今回は「真珠湾攻撃は本当に奇襲だったのか?アメリカは攻撃を事前に知っていたんじゃないの?」というテーマで、みなさんが気になる“陰謀説”の真相を一緒に解き明かしていきましょう。
アメリカは日本の攻撃を知っていたという説には、さまざまな証言や資料が出てきていますが、果たしてそれは本当なのか?
歴史の裏側には、教科書ではあまり触れないドラマが隠れているんですよ。
では、さっそく一つずつ分かりやすく見ていきましょう!
真珠湾攻撃は奇襲ではない?アメリカは事前に知っていた説の真相

「真珠湾攻撃=日本による奇襲」というのが一般的な見方ですが、本当にそうだったのでしょうか?実は近年、「アメリカは攻撃を事前に知っていた」という説が注目されています。今回はその真相に迫ります。
真珠湾攻撃は奇襲ではない!アメリカは攻撃を察知していた
まず最初に、どうして「奇襲ではなかった」という話が出てくるのか、簡単に説明しましょう。
1941年12月7日(日本時間では12月8日)の真珠湾攻撃は、一般には「日本が宣戦布告をせずに攻撃した卑怯なだまし討ち」とされています。しかし戦後、一部の歴史家や軍人たちが、「アメリカは日本の攻撃を事前に察知していた」と主張するようになりました。
この説のポイントは3つです。 1つ目は、アメリカが日本の外交暗号や軍事通信を解読していたという点。 2つ目は、攻撃の直前に空母などの主力艦が真珠湾を離れていたという事実。 3つ目は、ワシントンの政府中枢が攻撃を察知していたにもかかわらず、現地ハワイの司令部に十分な警告を出さなかったことです。
一見、偶然にも思えるこれらの出来事ですが、集めてみると「わざと攻撃させたのでは?」と疑いたくなるのも無理はありませんね。
アメリカは暗号を解読?パープル暗号とマジック文書
当時、日本の外務省が使っていた暗号通信「パープル暗号」は、すでにアメリカによって解読されていました。この解読情報は「マジック文書」と呼ばれ、ホワイトハウスをはじめとする政府上層部に届いていたといわれています。
たとえば、日本からの最後通告(いわゆる「ハル・ノート」)に関する暗号文もアメリカは傍受し、攻撃の前日にすでにその内容を知っていたとされています。実際、ルーズベルト大統領が「これは戦争を意味する」と語ったという証言もあるのです。
さらに、アメリカは日本のスパイ活動にも注目していました。ハワイの日本総領事館員・吉川猛夫が送っていた情報も暗号で送信されていましたが、それすら傍受されていた可能性が高いといわれています。
つまり、「日本が何をしようとしているか」は、かなりの部分でアメリカ側に伝わっていたということです。
ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を知っていたのか
「アメリカが知っていた説」の最大の焦点は、やはりルーズベルト大統領です。彼が攻撃の計画を事前に知っていたという証言は、いくつも存在しています。
たとえば、陸軍長官スチムソンの日記には「日本に最初の一弾を撃たせるにはどうすべきかを話し合った」と記されています。また、ルーズベルトが「明日、戦争が始まるよ」と語ったという証言もあるのです。
これが事実だとすれば、ルーズベルトは日本の攻撃を止めようとはせず、むしろ「アメリカが戦争に入るための口実」として、真珠湾攻撃を利用したことになります。
もちろん、これらの証言がどこまで信用できるかは議論がありますが、少なくとも「まったく知らなかった」というのは難しいかもしれませんね。
空母はなぜ不在だったのか
真珠湾攻撃の当日、アメリカの空母が一隻も港にいなかったことも、「知っていた説」を強める材料です。
当時、空母「エンタープライズ」や「レキシントン」は、別の任務を理由にハワイを離れており、攻撃を受けたのは旧式の戦艦ばかりでした。「たまたまなのか、それとも意図的に避難させたのか?」という疑問は、今も議論されています。
実際、海軍の中には「日本が空から攻撃してくるかもしれない」という予測を出していた将校もいました。にもかかわらず、真珠湾の防衛はほとんど強化されなかったのです。
これは単なる油断だったのか、それとも「攻撃を受けること」がある意味で計画の一部だったのか。真相は闇の中ですが、空母の不在は偶然とは言い切れない状況だったのかもしれません。
なぜハワイに警告を出さなかった?商用電報送信の謎
ルーズベルト政権が真珠湾の攻撃を察知していたとして、なぜ現地に警告を出さなかったのか。その最大の謎が「商用電報で連絡された」という事実です。
通常であれば、重要な軍事情報は軍の専用通信網で送られるはずですが、なぜかこのときは商用電報で送られ、しかも到着が攻撃後になってしまったのです。
これを「偶然のミス」と見るか、「意図的な遅延」と見るかで評価が大きく変わります。現地司令官は警告を受ける前に攻撃を受け、責任を問われて解任されましたが、もしワシントンが知っていたなら、それはフェアとは言えませんね。
真珠湾攻撃は奇襲ではない?宣戦布告遅延と国際法

ここまでは、「アメリカが真珠湾攻撃を事前に知っていた可能性」について、証言や資料をもとに見てきましたね。ここからは、いよいよ「だまし討ちだったのか?」という論点に迫ります。
世間でよく言われる“卑怯な奇襲”というイメージは、実は「宣戦布告のタイミング」が大きなカギになっているんですよ。では、その宣戦布告は本当に“なかった”のでしょうか?
「宣戦布告が間に合わなかった」だけなのか?
まずは用語の確認からいきましょう。「奇襲」と「だまし討ち」は似ているようで、意味が違います。
「奇襲」は、相手の予想しないタイミングや場所で攻撃する戦術のことです。軍事的には普通に使われる手法で、違法ではありません。
一方、「だまし討ち」は宣戦布告をせず、平和を装って突然攻撃することを意味します。これは国際法的に問題があるとされ、非難の対象になります。
真珠湾攻撃では、日本政府はアメリカに対して「交渉打ち切りの通告文」(いわゆる対米最後通告)を出していましたが、ワシントンでの手交が遅れてしまい、結果的に攻撃後に渡される形になってしまいました。
つまり、「通告しようとはしていた」けれど「間に合わなかった」ことで、“だまし討ち”という印象がついてしまったのです。
外務省・大使館の不手際説と現場の混乱
では、なぜ通告が間に合わなかったのでしょうか?
その理由は、日本外務省とワシントンの日本大使館の間での“連絡ミス”や“大使館職員の対応の遅さ”とされています。とくに、通告文をタイプで打ち直す作業が遅れたことが大きな要因でした。
当時の駐米大使・野村吉三郎と来栖三郎は、12月7日午後1時(ハワイ時間午前7時)にハル国務長官に通告を手渡す予定でした。しかし、手交できたのは午後2時20分。攻撃開始から1時間近く経っていたのです。
この遅れについては「外務省の業務遅延によるもの」「手交担当者の判断ミス」など、いろんな見方がありますが、「日本政府が意図的にだまし討ちをした」という証拠は出ていません。
ハーグ条約違反だったのか?国際法から見る真珠湾攻撃
では、真珠湾攻撃は国際法違反だったのでしょうか? ここでポイントになるのが、1907年の「ハーグ陸戦条約(開戦通告に関する条約)」です。
この条約では「交戦に入る際は、事前に宣戦布告するか、最後通牒を発すること」が義務付けられています。ただし、「いつまでに」「どのタイミングで」相手に通告が届かなければならない、という細かい規定はありません。
つまり、手交の遅れが「違法」かどうかは解釈次第ということになります。
実際、戦後の東京裁判でも「日本の攻撃は違法」とされた理由は、この宣戦布告遅延が“形式的なミス”だったという扱いであり、「意図的なだまし討ち」とまでは断定されませんでした。
山本五十六の発言と武士道精神の葛藤
攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官は、「宣戦布告を攻撃の30分前には必ず通告するように」と念押ししていたことでも知られています。
山本は海軍出身でアメリカ留学経験もある人物。卑怯な攻撃を良しとしない「武士道精神」に強く影響を受けていたといわれています。それだけに、結果的に“だまし討ち”という印象を与えたことには、山本本人もショックを受けていたとされます。
つまり、日本側には「通告してから攻撃する」という意図があり、それを守ろうとした形跡もあるのです。
当時の外交圧力と資源封鎖の背景
もうひとつ大事な視点をご紹介しましょう。それは、「真珠湾攻撃は日本にとっての自衛戦争だったのではないか?」という見方です。
開戦前、アメリカは日本に対して航空燃料や鉄、石油の輸出を次々と禁じ、いわば経済的に“首を絞める”ような圧力をかけていました。
さらに「ハル・ノート」と呼ばれる通告では、日本にとって受け入れがたい要求が突きつけられ、「交渉は破綻した」と判断せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
こうした背景を考えると、日本としては「これ以上待てば滅びる」という判断で、やむを得ず戦端を開いたとする意見もあるわけです。
総括:真珠湾攻撃は奇襲ではない?アメリカは知っていた説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 真珠湾攻撃は「奇襲」ではなく、アメリカは事前に察知していた可能性がある。
- アメリカは日本の暗号「パープル」を解読しており、外交電報の内容も事前に把握していた。
- ルーズベルト大統領は攻撃前に「これは戦争だ」と発言したという証言がある。
- 攻撃当日、アメリカの空母は真珠湾を離れており、不在だったのは意図的だったとの見方も。
- ハワイへの警告は軍用通信ではなく商用電報で送られ、到着が遅れたのも不可解。
- 日本は正式な通告(対米最後通告)をしようとしていたが、手交が攻撃後になってしまった。
- 通告遅延は大使館や外務省の不手際であり、意図的な「だまし討ち」とは言えない。
- 国際法(ハーグ条約)違反かどうかは解釈により異なり、東京裁判では形式的なミスとされた。
- 山本五十六は「通告30分前厳守」を指示しており、武士道精神を重んじていた。
- アメリカの経済制裁やハル・ノートが日本を追い詰め、戦争を避けられなかったという見方もある。