今回は「列強とはどこの国なのか?」という疑問にズバリ答えていきます。
「列強って何?」
「どこの国が列強なの?」
「昔の世界ではどんな力を持っていたの?」
という声にこたえるために、やさしく、わかりやすく解説します。
学校の授業ではちょっとむずかしく感じる言葉も、しっかりかみくだいて紹介しますので、最後まで読めば「なるほど!」とスッキリ理解できるはずです。
それでは、さっそく見ていきましょう!
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列強とはどこの国か?意味と歴史&列強一覧表
列強という言葉を聞いたことはあるけれど、具体的にどの国をさすのか、ピンとこない人も多いと思います。まずは「列強とは何か?」という基本から、歴史の中でどんな国々が列強と呼ばれていたのかまで、順を追って見ていきましょう。
列強とはどこの国か?|帝国主義時代の強国を指す言葉です
まず、「列強(れっきょう)」とは、世界の中でも特に力のある国、つまり“強い国”のことをいいます。この言葉がよく使われたのは、19世紀の後半から20世紀はじめにかけての「帝国主義(ていこくしゅぎ)」の時代です。
このころ、世界の強い国々は、アジアやアフリカに植民地(しょくみんち)を増やそうと争っていました。武力や経済の力で他の国に影響を与え、自分の国をどんどん大きくしようとしたのです。
「列」は並ぶという意味、「強」は強いという意味で、「列強」は“世界に並ぶほど強い国”というイメージですね。
欧米列強とはどこの国?|欧米列強の定義と時代ごとの違い
「欧米列強(おうべいれっきょう)」とは、ヨーロッパとアメリカの中で、特に力が強かった国のことを指します。
よく挙げられる欧米列強は次のような国々です。
- イギリス
- フランス
- ドイツ
- ロシア
- アメリカ
- イタリア
- オーストリア(オーストリア=ハンガリー帝国)
- オランダ(時期による)
これらの国々は、軍事力(ぐんじりょく)、経済力(けいざいりょく)、政治力(せいじりょく)を使って、世界に強い影響をあたえていました。
ただし、「列強」という言葉に決まったルールはなく、時代によってどの国が入るかは変わります。「欧米列強」というときは、特に日本などアジアの国は入らないことが多いですが、のちに日本もその一員になりますよ。
帝国主義時代の列強国を一覧表で紹介|世界分割の主役たち
ここで、帝国主義の時代(19世紀後半〜20世紀はじめ)に「列強」と呼ばれた国を一覧表にして紹介しましょう。
国名 | 特徴・植民地政策 |
---|---|
イギリス | 世界最大の植民地帝国。インド・アフリカに進出 |
フランス | 東南アジアやアフリカに多くの植民地をもった |
ドイツ | 新興列強。アフリカや南太平洋に植民地を獲得 |
ロシア | アジア方面に南下政策。シベリア・中央アジアを支配 |
アメリカ | ハワイ・フィリピンなどを手に入れ太平洋へ進出 |
イタリア | アフリカ(リビアなど)に進出 |
オーストリア=ハンガリー帝国 | ヨーロッパ中心の大国。バルカン半島に影響力あり |
日本 | 日清戦争・日露戦争を経て列強入りを果たす |
この表の国々は、帝国主義時代に植民地を手に入れようと、世界中で競争していました。「世界分割」と呼ばれる時代の主役たちですね。
列強に日本は入っていたのか?|日本の位置づけと歴史背景
「日本って列強だったの?」という質問は、とても良い気づきです。実は、19世紀後半までは日本は列強ではありませんでした。
しかし、明治維新(1868年)で近代化を進め、強い軍隊や産業を持つ国になったことで、少しずつ世界の列強と肩を並べるようになります。
- 1895年:日清戦争に勝利
- 1905年:日露戦争に勝利(ロシアに勝ったのは世界も驚いた!)
- 1910年:韓国を併合し、朝鮮半島を支配
- 1914年:第一次世界大戦に連合国側で参戦
これらの出来事により、日本は正式に「列強の一員」と見なされるようになりました。特に、1919年の「パリ講和会議」では、日本は主要な交渉国の一つになり、世界の大国の仲間入りを果たしたのです。
時代によって変わる列強の顔ぶれ|第一次世界大戦前後の違い
列強と呼ばれる国は、時代によって変わります。たとえば、19世紀後半はイギリス・フランス・ロシアなどが中心でしたが、20世紀に入るとアメリカや日本、ドイツが急速に力を伸ばします。
● 第一次世界大戦前(〜1914年ごろ)
列強とされていた国
→イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本、イタリア、オーストリア=ハンガリー帝国
● 第一次世界大戦後(〜1920年代)
・オーストリア=ハンガリー帝国とドイツは敗戦で力を失う
・日本とアメリカはさらに影響力を増しました。
・ソ連(旧ロシア)が新たな勢力として登場。
また、第二次世界大戦後になると、列強の呼び方は「国連常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国)」や「G7(先進国)」に変わっていきます。
時代が進むごとに、「どの国が列強か」は変わるんですね。
列強とは何か簡単に:勢力と外交関係を深掘り
ここからは、「列強どうしがどんな関係だったのか?」「なぜ争いが起きたのか?」など、もう一歩踏み込んで解説していきます。学校の世界史や入試にもよく出てくるテーマなので、しっかり理解しておきましょう!
列強の対立と同盟|三国同盟と三国協商の関係とは?
列強の国々は、植民地をめぐって世界中で争っていましたが、ヨーロッパの中でも緊張が高まっていきました。その結果、二つの大きなグループに分かれて同盟を結ぶようになります。
✅【三国同盟】
- ドイツ
- オーストリア=ハンガリー
- イタリア(途中で離脱)
✅【三国協商】
- イギリス
- フランス
- ロシア
これらはお互いをけん制し合うために作られた軍事同盟でした。つまり、「もしどこかが攻められたら、味方になって一緒に戦おう!」という約束ですね。
このように列強の間で強い緊張関係が続いたことで、1914年に「第一次世界大戦」が起こってしまいます。列強の同盟関係は、世界を巻き込んだ大きな戦争の引き金になったのです。
列強の植民地拡大と帝国主義|なぜ争いが起きたのか?
列強の国々は、19世紀後半から「帝国主義」と呼ばれる考えのもとで、どんどん海外に進出していきました。
理由は、以下のようなものです。
- 原材料を手に入れるため(鉄、石炭、ゴムなど)
- 工場で作った製品を売る市場がほしい
- 国の力を見せつけたい(ナショナリズム)
- 他国より先に植民地を取っておきたい(競争心)
このような理由から、列強どうしの争いが激しくなり、アフリカやアジアでは「世界の分割」がどんどん進みました。
とくにアフリカでは、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギーなどがたくさんの植民地を持つようになります。これを「アフリカ分割」といい、現地の人々の生活や文化に大きな影響をあたえました。
日本と列強の関係|条約改正と不平等条約から見る立ち位置
日本も、明治時代に「列強の仲間入り」を目指して動き出します。でも最初は、「不平等条約(ふびょうどうじょうやく)」という、外国にとって有利な条件の条約を結ばされていました。
例えば、
- 外国人は日本の法律で裁かれない(治外法権)
- 日本の関税を勝手に決められる(関税自主権がない)
というように、日本にとってとても不利な条件だったのです。
そこで日本は、強い国になることで条約を見直してもらおうと考えました。教育の整備、軍の強化、産業の発展を進め、日清戦争や日露戦争で勝利し、ついに不平等条約を改正することに成功します。
これによって日本は「列強の一員」として世界に認められるようになりました。列強国との対等な関係を築けたのです。
列強の接近に対する幕府の対応|開国前夜の国際情勢
江戸時代の終わりごろ、日本のまわりに列強の船がどんどん来るようになりました。特にロシアやイギリス、アメリカの船が日本近海に現れるようになり、幕府は「どう対応すべきか」で悩みました。
1792年:ロシアの使節ラクスマンが来航し、通商を求める
1808年:イギリス軍艦フェートン号が長崎に侵入
1837年:アメリカのモリソン号が来航(砲撃で追い返される)
こうした事件が重なり、幕府は「異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)」という命令を出し、外国船を追い払おうとしました。
しかし、世界はすでに開かれた時代。日本だけが鎖国を続けていると、列強に押し切られてしまう危険がありました。そこで幕府は最終的にペリーの来航(1853年)をきっかけに「開国」することになります。
幕末の外交は、日本が列強にどう対応していくかの第一歩でした。
国連五大国・G7との違いとは?|現代の大国との比較で理解しよう
「列強」と似た言葉に、「五大国」「G7」などがありますが、意味が少し違います。比べてみましょう。
✅【列強】
19世紀〜20世紀はじめに、軍事力や植民地を背景に世界を動かしていた国々。
主にイギリス、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカ、日本など。
✅【国連五大国(P5)】
第二次世界大戦の勝利国であり、現在の国連で特別な地位をもつ国々。
→ アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国(常任理事国)
✅【G7(主要7カ国)】
経済的に先進的な国々が集まって話し合いをするグループ。
→ 日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダ
このように、時代や目的によって「世界の強い国」の呼び方は変わってきます。「列強」はあくまで帝国主義時代の呼び方で、現代ではあまり使われません。でも歴史を学ぶうえではとても大事なキーワードです!
総括:列強とはどこの国か?欧米列強一覧表まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
国名 | 特徴・植民地政策 |
---|---|
イギリス | 世界最大の植民地帝国。インド・アフリカに進出 |
フランス | 東南アジアやアフリカに多くの植民地をもった |
ドイツ | 新興列強。アフリカや南太平洋に植民地を獲得 |
ロシア | アジア方面に南下政策。シベリア・中央アジアを支配 |
アメリカ | ハワイ・フィリピンなどを手に入れ太平洋へ進出 |
イタリア | アフリカ(リビアなど)に進出 |
オーストリア=ハンガリー帝国 | ヨーロッパ中心の大国。バルカン半島に影響力あり |
日本 | 日清戦争・日露戦争を経て列強入りを果たす |
- 列強とは、19世紀後半〜20世紀初頭の世界で特に力の強かった国々のこと
- 「欧米列強」とはヨーロッパとアメリカの強国を指し、日本はのちに加わる
- 代表的な列強国はイギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、イタリア、オーストリア、日本など
- 列強は植民地を広げるために争い、「世界分割」と呼ばれる時代を生んだ
- 日本は日清戦争・日露戦争の勝利を経て列強の一員に加わった
- 時代によって列強の顔ぶれは変化し、第一次大戦後にはアメリカ・日本が影響力を増す
- 列強どうしは三国同盟・三国協商などの同盟を結び、第一次世界大戦の引き金となった
- 帝国主義のもと、資源・市場・国威発揮を目的に植民地拡大が進められた
- 日本は不平等条約を改正し、列強と対等な関係を築くことに成功
- 幕末には列強の接近に直面し、最終的に開国に踏み切った
- 現代の「五大国(国連常任理事国)」や「G7」とは時代や目的が異なる