今日は「日英同盟(にちえいどうめい)」について、とても分かりやすく解説していきますよ。
「どうして日本とイギリスが手を組んだの?」
「どんな約束をしたの?」
という疑問を、歴史が苦手な子でもしっかり理解できるように説明します。それでは、日英同盟ができた背景や目的について、順番に見ていきましょう!
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日英同盟をわかりやすく解説!成立の背景や目的
日英同盟は、1902年に日本とイギリスが結んだ重要な軍事同盟です。この同盟が結ばれた背景には、ロシアの南下政策という共通の敵がありました。ここでは、その成り立ちや目的を簡単に解説していきます。
日英同盟とは?ロシアへの対抗で結ばれた軍事同盟
日英同盟を簡単にいうと、「日本とイギリスがロシアに対抗するために結んだ約束(軍事同盟)」のことです。1902年(明治35年)にスタートしました。
当時の日本は、朝鮮半島や中国に進出しようとするロシアの動きをとても危険だと感じていました。ロシアは南へ広がっていく「南下政策(なんかせいさく)」を進めていて、日本は「次は自分たちが攻められるかもしれない」と不安だったのです。
一方、イギリスもロシアが自分の植民地(しょくみんち)に近づいてくるのを恐れていました。つまり、日本とイギリスは「共通の敵=ロシア」に困っていたのですね。
そこで、2つの国は「ロシアに対抗するために力を合わせよう!」と約束を結んだのです。これが日英同盟の始まりです。
日英同盟を結んだ理由:共通の敵ロシアの存在
日英同盟が結ばれた大きな理由は、ロシアという強大な国の存在です。ロシアは当時、中国の北にある「満州(まんしゅう)」を占領し、さらに朝鮮半島へも進出しようとしていました。日本にとって、朝鮮半島はすぐ目の前。ここをロシアに取られてしまうと、日本の安全が脅かされてしまいます。
また、清(しん)という中国の国で起きた「義和団事件(ぎわだんじけん)」では、ロシアが軍隊を送ったあと、他の国が引き上げたのにロシアだけは満州に居残りました。このことに日本は「ロシア、ずるいぞ!」と怒りと不安を感じていました。
イギリスもまた、東アジアに持つ自分の利益(植民地など)を守るため、ロシアの拡大を止めたいと考えていました。イギリスはもともと「光栄ある孤立(こうえいあるこりつ)」といって、他の国と手を組まない方針でしたが、ロシアの勢いを見て、日本と協力する道を選んだのです。
日英同盟の内容!相互の権益と戦争時の行動
日英同盟には、次の3つの大事な約束がありました。
1つ目は、「中国と朝鮮にある日本とイギリスの利益(けんえき)をおたがいに認め合うこと」です。たとえば、日本は朝鮮で、イギリスは中国でそれぞれ活動するのをOKとする、ということですね。
2つ目は、「どちらかが戦争になったとき、もう一方は中立を守ること」です。つまり、いきなり助けに行くのではなく、まずはその戦争に巻き込まれないようにするのです。
3つ目は、「もしその戦争に他の国(第三国)が加わってきたら、もう一方の国も一緒に戦うこと」です。これは「日本がロシアと戦って、そこにフランスがロシアの味方をしてきたら、イギリスも日本を助ける」という仕組みです。
これによって、日本はロシアとの戦いにおいて、とても心強い味方を得たことになります。
日露戦争での効果と日本の国際的地位の向上
日英同盟が一番力を発揮したのは、1904年から始まった「日露戦争(にちろせんそう)」です。この戦争では、日本がロシアと戦いましたが、イギリスは同盟によりフランスなどの参戦をけん制してくれたので、日本はロシアと1対1で戦うことができました。
さらに、日本は戦争にかかるお金(戦費)をイギリスからの支援によって海外で借りることができました。これによって、戦争を続けることができたのです。
この勝利で、日本は「列強(れっきょう)」と呼ばれる世界の強国の仲間入りを果たしました。
つまり、日英同盟は日本が世界の舞台で大きく羽ばたくための大きなきっかけになったのです。
日英同盟のキーワードまとめ!テストに出る重要用語をチェック
ここでは、日英同盟に関連する重要なキーワードをまとめておきます。テストでよく出るので、しっかりチェックしておきましょう!
- 義和団事件:1900年に中国で起きた、外国勢力を追い出そうとした運動。これが日英同盟成立のきっかけのひとつです。
- 南下政策:ロシアが南に勢力を広げていった政策。日本とぶつかる原因となりました。
- 三国干渉(さんごくかんしょう):日本が日清戦争で勝ったあと、ロシア・ドイツ・フランスが日本に遼東半島を返すように圧力をかけた事件。
- 満州(まんしゅう):中国の北部にある地域で、ロシアが占領し続けた場所。日本にとっての大きな関心地。
- 日露戦争:日本とロシアの戦争。日英同盟のおかげで、日本はフランスなど他国の参戦を防ぎ、戦争に集中できました。
このようなキーワードを覚えておくと、日英同盟の流れがしっかり理解できますよ!
日英同盟とは何か簡単に:改定・第一次大戦・破棄の流れ
ここからは、日英同盟が結ばれたあと、どのように内容が変わり、そしてなぜ終わってしまったのかを見ていきましょう。時代の流れとともに、同盟の役割や意味も変わっていきました。それぞれのステップを順番にわかりやすく解説していきます。
日英同盟の改定は2回あった!第二次・第三次のポイントを解説
日英同盟は、最初の1902年のあと、2回の改定が行われました。
まず、1905年に第二次日英同盟が結ばれました。ここでは、日本が韓国を保護国にすることをイギリスが認めたことが大きなポイントです。つまり、日本が朝鮮半島への支配を強めるのをイギリスが応援する形になりました。
次に、1911年には第三次日英同盟が結ばれました。ここで重要なのは「アメリカが関係の対象から外されたこと」です。この頃、イギリスはアメリカともうまくやっていきたかったので、日本との同盟が邪魔になってきたのです。
このように、日英同盟は状況に合わせて少しずつ内容が変わっていったのですね。
第一次世界大戦で日英同盟はどう使われた?参戦理由と日本の動き
1914年に第一次世界大戦がはじまると、日本は日英同盟に基づいて連合国として参戦しました。
日本の目的は、イギリスと敵対していたドイツが中国に持っていた「山東省(さんとうしょう)」の利権を奪うことでした。ヨーロッパの戦争に力を割いていたドイツに対して、日本は中国のドイツの植民地を占領することで戦果を上げました。
さらに日本は中国に「二十一か条の要求」を出して、自分たちの利益を強引に認めさせました。これは中国にとってとても不利な要求だったため、今でも中国では“屈辱的な出来事”として記憶されています。
また、日本の海軍は地中海での戦いにも協力するなど、同盟に基づいた行動をしています。
日英同盟が警戒された理由は?列強の不信感と日本の拡張
日英同盟によって勢力を伸ばした日本に対し、世界の強国たちは次第に不信感を持つようになっていきました。
特にアメリカは「日本が中国やアジアでやりすぎているのではないか?」と強く警戒しました。日本がドイツの持っていた中国の土地を取ったり、二十一か条の要求を押しつけたりしたことが、その理由です。
イギリス自身も、日本のやり方に少しずつ不安を感じ始めました。「日本が同盟を盾にして、自分の利益を広げすぎているかもしれない」と考えたのです。こうして、かつては頼もしい仲間だったはずの日本に対して、イギリスやアメリカなどの列強が距離を取り始めたのです。
日英同盟の破棄はなぜ?ワシントン会議と四カ国条約の成立が原因
日英同盟は1923年に正式に破棄されます。きっかけは、1921年に開かれた「ワシントン会議」です。
この会議では、日本・アメリカ・イギリス・フランスの4か国が、「おたがいにアジア太平洋地域で協力しましょう」という「四カ国条約」を結びました。
これによって、「特定の2国だけが手を組む軍事同盟はいらないよね」という流れができたのです。そのため、イギリスは日本との同盟をやめて、アメリカとの関係を重視することを選びました。
このようにして、20年以上続いた日英同盟は静かに終わりを迎えました。
日英同盟の歴史的意義とは?日本外交の転換点
日英同盟は、日本にとってとても大きな意味を持った同盟でした。
まず、明治時代の日本が西洋の強国と対等に同盟を結んだということ自体が大きな一歩です。これにより、日本は「世界の強国の仲間入り」を果たすことができました。
また、この同盟は「列強に認められた日本」を世界に示す出来事でした。今まで欧米に遅れていた日本が、国際社会で存在感を出すきっかけとなったのです。しかしその一方で、日英同盟を背景にして日本が勢力を拡大しすぎたことが、アメリカや他国との関係を悪化させる原因にもなりました。
つまり、日英同盟は「国際的な成長のチャンス」であると同時に、「外交のバランスを学ぶ教訓」となったのです。
総括:日英同盟をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 日英同盟とは?
・1902年、日本とイギリスがロシアに対抗するために結んだ軍事同盟。
・共通の敵であるロシアの南下政策に危機感を持っていた。
✅ 日英同盟の理由
・ロシアが満州や朝鮮に進出し、日本の安全が脅かされた。
・イギリスも植民地を守るため、日本と協力した。
✅ 日英同盟の内容(3つの約束)
- 中国・朝鮮における相互の利益を認め合う
- 一方が戦争になったら他方は中立
- 他国が参戦したら両国で協力して戦う
✅ 影響と結果
・日露戦争でフランスの参戦を防ぎ、日本は戦いやすくなった。
・戦費調達もイギリスの協力で成功。
・日本は「列強」として国際的地位を高めた。
✅ 関連キーワード(テスト対策)
・義和団事件、南下政策、三国干渉、満州、日露戦争
✅ 同盟の変化と終わり
・1905年・1911年に改定(韓国保護・アメリカ除外など)
・第一次世界大戦で日本はドイツ領を占領し参戦
・列強が日本の拡張に警戒し、同盟は不要と判断
・1921年ワシントン会議で「四カ国条約」が結ばれ、1923年に日英同盟は終了
✅ 歴史的意義
・日本が列強と対等な立場に立った重要な出来事
・一方で、外交の難しさと国際的バランスの重要性を学んだ
