今回は「スターリンの遺体」について、塾長がわかりやすく解説します。

「スターリンって歴史の教科書に出てきたけど、亡くなった後どうなったの?」「冷凍保存されたって本当?」「今はどこにあるの?」

そんな疑問を持ったみなさんに向けて、ひとつずつ丁寧にお話ししていきますよ!

※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。

↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓

著:河合敦, 著:房野史典
¥1,617 (2025/07/04 03:22時点 | Amazon調べ)
著:ぴよぴーよ速報
¥1,529 (2025/07/04 03:24時点 | Amazon調べ)

スターリンの遺体はどうなった?場所や保存方法

スターリンの死後、彼の遺体がどこに安置され、どのように処理されたのかは多くの人が気になるポイントです。ここでは、遺体の保存方法から現在の所在まで、順を追って解説します。

スターリンの遺体はどこにあった?レーニン廟に安置された事実

スターリンが亡くなったのは1953年3月5日です。死後、彼の遺体はソ連の首都モスクワにあるレーニン廟(びょう)という建物に安置されました。

このレーニン廟には、それまで初代指導者であるウラジーミル・レーニンの遺体だけが保管されていましたが、スターリンもそこに並べて置かれることになったのです。

当時のソ連では、スターリンは「偉大な指導者」として国民から敬われていました。そのため、国の象徴のような存在だったレーニンのそばに安置されるのは、とても名誉なことだったのです。棺(ひつぎ)は透明なガラス製で、誰でも見られるようになっていました。

体は冷凍保存された?防腐処理の実態を紹介

スターリンの遺体は「冷凍保存」されたと思っている人も多いですが、実際には冷凍保存ではなく、防腐処理が行われました。防腐処理とは、体が腐らないように特別な薬品で保存する方法です。

この方法はレーニンの遺体にも使われており、スターリンにも同じ技術が使われました。体の中の血液を抜き、ホルマリンなどの保存液を使って遺体の状態をできるだけ生きているときに近づけるのです。

これにより、何年も腐らずに姿を保つことができました。

なぜレーニン廟から移されたのか

ところが、スターリンの死から約8年後の1961年、スターリンの遺体はレーニン廟から移されてしまいます。どうしてそんなことが起こったのでしょうか?

実は、スターリンの死後、後をついだフルシチョフという指導者が「スターリンのやり方には問題があった」と大きな批判を始めました。この流れは「非スターリン化」と呼ばれ、スターリンの独裁政治を見直す動きのことです。

その一環として、レーニンと並べておくのはふさわしくないと判断され、スターリンの遺体はクレムリンの壁の裏にある共同墓地に移されました。ひっそりとした場所での再埋葬でした。

遺体は現在どこにある?埋葬か焼却か、その後の処理を解説

スターリンの遺体は1961年にレーニン廟から移されたあと、モスクワの赤の広場にあるクレムリンの壁の裏手に埋葬されました。この場所には、ほかのソ連の有名人や指導者たちも埋められています。

「焼却された」と言われることもありますが、実際には遺体は火葬されず、土葬(埋葬)されたと考えられています。墓にはスターリンの名前が刻まれた記念碑が立てられていて、今も訪れることができます。

遺体を巡る噂と事実|冷凍・永久保存の都市伝説は本当か

「スターリンの遺体は冷凍保存されている」「今でも秘密の場所にある」といった噂がインターネットなどで広がることがありますが、これらの話は都市伝説にすぎません

先ほどお話ししたように、スターリンの遺体は冷凍ではなく防腐処理され、のちに墓地へ移されました。現在はモスクワのクレムリンの壁の裏に埋められており、そこには記念碑も建てられています。

このような噂が生まれるのは、スターリンが非常に強い権力を持ち、秘密主義だったため、多くのミステリーが語られてきたからでしょう。ですが、歴史的な記録を元に見ていけば、事実がはっきりと見えてきます。

スターリンの遺体の現在の後に:国葬の全貌

スターリンの遺体がどう扱われたかを理解するためには、彼がどんな最期を迎えたのか、そしてその後の「国葬(こくそう)」がどう行われたかを知ることが大切です。ここでは、スターリンの死から国葬、国民の反応、そしてその後の政治の変化まで、くわしく見ていきましょう。

スターリンの死因は何だったのか?医師事件と脳卒中の真相

スターリンが亡くなったのは1953年3月5日、死因は「脳卒中(のうそっちゅう)」でした。脳の血管が破れて、意識を失い、そのまま回復しなかったのです。

しかし、その背景には「医師団陰謀事件」という怖い話もあります。スターリンは晩年、自分の命をねらう医者がいると疑って、多くの医者を逮捕してしまいました。そのせいで、本当に具合が悪くなった時に、適切な治療を受けられなかったとも言われています。これがスターリンの死を早めた原因だと考える歴史家もいます。

国葬で何が起こった?群衆事故とソ連全土の服喪

スターリンの死はソビエト連邦中に大きなショックを与えました。1953年3月9日、スターリンの国葬がモスクワで行われ、世界中から多くの要人が集まりました。

遺体は赤の広場に運ばれ、国民はスターリンに別れを告げるために長い列を作りました。しかし、あまりに人が多く集まりすぎたため、将棋倒しの事故が起きてしまい、たくさんの人が亡くなってしまいました。正式な発表では100人前後とされていますが、実際にはもっと多かったとも言われています。

遺体の公開安置|3日間の弔問と涙する国民たち

スターリンの遺体は国葬の前に3日間、労働組合会館に公開安置されました。これは、国民が直接スターリンの姿を見て、最後のお別れをするための時間でした。

当時の記録や映像には、涙を流しながらスターリンの棺の前を通り過ぎる人々の姿が映っています。「独裁者」としてのイメージもありますが、ソ連の多くの人にとっては、長い間国をまとめてくれたリーダーとして記憶されていたのです。

非スターリン化の始まり

スターリンの死後、ソ連では大きな変化が始まりました。その代表が「非スターリン化」です。これは、「スターリンがやってきたことの間違いを見直し、正していこう」という考え方でした。

新しい指導者となったフルシチョフは、スターリンの独裁政治を批判し、自由な意見を少しずつ認めるようになりました。逮捕されていた人が釈放されたり、言論の自由が少し戻ったりと、社会は少しずつ変わっていったのです。

現在の評価|プーチン政権下での再評価も?

現在のロシアでは、スターリンの評価はわかれています。一部の人は「戦争に勝ち、国を強くしたリーダー」としてスターリンをほめていますが、多くの人は「恐怖政治で国民を苦しめた独裁者」として批判しています。

プーチン政権になってからは、スターリンを少しだけ「復権(ふっけん)」させようとする動きも見られます。たとえば、スターリンの銅像が建て直されたり、彼の名前を使ったキャンペーンが行われたりすることがあります。

しかし、スターリンによって苦しんだ人たちの思いは今も消えていません。だからこそ、歴史を正しく学び、同じ過ちをくり返さないことが大切なのです。

総括:スターリンの遺体についてまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • スターリンは1953年に脳卒中で死亡。
  • 死後、遺体はモスクワの「レーニン廟」にレーニンと並んで安置された。
  • 遺体は冷凍ではなく、防腐処理が施された。
  • 1961年、フルシチョフの「非スターリン化」により、遺体はレーニン廟から移された。
  • 現在はモスクワのクレムリンの壁裏の墓地に埋葬されている。
  • 一部では「冷凍保存」や「秘密の場所にある」という都市伝説があるが、事実ではない。
  • スターリンの国葬は1953年3月9日に行われ、多くの国民が参列した。
  • 弔問の列では将棋倒しの事故が発生し、多数の死傷者が出た。
  • 死後、スターリンの独裁を批判する「非スターリン化」が始まった。
  • 現代ロシアではスターリンの評価は分かれており、一部では再評価の動きもある。