今日はロシアの歴史に登場するすごい人物、ピョートル大帝について話します。

ピョートル大帝といえば、ロシアを強くした偉大な皇帝ですが、ネットでは「生首が展示されている」なんて怖い話が広まっています。

「本当に生首があるの?」「どうしてそんな噂があるの?」と疑問に思う人もいるでしょう。そこで、今回はピョートル大帝の生首の真相と、彼の死因について詳しく解説します!

それでは、さっそく見ていきましょう!

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ピョートル大帝の生首は本当に展示されているのか?

ピョートル大帝の「生首が展示されている」という噂がありますが、結論からいうと、ピョートル大帝の生首は博物館に展示されていません! しかし、ロシアのクンストカメラという博物館には「生首」にまつわるある標本が存在します。

それは、ピョートル大帝が処刑した人物の首をアルコール漬けにしたものです。この話が広まり、まるでピョートル大帝の生首が展示されているように誤解されたのかもしれません。では、詳しく見ていきましょう!

ピョートル大帝の生首は展示されていない

ピョートル大帝の生首はどこにも展示されていません。でも、ロシアのサンクトペテルブルクにあるクンストカメラという博物館には、ある「生首」に関する展示があります。それは、ウィレム・モンスという人物の首の標本です。

ウィレム・モンスはピョートル大帝の妻、エカチェリーナ1世の秘書官でした。しかし、彼がエカチェリーナ1世と不倫をしていると疑われ、ピョートル大帝によって処刑されました。そして、ピョートル大帝は彼の首をアルコール漬けにし、見せしめとして展示したといわれています。

この話が広まり、「ピョートル大帝の生首が展示されている」という誤解につながったのです。

クンストカメラにまつわるピョートル大帝の「生首」伝説

クンストカメラは、ピョートル大帝がつくったロシア最古の博物館です。この博物館には、珍しい動物の標本や人体の標本がたくさんあります。

ピョートル大帝は、西洋の科学や医学をロシアに広めるために、奇形児や病気の標本を集めました。そのため、クンストカメラにはいまでも多くの人体標本が展示されています。

この中に、「ウィレム・モンスの生首の標本があった」という噂がありました。しかし、実際にクンストカメラで確認されているわけではありません。もしかすると、歴史の中で誇張された話なのかもしれませんね。

ピョートル大帝とウィレム・モンスの血塗られた関係

ウィレム・モンスは、エカチェリーナ1世の側近でした。エカチェリーナ1世はピョートル大帝の妻ですが、ピョートル大帝は彼女の行動を疑っていました。

ウィレム・モンスがエカチェリーナ1世と親しくしていたことを知ると、ピョートル大帝は激怒し、彼を処刑しました。そして、その生首をアルコール漬けにして、エカチェリーナ1世の寝室に飾ったともいわれています。

この話が本当だとしたら、とても怖いですね。しかし、当時のロシアでは、処刑した相手の首を飾ることが権力の象徴だったので、ピョートル大帝がそれをした可能性は高いです。

ピョートル大帝の「生首」の噂はどこから広まったのか?

「ピョートル大帝の生首が展示されている」という噂は、おそらくウィレム・モンスの話が誇張されたものです。

また、SNSや映画などで歴史が脚色されることが多く、事実と違う情報が広まってしまうこともあります。

例えば、クンストカメラの人体標本が紹介されると、それがピョートル大帝のものだと勘違いする人もいるかもしれませんね。

実際に見られるピョートル大帝の遺品や遺体

ピョートル大帝の遺体は、ペトロパヴロフスク大聖堂に埋葬されています。これはロシアの歴代皇帝の墓所です。

また、ピョートル大帝の顔のデスマスク(死後に作られる顔の型)や、彼の身につけていたものなどの遺品も博物館に残っています。

生首ではありませんが、彼の歴史を感じることができる貴重な遺品です。

ピョートル大帝の生首の後に:死因とその後のミステリー

ピョートル大帝の死因についても、多くの説が語られています。公式な記録では「尿路結石症による合併症」が原因とされていますが、一部では「毒殺説」や「暗殺説」も囁かれています。さらに、彼の遺体は6年間も埋葬されなかったという驚きの事実もあります。

ここでは、ピョートル大帝の死因の真相と、死後の不思議な出来事について詳しく解説します!

ピョートル大帝の死因は尿路結石症だった?

ピョートル大帝は1725年に52歳で亡くなりました。公式な記録によると、尿路結石症による感染症が原因だったとされています。

晩年のピョートル大帝は、体調が悪化していました。それにもかかわらず、ロシアの発展のためにラドガ運河の建設現場を訪れたり、海で座礁した船を救助するために冷たい水に浸かったりしていました。これが原因で体調を崩し、病状が急激に悪化したのです。

尿路結石症は、腎臓や膀胱に石ができ、それが尿の流れを妨げる病気です。現代の医療では手術や薬で治療できますが、当時は効果的な治療法がなく、感染症が広がってしまったと考えられます。

ピョートル大帝の死には毒殺説もある?

ピョートル大帝の死は突然だったため、「毒殺されたのでは?」という説もあります。

なぜそんな噂があるのかというと、ピョートル大帝には多くの敵がいたからです。彼は貴族の権力を抑え、ロシアを近代化するために厳しい改革を行いました。そのため、貴族や教会の一部の人々からは強く恨まれていました。

また、彼の死後すぐにエカチェリーナ1世が即位したことも、毒殺説を強める要因になりました。「エカチェリーナ1世が夫を殺して皇位を奪ったのでは?」という陰謀論もあったのです。

しかし、現代の歴史学者の多くは、毒殺の可能性は低いと考えています。死因の記録や、当時の医師の診断から、病気による死亡が最も妥当な説明とされています。

ピョートル大帝の遺体はなぜ6年間も埋葬されなかったのか

ピョートル大帝が亡くなった後、彼の遺体はすぐには埋葬されませんでした。実に6年間も棺の中で安置されたままだったのです!

なぜこんなことが起こったのかというと、「ペトロパヴロフスク大聖堂の完成を待っていた」という説があります。ピョートル大帝は、自分のための特別な墓所を作ろうと考えていたのです。しかし、大聖堂の建設が遅れたため、彼の埋葬も延期されてしまいました。

また、ピョートル大帝の遺体には防腐処理が施されたことも影響しています。当時のロシアでは、皇帝の遺体はすぐに埋葬されるのが普通でした。しかし、ピョートル大帝の遺体は西欧式の防腐処理を受け、長期間安置されたのです。

ピョートル大帝の墓にまつわる都市伝説とミステリー

ピョートル大帝の墓には、多くの都市伝説があります。

1つ目の噂は、「ピョートル大帝の棺は開けられない」というものです。彼の棺はペトロパヴロフスク大聖堂の地下深くにあり、大聖堂を解体しない限り取り出せない構造になっています。これは「皇帝の遺体を誰にも触れさせないため」といわれています。

2つ目の噂は、「ピョートル大帝の墓には呪いがかかっている」というものです。過去に、彼の棺の近くで奇妙な出来事が起こったという話がいくつかあります。墓の周りで不思議な音が聞こえたり、夜になると亡霊が現れるという言い伝えがあるのです。

こうした都市伝説は、歴史的な偉人にまつわる話として多くの人に語り継がれています。

ピョートル大帝の死とロシア帝国の行方

ピョートル大帝の死後、ロシアはどうなったのでしょうか?

彼の後を継いだのはエカチェリーナ1世ですが、彼女はあまり政治に関心がなく、ピョートル大帝のような強力な指導力を持っていませんでした。そのため、ロシアの発展は一時的に停滞しました。

しかし、その後、ピョートル大帝の孫にあたるエリザヴェータ女帝、さらにエカチェリーナ2世(エカチェリーナ大帝)が登場し、ロシアの近代化を進めていきます。

ピョートル大帝が行った改革は、彼の死後もロシアに大きな影響を与え続けました。現在のロシアの発展の礎を築いたのは、間違いなくピョートル大帝だったのです。

総括:ピョートル大帝の生首の真相&死因まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

ピョートル大帝の生首は展示されていない
 → クンストカメラ博物館に「生首」にまつわる標本があるが、ピョートル大帝のものではない。

噂の元はウィレム・モンスの生首の標本
 → モンスはピョートル大帝の妻エカチェリーナ1世の側近だったが、不倫疑惑で処刑され、首をアルコール漬けにされた。

ピョートル大帝の死因は尿路結石症による感染症が最有力
 → 体調が悪い中で寒冷地での作業や水に浸かる行動を続けたことで病状が悪化。

毒殺説もあるが、証拠はない
 → ピョートル大帝は多くの敵を持っていたため、毒殺説が囁かれたが、公式記録では病死とされている。

遺体は6年間も埋葬されなかった
 → ペトロパヴロフスク大聖堂の完成を待つため、一時的に防腐処理された状態で安置されていた。

墓にまつわる都市伝説も多い
 → 「棺が開けられない」「墓には呪いがある」といった話が伝わっている。

ピョートル大帝の改革はロシア帝国の発展に大きく貢献
 → 彼の死後、ロシアの発展は一時停滞したが、孫のエリザヴェータ女帝やエカチェリーナ2世が引き継いで近代化を推進した。