今日は「山本五十六(やまもといそろく)」という人物について、塾長が分かりやすく解説しますよ。
太平洋戦争のころ、海軍のトップとして活躍した山本五十六は、戦後80年経った今でも人気があります。「軍神」と呼ばれたこともありますが、ただの軍人ではありません。人柄、考え方、行動のすべてに、多くの人をひきつける魅力があったのです。
この記事では、「山本五十六はなぜ人気なのか?」という疑問に、5つの視点から答えていきます。戦争の話だけじゃなく、日常の姿や考え方も交えて、やさしく説明していきますね。
山本五十六はなぜ人気?人々を惹きつけた理由まとめ

山本五十六はなぜ今もこれほど人気があるのでしょうか?ここでは、彼の生き方や言葉、人柄に焦点を当てて、その魅力の正体を一つずつひもといていきます。
「やってみせ…」の名言がリーダーの教科書になっているから
山本五十六の人気の理由のひとつは、あまりにも有名なこの言葉です。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。」
これは、部下や子どもを育てるときにとても大切なことを表した名言です。今でもリーダーシップの教科書に載っていたり、ビジネス研修で使われたりすることが多いんですよ。
この言葉のすごいところは、ただ命令するのではなく、「まず自分がやって見せること」が大事だと教えている点です。部下に仕事を教えるとき、頭ごなしに言うのではなく、自分が先にやって、やり方を見せる。相手に実際にやらせてみて、うまくできたらしっかり褒めてあげる。そうすれば、人は自然と動くようになるのです。
現代でも通じるリーダーのあり方を、戦争中にすでに実践していた山本五十六。その考え方に、多くの人が共感し、人気が続いている理由のひとつとなっています。
対米戦争に反対していた「平和主義的軍人」という意外な顔
山本五十六は「真珠湾攻撃」を指揮したことで知られていますが、実はアメリカとの戦争には最後まで反対していました。「アメリカとは戦っても勝てない」「始めるなら最初の1年は暴れられるが、その後は保証できない」といった言葉も残しています。
山本は若いころアメリカに留学し、アメリカの国力の大きさや産業力をよく理解していました。そのため、日本がアメリカと戦争しても、長くは続けられないと冷静に判断していたのです。
それでも命令されたからには、戦争を最小限に抑えるため、真珠湾攻撃という奇襲作戦を立てました。この矛盾に満ちた状況に苦しみながらも、任務を全うした山本五十六の姿に、「悲劇の英雄」としてのイメージが重なり、人気が高まっていったのです。
米国でも一目置かれた戦略家としての評価
山本五十六のすごさは、日本国内だけでなく、なんとアメリカの軍人たちからも評価されていたことです。彼の作戦や人柄は、敵だったアメリカ側からも「優れた指揮官」「紳士的な軍人」として尊敬されていたといいます。
たとえば真珠湾攻撃のあと、アメリカ国内では怒りの声が上がりましたが、軍関係者のなかには「山本は戦争を避けたかったはずだ」「彼は理性的な人物だった」と語る人もいたそうです。
また、山本は航空機による攻撃の重要性をいち早く見抜き、空母中心の戦略を取り入れました。これは当時としては非常に先進的な考えで、のちの航空戦時代を予見していたとも言われています。
敵からも一目置かれる存在だったことは、山本五十六がただの軍人ではなかった証。世界が認めた戦略家としての評価も、人気の理由のひとつです。
親しみやすい人柄と「部下に慕われたエピソード」
山本五十六の人気は、彼の「人間的な魅力」によるところも大きいです。いくら優れた軍人でも、部下からの信頼がなければ、リーダーとしての力は発揮できません。
山本はとても親しみやすく、偉そうにしない人物だったと伝えられています。兵士に私用を頼んだときは「ありがとう」ときちんと礼を言い、時にはお菓子を配って喜ばせるなど、小さな気配りを忘れなかったそうです。
また、ある兵士が首を寝違えた山本の治療を頼まれたとき、治療が終わると「楽になった、また頼むよ」と笑顔でお礼を言ったというエピソードも残っています。このように、上官と部下という立場ではなく、一人の人間として接する姿勢に、多くの兵士が心を打たれました。
こうした日常のふるまいが、部下たちの信頼を集め、戦後も「理想の上司」として語り継がれる人気の土台となっているのです。
「賊軍」出身という逆境を乗り越えた生き様に共感
山本五十六は、新潟県長岡市の出身です。長岡は、明治維新のときに「賊軍(ぞくぐん)」と呼ばれた旧幕府側の藩でした。そのため、明治新政府のもとでは出世が難しいとされていました。
そうした逆風の中で、山本五十六は自分の努力と実力だけで、海軍のトップにまで上りつめました。しかも、家は裕福ではなかったため、学費がかからない海軍兵学校を選んだとも言われています。
「出身地や家柄で差別されても、くじけずに進んだ姿」に、多くの人が共感を覚えるのは当然です。現代に生きる私たちにとっても、「努力すれば道は開ける」という希望を与えてくれる存在といえるでしょう。
山本五十六はなぜ人気?何がすごいか分かりやすく

山本五十六が人気の理由を見てきましたが、もうひとつ大切なのが「何がすごいのか」という点です。ただの人気者ではなく、歴史に名を残すだけの実績と行動がありました。
ここでは、山本五十六の軍人としてのスゴさを、具体的な功績を通して見ていきましょう。作戦の立て方から先見性、人間性まで、戦争を知る上でも大切なポイントがたくさん詰まっていますよ。
真珠湾攻撃を成功させた精密な作戦立案力
山本五十六の軍人としての功績のなかでも、最も有名なのが「真珠湾攻撃」です。1941年12月8日(日本時間)に実行されたこの奇襲作戦は、日本がアメリカとの戦争を始めるきっかけとなったものでした。
この作戦のすごいところは、数千キロも離れたハワイを目指し、大量の艦隊と飛行機をひそかに送りこみ、一気に攻撃するという大胆さと、その準備の精密さです。天候、タイミング、敵の防備状況をすべて計算に入れたうえで、「一撃でアメリカの戦意をくじく」という目的を持って行動したのです。
もちろん、戦争そのものには賛否がありますが、軍略の面では「日本の歴史上、もっとも成功した奇襲作戦」として知られています。これほどの作戦を立案・指揮できた山本五十六の知略は、まさに一流といえるでしょう。
航空戦力の重要性にいち早く気づき育成した先見性
山本五十六のもうひとつのすごい点は、「航空戦力の時代が来る」といち早く気づいていたことです。日露戦争のころは「戦艦」こそが海軍の主役でしたが、山本はすでに「これからは飛行機と空母が主役になる」と見ていたのです。
実際に、彼は海軍航空隊の育成に力を入れ、中型攻撃機(中攻)を整備したり、パイロットの育成に力を注いだりしました。また、航空機による攻撃を中心に据えた作戦(空母機動部隊による作戦)を日本で初めて本格的に展開した人物でもあります。
これは当時の日本では少数派の考え方でしたが、のちにアメリカとの戦いで航空戦力が主役になることを考えると、山本の考えはとても先進的だったことが分かります。未来を見通す力があったからこそ、軍の中でも特別な存在として評価されたのです。
軍政・軍令・現場をすべて経験した「オールラウンド軍人」
山本五十六は、海軍の中でも非常に珍しい「三つの分野」をすべて経験した軍人でした。
1つ目は「軍政」と呼ばれる政策づくりの分野。ここでは、予算や人事など海軍の運営を担当します。山本は海軍次官として、国会とのやりとりや軍事予算の調整を担いました。
2つ目は「軍令」と呼ばれる作戦計画の分野。ここでは、実際にどう戦うかを考える頭脳役です。連合艦隊司令長官として、太平洋戦争の序盤作戦を統括しました。
3つ目は「現場指揮」。つまり前線で兵を動かす実戦の現場です。彼は安全な場所にいるだけでなく、実際に最前線の基地を慰問するなど、現場感覚を持ち続けていました。
この3つをバランスよく経験したことで、山本は「理論だけの頭でっかち」でもなく、「現場だけの猪突猛進」でもない、総合的な指導力を持つ存在だったのです。
戦艦大和でも垣間見える「人を動かす力」
軍人としての能力だけでなく、山本五十六は「人を動かす力」も一流でした。どんなに作戦が立派でも、それを動かすのは「人」です。その人をどう導くかがリーダーにとって一番大事な力といえます。
戦艦大和に乗っていた兵士たちの証言によれば、山本は「兵士に礼を言う」「気さくに話しかける」「お菓子を配る」「名前を覚えている」といった、人間としての基本をとても大切にしていたそうです。
また、戦死した部下たちの住所を小さな手帳に書きとめて、時々眺めていたという話も残っています。このように、一人ひとりの命を大切に思っていた姿勢に、部下たちは強く心を打たれました。
リーダーとは、命令する人ではなく、信頼される人。山本五十六がそうであったからこそ、多くの兵が彼についていき、今でも「理想の上司」として人気があるのです。
死後も語り継がれる「軍神」としての象徴性
1943年、山本五十六は前線の兵士たちを慰問する途中、アメリカ軍に撃墜されて戦死しました。日本政府は彼の死を国葬として弔い、「軍神」として祭りあげました。
このとき、国中が深い悲しみに包まれたといいます。新聞には連日彼の業績が報じられ、多くの人がその死を悼みました。彼の存在は、ただの軍人ではなく「国のために尽くし、信念を曲げずに生きた人」として、多くの国民の心に刻まれました。
戦後になっても、彼の名前や言葉は教科書やテレビ、映画などで何度も紹介され、今でも記念館やドラマで彼の人生が語られています。80年以上たっても人気があるのは、それだけ彼の生き様が強い印象を残している証拠です。
総括:山本五十六はなぜ人気?何がすごいかまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 山本五十六がなぜ人気か
- 名言「やってみせ…」が今もリーダーの教科書
→ 指導の基本を表した言葉が、現代のビジネスや教育でも高く評価されている。 - 平和を望んだ「戦争反対派の軍人」だった
→ 対米戦争に最後まで反対しており、「悲劇の英雄」として人々の心を打った。 - アメリカからも尊敬された戦略家
→ 空母・航空機の重要性にいち早く気づき、先進的な戦術を実行した。 - 人望が厚く、部下に慕われた人格者
→ 兵士に礼を言い、心から接する姿勢が、今も「理想の上司」として語られる。 - 「賊軍」出身という逆境を努力で乗り越えた
→ 差別や不利な立場を跳ね返し、実力で海軍トップに上り詰めた。
✅ 山本五十六が何がすごいか
- 真珠湾攻撃を成功に導いた精密な作戦立案力
→ 綿密な準備と奇襲戦術で世界を驚かせた。 - 航空戦力の時代を見抜いた先見性
→ 空母中心の作戦を取り入れ、未来の戦争を予見していた。 - 軍政・軍令・現場をすべて経験した「万能型軍人」
→ 政策立案から前線指揮までこなすバランス型の指導者だった。 - 人を動かす力と兵への思いやり
→ 指導力と人間性を兼ね備え、信頼で部隊をまとめた。 - 死後も「軍神」として語り継がれる存在
→ 国葬で送られ、80年経った今も記念館やメディアでその名が残る。