明治時代に「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」という言葉が使われていたことを知っていますか?
これは、日本が近代国家になるために明治政府が行った「産業を発展させる政策」のことです。
「昔の話だから難しそう…」と思うかもしれませんが、そんなことはありません!殖産興業がなかったら、今の便利な暮らしはなかったかもしれません。鉄道ができたのも、工場でたくさんのモノを作れるようになったのも、殖産興業のおかげです。
今回は、殖産興業がどんな目的で行われ、どんな影響を与えたのかをわかりやすく解説します。
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殖産興業とは何かわかりやすく解説!目的や背景
殖産興業は、明治時代に日本が近代化を進めるために行った重要な政策です。この政策の目的や背景を理解することで、日本の発展の軌跡を知ることができます。それでは、殖産興業がどんなものだったのか、詳しく見ていきましょう。
殖産興業とは?簡単に言うと産業を育てる政策
殖産興業とは、明治時代に行われた「産業を育てて日本を豊かにする政策」のことです。「殖」は「ふやす」、「産」は「生産」、「興業」は「仕事をおこす」という意味があります。つまり「たくさんの仕事を生み出して、日本の経済を発展させよう!」という目的の政策だったのです。
なぜそんな政策が必要だったのでしょうか?
それは、当時の日本が欧米の国々と比べてとても遅れていたからです。もし日本がこのまま発展しなかったら、欧米に支配されてしまうかもしれません。そこで、日本は西洋の技術を学び、工場を作り、鉄道を整備し、強い国を目指しました。
この政策は「富国強兵(ふこくきょうへい)」という言葉とセットで進められました。富国強兵とは「国を豊かにし、軍隊を強くする」という意味で、日本の発展には欠かせない考え方でした。
殖産興業の目的とは?富国強兵とセットの政策
殖産興業の目的は大きく分けて3つあります。
- 経済を発展させること:産業を発展させることで、日本をお金持ちの国にする。
- 技術を発展させること:欧米から技術を学び、日本独自の工業を育てる。
- 軍事力を強くすること:お金と技術を使って軍隊を強くし、日本を守る。
この3つがそろうことで、日本は欧米列強と肩を並べる強い国になれると考えられていました。実際に、明治政府は鉄道や電信を整備し、富岡製糸場(とみおかせいしじょう)などの工場を建設しました。これによって、日本は急速に近代化していったのです。
なぜ殖産興業が必要だった?江戸時代との比較
江戸時代は、約260年間も続いた平和な時代でした。その間、日本は鎖国(さこく)をして、外国との交流をほとんど行わなかったのです。そうなると、日本の技術や経済はあまり発展しませんでした。
しかし、幕末になると、ペリーの黒船来航をきっかけに日本は開国し、欧米の進んだ技術を目の当たりにします。鉄道や蒸気船、工場で大量にモノを作る技術など、日本にはないものばかりでした。このままでは、日本は他のアジア諸国のように植民地にされてしまうかもしれません。
そこで明治政府は、西洋の技術を積極的に取り入れ、日本の産業を一気に近代化させようと考えました。それが「殖産興業」です。つまり、江戸時代に足りなかった産業や技術を補い、日本を強い国にするための政策だったのです。
殖産興業を推進した人物とは?大久保利通や渋沢栄一の役割
殖産興業を進めた中心人物は、大久保利通(おおくぼとしみち)です。彼は明治政府のリーダーの一人で、内務省(ないむしょう)という役所を作り、日本の産業を育てることに力を入れました。
もう一人の重要人物が、渋沢栄一(しぶさわえいいち)です。彼は「日本の資本主義の父」と呼ばれ、日本の銀行や会社を次々と作りました。今も続いている「みずほ銀行」や「東京証券取引所」など、たくさんの企業を生み出したのです。
この二人がいなかったら、日本の産業はここまで発展しなかったかもしれません。彼らの働きによって、日本は経済的に豊かになり、世界に通用する国へと成長していきました。
殖産興業はどんな影響をもたらした?経済発展の第一歩
殖産興業がもたらした最大の影響は、日本の経済が大きく発展したことです。特に次のような分野が急速に成長しました。
- 工業の発展:官営工場が作られ、生産が効率化された。
- 交通の整備:鉄道や港が整備され、物資の輸送がスムーズになった。
- 通信の発展:電信や郵便が普及し、情報のやりとりが早くなった。
- 教育の充実:技術者を育てるための学校が作られた。
これらの発展によって、日本は西洋諸国に負けない近代国家へと成長していきました。しかし、その一方で農村と都市の経済格差が広がるなどの問題もありました。殖産興業にはメリットだけでなく、デメリットもあったのです。
殖産興業の内容を分かりやすく!メリット・デメリット
殖産興業には、さまざまな内容やそのメリット・デメリットが存在しました。
経済の発展を目指した政策は日本に大きな変化をもたらしましたが、その影響は一部の人々には良い結果を、また一部には悪い結果をもたらしました。それぞれの側面を深堀りしていきます。
殖産興業の具体的な政策とは?官営工場や鉄道整備
殖産興業では、日本の産業を発展させるために、さまざまな政策が実施されました。特に重要なのが「官営工場の設立」と「鉄道や通信の整備」です。
まず、官営工場とは政府が作った工場のことです。代表的なのが富岡製糸場(とみおかせいしじょう)です。これは、当時の日本の主力輸出品であった生糸(きいと)を大量生産するために作られました。この工場では西洋の最新技術が導入され、フランスから技術者を招いて指導を受けながら、日本の技術者や労働者が学びました。

また、鉄道の整備も進められました。日本初の鉄道は 1872年(明治5年)に開通した新橋~横浜間 です。これにより、人や物の移動が格段に速くなり、商業や工業が発展する大きなきっかけとなりました。
さらに、電信や郵便制度も整備され、全国どこでも素早く情報をやり取りできるようになりました。これにより、ビジネスの拡大や効率的な生産が可能になり、日本の経済発展が加速しました。
殖産興業のメリット① 日本の経済成長を大きく促進
殖産興業の最大のメリットは、日本の経済成長を一気に加速させたことです。明治維新直後の日本は、産業が発展しておらず、農業が中心の国でした。しかし、殖産興業の政策により、工業や商業が急成長しました。
特に、生糸や綿糸などの繊維産業が発展し、日本は世界トップレベルの生糸輸出国になりました。また、造船業や製鉄業も成長し、重工業の発展につながりました。
さらに、殖産興業によって銀行や株式会社の仕組みが整備され、資本主義経済が発展しました。これは、現代の日本経済の基盤となる大きなポイントです。
殖産興業のメリット② 交通・通信の発達で生活が便利に
殖産興業によって鉄道や電信、郵便が整備され、人々の生活は大きく変わりました。
例えば、それまで馬や徒歩で何日もかかっていた移動が、鉄道によって数時間で済むようになりました。これにより、商人たちは遠くの町でも商売がしやすくなり、日本全国で市場が拡大しました。
また、電信が整備されることで、遠く離れた地域との情報のやり取りが一瞬でできるようになりました。それまでの手紙や飛脚に比べ、圧倒的なスピードで情報を送ることができるようになったのです。
これらのインフラ整備は、単に経済発展だけでなく、人々の暮らしを便利にするという大きなメリットももたらしました。
殖産興業のデメリット① 貧富の差が拡大
殖産興業によって日本の経済は大きく発展しましたが、その裏では貧富の差が広がるという問題も生じました。
特に、都市部では工場や鉄道の建設により多くの仕事が生まれましたが、農村では仕事が減り、生活が厳しくなった人もいました。また、工場で働く人々の労働環境は過酷で、長時間労働や低賃金が問題になりました。
例えば、富岡製糸場では多くの女性が働いていましたが、当時の工場労働は非常に厳しく、低賃金で長時間労働を強いられるケースも多かったのです。これにより、労働者の間で不満が高まり、後に労働運動が活発になるきっかけともなりました。
殖産興業のデメリット② 政府の財政負担が大きかった
殖産興業は多くの産業を発展させましたが、そのために政府は莫大な費用をかけました。特に、外国人技術者(お雇い外国人)を招くには、高い給料を支払う必要がありました。
例えば、鉄道建設や工場の建設には外国から最新技術を導入しなければならず、そのための資金が大きな負担になりました。その結果、政府は財政難に陥り、最終的には多くの官営工場を民間に売却することになったのです。
このように、殖産興業は成功した面もありますが、その裏には財政的な問題もあったのです。
総括:殖産興業をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 殖産興業とは?
- 明治時代に日本の産業を発展させるために行われた政策。
- 「殖」は「増やす」、「産」は「生産」、「興業」は「仕事を起こす」という意味。
- 欧米諸国に追いつくために、産業・技術・軍事力を強化する目的があった。
- 「富国強兵」とセットで進められ、日本を豊かで強い国にするための政策。
2. 殖産興業が必要だった背景
- 江戸時代は鎖国政策で技術や産業の発展が遅れていた。
- 開国後、欧米の技術や経済力と大きな差があることに気づいた。
- 他のアジア諸国が植民地化される中、日本も侵略される危機があった。
- そこで、西洋の技術を取り入れ、国内の産業を急速に近代化する必要があった。
3. 殖産興業の目的
- 経済の発展:産業を強化し、日本をお金持ちの国にする。
- 技術の発展:欧米から技術を学び、日本独自の工業を育てる。
- 軍事力の強化:経済と技術を利用し、軍隊を強くする。
4. 殖産興業を推進した主要人物
- 大久保利通:内務省を設立し、日本の産業を発展させたリーダー。
- 渋沢栄一:銀行や企業を次々と設立し、日本の資本主義を発展させた。
5. 殖産興業の具体的な政策
- 官営工場の設立:政府が主導して工場を作り、生産を増やす(例:富岡製糸場)。
- 鉄道の整備:1872年、新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通。
- 通信の発展:電信・郵便制度が整備され、全国の情報伝達がスムーズに。
- 外国人技術者の招聘:「お雇い外国人」を高給で雇い、最新技術を導入。
6. 殖産興業のメリット
✅ 経済成長を加速:生糸や綿糸の輸出で、日本は経済的に成長。
✅ 交通・通信の発展:鉄道・電信が整備され、移動や情報伝達がスムーズに。
✅ 産業基盤の確立:銀行・株式会社の制度が整い、日本の資本主義が発展。
7. 殖産興業のデメリット
❌ 貧富の差の拡大:都市は発展したが、農村の経済は苦しくなった。
❌ 労働環境の悪化:工場労働者(特に女性)は低賃金・長時間労働を強いられた。
❌ 財政負担の増加:政府が産業を支えるために大金を使い、財政難に陥った。