✅ デメリットとして、意思決定が遅くなることや責任の所在が曖昧になることがある。
✅ 歴史上、ナチス・ドイツやソビエト連邦では三権分立が崩れた結果、独裁政治が生まれた。
✅ 現在でも一部の国では三権分立が機能していない場合があり、民主主義を守るためにはバランスが重要。
✅ モンテスキューの思想は、現代の民主主義にとって不可欠なものとなっている。