今日は「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」について、分かりやすく解説します。
日本史のテストでは「飛鳥浄御原令」と「大宝律令」の違いを聞かれることが多いですが、しっかり理解できていますか?
「どこで制定されたの?」「なぜ作られたの?」「大宝律令とどう違うの?」といった疑問に答えながら、覚えやすい語呂合わせも紹介していきます。最後まで読めば、日本史のテスト対策もバッチリですよ!
飛鳥浄御原令とは何か簡単に:どこで制定?なぜ重要?

飛鳥浄御原令は、日本初の本格的な法典として、後の律令国家の基盤を築いた重要な法律です。
ここでは、この法典がどのように生まれたのか、どこで制定されたのか、そしてなぜそれが日本史において特別な意味を持つのかを解説します。
飛鳥浄御原令とは?日本初の本格的な法体系の始まり
飛鳥浄御原令とは、689年に持統天皇(じとうてんのう)によって施行された、日本最初の本格的な法典です。日本史の中で「律令制度」の始まりとしてとても重要な位置を占めています。
ここで注意したいのは、「飛鳥浄御原令」は「律」ではなく「令」のみだったことです。「律」は現在の刑法にあたり、「令」は行政や民法のようなものです。
つまり、飛鳥浄御原令は「政治のルール」を定めたものだったのです。これが後の大宝律令へとつながり、日本の律令国家の基盤となりました。
飛鳥浄御原令が制定された場所
飛鳥浄御原令は、現在の奈良県明日香村にあった「飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)」で制定されました。この宮は、天武天皇(てんむてんのう)が即位した場所でもあります。
当時の日本は、天智天皇(てんじてんのう)が亡くなった後、「壬申の乱(じんしんのらん)」という大きな戦いがありました。この戦いに勝ったのが天武天皇で、彼は飛鳥浄御原宮を拠点に新たな政治をスタートさせました。
そして、亡くなった後、持統天皇が飛鳥浄御原令を施行し、律令国家の基礎を作っていったのです。
飛鳥浄御原令が制定された理由
飛鳥浄御原令が作られた理由を一言でいうと、「天皇中心の強い国家を作るため」です。
それまでの日本は、大王(おおきみ)という立場のリーダーが、豪族たちと相談しながら国を治めていました。しかし、壬申の乱を経て、天武天皇は「天皇」という新しい称号を作り、絶対的な権力を持つようになりました。
そのために必要だったのが、全国を統一的に管理する法律です。飛鳥浄御原令を作ることで、天皇を中心とする政治のルールが明確になり、豪族たちの力を抑えて中央集権の体制を築くことができました。
飛鳥浄御原令の特徴とは?戸籍制度・地方行政・税制の整備
飛鳥浄御原令では、国をしっかり統治するための制度が定められました。
- 戸籍制度の導入
6年ごとに戸籍を作成し、全国の人々を正確に把握する仕組みを整えました。これにより、税を公平に徴収し、労働力を管理することが可能になりました。 - 地方行政の整備
国を50戸ごとに「里(さと)」という単位に区切り、地方統治の仕組みを作りました。これが後の律令制の「国・郡・里」につながります。 - 班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)
土地を公平に分配し、6年ごとの戸籍で土地の管理を行うシステムを確立しました。これは後の大宝律令でも採用されています。
このように、飛鳥浄御原令は後の律令制度の土台となる大切な法律だったのです。
飛鳥浄御原令の制定者は誰?天武天皇と持統天皇の役割
飛鳥浄御原令を作ったのは、天武天皇と持統天皇です。
- 天武天皇の役割
681年に律令を作るように命じました。しかし、完成する前に亡くなってしまいました。 - 持統天皇の役割
689年に天武天皇の意志を引き継ぎ、飛鳥浄御原令を施行しました。彼女の時代には戸籍制度や税制がしっかり運用されるようになりました。
天武天皇は制度の設計者、持統天皇はそれを実行した人、と考えると分かりやすいですね!
飛鳥浄御原令とは何か簡単に:大宝律令の違いなど

さて、ここからは「飛鳥浄御原令」と「大宝律令」の違いについて解説していきます。この二つの法令は、日本の律令国家成立においてとても重要な意味を持っています。
違いを理解することで、日本の法体系がどのように発展していったのかが分かりますよ!
飛鳥浄御原令と大宝律令の違いは?最大のポイントは「律」の有無
飛鳥浄御原令と大宝律令の最も大きな違いは、「律」があるかどうかです。
- 飛鳥浄御原令(689年) → 「令」のみ(行政法・民法)
- 大宝律令(701年) → 「律」と「令」の両方(刑法・行政法・民法)
飛鳥浄御原令では、政治や税制に関する決まり(令)だけが制定されました。
一方、大宝律令では「律」と呼ばれる刑法も整備され、日本の法律がより本格的なものになりました。大宝律令は、中国・唐の法制度を参考にして作られたため、日本の法体系が国際的なレベルに近づいたともいえます。
大宝律令の制定経緯とは?飛鳥浄御原令からの発展
飛鳥浄御原令が施行されてから12年後の701年、日本初の本格的な律令「大宝律令(たいほうりつりょう)」が完成しました。これは飛鳥浄御原令を土台にして、さらに整備・発展させたものです。
大宝律令の編纂を主導したのは、藤原不比等(ふじわらのふひと)です。彼は持統天皇の意志を引き継ぎ、刑部親王(おさかべしんのう)と共に新たな律令を作りました。
この大宝律令により、日本の統治システムは完全な律令制へと移行しました。
飛鳥浄御原令と大宝律令・戸籍制度や税制の違い
飛鳥浄御原令と大宝律令では、具体的にどのような違いがあったのでしょうか?特に戸籍制度や税制の面で比べてみましょう。
| 項目 | 飛鳥浄御原令(689年) | 大宝律令(701年) |
|---|---|---|
| 戸籍制度 | 6年ごとに作成 | 6年ごとに作成(変更なし) |
| 地方制度 | 50戸を1里とする | 国・郡・里の三層構造を確立 |
| 税制度 | 班田収授法の導入 | 租庸調(そようちょう)制を確立 |
| 法律の範囲 | 行政・民法のみ | 行政・民法+刑法(律)が追加 |
このように、飛鳥浄御原令で作られたルールがさらに細かく整えられ、日本の統治制度が確立していきました。
特に大宝律令では「租庸調(そようちょう)」と呼ばれる税制度が導入され、全国の人々が土地や労働、特産品などの形で税を納める仕組みが完成しました。
飛鳥浄御原令と大宝律令の影響とは?その後の養老律令との関係
飛鳥浄御原令と大宝律令の流れは、日本の律令制度の発展に大きな影響を与えました。
その後、718年に「養老律令(ようろうりつりょう)」が作られます。養老律令は、基本的には大宝律令の内容を受け継ぎましたが、より実際の政治に適した形で整備されました。日本の法制度は、こうした改訂を重ねながら発展していったのです。
飛鳥浄御原令 → 大宝律令 → 養老律令という流れを覚えておくと、日本の律令国家成立の過程が理解しやすくなりますよ!
試験対策!飛鳥浄御原令のポイントを語呂合わせで覚えよう
最後に、日本史のテスト対策として、飛鳥浄御原令に関する語呂合わせを紹介します!
- 「天武が作り、持統が施行、戸籍と税のルール決定!」
→ 飛鳥浄御原令は天武天皇が作り始め、持統天皇が施行した。 - 「6年ごとに戸籍を作り、50戸で1里!」
→ 戸籍制度と地方制度の基本ルールを押さえる。 - 「大宝で律と令、養老で最終版!」
→ 大宝律令で本格的な法律(律と令)が整い、養老律令で修正・完成。
こうした語呂合わせを活用して、試験の時に思い出しやすくしましょう!
総括:飛鳥浄御原令とは何か分かりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
1. 飛鳥浄御原令とは?
- 689年に 持統天皇 が施行した、日本初の本格的な法典。
- 「律」(刑法)は含まず、「令」(行政法・民法)のみ を定めた。
- 日本の 律令制度の基盤 となり、後の 大宝律令(701年) につながる。
2. 飛鳥浄御原令が制定された場所
- 奈良県明日香村の「飛鳥浄御原宮」 で制定された。
- 天武天皇 が壬申の乱(672年)に勝利し、即位後に法整備を進めた。
- 持統天皇 が天武天皇の意志を継ぎ、689年に施行。
3. 飛鳥浄御原令の目的
- 天皇中心の強い国家を作るため に制定。
- それまでの 豪族中心の政治を終わらせ、中央集権化を進める狙い があった。
- 天皇の権力を強化 し、律令国家を目指した。
4. 飛鳥浄御原令の主な内容
- 戸籍制度:6年ごとに戸籍を作成し、全国民を管理。
- 地方行政:「50戸=1里」とする地方統治の仕組みを確立。
- 税制度(班田収授法):土地を公平に配分し、管理制度を確立。
5. 飛鳥浄御原令と大宝律令の違い
- 最大の違いは「律(刑法)」の有無
- 飛鳥浄御原令(689年):「令」のみ(行政・民法)
- 大宝律令(701年):「律(刑法)」+「令(行政・民法)」
- 大宝律令は、藤原不比等が主導し、より本格的な律令国家を確立。
6. その後の養老律令(718年)
- 養老律令は、大宝律令を改訂したもの。
- 日本の律令制度は 飛鳥浄御原令 → 大宝律令 → 養老律令 の流れで発展。
