「聖徳太子」といえば、日本の歴史で最も有名な人物のひとりですね。
昔の1万円札にもなっていたし、「和をもって貴しとなす」などの名言も有名です。でも、最近の教科書では「聖徳太子」という名前が消えて、「厩戸王(うまやどのおう)」と書かれることが増えてきました。
なぜこんなことが起こったのでしょうか?
この記事では、「聖徳太子」という名前が変わった理由や教科書での扱われ方の変化について、塾長が分かりやすく解説していきます!
※聖徳太子のことが無料で読めるおすすめ電子書籍は以下の通りです。AmazonのKindle Unlimitedは3ヶ月無料なので、実質タダで読めます。
聖徳太子の名前が変わった理由:教科書から消えた背景
「聖徳太子」という名前が教科書から消え、「厩戸王(うまやどのおう)」と表記されるようになった理由を知っていますか?歴史の研究が進むにつれて、彼の名前の扱いが変わってきたのです。
ここでは、その背景や学術的な理由について詳しく解説します。
聖徳太子の名前が「厩戸王」に変わった理由は
まず最初に、「聖徳太子」という名前は、生まれたときからの本名ではありません。本来の名前は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」や「厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)」でした。「聖徳太子」というのは、後の時代に彼の功績を称えるために付けられた名前なのです。
歴史の研究が進むにつれ、「聖徳太子」という名前が後世に作られたものであることが明らかになりました。実際に、奈良時代に作られた『日本書紀』には「聖徳太子」という名前は登場しません。
そのため、最近の教科書では、より歴史的に正確な「厩戸王(厩戸皇子)」という表記を使うようになったのです。
教科書で「厩戸王」表記が増えた理由
「聖徳太子」という名前が教科書から消えた背景には、歴史学者の研究結果が影響しています。特に1990年代以降、「聖徳太子は架空の人物ではないか?」という説が話題になりました。
例えば、日本書紀には「聖徳太子が十人の話を同時に聞き分けた」という話があります。しかし、これは現実的に考えると不可能ですよね?こうした超人的な伝説が多いことから、「実際の聖徳太子とは違う、後の時代に作られた理想的な人物像なのでは?」と疑問が持たれるようになりました。
そのため、教科書では「聖徳太子」という名前をそのまま使うのではなく、「厩戸王(聖徳太子)」という形で併記するようになり、学術的な視点を取り入れるようになったのです。
「聖徳太子がいなかった」説は本当?
「聖徳太子はいなかった!」という説が出てきたのは1990年代後半です。この説を唱えたのは、大山誠一(おおやませいいち)という歴史学者でした。
大山氏は、「厩戸皇子は実在したけれど、今私たちが知っている『聖徳太子』は後の時代に作られた理想の人物像であり、架空のものではないか?」と主張しました。例えば、「十七条憲法」や「冠位十二階」が本当に彼の手によるものなのか、という点が疑問視されました。
しかし、すべてが架空だったわけではありません。「厩戸皇子」が推古天皇の摂政として活躍したことや、仏教の普及に貢献したことは、歴史的に確認されています。
つまり、「聖徳太子伝説」は後世に脚色された部分があるものの、「厩戸皇子」という実在の人物がモデルになっているのです。
過去の教科書ではなぜ「聖徳太子」だったのか?
では、なぜ昔の教科書では「聖徳太子」という名前が使われ続けていたのでしょうか?これは、明治時代から戦後にかけての教育方針と関係があります。
明治時代、日本は西洋に追いつくために、国民の教育を強化しました。その際、国の歴史を誇れるものにするために、「聖徳太子は日本の偉大な指導者である」というイメージが作られたのです。
特に戦前は、天皇を中心とした国家を強調するために、「聖徳太子」が理想的なリーダーとして描かれました。
戦後も「聖徳太子」の名前は広く使われ続けましたが、1980年代以降、より実証的な歴史研究が進み、「本来の名前である『厩戸皇子』を使うべきでは?」という議論が起こるようになりました。そして、1990年代から教科書の表記が少しずつ変わり、現在では「厩戸王(聖徳太子)」という形が主流になっています。
「厩戸王(聖徳太子)」は今後どう表記されるか
今後、「聖徳太子」という名前は完全に教科書から消えてしまうのでしょうか?答えは「NO」です。
確かに、歴史的な正確さを重視するため、「厩戸王」という名前がメインで使われるようになりました。しかし、「聖徳太子」という名前は、日本の文化や信仰の中で深く根付いているため、完全に消えることはないと考えられます。
例えば、仏教界では「聖徳太子信仰」が今も続いており、四天王寺や法隆寺では「聖徳太子」という名前が使われています。また、日本の歴史教育でも、「聖徳太子」は重要な人物として学ぶ機会が多いため、教科書でも「厩戸王(聖徳太子)」という形でしばらく併記され続けるでしょう。
聖徳太子の名前変わった理由の後に:変更による影響
名前が変わったことで、学校教育や受験にどのような影響があるのでしょうか?また、今後の教科書ではどのように表記されるのでしょうか?
ここでは、学習者にとって重要なポイントや、名前変更がもたらす影響について詳しく解説します。
学校教育ではどう教えられるようになったのか
最近の歴史の授業では、「聖徳太子」という名前ではなく、「厩戸王(厩戸皇子)」と呼ぶようになってきました。これは、より歴史的に正確な呼び方を重視した結果です。
しかし、多くの先生や生徒にとって「聖徳太子」の方がなじみがあるため、完全にこの呼び方が消えるわけではありません。実際、現在の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」という形で併記されており、まだ完全に切り替わったわけではないのです。
学校の授業では、「なぜ聖徳太子と呼ばれていたのか?」という背景も教えられることが増えました。これは、歴史に対するより深い理解を促すためです。生徒たちは、ただ年号や名前を覚えるのではなく、歴史の変化や解釈の違いについても学ぶようになりました。
入試では「聖徳太子」と「厩戸王」のどちらを覚えればいい?
「結局、テストではどっちを書けばいいの?」と疑問に思う人もいるでしょう。結論としては、 どちらも覚えておくのがベスト です。
多くの学校では、「聖徳太子」という名前がまだ一般的に知られているため、入試でも「聖徳太子(厩戸王)」と両方の名前を併記することが推奨されています。ただし、今後の教科書改訂によって、「厩戸王」の表記がより一般的になる可能性があるため、注意が必要です。
また、記述式の問題では「厩戸王」と書くのが無難ですが、選択問題では「聖徳太子」と書かれていることが多いため、どちらの名前も使えるようにしておくと安心です。
なぜ「厩戸王」ではなく「厩戸皇子」と書かれないのか?
「厩戸皇子」と呼ぶほうが一般的だったのでは?と思うかもしれません。しかし、現在の教科書では「厩戸王」と書かれることが多いのです。その理由は、歴史学者の間で「当時の天皇家の子は“王”と呼ばれていた」と考えられているからです。
例えば、天皇家の子供たちは律令制度ができる前までは「皇子(みこ)」ではなく「王(おう)」と呼ばれていました。そのため、「厩戸皇子」よりも「厩戸王」のほうが正確な表記とされたのです。
ただし、これはあくまでも学術的な表記なので、日常会話では「厩戸皇子」と言っても間違いではありません。
聖徳太子はなぜ今でも有名なのか
名前が変わっても、聖徳太子の功績が消えたわけではありません。むしろ、彼の影響は現代でも大きく、日本の文化や思想に根付いています。
例えば、
- 「和をもって貴しとなす」 という言葉は、日本の協調性を大切にする価値観のルーツとされています。
- 法隆寺や四天王寺 など、彼が建てたとされる寺院は今でも日本の観光名所になっています。
- 仏教の普及 に貢献し、日本の宗教文化の発展に大きな影響を与えました。
つまり、名前が「厩戸王」に変わっても、彼の功績や存在そのものが消えることはないのです。
総括:聖徳太子の名前変わった理由まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 「聖徳太子」は本名ではない
- 本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」または「厩戸豊聡耳皇子」
- 「聖徳太子」は後世につけられた尊称
- 教科書で「聖徳太子」から「厩戸王」に変更された理由
- 1990年代以降の歴史研究で、聖徳太子像が後世に作られた可能性が指摘された
- 『日本書紀』にも「聖徳太子」の名前は登場しない
- 実在したのは「厩戸皇子」であり、より正確な表記として「厩戸王」が採用された
- 「聖徳太子がいなかった」説の影響
- 大山誠一氏が「聖徳太子は後の時代に作られた架空の人物では?」と主張
- しかし、「厩戸皇子」は実在し、推古天皇の摂政を務めたことは歴史的に確認されている
- 戦前・戦後の教科書で「聖徳太子」と表記され続けた理由
- 明治時代以降、国民教育の一環として「聖徳太子」が理想のリーダー像として定着
- 戦前は天皇中心の国家観を強調するために重要視された
- 1980年代以降、学問的に正しい表記を求める動きが活発化
- 「厩戸王(聖徳太子)」表記の今後
- 「聖徳太子」は文化や信仰に根付いているため、完全には消えない
- 仏教界では引き続き「聖徳太子」が使用される
- 教科書では「厩戸王(聖徳太子)」の併記がしばらく続く見込み
- 学校教育や受験への影響
- 授業では「厩戸王」が主流になりつつあるが、「聖徳太子」も説明される
- 入試では「聖徳太子(厩戸王)」の併記が推奨されており、両方の名前を覚える必要がある
- 「厩戸王」と「厩戸皇子」の違い
- 「厩戸皇子」より「厩戸王」が正しいとされるのは、当時の皇族の呼称が「王」だったため
- 名前が変わっても聖徳太子の功績は変わらない
- 「和をもって貴しとなす」は日本の価値観に影響を与えた
- 法隆寺や四天王寺など、文化遺産として今も重要な存在
- 仏教普及の功績が日本の宗教文化に大きな影響を与えた
※聖徳太子のことが無料で読めるおすすめ電子書籍は以下の通りです。AmazonのKindle Unlimitedは3ヶ月無料なので、実質タダで読めます。