みなさん、日本の歴史の中で「倭の五王(わのごおう)」という言葉を聞いたことがありますか?

歴史の授業やテストで出てくるけれど、「結局、何をした人たちなの?」「どうやって覚えればいいの?」と悩んでいる人も多いでしょう。

倭の五王は、日本の5世紀に活躍した王たちのことですが、日本書紀には登場せず、中国の歴史書『宋書(そうしょ)』にしか記録がありません。実は、「倭の五王=天皇ではない」と考える説もあるのです。

この記事では、倭の五王について「分かりやすく」解説します。

倭の五王とは?わかりやすく:歴史的背景や中国との関係

倭の五王とは、中国の歴史書『宋書』に記された5人の日本の王のことです。しかし、日本の歴史書である「日本書紀」には記録がなく、本当に天皇だったのかどうかは今も議論されています。

ここでは、倭の五王の基本的な情報を見ていきましょう。

倭の五王とは?中国の歴史書『宋書』に登場する5人の王

倭の五王は、中国の南朝の歴史書『宋書』倭国伝(わこくでん)に登場する王たちです。彼らは、日本から中国に使者を送り、朝貢(ちょうこう)をした記録が残されています。

名前は次の5人です。

  • 讃(さん)
  • 珍(ちん)
  • 済(せい)
  • 興(こう)
  • 武(ぶ)

これらの名前は、中国風の呼び方で、日本での本当の名前は分かっていません。ただし、最後の「武」だけは、日本の天皇である雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)にあたると言われることが多いです。

倭の五王は天皇ではない?

「倭の五王」と「天皇」は同じなのか?これについては歴史学者の間で議論があります。

日本書紀には倭の五王の記録がないため、「倭の五王=天皇」ではないと考える説があります。一方で、倭の五王の時代には、日本でヤマト政権が力を持っていたことが分かっています。そのため、「倭の五王=ヤマト政権の王」とする考え方もあります。

日本書紀では、雄略天皇の時代に中国と交流があったことが書かれているため、最後の「武」は雄略天皇と考えられています。しかし、それ以外の4人の王については、日本書紀の記述と完全に一致しないため、はっきりとした結論は出ていません。

倭の五王と中国・朝鮮半島との関係

倭の五王は、中国だけでなく、朝鮮半島とも深い関わりがありました。

倭の五王が中国に朝貢をした理由のひとつは、朝鮮半島での影響力を強めるためでした。中国から「倭国王(わこくおう)」として認めてもらうことで、朝鮮半島の国々(新羅や百済)に対して優位に立とうと考えていたのです。

特に「武」の時代(5世紀後半)には、日本は朝鮮半島南部の任那(みまな)を支配していたとされ、倭国と朝鮮の間で戦いがあったことも分かっています。

倭の五王はどんな称号を得たか:「安東大将軍」とは

倭の五王は、中国に使者を送り、皇帝から「称号(しょうごう)」をもらいました。称号とは、「役職」のようなもので、中国の皇帝が「お前はこの地を治めることを認める」と言って与えるものです。

倭の五王がもらった称号の例として、次のようなものがあります。

  • 安東将軍倭国王(あんとうしょうぐん わこくおう)
  • 鎮東大将軍(ちんとう たいしょうぐん)

これらの称号を得ることで、日本の王は「中国の皇帝に認められた王」であることをアピールできました。これは、朝鮮半島の国々との戦いで有利になるための戦略でもあったのです。

倭の五王の時代はどんな時代だったか

倭の五王が活躍したのは、古墳時代の5世紀です。この時代は、日本で大きな古墳が作られ、ヤマト政権が日本を統一していく過程にありました。

有名な古墳として、大阪府にある大仙古墳(仁徳天皇陵)があります。これは世界最大級の古墳で、当時の王の力の大きさを示しています。

また、この時代は鉄の武器農業技術も発展し、日本の国づくりが進んでいた時代でもあります。倭の五王が朝鮮半島や中国と関係を持ったのも、こうした成長の一環だったのです。

倭の五王とは何か分かりやすく:覚え方やポイント

倭の五王はテストにもよく出題される重要な歴史事項です。ここでは、簡単に覚えられる語呂合わせテストで狙われるポイントを紹介します!しっかり押さえて、歴史のテストで得点アップを狙いましょう!

倭の五王を一瞬で覚える!語呂合わせを紹介

倭の五王(讃・珍・済・興・武)を覚えるには、語呂合わせを使うのが一番です!以下の語呂を何回か口に出してみてください。

🔹 「さっちゃん ちんと せいこう ぶつぶつ」
(讃・珍・済・興・武)

🔹 「さちゃん せいこう ぶーん」
(讃・珍・済・興・武)

どちらの語呂もリズムが良いので、繰り返し言うことで簡単に覚えられます!自分に合ったものを選んで使ってみましょう!

倭の五王の時代の流れ:年表で覚える方法

語呂合わせとあわせて、倭の五王が登場する年代の流れをしっかり押さえておくと、歴史の理解が深まります!

西暦倭の五王できごと
421年讃(さん)宋の武帝に朝貢(使者を送る)
438年珍(ちん)讃が亡くなり、珍が王となる
451年済(せい)「安東将軍倭国王」の称号を得る
462年興(こう)父の済が亡くなり、興が王となる
478年武(ぶ)「安東大将軍倭王」に昇進

このように、倭の五王は約60年間にわたって中国との交流を続けました。テストでは「倭の五王の順番」「何をしたのか」がよく問われるので、年表と一緒に覚えましょう!

テストでよく出るポイント!「倭の五王」とセットで覚えること

倭の五王に関連する重要ポイントをまとめました!テストでよく問われるので、しっかり覚えておきましょう。

倭の五王が登場する歴史書 → 『宋書』倭国伝
倭の五王が中国と交流した目的 → 朝鮮半島の支配権を確立するため
「武」が雄略天皇とされる理由 → 「ワカタケル大王」と刻まれた鉄剣・鉄刀が発見されたため
倭の五王が受けた称号 → 「安東将軍」「鎮東大将軍」など

特に 「武」=雄略天皇 という点は暗記必須です!

倭の五王と関係が深い遺跡

倭の五王と関係が深い遺跡として、次の2つの古墳がとても重要です。

📍稲荷山古墳(埼玉県)

  • 出土品:鉄剣
  • 特徴:「ワカタケル大王」と刻まれた文字がある
  • ポイント:「武」=雄略天皇の有力な証拠!

📍江田船山古墳(熊本県)

  • 出土品:鉄刀
  • 特徴:「大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)」と記載
  • ポイント:「武」=雄略天皇とする説の補強材料

テストでは「ワカタケル大王が記された遺跡は?」といった問題が出ることもあるので、稲荷山古墳=鉄剣、江田船山古墳=鉄刀というセットで覚えましょう!

倭の五王の問題が出るときの解き方

倭の五王についてのテスト問題は、次のような形式で出題されます。

問題1:「倭の五王」に関する次の説明のうち、正しいものを選びなさい。
① 倭の五王の名前は日本書紀に記されている
② 倭の五王は朝鮮半島の国々と戦った
③ 倭の五王が中国と交流した理由は朝鮮半島の支配権を得るため
④ 倭の五王は全員「天皇」である

正解:③
解説:倭の五王は、日本書紀には登場せず、中国の『宋書』倭国伝にしか記録がありません。また、彼らは朝鮮半島での影響力を強めるために中国との交流を行いました。

総括:倭の五王とは何か分かりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

倭の五王とは?

  • 中国の歴史書『宋書』倭国伝に登場する5人の日本の王(讃・珍・済・興・武)
  • 日本の歴史書『日本書紀』には記録がなく、天皇だったかどうかは不明

倭の五王は天皇ではない?

  • 日本書紀に記録がないため、「天皇ではない」とする説もある
  • ただし、最後の「武」は雄略天皇とされることが多い

倭の五王の目的と役割

  • 中国へ朝貢し、皇帝から「倭国王」として認められる
  • 朝鮮半島での影響力を強め、新羅や百済に対する優位性を確保

倭の五王が得た称号

  • 安東将軍倭国王(あんとうしょうぐん わこくおう)
  • 鎮東大将軍(ちんとう たいしょうぐん)
  • これらの称号により、倭国の王としての地位を中国に認めさせた

倭の五王と関係が深い古墳と遺跡

  • 稲荷山古墳(埼玉県) → 鉄剣に「ワカタケル大王」と刻まれている(武=雄略天皇の証拠)
  • 江田船山古墳(熊本県) → 鉄刀に「大泊瀬幼武」と記されている

倭の五王の覚え方(語呂合わせ)

  • 「さっちゃん ちんと せいこう ぶつぶつ」
  • 「さちゃん せいこう ぶーん」
  • 語呂を使って順番を暗記しよう!