今回は「ポーツマス条約(じょうやく)」について、子どもでもよくわかるようにやさしく説明していきます。

日露戦争(にちろせんそう)のあと、日本とロシアがアメリカで結んだこの条約は、日本にとってとても大きな意味をもつものでした。

でも「実際に日本は何を得たの?」「なぜアメリカで会議をしたの?」など、疑問がいろいろあると思います。

この記事では、条約の内容と日本が手に入れたもの、そしてどうしてこの条約が結ばれたのかまで、全部まるっとわかりやすく解説します!

※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。

↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓

著:河合敦, 著:房野史典
¥1,617 (2025/07/04 03:22時点 | Amazon調べ)
著:ぴよぴーよ速報
¥1,529 (2025/07/04 03:24時点 | Amazon調べ)

ポーツマス条約の内容を簡単に解説!日本が得たもの4つ

まずは、日本がこのポーツマス条約で得た4つの大きなものを紹介します。どれも今後の日本にとってとても重要なものでしたよ。

日本が得たもの①:韓国における優越権の承認

一つ目に日本が得たのは、「韓国における優越権(ゆうえつけん)」です。これは、日本が韓国の政治や軍隊、経済について、ロシアよりも強い立場にあることをロシアが認めたということです。

この内容は、後に日本が韓国を支配し、1910年に「韓国併合(へいごう)」をおこなう大きなきっかけになりました。つまり、日本が韓国に対して「これからは日本が主導していきます」と言っても、ロシアはそれを邪魔しないよ、という約束だったのです。

朝鮮半島は、アジアでとても大事な場所でした。日本としては、ここをほかの国に取られるわけにはいきませんでした。ポーツマス条約によって、日本はこの大切な場所での主導権を手に入れたのです。

日本が得たもの②:南樺太(サハリン)の割譲

二つ目は、「南樺太(からふと)」の領土を手に入れたことです。日本とロシアの間にある大きな島「樺太」のうち、北緯50度より南の部分が日本のものになりました。

この地域は、木材や魚がたくさんとれる資源の豊かな土地です。また、北にあるロシアとの国境にも近いので、安全保障の面でも重要でした。

日本は戦争の終盤に樺太を攻めて占領しており、その結果をもとに、ロシアが南樺太を日本にゆずったのです。この領土を手にしたことにより、日本は北の地域でも影響力を強めることができました。

日本が得たもの③:関東州の租借権と南満州鉄道の利権

三つ目は、中国の「関東州(かんとうしゅう)」という場所を一定期間借りる「租借権(そしゃくけん)」と、そこを通る「南満州鉄道(なんまんしゅうてつどう)」の経営権を手にしたことです。

この地域には、ロシアがもともと建てた旅順(りょじゅん)や大連(だいれん)という港があり、とても便利な場所でした。また、鉄道を使えば、中国の中まで物や人を運ぶことができます。

これによって日本は、アジアの大陸にさらに進出しやすくなりました。この鉄道は、のちに「満鉄(まんてつ)」とよばれ、日本の経済や軍事に大きな力を与えることになります。

日本が得たもの④:沿海州などでの漁業権の獲得

四つ目は、「ロシアの沿海州(えんかいしゅう)」などの近くで、日本人が魚をとってよいという「漁業権(ぎょぎょうけん)」をもらったことです。

この地域には、オホーツク海(かい)やベーリング海(かい)といった、世界でも有数の魚がたくさんとれる海があります。日本にとっては、とてもありがたい漁場でした。

漁業は当時の日本の大事な産業のひとつであり、この権利を得たことで、経済的にもとてもプラスになりました。また、北方領土問題とも少し関係がある内容で、いまでもこの地域の漁業権は注目されています。

得られなかったもの:賠償金ゼロの理由と民衆の怒り

ここまでで日本はたくさんのものを得ましたが、実は「賠償金(ばいしょうきん)」は一円ももらえませんでした。これは多くの国民をがっかりさせました。

当時、日本は「戦争に勝ったから、お金ももらえるはずだ!」と思っていました。でも、ロシアは「お金は払わない!」と強く反対したのです。

日本も戦争をこれ以上続ける力がなかったため、泣く泣くあきらめました。これに怒った国民は、東京の日比谷公園で抗議運動を行い、「日比谷焼打ち事件(ひびややきうちじけん)」という暴動にまで発展してしまったのです。

小村寿太郎(こむらじゅたろう)という交渉担当者は、とても大変な立場でした。国を守るため、国民の怒りを受けながらも、冷静に判断して講和をまとめたのです。

ポーツマス条約を簡単に:なぜ結ばれたの?交渉の背景

ここからは、どうしてこの条約が結ばれることになったのか、そしてアメリカがどうして関わってきたのかをわかりやすく説明していきますね。

日露戦争の終盤:日本とロシアの限界が見えていた

1904年に始まった日露戦争は、日本が連戦連勝(れんせんれんしょう)を続けたものの、実は日本の力はもう限界に近づいていました。兵士や武器も足りなくなり、戦争を続けるお金も底をついてきたのです。

一方でロシアも、国内で「血の日曜日事件」と呼ばれる革命運動が起きるなど、大混乱の真っただ中でした。さらに日本に海戦で大敗し、軍の力も弱まっていたのです。

おたがいに「これ以上戦争を続けるのはムリだ…」と感じていたため、「そろそろ話し合いで終わりにしよう」と講和(こうわ)の道を選ぶようになったのです。

アメリカが仲介した理由は?ルーズベルトの思惑

では、なぜ日本とロシアの間にアメリカが入ったのでしょうか?それは、アメリカの大統領だったセオドア・ルーズベルトの思惑(おもわく)に理由があります。

アメリカは「門戸開放政策(もんこかいほうせいさく)」といって、中国をいろんな国と平等に貿易できるようにしたいと思っていました。でも、ロシアが満洲(まんしゅう)を支配すると、それがむずかしくなります。

だからアメリカは、日本がロシアに勝ってくれたほうがありがたかったのです。さらに、日本に協力すれば、アメリカもアジアでの発言力を持てるようになる、という計算もありました。

こうした理由で、アメリカは「講和の仲介役(ちゅうかいやく)をしますよ」と名乗り出て、会議の場所としてポーツマスの軍港を用意してくれたのです。

小村寿太郎とウィッテ:両国代表によるギリギリの交渉

ポーツマスに送られたのは、日本の小村寿太郎(こむらじゅたろう)と、ロシアのウィッテという代表でした。二人はアメリカで、激しい話し合いを何度も何度もくり返しました。

日本は「樺太をちょうだい!」「賠償金も払って!」と主張。一方ロシアは「土地もお金も渡さない!」と強い姿勢でした。特に「賠償金」については、最後まで争いが続きました。ロシアは「もし賠償金を払えというなら、交渉は終わりだ」とまで言っていたのです。

その結果、小村寿太郎は「賠償金はあきらめる」という大きな決断をし、平和を選びました。この決断のおかげで、戦争はやっと終わり、日本は多くのものを得ることができました。

ポーツマス条約の会場はどこ?軍港やホテルも紹介

ポーツマス条約の調印(ちょういん)は、アメリカ・ニューハンプシャー州の「ポーツマス海軍工廠(こうしょう)」でおこなわれました。ここは当時のアメリカ海軍の大きな基地で、しっかりと警備もされていたのです。

また、日本の使節団は「ホテル・ウェントワース」という立派なホテルに宿泊していました。このホテルは、条約交渉中にたくさんの会議が行われた場所でもあります。

現在、このホテルや会場の一部は残っていて、観光名所のようになっています。ただし、現地アメリカではそれほど大きく取り上げられていないため、日本人のような特別な思い入れは少ないようです。

条約締結後の日本国内の反応と小村寿太郎のその後

ポーツマス条約の内容が発表されると、日本の国民たちは大きなショックを受けました。「戦争に勝ったのに、なぜ賠償金がないんだ!」と怒りの声が広がったのです。

東京では「日比谷焼打ち事件(ひびややきうちじけん)」という暴動まで起き、小村寿太郎には非難(ひなん)の手紙や脅迫まで届きました。家族まで危険にさらされ、小村はとてもつらい思いをしました。

しかし、政府の中では「小村はよくやった」と評価されており、後の歴史家たちも「戦争を終わらせるために必要な判断だった」と高く評価しています。

命がけで交渉にあたり、国民の生活を守るために苦渋の決断をした小村寿太郎。彼のような人がいたからこそ、日本は次の時代へ進んでいけたのです。

総括:ポーツマス条約の内容を簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

🔹 ポーツマス条約で日本が得た4つのもの

  • ① 韓国での優越権の承認
     → 日本が韓国を主導できる立場をロシアが認めた(のちの韓国併合につながる)
  • ② 南樺太の割譲
     → 北緯50度以南の樺太を日本領にした(資源や安全保障の面で重要)
  • ③ 関東州の租借権と南満州鉄道の利権
     → 中国大陸での経済・軍事的な足がかりを得た
  • ④ 沿海州などの漁業権
     → オホーツク海やベーリング海で漁が可能に。経済的に大きな利益

🔹 得られなかったものとその影響

  • 賠償金はゼロ
     → 国民の不満が爆発し、「日比谷焼打ち事件」が発生

🔹 なぜアメリカで条約が結ばれたのか

  • 日本もロシアも戦争継続が難しくなっていた
  • アメリカは「門戸開放政策」などの思惑で仲介を申し出た

🔹 交渉の様子と人物

  • 小村寿太郎とロシアのウィッテが激しい交渉を行った
  • 小村は賠償金をあきらめ、平和を選んだ

🔹 会場とその後

  • 会場はアメリカ・ポーツマスの海軍工廠
  • 小村寿太郎は国民から批判されるも、後に高く評価される