今日は、日本が開国するきっかけとなった日米和親条約とその後に締結された日米修好通商条約の違いついて、詳しく解説していきます。テストに出やすいポイントもたくさんあるので、しっかり押さえていきましょう!
この2つの条約の違いを簡単に説明すると、「和親条約は仲良くする約束」「修好通商条約は貿易のルールを決めた条約」です。でも、もっと深く掘り下げると、開港した港の違いや、不平等条約と呼ばれる理由など、重要なポイントがたくさんあります。
今回は、それぞれの条約の内容や影響を分かりやすく説明しながら、テストに役立つ語呂合わせや比較表も用意しました!最後まで読んで、しっかり理解してくださいね。
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日米和親条約と日米修好通商条約の違いを徹底比較
日米和親条約と日米修好通商条約は、日本の開国において重要な役割を果たしましたが、その内容や目的は大きく異なります。それぞれの条約がどのような違いを持っていたのかを、しっかりと理解していきましょう。
日米和親条約と日米修好通商条約の違い比較表
まずは、2つの条約の違いをパッと見て分かるように比較表で整理します。これを見れば、テストの記述問題にも対応できるようになりますよ!
項目 | 日米和親条約 | 日米修好通商条約 |
---|---|---|
締結年 | 1854年 | 1858年 |
目的 | 日本とアメリカの「和親(仲良くする)」 | 貿易を開始するためのルールを決める |
開港した港 | 下田・函館 | 横浜(神奈川)・長崎・新潟・兵庫 |
条約の特徴 | ・貿易の話はなし ・燃料や食料の供給 ・難破船の乗組員の救助 ・アメリカに有利な「最恵国待遇」 | ・日本の関税自主権なし(自由に関税を決められない) ・アメリカ人の犯罪はアメリカの法律で裁かれる(領事裁判権) ・不平等条約 |
影響 | 日本が開国するきっかけ | 不平等な内容が多く、国内で反発が起こる |
この表を使えば、日米和親条約と日米修好通商条約の違いがバッチリ整理できますね!
日米和親条約とは?目的・背景・締結の流れを解説
日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、1854年にアメリカのペリー提督と江戸幕府が結んだ条約です。この条約によって、約200年間続いた鎖国が終わり、日本が開国する第一歩となりました。
この条約が結ばれた背景には、ペリーの黒船来航があります。1853年、ペリーが4隻の黒船を率いて浦賀にやってきました。幕府に対して「日本を開国しろ!」と強く求めたのです。幕府はすぐに返事をせず、「1年後にまた来てください」と伝えました。
そして1854年、再びペリーが日本にやってきます。今度は7隻の軍艦を引き連れ、「開国しないと戦争になるかもよ?」という強い圧力をかけました。幕府は戦争を避けるために、日米和親条約を締結することを決めました。
この条約のポイントは、まだ貿易の話は含まれていなかったことです。下田と函館の2つの港を開き、アメリカ船が食料や燃料を補給できるようにしただけでした。しかし、この条約にはアメリカに有利な「片務的最恵国待遇(へんむてきさいけいこくたいぐう)」が含まれていました。
最恵国待遇とは
最恵国待遇とは、ある国に特別な待遇を与えることを指します。この条約では、「もし日本が他の国に有利な条件を与えたら、アメリカにも自動的に同じ条件を与えなければならない」と決められていました。しかし、日本側には同じ権利がなかったため、不平等な内容となっていたのです。
日米修好通商条約とは?内容や日本にとっての影響
日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、1858年にアメリカ総領事のハリスと大老・井伊直弼が結んだ条約です。この条約によって、日本は本格的にアメリカとの貿易を始めることになりました。
この条約の大きなポイントは、次の3つです。
- 新たに4つの港を開港(横浜・長崎・新潟・兵庫)
- 日本の関税自主権がない(自由に関税を決められない)
- 領事裁判権を認める(日本で罪を犯したアメリカ人は、アメリカの法律で裁かれる)
特に「関税自主権の欠如」と「領事裁判権」の2つは、日本にとって非常に不利な内容でした。関税自主権がないことで、日本は外国からの安い商品が大量に流入し、国内の商人が苦しむことになります。また、領事裁判権があることで、日本の法律が外国人に適用されないという問題もありました。
この条約が結ばれた背景には、ペリーの和親条約締結後、アメリカがさらに有利な条約を求めたことがあります。1856年、ハリスが初代総領事として下田に来日し、日本に通商条約の締結を求めました。しかし、幕府は「天皇の許可が必要」として交渉を進めませんでした。
しかし、1858年になると、アメリカは再び圧力をかけてきました。幕府は、天皇の許可を得られないまま条約を締結することを決定しました。この決定に反対する人々も多く、後に「安政の大獄」や「桜田門外の変」へとつながっていきます。
このように、日米修好通商条約は、日本にとって不平等な内容を多く含んでいたのです。
開港した港の違い
日米和親条約と日米修好通商条約では、開港した港の数や場所が違います。この違いをしっかり覚えておきましょう!
日米和親条約で開港した港
1854年の日米和親条約では、下田(静岡県)と函館(北海道)の2つの港が開かれました。
- 下田港:伊豆半島にある港。アメリカの船が燃料や食料を補給するために開かれました。
- 函館港:北海道南部にある港。アメリカの捕鯨船が利用できるようにしました。
これらの港は、あくまでもアメリカ船の補給や漂流民の救助が目的であり、本格的な貿易は行われませんでした。
日米修好通商条約で開港した港
1858年の日米修好通商条約では、新たに4つの港が開かれ、貿易が本格化しました。
- 横浜(神奈川県)(当時は「神奈川港」として指定されたが、実際には横浜が開港)
- 長崎(長崎県)
- 新潟(新潟県)
- 兵庫(兵庫県)(実際には「神戸」が開港)
これらの港は、日本とアメリカが貿易を行うために開かれたため、日本国内に外国人居留地が設けられ、外国商人がビジネスを始めるきっかけになりました。
ポイント
- 和親条約 → 補給用の港を開港(下田・函館)
- 修好通商条約 → 貿易のための港を開港(横浜・長崎・新潟・兵庫)
地図を見ながら覚えると、テストでも思い出しやすいですよ!
なぜ日米修好通商条約は不平等条約なのか?
日米修好通商条約は、日本にとって不利な「不平等条約」と呼ばれています。
その理由は、大きく分けて次の2つです。
1. 関税自主権の欠如
通常、輸入品にかかる税金(関税)は、その国が自由に決めることができます。しかし、この条約では日本が自由に関税を決めることができず、アメリカとの協議で決めなければなりませんでした。そのため、日本は安い外国製品の流入を防ぐことができず、国内産業に大きな打撃を受けました。
2. 領事裁判権(治外法権)の承認
日本国内でアメリカ人が犯罪を犯した場合、日本の法律ではなく、アメリカの法律で裁かれることが決められました。これは「領事裁判権」と呼ばれるもので、日本の主権が弱められる要因となりました。
このように、日米修好通商条約はアメリカに有利な内容ばかりだったため、不平等条約と呼ばれています。
日米和親条約と日米修好通商条約の違い:テスト対策
日米和親条約が締結されるまでの背景や、その内容がどのように日本に影響を与えたのかを掘り下げます。この条約は、日本がどのように開国を進めていったのかの第一歩でした。
テストに出やすいポイントまとめ
この2つの条約について、テストに出やすいポイントをまとめてみました。
- 締結年をしっかり覚える!
- 日米和親条約 → 1854年
- 日米修好通商条約 → 1858年
- 開港した港を区別する!
- 和親条約 → 下田・函館(補給用)
- 修好通商条約 → 横浜・長崎・新潟・兵庫(貿易用)
- 不平等条約の内容を理解する!
- 関税自主権がない(関税を自由に決められない)
- 領事裁判権がある(アメリカ人はアメリカの法律で裁かれる)
この3点をしっかり押さえておけば、テストでもバッチリ得点できます!
語呂合わせで楽しく覚えよう
テスト勉強をするとき、語呂合わせを使うと簡単に覚えられます!
日米和親条約の語呂合わせ
「ペリーは親しげに、下のハコ」
- ペリーは親しげに(和親=仲良くする)
- 下のハコ(下田・函館を開港)
日米修好通商条約の語呂合わせ
「ハリしゅ好き!長くて新しいハコ、評 価!」
- ハリしゅ好き!(ハリスが修好通商条約を結ぶ)
- 長くて新しいハコ、評 価!(長崎・新潟・函館・兵庫・神奈川を開港)
この語呂合わせを何度も口に出して覚えると、スラスラ思い出せますよ!
なぜ幕府は条約を結ぶことになったのか?
江戸幕府はなぜ、開国しなければならなかったのでしょうか?理由は大きく3つあります。
- 欧米の圧力
- イギリスやアメリカが、日本に開国を迫ったため。
- 軍事力の差
- 欧米の蒸気船や武器が圧倒的に強く、戦っても勝てないと判断したため。
- 経済の必要性
- 日本の経済が厳しくなり、貿易をしないと成り立たなくなったため。
このような理由で、日本はしぶしぶ条約を結ぶことになったのです。
総括:日米和親条約と日米修好通商条約の違いまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
項目 | 日米和親条約 | 日米修好通商条約 |
---|---|---|
締結年 | 1854年 | 1858年 |
目的 | 日本とアメリカの「和親(仲良くする)」 | 貿易を開始するためのルールを決める |
開港した港 | 下田・函館 | 横浜(神奈川)・長崎・新潟・兵庫 |
条約の特徴 | ・貿易の話はなし ・燃料や食料の供給 ・難破船の乗組員の救助 ・アメリカに有利な「最恵国待遇」 | ・日本の関税自主権なし(自由に関税を決められない) ・アメリカ人の犯罪はアメリカの法律で裁かれる(領事裁判権) ・不平等条約 |
影響 | 日本が開国するきっかけ | 不平等な内容が多く、国内で反発が起こる |