みなさんは「平民宰相」と呼ばれた原敬(はらたかし)という人物を知っていますか?日本で初めて、本格的な政党政治を実現した内閣総理大臣です。

でも、そんなすごい人物の「子孫って今どうしてるの?」「家族はいたの?」と気になる人も多いのではないでしょうか?

この記事では、原敬の家族や子孫の現在について、家系図や史料をもとにわかりやすく解説します!

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原敬の子孫の現在は?家族構成や末裔の活躍

原敬の子孫たちは、彼の遺産をどのように受け継ぎ、どんな活動をしているのでしょうか?「平民宰相」として日本の政治を大きく変えた原敬の家系は、現在もさまざまな分野で活躍しています。

ここでは、原敬の実子や養子を含め、彼の家族構成と末裔の活躍について詳しく解説します。

原敬の直系の子孫はいない?実子と養子の違い

原敬には、自分の子ども、つまり「実子」はいませんでした。

最初の奥さん・貞子さんとはうまくいかず、離婚しています。その後に再婚した奥さん・あささんとの間にも子どもはいませんでした。でも、家を継ぐために「養子」を迎えています。

養子とは、血がつながっていなくても戸籍上の親子になることです。原敬が迎えた養子は2人います。

1人は兄の子どもである原彬(はらあきら)、もう1人は上田家から来た原奎一郎(はらけいいちろう)です。どちらも原家を継ぐ大切な存在であり、それぞれの家系が今につながっています。

原奎一郎(原貢)とは?原敬の後継者としての経歴と人物像

原奎一郎は、もともと上田貢(うえだみつぎ)という名前で生まれた人で、後に原家の養子になりました。作家としても活動し、同盟通信社というメディアにも関わっていました。また、昭和の時代に文化人として活躍したことでも知られています。

結婚も3回しており、それぞれの奥さんとの間に子どもがいます。一番有名なのは、最初の奥さんとの子である原信之さんです。奎一郎は「原敬の後継者」としての意識も強く、原家の名を守りながら文化の世界で生きた人物でした。

原奎一郎の子供たちとその経歴!原信之などの活動を解説

原奎一郎の長男である原信之(はらのぶゆき)さんは、日中文化交流協会に関わるなど、国際的な活動を行っていました。日本と中国の文化のかけ橋になるような仕事をしていたといわれています。

また、奎一郎には養女である原由美子(はらゆみこ)さんもいます。彼女についての詳しい情報は少ないですが、原家にとって大切な存在であったことに変わりありません。

このように、原奎一郎の家系は、政治というより文化や国際交流の分野で活動を広げていきました。

原敬の兄弟・原誠の家系と子孫たちの経歴

原敬の実の兄である原誠(はらまこと)さんの家系も、のちにさまざまな分野で活躍しました。誠さんの息子である原武(はらたけし)さんは、南満州鉄道や満州国の発明局で働いた技術者でした。

さらに、弟の原和(はらかず)さんはリコーという会社で取締役を務め、電機業界で活躍しました。和さんの息子、原斉(はらひとし)さんは日本製鋼所に勤めるなど、兄弟の家系は経済界に強いつながりを持っています。

現在確認されている原敬の子孫の職業や活動

原敬の末裔たちは、現在もさまざまな分野で活動しています。先ほど紹介した原信之さんは国際交流の分野で知られていますし、その他の子孫も大手企業に勤めていたり、文化関係の活動をしていたりします。

2021年に開かれた原敬の100回忌の追悼式には、ひ孫にあたる岩谷千寿子さんという女性も出席していました。彼女は京都市に在住し、原敬から学んだ「挑戦する心」を受け継いでいると語っていました。こうした証言から、原家の精神は今も続いていることが分かります。

原敬の子孫の後に:原家の歴史をたどる

原敬の子孫について見てきましたが、今度は「原家」のルーツや広がりについて見ていきましょう。原敬は「平民宰相」と呼ばれましたが、その家系には意外な歴史が隠れています。

江戸時代から続く盛岡藩士としての原家の歩みや、戦国時代にまでさかのぼるルーツもあります。では、家系図をたどって一緒に学んでいきましょう。

原敬の先祖は浅井家家臣!盛岡藩士への転身まで

原敬の先祖は、なんと戦国時代の有名な大名・浅井家の家臣だったとされています。浅井家といえば、織田信長の時代に滅んだ大名家ですが、その家臣たちは各地に散っていきました。その中の一人が、のちに盛岡藩に仕えることになったのです。

江戸時代初期、三田村平兵衛という人物が「原」を名乗り、南部藩(盛岡藩)に仕官しました。このときから、原家は盛岡藩の武士としての歴史を歩みはじめました。

2023年には、原家が盛岡藩士になって390年という節目を迎え、記念の展示も行われました。

原敬の父・原直治とその兄弟たちの役割

原敬の父である原直治(はらなおじ)さんは、盛岡藩士としてしっかりとした家柄を守ってきた人物です。彼には複数の息子がいて、長男が原恭(はらやすし)さん、次男が原敬、三男が原誠(はらまこと)さんです。

原恭さんは俳句の世界で知られた原抱琴(はらほうきん)という名で活動していましたし、誠さんの家系からは先ほど紹介したように経済界で活躍する人物が出ています。

このように、原直治の子どもたちはそれぞれ違った道を歩みながらも、原家の名を各分野で広めていったのです。

原家の家系図をもとに主要人物を一覧で紹介

原家の家系図を見ていくと、実に多くの人物がさまざまな分野で活躍していることがわかります。たとえば、

  • 原奎一郎(原貢):同盟通信社・作家
  • 原信之:日中文化交流協会
  • 原武:満州国で官職を務める
  • 原和:リコーの取締役
  • 原斉:日本製鋼所に勤務

といったように、文化、技術、経済と広い分野で活動しています。家系図をたどることで、原家が単なる「政治家の家」ではなく、時代ごとの重要な分野で足跡を残していることが分かります。

盛岡市の原敬記念館に伝わる家系図と古文書の価値

原敬について深く知るなら、岩手県盛岡市にある原敬記念館は見逃せません。

ここには原家に伝わる貴重な資料が数多く保管されています。なかでも注目なのが、「原家系図」や「宛行状(あてがいじょう)」という古文書です。

2023年に行われた企画展では、原敬の兄の家に伝わった古文書群「原恭家文書」が初公開され、大きな話題となりました。こうした資料は、原家の歴史やつながりを現代に伝える宝物として、多くの研究者や歴史ファンに注目されています。

原敬の家系に関心が集まる理由

どうして今、原敬の家系や子孫が注目されているのでしょうか?その理由の一つは、2021年に迎えた原敬の没後100年という大きな節目です。このときには、全国ニュースや新聞で原敬の業績や人柄があらためて取り上げられました。

また、原敬が日本で初めて政党内閣をつくったという歴史的功績は、今の政治にも通じる重要なものです。そのため、彼の考えや家族の歩みにも注目が集まっているのです。

追悼式では子孫が出席し、「原敬の精神を受け継ぎたい」と話していたことも、多くの人に感動を与えました。

総括:原敬の子孫の現在まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 原敬には実子はおらず、養子(原彬・原奎一郎)を迎えて家系を継続した
  • 養子の1人・原奎一郎(原貢)は作家や同盟通信社で活躍、文化人として知られる
  • 原奎一郎の子・原信之は日中文化交流協会に関わり、国際文化活動を行った
  • 原敬の兄・原誠の家系には、南満州鉄道・リコー・日本製鋼所などで働いた子孫がいる
  • 原敬のひ孫・岩谷千寿子さんは京都市に在住し、2021年の追悼式にも出席
  • 原家の先祖は戦国時代の浅井家の家臣で、後に盛岡藩士となった歴史を持つ
  • 原敬の父・原直治の子どもたちは文化・経済界など多方面で活躍した
  • 盛岡市の原敬記念館には原家の家系図や古文書が保存されている
  • 没後100年記念で家系や功績が再注目され、多くの人が関心を寄せている