今回は「サラエボ事件(サライェヴォ事件)」について、子どもでもわかるようにやさしく説明します。この事件は、世界中を巻き込んだ「第一次世界大戦」のきっかけとなった、とても大事なできごとです、
「なんで一つの暗殺事件が、世界中の戦争に発展したの?」
「誰が、何のためにそんなことをしたの?」
そんな疑問に答えながら、順を追ってお話ししていきますよ!
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サラエボ事件をわかりやすく解説!なぜ起きたか
サラエボ事件は、1914年に起きたオーストリア皇太子夫妻の暗殺事件で、第一次世界大戦の引き金となりました。今回はその背景や経過を簡単に、わかりやすく解説します。
サラエボ事件とは?第一次世界大戦のきっかけ
サラエボ事件とは、1914年6月28日、オーストリアの皇太子・フランツ・フェルディナントとその妻が、ボスニアのサラエボという町で暗殺された事件のことです。暗殺したのは「ガヴリロ・プリンツィプ」という若いセルビア人でした。
この暗殺がきっかけで、オーストリアはセルビアに怒り、ついには戦争を始めてしまいました。すると、オーストリアの味方だったドイツや、セルビアを守ろうとしたロシアなど、たくさんの国々が次々と戦争に参加し、世界中を巻き込む「第一次世界大戦」が始まったのです。
たった一つの事件が、なぜそんな大きな戦争に?それは、この時代のヨーロッパに、さまざまな「火種(ひだね)」があったからなのです。
なぜ起きたのか?民族問題とバルカンの火薬庫
この事件が起きた背景には、「民族問題(みんぞくもんだい)」という大きな問題がありました。
サラエボ事件が起きたのは「バルカン半島」という地域です。ここにはセルビア人、クロアチア人、ボスニア人など、たくさんの民族が住んでいて、それぞれの国を持ちたがっていました。
でも、そのバルカン半島を、オーストリアやロシアといった大国が「自分のものにしたい!」と争っていたのです。このため、バルカン半島はいつ爆発してもおかしくない「ヨーロッパの火薬庫(かやくこ)」と呼ばれていました。
中でも、セルビア人たちは「自分たちの国を一つにまとめたい!」という夢を持っていて、それを邪魔するオーストリアに強い不満をもっていたのです。
オーストリア皇太子夫妻が暗殺されるまでの事件の流れ
1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻は、ボスニアのサラエボを訪れていました。軍の演習(えんしゅう)を見に行くためです。
でもその日は、ちょうどセルビアが昔、オスマン帝国と戦って勝った記念日でした。セルビア人にとって、とても特別な日だったのです。そんな日に、敵国であるオーストリアの偉い人が来る…。それに怒った「青年ボスニア」という秘密組織のメンバーが、暗殺を計画します。
最初に爆弾を投げた犯人は失敗。ですが、皇太子夫妻の車が道をまちがえて止まったとき、待ちかまえていたガヴリロ・プリンツィプが銃を撃ち、夫妻は命を落としました。
この偶然が重なった暗殺が、のちに世界中を巻き込む戦争の引き金になってしまったのです。
暗殺の犯人はガヴリロ・プリンツィプ
暗殺を行ったガヴリロ・プリンツィプは、当時まだ19歳の青年でした。彼は「青年ボスニア」という秘密結社に参加していて、セルビアの人々が一つになる「大セルビア主義」を信じていました。
この青年ボスニアの背後には、セルビア国内の「黒手組(こくしゅぐみ)」というもっと大きな秘密組織がいて、プリンツィプたちに武器や爆弾を渡していたといわれています。
ただし、セルビア政府そのものが命令したかどうかは、はっきりしていません。しかしオーストリアは「セルビアが黒幕だ!」と考えて、セルビアに強く怒ることになります。
セルビアとオーストリアの関係:事件後の外交
サラエボ事件のあと、オーストリアは「セルビアが裏で事件を起こしたにちがいない」として、セルビアに最後通牒(さいごつうちょう)を出しました。
これは「この要求にすべて応じなければ、戦争するぞ!」という強い脅しです。セルビアは一部の要求を断りました。なぜなら、すべてをのむと、自分の国の独立を失ってしまうと思ったからです。
すると、オーストリアは1914年7月28日、セルビアに宣戦布告しました。これが、第一次世界大戦のはじまりとなるのです。
サラエボ事件の影響とその後の展開をわかりやすく
サラエボ事件は、ただの暗殺事件では終わりませんでした。
この事件が引き金となって、ヨーロッパ中の国々が戦争に巻き込まれ、やがて世界中に広がっていったのです。ここからは、事件のその後と世界への影響について、しっかり解説していきますよ。
第一次世界大戦勃発へ!各国の宣戦布告と連鎖反応
サラエボ事件をきっかけに、オーストリアがセルビアに戦争をしかけました。
この時、セルビアの味方をしたのがロシアです。ロシアは「スラブ民族を守る」という考えを持っていたからです。
ロシアがセルビアを支援すると、それに怒ったドイツがロシアに宣戦布告。
さらにドイツはロシアの仲間であるフランスにも戦いを挑みました。このように、一つの事件から次々と国が参戦する「連鎖反応(れんさはんのう)」が起こり、戦争はどんどん大きくなっていきます。
ついにはイギリス、日本、アメリカなども加わり、世界中が戦争に巻き込まれていきました。
なぜヨーロッパ全体が巻き込まれたか
当時のヨーロッパには、2つの大きなグループがありました。
1つ目は「三国同盟(さんごくどうめい)」といって、ドイツ・オーストリア・イタリアの仲間です。2つ目は「三国協商(さんごくきょうしょう)」といって、イギリス・フランス・ロシアの仲間です。
このような同盟関係があったため、ある国が戦争を始めると、仲間の国も自動的に戦いに巻き込まれる仕組みになっていたのです。
サラエボ事件によって、オーストリアとセルビアが戦い始めたとたん、ドイツ、ロシア、フランス、イギリスと、どんどん国が加わっていき、ヨーロッパ全体が戦場になってしまいました。
サラエボ事件とバルカン半島の歴史的背景
サラエボ事件の背景には、バルカン半島の複雑な歴史が関わっています。
もともとこの地域は、オスマン帝国という大きな国に支配されていました。しかし、オスマン帝国がだんだん弱くなってくると、バルカン半島のいろんな民族たちが「自分たちの国を作りたい!」と独立運動を始めます。
その中でセルビアは、スラブ人たちを一つにまとめる「大セルビア主義(だいせるびあしゅぎ)」をとなえていました。
でも、それに対抗するように、オーストリアもこの地域の支配を強めていきます。この民族のぶつかり合いが、サラエボ事件という形で表れてしまったのです。
サラエボ事件がもたらした世界への影響
サラエボ事件のあと始まった第一次世界大戦は、なんと約30か国が参加する世界的な戦争になりました。戦場はヨーロッパだけでなく、アフリカやアジアにも広がりました。
イギリスやフランスは、自分たちの植民地(しょくみんち)を使って戦いに勝とうとしました。インドやアフリカの人たちも、ヨーロッパの戦争に巻き込まれていったのです。
また、日本もイギリスと同盟を結んでいたため、ドイツと戦うことになりました。こうして、サラエボ事件は、世界中の国々の運命を大きく変えることになったのです。
テストによく出るポイントまとめ
テストでよく出るポイントをおさらいしましょう!
- サラエボ事件が起きた年:1914年6月28日
- 暗殺された人物:オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント夫妻
- 暗殺犯:ガヴリロ・プリンツィプ(青年ボスニアのメンバー)
- 関係する組織:青年ボスニア、黒手組
- 事件の結果:第一次世界大戦のきっかけとなる
- 関連する同盟:三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)
- 重要キーワード:「ヨーロッパの火薬庫」「バルカン半島」「民族問題」「最後通牒」
このあたりをしっかり覚えておけば、テスト対策はバッチリです!
総括:サラエボ事件をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- サラエボ事件とは
1914年6月28日、オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント夫妻がサラエボで暗殺された事件。 - 事件の背景
バルカン半島の民族対立やオーストリアとセルビアの対立が背景にあり、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていた。 - 事件の流れ
暗殺犯プリンツィプは秘密結社「青年ボスニア」の一員で、背後に「黒手組」が関与していたとされる。 - 事件の結果
オーストリアがセルビアに宣戦布告→ロシア・ドイツ・フランス・イギリスと戦争が拡大→第一次世界大戦に発展。 - 第一次世界大戦へ
三国同盟と三国協商という同盟関係が、戦争の連鎖を引き起こした。 - バルカン半島の歴史的背景
オスマン帝国の衰退によって独立運動が活発化。セルビアとオーストリアが支配を巡って対立。 - 世界への影響
戦火はヨーロッパ全土、アフリカ、アジアまで広がり、約30か国が参戦する世界大戦へ。 - テスト対策ポイント
事件の年・人物・犯人・関係する組織・用語(三国同盟・協商、ヨーロッパの火薬庫、民族問題、最後通牒)などを覚える。
