奈良時代の天皇って全部で何人いたか知っていますか?

「元明天皇」「聖武天皇」「光仁天皇」など、歴史の授業で一度は聞いたことがある名前もあるでしょう。しかし、名前だけ覚えても意味がないですよね。

そこで今回の記事では、奈良時代の天皇を「誰が」「何をしたか」に注目して分かりやすく解説していきます。さらに、テストで役立つ順番の覚え方も紹介するので、勉強が楽になること間違いなし!

奈良時代の天皇一覧は以下の通りです。

奈良時代の天皇一覧とそれぞれの特徴

奈良時代には8人の天皇が即位しました。それぞれの天皇がどんなことをしたのか、表にまとめましたのでチェックしてみましょう。

奈良時代の天皇一覧表【全8名を紹介】

天皇名在位期間主な出来事
元明天皇707年~715年平城京への遷都
元正天皇715年~724年聖武天皇への譲位
聖武天皇724年~749年東大寺・大仏建立、墾田永年私財法
孝謙天皇749年~758年藤原仲麻呂の専横
淳仁天皇758年~764年藤原仲麻呂の乱
称徳天皇764年~770年道鏡事件
光仁天皇770年~781年桓武天皇の父、奈良時代の終焉
桓武天皇781年~806年平安京遷都(奈良時代の終焉)

さて、それでは各天皇がどんな人物だったのか詳しく見ていきましょう!

元明天皇(げんめいてんのう)―平城京遷都を決めた天皇

元明天皇は奈良時代の最初の天皇で、女性の天皇でした。彼女は藤原不比等(ふじわらのふひと)という有力な政治家と協力して、 都を藤原京から平城京に移す ことを決めました。

なぜ都を移したのでしょう?それは、政治をより安定させるためです。当時の藤原京は手狭になっており、新しい都が必要だったのです。平城京は中国の長安をモデルにした本格的な都で、奈良時代の文化の中心になりました。

また、元明天皇は「日本書紀」という歴史書の編纂(へんさん)を進めたことでも有名です。この本は日本の成り立ちをまとめた歴史書で、今でも大切にされています。

元正天皇(げんしょうてんのう)―聖武天皇の前に譲位した女帝

元正天皇は、元明天皇の娘です。つまり、親子で続けて天皇になったということですね。

元正天皇は「次の世代にスムーズに皇位を継がせること」を大事にしました。そのため、大きな改革はせず、聖武天皇にバトンタッチする準備をしたのが特徴です。彼女は政治よりも文化や仏教の発展を支えた天皇でした。

元正天皇の時代には、最初の戸籍である「養老律令(ようろうりつりょう)」が制定されました。

これは税を公平にするためのルールで、奈良時代の社会を支える重要な決まりごとだったのです。

聖武天皇(しょうむてんのう)―東大寺・大仏を建立した天皇

聖武天皇は奈良時代で最も有名な天皇かもしれません。その理由は、東大寺の大仏を作ったことです。

奈良時代は天然痘(てんねんとう)という病気が大流行し、多くの人々が亡くなりました。人々は不安になり、世の中が混乱します。そこで聖武天皇は仏教の力で国を守ろうと考え、東大寺(とうだいじ)に大きな大仏を建てました。

また、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)という法律も制定しました。

これは「土地を開発したら、その土地をずっと持っていていい」というルールで、貴族やお寺がどんどん土地を持つようになったきっかけになりました。

孝謙天皇(こうけんてんのう)―称徳天皇として再び即位

孝謙天皇は奈良時代で2回天皇になった珍しい人物です。最初は孝謙天皇でしたが、一度退位した後「称徳天皇」という名前で再び即位しました。

彼女の時代には藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)という人物が力を持っていました。しかし、孝謙天皇は「私が直接政治をしたい!」という考えを持ち、藤原仲麻呂と対立してしまいます。

そして、彼女が最も信頼したのが 「道鏡(どうきょう)」 というお坊さんでした。この道鏡を天皇にしようとしたことが 「道鏡事件」 という大事件につながります。

淳仁天皇(じゅんにんてんのう)―藤原仲麻呂に翻弄された悲劇の天皇

淳仁天皇は 孝謙天皇の後に即位した天皇 ですが、実際には 藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ) が政治の実権を握っていました。つまり、淳仁天皇は 藤原仲麻呂の操り人形 のような存在だったのです。

しかし、孝謙天皇が再び政治の実権を取り戻そうと動き出し、藤原仲麻呂と孝謙天皇が対立しました。この争いは 「藤原仲麻呂の乱」 という戦いになり、仲麻呂は敗北。淳仁天皇も天皇の座を追われ、流刑(るけい)されてしまいました。

このように、淳仁天皇は自分の意思で政治をすることができず、最後は悲しい運命をたどった天皇なのです。

称徳天皇(しょうとくてんのう)―道鏡とともに政治を行った女帝

孝謙天皇が再び即位した姿が称徳天皇です。奈良時代では2度も天皇になった唯一の人物ですね。

称徳天皇の時代は仏教の力がとても強かったことが特徴です。特に、彼女が信頼していた道鏡(どうきょう)というお坊さんが政治にも深く関わるようになりました。

しかし、道鏡は「自分が天皇になるべきだ!」と考え「宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)」という大事件を起こします。この事件とは、「神様が道鏡を天皇にせよと言った!」と主張したものです。

当然、貴族たちは大反対し、道鏡は失脚(しっきゃく)しました。称徳天皇はその後、後継者を決めることなく亡くなってしまいました

光仁天皇(こうにんてんのう)―奈良時代の終わりを告げた天皇

称徳天皇が亡くなった後、新しく即位したのが光仁天皇です。彼は天智天皇の孫であり、藤原百川(ふじわらのももかわ)という政治家が支えた天皇でした。

光仁天皇は奈良時代の混乱を鎮めるために増税や軍事制度の改革などを行いました。そして、彼の後を継いだのが桓武天皇(かんむてんのう)です。

桓武天皇は都を奈良から京都の平安京へ移したことで、奈良時代は終わり、平安時代が始まりました。つまり、光仁天皇は「奈良時代最後の天皇」ということになりますね。

奈良時代の天皇の順番や覚え方を分かりやすく

ここまで奈良時代の天皇を紹介してきましたが、「順番を覚えられない!」という人も多いのではないでしょうか?

ここからは、奈良時代の天皇の効率的な覚え方を紹介していきます!

奈良時代の天皇の順番は?8人を整理しよう

まず、奈良時代の天皇の順番をしっかり整理しましょう。奈良時代の天皇は、次の8人の順番で即位しました。

  1. 元明天皇(げんめい)
  2. 元正天皇(げんしょう)
  3. 聖武天皇(しょうむ)
  4. 孝謙天皇(こうけん)
  5. 淳仁天皇(じゅんにん)
  6. 称徳天皇(しょうとく)
  7. 光仁天皇(こうにん)
  8. 桓武天皇(かんむ)

「多すぎて覚えられない!」と思うかもしれませんが、大丈夫です。次の語呂合わせを使えば、スラスラ覚えられますよ!

天皇の順番を簡単に覚える語呂合わせ

覚え方のコツは「語呂合わせ」を使うことです。奈良時代の天皇を覚えるために、次のフレーズを覚えましょう!

「元気な元正、正しく孝淳、称える光桓」

  • 元気な → 元明天皇(げんめい)、元正天皇(げんしょう)
  • 元正 → 聖武天皇(しょうむ)
  • 正しく → 孝謙天皇(こうけん)
  • 孝淳 → 淳仁天皇(じゅんにん)
  • 称える → 称徳天皇(しょうとく)
  • 光桓 → 光仁天皇(こうにん)、桓武天皇(かんむ)

この語呂合わせを何度も口に出して読むことで、自然と覚えられますよ!

テストに出やすい奈良時代の天皇のポイント

学校のテストでは、「天皇の順番」「主な出来事」がよく出題されます。特に次の3つは重要です!

聖武天皇と東大寺の大仏 → 奈良時代の象徴なので必ず出る!
称徳天皇と道鏡事件 → 天皇とお坊さんの関係が試験に出やすい!
光仁天皇が奈良時代最後の天皇 → 平安時代とのつながりが大切!

この3つをしっかり押さえておけば、テストで高得点が狙えます!

奈良時代の天皇を理解するための豆知識

最後に、奈良時代の天皇をもっと楽しく学ぶための豆知識を紹介します。

📌 奈良時代には女性の天皇が多い
8人中3人が女性!(元明・元正・称徳)
→ 平安時代以降は、女性天皇はほとんどいない!

📌 聖武天皇はめちゃくちゃ仏教好き
「すべての国にお寺を作れ!」 と命令!
→ その結果、全国に「国分寺」「国分尼寺」ができた!

📌 光仁天皇は奈良時代っぽくない天皇?
→ 平城京にいたけど、 平安時代に向けた改革 をしていた!

これらの豆知識も覚えておくと、歴史の授業がもっと楽しくなりますよ!

総括:奈良時代の天皇一覧まとめ

最後に、もう一度奈良時代の天皇一覧を載せておきます。

天皇名在位期間主な出来事
元明天皇707年~715年平城京への遷都
元正天皇715年~724年聖武天皇への譲位
聖武天皇724年~749年東大寺・大仏建立、墾田永年私財法
孝謙天皇749年~758年藤原仲麻呂の専横
淳仁天皇758年~764年藤原仲麻呂の乱
称徳天皇764年~770年道鏡事件
光仁天皇770年~781年桓武天皇の父、奈良時代の終焉
桓武天皇781年~806年平安京遷都(奈良時代の終焉)