「薪水給与令(しんすいきゅうよれい)」という言葉を聞いたことがありますか?
江戸時代、日本は「鎖国」という政策をとっていて、外国との関係を極力持たないようにしていました。でも、そんな日本に次々と外国の船がやってきて、「食料や水を分けてほしい!」とお願いしてきたのです。
そこで幕府は「薪水給与令」を出して、外国船にどう対応するかを決めました。
この薪水給与令は2回出されたことがポイントです!1回目は文化の薪水給与令(1806年)、2回目は天保の薪水給与令(1842年)です。
それぞれどんな目的で出され、どんな影響を与えたのかを、塾長が分かりやすく解説していきます!
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薪水給与令とは簡単に?その意味と背景をわかりやすく
薪水給与令は、簡単に言うと「外国の船が日本に来たとき、水や薪(燃料)、食料を分けてあげるかどうかを決めた法令」です。江戸幕府は「鎖国」をしていたので、基本的には外国の船が来ても追い返していました。でも、状況によっては厳しくするばかりではなく、少しだけ緩和することもありました。
薪水給与令は2回出されましたが、その背景にはロシアの脅威やアヘン戦争の影響など、当時の国際情勢が深く関係しています。では、それぞれの薪水給与令がどんな背景で出されたのかを見ていきましょう!
薪水給与令とは?簡単に言うと外国船への対応策だった
薪水給与令は、江戸幕府が出した外国船への対応策です。外国の船が日本に近づいてきたときに、どうするかを決めた法令でした。
薪水給与令には2種類あります。
- 1806年(文化3年) → 文化の薪水給与令
- 1842年(天保13年) → 天保の薪水給与令
この2つの違いを理解することが重要です。どちらも「外国船に水や食料を渡してもよい」という内容ですが、背景や目的が異なります。文化の薪水給与令はロシアとの関係で出され、天保の薪水給与令イギリスとの関係(アヘン戦争)で出されました。
文化の薪水給与令(1806年)はなぜ出されたのか?
文化の薪水給与令が出された理由はロシアとの関係にあります。
1804年、ロシアの使節レザノフが長崎にやってきて、「ロシアと貿易しよう!」と幕府にお願いしました。でも、幕府は「鎖国中なのでダメです」と言って拒否しました。すると、ロシア側は怒ってしまい、翌年ロシアの軍艦が択捉島(えとろふとう)や樺太を襲撃する事件が発生しました。これを文化露寇(ぶんかろこう)といいます。
この事件を受けて、幕府は「ロシアと争うのはマズイ…」と考え、外国船に燃料や水を渡して穏便に帰ってもらうための対策として文化の薪水給与令を出しました。でも、ロシア側の攻撃が止まらなかったため、1年後に撤回されてしまいます。
異国船打払令(1825年)との関係|なぜ方針が変わったのか?
文化の薪水給与令の後も、外国船の来航は続きました。特にイギリス船やアメリカ船の接近が増え、幕府は対応に悩んでいました。そんな中で起こったのがフェートン号事件(1808年)です。
この事件ではイギリス軍艦が長崎港に侵入し、オランダ人を人質にして食料や水を要求しました。この強引なやり方に幕府は激怒し、より厳しい対応を取ることを決定。こうして1825年には異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)が発令されました。
この法令では、「オランダと清(中国)以外の国の船が来たら、問答無用で砲撃して追い払え!」という強硬な方針が取られました。でも、この方針が後に大きな問題を生むことになります。
天保の薪水給与令(1842年)はなぜ出されたのか?
異国船打払令によって、幕府は外国船を撃退し続けました。でも、この政策はある事件をきっかけに批判を浴びることになります。それがモリソン号事件(1837年)です。
アメリカの商船モリソン号は、日本人の漂流民を母国に返そうとして日本に来航しました。しかし、幕府は異国船打払令に従い、事情も聞かずに砲撃してしまいます。この対応が日本国内で大きな問題となり、「外国船を撃退するだけではダメなのでは?」という声が上がるようになりました。
さらに、1840年にはアヘン戦争が勃発し、清(中国)がイギリスに敗北します。この戦争でイギリスの軍事力が圧倒的に強いことが明らかになりました。幕府は「もしイギリスが日本に攻めてきたらどうしよう…」と不安になり、外国船に対する対応を緩和することを決定します。
そこで1842年(天保13年)に天保の薪水給与令を発令し、「漂流してきた外国船には食料や水を与えて帰らせる」という方針に変更したのです。
薪水給与令の目的と影響|鎖国政策はどう変わった?
天保の薪水給与令の目的は「戦争を避けるため」でした。外国船との争いをできるだけ避けるため、無条件で撃退するのではなく、必要最低限の支援を行うことで対立を回避しようとしたのです。
しかし、薪水給与令は開国を意味するものではなく、あくまで一時的な対応でした。実際に日本が本格的に開国するのは1853年のペリー来航のときです。
でも、薪水給与令によって、日本が外国とどのように向き合うかを考えるようになったのは確かでした。
薪水給与令とは何か簡単に:その後の影響
薪水給与令は2回出されたこと、そしてその背景にはロシアやイギリスとの関係があったことを理解しましたね。でも、これだけではまだ完璧とは言えません!
ここでは、テストでよく出るポイントや語呂合わせで覚える方法、さらに薪水給与令が日本の歴史にどんな影響を与えたのかまで解説します!しっかり復習して、歴史のテストで満点を目指しましょう!
テスト対策!薪水給与令がよく出る問題パターンとは?
薪水給与令は江戸時代の対外政策の中でも超重要なテーマです。テストでは「2回出された理由」や「異国船打払令との違い」を問う問題がよく出ます。
✅ 頻出問題パターン
- 薪水給与令が出された背景を説明せよ
- 文化の薪水給与令(1806年) → ロシアの脅威(レザノフ・文化露寇)
- 天保の薪水給与令(1842年) → モリソン号事件・アヘン戦争
- 異国船打払令と薪水給与令の違いを説明せよ
- 異国船打払令(1825年):外国船を 理由を問わず砲撃 する命令
- 薪水給与令(1842年):漂流してきた船に 燃料・水・食料を与えて帰らせる
- 天保の薪水給与令が開国のきっかけになったのはなぜか?
- 幕府が 外国との対応を考え始めた ことが理由
- 1844年 オランダ国王が開国を勧める親書を送る
- 1853年 ペリー来航につながる
✅ ワンポイントアドバイス
「異国船打払令 → モリソン号事件 → 天保の薪水給与令」の流れはセットで覚えましょう!
語呂合わせで覚えよう!薪水給与令の年号暗記
歴史の勉強で年号を覚えるのが苦手という人も多いですよね。でも語呂合わせを使えば、簡単に記憶できます!
📝 薪水給与令の語呂合わせ
- 文化の薪水給与令(1806年)
→ 「人はオロオロ(1806)、ロシアが怖い!」
(ロシアのレザノフが長崎に来航し、択捉島・樺太を襲撃) - 天保の薪水給与令(1842年)
→ 「いやし(1842)な態度に変更!」
(異国船打払令を緩和し、穏便な対応へ) - 異国船打払令(1825年)
→ 「いやに強気(1825)な打払令!」
(外国船を理由なく撃退)
この3つの年号を語呂合わせでまとめて覚えると、テストでも迷わなくなりますよ!
薪水給与令のその後|日本はどうなったのか?
薪水給与令を出した幕府でしたが、それで問題が解決したわけではありません。むしろ、この法令は日本が開国へ向かう大きなきっかけになりました。
📌 薪水給与令の影響
- 1844年:オランダ国王が「そろそろ鎖国をやめたら?」と幕府に開国を勧める親書を送る(幕府は拒否)
- 1846年:アメリカのビッドルが来航し、日本と通商しようとするが失敗
- 1853年:ついにペリーが黒船で来航!日本に開国を求める
つまり、薪水給与令は幕府が外国船への対応を考え直すきっかけになったのです。ペリーが来航したときに、幕府はすでに「完全に追い返すのは難しいかも」と考えていたとも言われています。
開国への第一歩?薪水給与令とペリー来航の関係
薪水給与令は開国を決めた法令ではないですが、ペリー来航(1853年)への大きな伏線になったのは確かです。
🌊 薪水給与令とペリー来航の関係
- 幕府は外国と争わずに対応する道を探し始めた
- オランダ経由で海外の情報が入るようになった
- 薪水給与令を出したことで、外国船に対する意識が変わった
そして、ペリーが来航したとき、幕府は薪水給与令の経験を活かして交渉に臨むことになります。
総括:薪水給与令とは何か簡単に解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 薪水給与令とは?
- 江戸幕府が外国船に燃料(薪)や水、食料を与えるかどうかを決めた法令。
- 1806年(文化3年) と 1842年(天保13年) の2回出された。
- 鎖国政策 の中で外国船への対応を調整するための措置だった。
✅ 文化の薪水給与令(1806年)の背景
- ロシアのレザノフが長崎に来航し、日本との貿易を求めたが拒否された。
- 怒ったロシアが 択捉島・樺太を襲撃(文化露寇)。
- 幕府は争いを避けるため、一時的に外国船への物資支給を認めたが、すぐに撤回。
✅ 異国船打払令(1825年)との関係
- フェートン号事件(1808年) をきっかけに、外国船の脅威が増加。
- 幕府は対応を強化し、異国船打払令(1825年) を発令。
- 「オランダ・清(中国)以外の外国船は 理由を問わず砲撃 する」という強硬策をとった。
✅ 天保の薪水給与令(1842年)の背景
- モリソン号事件(1837年) で、アメリカ船を事情も聞かずに砲撃し、国内で批判が高まる。
- アヘン戦争(1840〜42年) で清がイギリスに敗北し、幕府は軍事力の差に危機感を持つ。
- 「無条件の撃退ではなく、漂流した外国船には 食料や水を支給して帰らせる」という方針へ変更。
✅ 薪水給与令の影響
- 戦争を避けるための対策 だったが、鎖国の終焉につながる大きな転換点になった。
- 1844年 にオランダ国王が開国を勧める親書を送る(幕府は拒否)。
- 1846年 にアメリカのビッドルが来航するが通商は成立せず。
- 1853年 にペリーが来航し、日米和親条約へと進展。
✅ 開国への第一歩?薪水給与令とペリー来航の関係
- 外国と争わない対応を模索し始める。
- 幕府が 海外の情勢に目を向け始めた ことが、後の開国への布石となる。
- ペリー来航時(1853年)には、すでに幕府は外国船への対応を考える段階にあった。
