「西郷隆盛(さいごう たかもり)」って名前は聞いたことがあるけど、「この人は何をしたの?」と思っている人は多いですよね。
実は、西郷隆盛は日本の歴史を大きく変えたスゴイ人物です。明治維新を成功させたり、戦争を止めたりと、たくさんの大事なことをしました。
でも、最後は政府と戦ってしまい、「逆賊」とまで呼ばれてしまいます。なぜそんなことになったのでしょうか?
この記事では、西郷隆盛がどんなことをしたのか、その人生をわかりやすく解説します!読み終わるころには「西郷さんって、こんな人だったんだ!」とスッキリ分かるはずですよ。
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西郷隆盛がした事とは?どんな人だったのか分かりやすく
西郷隆盛は、幕末から明治時代にかけて、日本の歴史に大きな影響を与えた人物です。その生涯には、数々の激動の出来事がありました。
ここでは、西郷隆盛がどんな人だったのか、そして彼が何をしたのかをわかりやすく解説します。
西郷隆盛が成し遂げた3つの大事業
西郷隆盛は、日本の歴史の中で3つの大きな仕事をしました。
- 明治維新の推進
- 江戸城の無血開城
- 西南戦争での決起
明治維新とは、日本が昔の「武士の時代」から「近代国家」に変わる大きな出来事です。この時、西郷隆盛は新しい政府を作るために大活躍しました。
そして、江戸城の無血開城では、西郷さんが戦をせずに江戸(今の東京)を平和的に引き渡すことに成功しました。普通なら戦争になりそうなところを、話し合いで解決したのです!これは世界でも珍しいことで、日本の歴史の中でもとても重要な出来事です。
でも、その後の明治政府のやり方が気に入らなかった西郷さんは、政府と戦うことになりました。これが「西南戦争」です。最後には政府軍に負けてしまいますが、多くの人に慕われながら生涯を終えました。
西郷隆盛はどんな人?人柄・性格を表すエピソード
西郷隆盛は、どんな人だったのでしょうか?彼の性格を表すエピソードを紹介します。
- とても優しく、義理堅い
- 人を大切にし、身分に関係なく接した
- 決断力があり、リーダーシップがあった
西郷さんは、とても優しくて義理堅い人でした。
例えば、自分の部下や仲間が困っていると、自分のことを後回しにしてでも助けてあげることが多かったのです。また、身分の高い人でも低い人でも分け隔てなく接することができました。
さらに、西郷さんは「敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉を大切にしていました。これは「天(=自然や正しいこと)を敬い、人を愛する」という意味です。この言葉通り、西郷さんはいつも正しいことを考え、人を大事にしていたのです。
西郷隆盛が「逆賊」となった理由
西郷隆盛は、日本のために一生懸命働いたのに、最後には「逆賊」と呼ばれてしまいました。なぜそんなことになったのでしょう?
それは、「明治政府のやり方」に反対したからです。明治政府は、外国のやり方を取り入れて新しい国を作ろうとしていました。でも、そのやり方はお金がかかったり、武士の仕事をなくしたりするものでした。
西郷さんは「もっと国のために頑張れる方法がある!」と考えていました。そして「朝鮮(韓国)に使者を送って、日本の考えを伝えよう!」と言いました。これが「征韓論(せいかんろん)」です。でも、政府の人たちは「今はまだその時じゃない!」と反対しました。
このことで政府と意見が合わなくなり、西郷さんは鹿児島に帰ってしまいます。そこにいた元武士たちは「西郷さんのもとで戦いたい!」と言い、西郷さんをリーダーにして政府と戦うことになりました。これが「西南戦争」です。
政府軍は最新の武器を持っていましたが、西郷軍は昔ながらの戦い方でした。そのため、西郷さんたちは負けてしまい、「逆賊」と呼ばれることになったのです。
なぜ西郷隆盛の写真が1枚もないのか?
西郷隆盛の写真は1枚も残っていません。それはなぜでしょう?
実は、西郷さんは「写真を撮るのが嫌い」だったのです。その理由はいくつかあります。
- 西洋の文化があまり好きではなかった
- 暗殺されるのを防ぐため
- 忙しくて写真を撮る時間がなかった
特に、「暗殺を防ぐために顔を知られたくなかった」という説が有名です。西郷さんは幕府や敵対する人たちから命を狙われていたこともあり、「自分の姿を知られないほうが安全」と考えていたのかもしれません。
そのため、私たちがよく見る「西郷隆盛の肖像画」は、弟や親戚の顔を参考にして描かれたものです。

だから、本当の顔がどんなだったのかは、実は誰にもわからないのです!
西郷隆盛と犬の関係|なぜ愛犬家として有名なのか?
上野にある「西郷隆盛の銅像」には、犬が一緒にいますね。なぜ犬がいるのでしょうか?

それは、西郷さんが大の犬好きだったからです!こんなエピソードがあります。
- 鹿児島で飼っていた犬を、13匹も連れて温泉旅行に行った
- うなぎが好きだったが、自分では食べずに犬に食べさせていた
- 戦争中でも、犬を戦場に連れて行った
当時の日本では、犬は「狩猟のために飼うもの」で、ペットとして飼うのは珍しかったのですが、西郷さんは犬をとても大切にしていました。
こうしたエピソードから、西郷さんは「犬を愛した偉人」としても知られています。銅像の犬は「ツン」という名前の犬がモデルですが、実はオスではなくメスだったそうです!
西郷隆盛がした事:どんな人か生涯を分かりやすく
西郷隆盛は、どのような人生を歩んだのでしょうか?貧しい家に生まれ、時には島流しにされるなど波乱万丈な生涯を送った彼の足跡を追って、彼がどのようにして日本の歴史を変えていったのかを詳しく見ていきます。
西郷隆盛の誕生と幼少期|貧しい家の長男として育つ
西郷隆盛は1827年(文政10年)、現在の鹿児島県で生まれました。家は「下級武士」の家柄で、7人兄弟の長男として育ちました。当時の武士には「上級武士」と「下級武士」がいて、西郷さんの家は下級武士でした。そのため、とても貧しい暮らしをしていました。
でも、西郷さんはとても勉強熱心で、幼いころから「儒学(じゅがく)」という学問を学びました。そして、「郷中教育(ごじゅうきょういく)」という薩摩藩独自の教育制度の中で、武士としての心構えやリーダーシップを学んでいきます。
また、幼いころに喧嘩の仲裁に入ったとき、刀で右腕を傷つけられてしまい、それ以来、剣術が得意ではなくなったともいわれています。その代わりに、学問や人との交流を大切にするようになりました。
島津斉彬に見出され、幕末のキーパーソンとなる
西郷さんの人生が大きく変わったのは、薩摩藩主「島津斉彬(しまづ なりあきら)」との出会いでした。斉彬はとても進んだ考えを持っていて、「西郷は優れた才能がある」と見込んで、彼を家臣として採用しました。
このころ、江戸幕府では「次の将軍を誰にするか?」という大きな争いがありました。島津斉彬は「一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)」を将軍にしたいと考えていて、西郷さんはその活動を手伝っていました。
しかし、幕府の権力者「井伊直弼(いい なおすけ)」が「安政の大獄(あんせいのたいごく)」という弾圧を行い、西郷さんも命を狙われることになります。
そこで、彼は僧侶の「月照(げっしょう)」と一緒に海に身を投げて心中を図ります。しかし、西郷さんだけが奇跡的に助かり、その後「奄美大島(あまみおおしま)」に島流しにされることになりました。
明治維新の立役者として活躍!倒幕の中心人物に
西郷さんは、島流しから帰ってくると、倒幕(幕府を倒すこと)のために奔走します。彼が活躍した大きな出来事がこちらです。
- 長州藩と手を組んで「薩長同盟(さっちょうどうめい)」を結ぶ
- 徳川幕府を倒すために「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」を指揮する
- 江戸城を戦わずに明け渡させる「江戸城無血開城」を実現する
薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は、もともと仲が悪かったのですが、西郷さんは坂本龍馬(さかもと りょうま)や桂小五郎(かつら こごろう)らと協力し、この2つの藩を手を組ませました。
そして、江戸幕府との最終決戦である「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」では、旧幕府軍を破り、ついに新しい政府を作ることに成功しました。さらに、西郷さんは「勝海舟(かつ かいしゅう)」との交渉で、江戸を戦わずに新政府に引き渡すことにも成功しました。
この結果、日本は大きな戦争をせずに「明治時代」へと移ることができたのです。
なぜ西郷隆盛は政府を去り最後の戦いに挑んだのか?
新しい政府ができると、西郷さんもその一員として活躍しました。特に、「廃藩置県(はいはんちけん)」という大改革を実行し、日本を「藩」から「県」に変えました。これにより、各地の大名の力がなくなり、日本全体を一つの国としてまとめることができました。
しかし、政府のやり方に不満を感じるようになります。特に「征韓論(せいかんろん)」がきっかけで、西郷さんは政府を辞めてしまいます。征韓論とは、「日本から朝鮮に使者を送って、開国を求める」という意見ですが、政府内では反対されてしまいました。
結局、西郷さんは政府を辞めて鹿児島に戻り、「私学校(しがっこう)」という士族のための学校を作りました。しかし、元武士たちは「政府のやり方は間違っている!」と怒り、西郷さんを担いで政府と戦うことになりました。これが「西南戦争(せいなんせんそう)」です。
西郷隆盛の最期「もうここらでよか」
1877年(明治10年)、ついに西郷さんは政府と戦うことになります。これが、日本最後の内戦「西南戦争」です。
最初は西郷軍が優勢でしたが、政府軍は新しい武器を使って戦いました。西郷軍の武器は旧式だったため、次第に押されていきます。そして、最終的に西郷さんたちは鹿児島の「城山(しろやま)」に追い詰められました。
戦いの末、西郷さんは「もうここらでよか(もうこれで十分だ)」と言い、仲間の「別府晋介(べっぷ しんすけ)」に首をはねてもらいました。享年49歳でした。
その後、西郷さんは「逆賊(ぎゃくぞく)」と呼ばれましたが、後に名誉が回復され、今では日本を変えた英雄の一人として語り継がれています。
総括:西郷隆盛がした事まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 西郷隆盛は明治維新の中心人物
- 幕末から明治にかけて活躍し、日本の歴史を大きく変えた。
- 成し遂げた3つの大事業
- 明治維新の推進:武士の時代から近代国家へ移行。
- 江戸城の無血開城:戦争を避け、平和的に幕府を終わらせる。
- 西南戦争での決起:政府の方針に反対し、最後の戦いを挑む。
- 性格・人柄
- 優しく義理堅い、身分を問わず人を大切にする。
- 決断力とリーダーシップがあり、「敬天愛人」を座右の銘とした。
- 「逆賊」と呼ばれた理由
- 明治政府の政策(特に「征韓論」)に反対し、政府を去った。
- 元武士たちと共に政府に対抗し、西南戦争を起こしたが敗北。
- 写真が残っていない理由
- 写真嫌いで、西洋文化が苦手だった。
- 暗殺を警戒し、顔を知られないようにした。
- 犬好きなエピソード
- 13匹の犬と温泉旅行をした。
- 戦場にも犬を連れて行ったほどの愛犬家。
- 上野の銅像の犬は「ツン」がモデル(実はメス)。
- 生涯の歩み
- 貧しい下級武士の家に生まれる
- 島津斉彬に才能を見出される
- 幕府打倒のために活躍
- 薩長同盟・戊辰戦争・江戸城無血開城に貢献
- 明治政府の要職に就くが、政策に反対し辞職
- 鹿児島で「私学校」を設立
- 西南戦争を起こすが、政府軍に敗北
- 城山で「もうここらでよか」と最期を迎える
- 死後の評価
- 一時は「逆賊」とされたが、のちに名誉回復。
- 現在は日本を変えた英雄として語り継がれている。
