今日は「内村鑑三(うちむら かんぞう)」という人物について、やさしく分かりやすく解説していきます。

「内村鑑三って、何をした人?」「キリスト教ってことしか分からない…」そんな疑問を持っている人も多いかもしれません。

でも安心してください!この記事では、彼がどんな生き方をして、どんな考えを持っていたのかを、子どもにも分かるように説明します。

特に注目するのは、「無教会主義」「反戦主義」「教育活動」「講演と著作」など、現代にも通じる考え方ばかりです。

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内村鑑三は何をした人か簡単に解説!生涯と功績

内村鑑三は、日本の近代思想を築いた人物で、特にキリスト教に対する新しい考え方を広めました。その信念と功績は、今なお多くの人々に影響を与えています。

ここでは、内村鑑三がどんな人物だったのか、彼がどのようにして歴史に名を刻んだのかをわかりやすく紹介します。

無教会主義を広めたキリスト教指導者

まず、内村鑑三が一番有名なのは、「無教会(むきょうかい)主義」という新しい信仰の形を日本に広めたことです。

ふつうキリスト教といえば、「教会に通って、お祈りをする」というイメージがありますよね。でも内村鑑三は、「神さまを信じることに、教会や牧師(ぼくし)は必要ない」と考えました。これは、教会に通わなくても、自分で聖書を読み、信じる心を持てばいいという考え方です。

この「無教会主義」は、日本のキリスト教の中でもとても珍しいものです。でも、彼の生き方や考え方に共感した人がたくさんいて、今でもこの教えを守っている人たちがいます。

「神さまは建物の中じゃなくて、自然や心の中にいる」──そんな考えをもった内村鑑三は、まさに日本独自のキリスト教を作った人なのです。

教育勅語事件で信仰を貫き職を失った

内村鑑三の生き方が注目されたきっかけのひとつに、「教育勅語(きょういくちょくご)事件」があります。これは、明治時代の学校で起きたちょっとした事件ですが、日本中に大きな波紋を広げました。

当時の学校では、授業のはじめに「教育勅語」という天皇の言葉を読み上げ、最後に「頭を下げる(おじぎする)」のが習慣でした。でも内村鑑三は、「自分が信じる神さま以外に頭を下げるべきではない」と考え、おじぎをしなかったのです。

この行動が新聞に取り上げられ、「不敬(ふけい)だ!」と大きな問題になってしまいました。その結果、内村先生は学校をやめることになってしまいます。でも、彼は「自分の信じた道を曲げなかった人」として、多くの人に尊敬されるようになったのです。自分の信念を守るって、とても勇気がいることですよね。

日露戦争では絶対反戦主義を貫いた

つぎに注目すべきは、内村鑑三が「戦争反対!」の考えを強く持っていたことです。

明治時代、日本はロシアと戦争をすることになりました。これが「日露(にちろ)戦争」です。多くの新聞や国民が「戦うべきだ!」と盛り上がっていた中、内村先生は一人だけ、「戦争は絶対にいけないことだ!」と主張したのです。

彼は新聞に「戦争廃止論(はいしろん)」という記事を書き、「人を殺すのは大罪です」と訴えました。そして、あまりにも考えが違うため、新聞社も辞めることになります。

戦争中に「反対!」というのは、とても勇気がいることです。でも内村先生は、キリスト教の「敵を愛せ」という教えを守りぬきました。だから今でも「平和を愛した偉人」として、多くの人に語り継がれています。

『後世への最大遺物』などの講演や著作で人々を啓発

内村鑑三のすごいところは、言葉の力で人の心を動かせたところです。その代表が『後世への最大遺物(こうせいへのさいだいいぶつ)』という講演です。

この講演では、「人はお金や仕事を残すだけでなく、思想(考え)を残すことが一番大切だ」と語りました。たとえ大きなことができなくても、自分の考えを人に伝えることができれば、それが未来に大きな影響を与えるかもしれない、と教えてくれたのです。

この考えは、今でも多くの人に影響を与えています。たとえば、星野リゾートの社長や、アフガニスタンで活動した中村哲さんも、内村鑑三のこの言葉から力をもらったそうです。

塾長としても、「言葉の力ってすごいな」と感じさせられます。子どもたちにも、ぜひ読んでほしい講演ですね。

札幌農学校で学びアメリカ留学を経て視野を広げた

内村鑑三は、今でいう北海道大学の前身「札幌農学校」で学びました。ここでは、あの新渡戸稲造(にとべいなぞう)や宮部金吾(みやべきんご)といった、のちに有名になる人物たちと一緒に学びました。

在学中、彼はアメリカ人の先生からキリスト教を学び、洗礼(せんれい)を受けてクリスチャンになりました。その後、実際にアメリカに留学し、現地での生活や文化にも触れました。

アメリカでは差別を受けたり、大変な仕事も経験しましたが、それらが内村先生の考え方を深くするきっかけになったのです。特に、「自分の目で世界を見ること」の大切さを学びました。

その経験が、彼の「平和」や「無教会」の思想につながっていくんですね。内村先生が世界に目を向けていたからこそ、日本にも新しい考え方を持ち込めたのだと思います。

内村鑑三は何した人か簡単に:思想をわかりやすく解説

内村鑑三がただのキリスト教の指導者でなかったことは、前半でお話ししましたね。ここからは、内村先生の心の中にあった“考え方=思想”について、さらに深く見ていきましょう。

彼の思想はただの宗教ではありませんでした。「2つのJ」や「無教会主義」など、今の時代にも通じるヒントがたくさんつまっていますよ。

思想の柱は「2つのJ」=JesusとJapanへの愛

内村鑑三の思想の中で、いちばん有名なのが「2つのJ」という考え方です。この2つのJとは「Jesus(ジーザス=キリスト)」と「Japan(ジャパン=日本)」のことを指しています。

彼は、「私はキリストを信じ、同時に日本を愛する」と何度も語っていました。つまり、外国の宗教であるキリスト教を信じながら、日本人としての誇りも忘れなかったということです。

当時は「外国の宗教=日本の文化に合わない」と思われがちでしたが、内村先生は「日本人だからこそ、キリストの教えを自分のやり方で活かすべき」と考えていました。

この「2つのJ」は、彼がどれだけ深く信仰し、そして同じくらい祖国を大切にしていたかを表しています。まさに、日本と世界をつなぐ“架け橋”のような人物だったのです。

無教会主義は「教会なき信仰」を目指す新しいキリスト教

「無教会主義(むきょうかいしゅぎ)」は、内村鑑三がつくった独自のキリスト教スタイルです。

教会に行かず、牧師に頼らず、自分の心の中で神とつながる——これが無教会主義の考え方です。「神さまは自然の中にいる」「神と話すには、教会の建物はいらない」と内村先生は説きました。

実際に、彼の聖書研究会では教会のような儀式やお祈りはありませんでした。その代わり、聖書を読み合い、みんなで考え、神の教えを日々の生活に活かそうとしていたのです。

この考え方は、日本人の「形式より中身を大事にする」心にぴったり合って、多くの人に広まりました。今でも無教会主義を信じる人たちは、全国に存在していますよ。

戦争を否定し「愛と義」のキリスト教を訴える

内村鑑三の思想には、「戦争を絶対に許さない」という強い信念もありました。

キリスト教の教えでは、「敵を愛しなさい」「暴力ではなく愛で平和をつくりなさい」とあります。内村先生はこの教えを本当に大切にして、「どんなに国が戦争に向かっていても、自分は反対する」と言い続けました。

日露戦争のときも、彼は堂々と「戦争廃止論」を発表し、大きな批判を受けましたが、自分の考えを曲げませんでした。その背景には、「愛と義(ぎ)」の考えがあります。

「愛」はすべての人を大切にする気持ち、「義」は正しいことを貫く姿勢です。この2つが、内村先生のキリスト教の中心にありました。

進化論と聖書を融合させた独自の宇宙観を持っていました

内村鑑三は「科学」と「宗教」は敵ではなく、むしろ協力し合えるものだと考えていました。彼は若いころ、ダーウィンの進化論に強く影響を受けていて、キリスト教と進化論を結びつけようとしました。

「神さまがこの世界を愛でつくられ、進化という方法で命を育ててきた」と考えることで、聖書の教えと自然科学が矛盾しないように説明しました。つまり、進化もまた神の計画のひとつだという考え方です。

このように「宇宙のすべては愛によって動いている」と信じた内村先生は、キリストの教えを使って、世界の成り立ちを理解しようとしたのです。理科と宗教、両方の目で世界を見ようとする姿勢は、今の私たちにも大切なヒントになりますね。

思想を「教育」と「著作」によって後世へ伝える

内村鑑三は「自分がいなくなったあとも、思想は生き続けるべきだ」と考えていました。そのために力を入れたのが「教育」と「著作(ちょさく)」です。

教育では、多くの若者に自分の考えを語り、心を育てることに尽力しました。直接会えない人にも思想を伝えるために、本や雑誌を書き、多くの人に届けました。特に有名な講演録『後世への最大遺物』では、「お金も地位もなくても、思想を遺すことは誰でもできる」と熱く語っています。

総括:内村鑑三は何をした人か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

無教会主義を広めた人物
教会に通わず、神との直接的なつながりを重視する信仰スタイル「無教会主義」を提唱しました。

教育勅語事件で信仰を貫く
学校で教育勅語に頭を下げることを拒否し、信念を守って職を失いました。

日露戦争に反対した反戦主義者
戦争を否定し、キリスト教の教えに基づいて「戦争廃止論」を訴え続けました。

講演『後世への最大遺物』で思想の重要性を説く
人が残すべき最大の遺産は「思想」であると語り、多くの人々に影響を与えました。

札幌農学校で学び、アメリカ留学で視野を広げる
若い頃に留学し、世界を見ることで思想に深みを持たせました。

思想の柱は「2つのJ」
キリスト(Jesus)と日本(Japan)の両方を愛し、大切にする考えを持っていました。

科学と信仰を融合した宇宙観を持つ
進化論と聖書を矛盾しないように統合し、「宇宙は愛で成り立っている」と考えました。

教育と著作で後世に思想を伝えた
講演や執筆を通じて、自分の考えを多くの人に伝えました。

影響を受けた現代人も多い
星野リゾートの社長や中村哲医師など、彼の言葉に感動した人々がいます。

日本とキリスト教を結びつけた思想家
日本人としての誇りを持ちつつ、キリストの教えを日本流に実践した先駆者です。