今回は「昭和恐慌(しょうわきょうこう)」について、子どもでもわかるようにやさしく解説していきます。昭和恐慌は、昔の日本を大きな不景気がおそった出来事のことです。
でも、「不景気ってなに?」「どうして起きたの?」と疑問に思う人も多いはず。
この記事では、昭和恐慌がなぜ起きたのか、何が原因だったのかを順番に説明していきます。さらに、人々の生活にどんな影響があったのかまで、しっかり見ていきますよ!
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昭和恐慌をわかりやすく解説!原因・背景
昭和恐慌は日本を襲った深刻な経済危機です。ここでは、いつ起きたのか、何が原因だったのか、背景と一緒にわかりやすく解説します。
時期や概要
昭和恐慌とは、1930年から1932年ごろにかけて、日本をおそった大きな不景気(景気が悪くなること)のことです。このころ、多くの会社がつぶれたり、人々の仕事がなくなったりして、とても苦しい時代になりました。
「恐慌(きょうこう)」というのは、国全体でお金の動きがストップし、経済が大混乱することを言います。昭和恐慌は、アメリカで起きた「世界恐慌」の影響と、日本がとった政策の失敗が重なって、日本でも大きな混乱が起きたのです。
他にも「戦後恐慌」や「金融恐慌」という言葉がありますが、昭和恐慌はその中でもとくに影響が大きかった恐慌なんです。
原因は何?世界恐慌との関係
昭和恐慌の原因は、大きく2つあります。
ひとつ目は、1929年にアメリカで起きた「世界恐慌(せかいきょうこう)」です。これは、株(かぶ)の値段が急に下がって、会社がたくさん倒産し、世界中に不景気の波が広がった出来事でした。
ふたつ目は、日本が1930年に「金本位制(きんほんいせい)」を再開し、「金輸出解禁(きんゆしゅつかいきん)」という政策をとったことです。これによって、日本ではお金の量が減り、物の値段がどんどん下がる「デフレ」が進んでしまいました。
世界からの不景気の波と、日本国内の政策ミスが合わさって、昭和恐慌という大きな不景気が起きてしまったのです。
昭和恐慌前の流れ:戦後恐慌や震災恐慌との関係
実は、昭和恐慌の前にも日本ではいくつかの恐慌がありました。
まずは「戦後恐慌(せんごきょうこう)」。これは1920年ごろ、第一次世界大戦が終わって、日本の輸出が減ったことで起きた不景気です。次に「震災恐慌(しんさいきょうこう)」。これは1923年の関東大震災のあと、多くの銀行が困ってしまい、経済が混乱したときに起きました。
さらに「金融恐慌(きんゆうきょうこう)」。これは1927年、大蔵大臣の「ある銀行がつぶれた」という発言がきっかけで、みんなが銀行にお金をおろしに行ってしまい、たくさんの銀行がパニックになった出来事です。
これらの恐慌を乗りこえられなかったことが、昭和恐慌というもっと大きな恐慌につながっていったのです。
金本位制と金輸出解禁とは?昭和恐慌を加速させた政策
昭和恐慌を悪化させた原因のひとつが「金本位制」と「金輸出解禁(きんゆしゅつかいきん)」です。
金本位制とは、「お金の価値を金(きん)にあわせる制度」のことです。つまり、お金は金と交換できると約束することで、みんながお金を信用して使うようになります。
ところが、日本はこの制度を再び始めるときに、昔の金の価値(旧平価)で金を交換すると決めてしまいました。これによって、日本のお金はとても高くなり、輸出が全然うまくいかなくなってしまったのです。
さらに、金を守るために、日本政府はお金の量を減らす「デフレ政策」をとりました。これが物の値段を下げてしまい、会社の利益がなくなり、仕事が減って、人々の生活が苦しくなってしまったのです。
井上準之助の政策とその影響:経済の混乱
昭和恐慌のとき、大蔵大臣だった井上準之助(いのうえじゅんのすけ)は、経済を立てなおすために「金輸出解禁」や「財政引き締め」を行いました。井上のねらいは、ムダな会社をへらして、強い企業をのこす「構造改革(こうぞうかいかく)」でした。しかし、この改革はとても厳しく、人々の生活には大きな負担となりました。
会社がつぶれて仕事がなくなり、農家の人たちも売るものが安くしか売れず、生活がどんどん苦しくなっていきました。特に東北地方では、食べ物が足りず、「欠食児童(けっしょくじどう)」と呼ばれる、朝ごはんも食べられない子どもたちが増えたのです。
井上の政策は「正しいけれども厳しすぎた」とも言われており、その後の不満が高まる原因にもなりました。
昭和恐慌を分かりやすく:人々の生活に与えた影響
ここからは、昭和恐慌が人々の生活にどんな影響を与えたのかを見ていきましょう。
「不景気」と言っても、それがどう人々の暮らしに関係していたのか、実際の例をまじえて解説します。恐慌の時代には、たくさんの人が苦しみ、社会のあり方までもが大きく変わったのです。
昭和恐慌が人々の暮らしに与えた影響
昭和恐慌が起こると、まず仕事がなくなる人がたくさん出てきました。会社が倒産したり、売上が落ちたりしたため、多くの労働者がリストラ(解雇)されたのです。
とくに大変だったのが農村の人たちです。農作物の値段が下がってしまい、まじめに作ってもお金にならず、生活が苦しくなっていきました。都会で働いていた人がリストラされて実家に戻る「出稼ぎの出戻り」も増え、農村の食料や住まいが足りなくなってしまいました。
食事も十分にとれない子どもたちは「欠食児童」と呼ばれ、貧しさの象徴となりました。中には生活費を得るために、娘を「身売り」するというつらい選択をした家族もいたのです。
農業恐慌とは?米価の下落と農家の苦しみ
昭和恐慌の中でも、特に農業が大打撃を受けたことから、「農業恐慌(のうぎょうきょうこう)」という名前がつくほどでした。
米や生糸といった農村の主力商品が、世界恐慌の影響でまったく売れなくなり、価格が急落しました。たとえば、生糸の価格は半分以下に落ち、農家の収入は激減。特に東北地方や信州では、大凶作も重なって「食べるものがない」という悲惨な状況が広がっていきました。
さらに、当時の日本はまだ社会保障制度が整っておらず、生活保護のような制度もありませんでした。そのため、農家は自分たちでなんとかするしかなかったのです。農村の困窮は、都市部にも影響を与え、社会全体が重苦しい空気に包まれていました。
小作争議や血盟団事件とは?社会不安と政財界への不満
不景気が続くと、社会には不満がたまり、さまざまな問題が起こります。そのひとつが「小作争議(こさくそうぎ)」です。これは、地主と農民の間で「地代を下げてほしい」「畑を貸してほしい」などのトラブルが激しくなったものです。
争議は全国で1万件以上も起こり、農民たちは団結して行動しました。これは昭和恐慌によって生まれた、社会のひずみのひとつです。
また、政治や経済のリーダーに対する不満も高まりました。その象徴が「血盟団事件(けつめいだんじけん)」です。これは、1932年に過激な青年たちが、財界人や政治家を暗殺した事件です。
井上準之助大蔵大臣や三井財閥の団琢磨が暗殺され、世の中は「恐慌の怒りが爆発した」と大きな衝撃を受けました。
昭和恐慌からの脱出策:高橋是清の金融緩和と景気回復政策
1931年に内閣が代わり、大蔵大臣となった高橋是清(たかはしこれきよ)は、これまでとはまったく逆の政策を取りました。
まず行ったのが「金輸出再禁止(きんゆしゅつさいきんし)」です。金本位制をやめて、お金を自由に使えるようにしたのです。これによって円の価値は下がりましたが、輸出品は売れやすくなり、企業の売上も回復していきました。
さらに、高橋は「赤字国債(あかじこくさい)」を発行して、たくさんのお金を使いました。これで農村では「時局匡救事業(じきょくきょうきゅうじぎょう)」と呼ばれる公共工事が行われ、人々に仕事が生まれました。
この政策のおかげで、日本は他国よりも早く恐慌から立ち直ることができたのです。
昭和恐慌の結果とその後の日本経済!重化学工業化と新興財閥の登場
高橋是清の政策により、日本経済は次第に回復していきました。それまで主に「生糸」や「繊維(せんい)」など軽工業が中心だった産業も、次第に「重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)」へと進化していきました。
造船・鉄鋼・化学・自動車といった分野が成長し、「日産」「日窒(にっちつ)」といった新しい財閥が生まれたのもこの時期です。これを「新興財閥」といいます。
ただし、この経済成長は「軍事支出」が大きな支えでした。政府は軍艦や兵器をたくさん作り、これが景気を支えたのです。そして、軍の力が強くなると、やがて日本は戦争へと向かっていくことになります。
つまり、昭和恐慌は、日本を救った反面、新しい時代の危うさも生んだ出来事だったのです。
総括:昭和恐慌をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 昭和恐慌とは?
1930~1932年に日本をおそった深刻な不景気。会社の倒産や失業が相次いだ。 - 原因①:世界恐慌の影響
1929年アメリカで起きた株の暴落から始まり、世界中に不景気が広がった。 - 原因②:金輸出解禁とデフレ政策
日本政府が金本位制を再開したことで、お金の量が減り、物価が下がりすぎた。 - 昭和恐慌前にも恐慌があった
戦後恐慌・震災恐慌・金融恐慌といった不景気が続いていた。 - 井上準之助の政策と失敗
経済の立て直しを図ったが、金輸出解禁でデフレが悪化。国民の生活が苦しくなった。 - 人々の生活への影響
失業者や貧困が増え、農村では「欠食児童」や「身売り」が社会問題に。 - 農業恐慌の深刻さ
米価や生糸の価格が暴落。特に東北地方では飢えに苦しむ農家が続出した。 - 社会不安の拡大
小作争議が多発し、血盟団事件など政治家や財界人への攻撃も起きた。 - 高橋是清による経済回復策
金輸出再禁止と公共事業の実施で景気が回復した。 - その後の日本経済の変化
軽工業から重化学工業へ転換。軍事支出の増加が戦争の道につながっていく。
