みなさんは「フィリピンがどこの植民地だったのか」を知っていますか?
フィリピンは長い間、外国の支配を受けてきた国です。特に、スペイン、アメリカ、日本といった国々が統治した歴史があります。その影響で、今のフィリピンにはスペインの文化やアメリカの教育制度が残っています。
今回は、フィリピンがどこの植民地だったのか、そしてその歴史が現在のフィリピンにどんな影響を与えているのかを、分かりやすく解説します!歴史のテスト対策にもなるので、しっかり読んでいきましょう。
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フィリピンはどこの植民地だった?歴史を時系列で解説
フィリピンの歴史を見ていくと、スペイン、アメリカ、日本という順番で支配されてきました。それぞれの時代にどのような出来事があったのかを、順番に解説していきます。
フィリピンはスペインの植民地だった?その支配と影響
フィリピンが最初に植民地化されたのは、16世紀のスペインによる支配からです。1521年、ポルトガル人の探検家マゼランがフィリピンに到達し、キリスト教の布教を進めようとしました。しかし、現地のマクタン島の首長ラプラプに対抗され、戦死しました。
その後、1565年にスペイン人のレガスピが再びフィリピンに上陸し、本格的な統治が始まりました。そして1898年までの300年以上、フィリピンはスペインの植民地として支配され続けました。
スペイン統治時代には、カトリックの布教が進み、多くの人々がキリスト教を信仰するようになりました。また、スペイン語が公用語として広まり、今でもフィリピン語には多くのスペイン語由来の単語が使われています。さらに、スペイン風の建築物や伝統行事なども残っています。
フィリピンはアメリカの植民地だった?米比戦争と近代化
1898年、アメリカとスペインの間で米西戦争が起こりました。この戦争に勝利したアメリカは、パリ条約によってフィリピンの統治権をスペインから獲得しました。つまり、フィリピンはスペインから独立するのではなく、新たにアメリカの支配下に入ってしまったのです。
フィリピンの人々は独立を求めて戦いましたが、1899年に米比戦争が勃発し、アメリカ軍の圧倒的な戦力の前に敗れました。これにより、フィリピンは正式にアメリカの植民地となりました。
アメリカ統治時代には、英語が公用語として広まりました。また、アメリカ式の教育制度や法律が導入され、近代化が進みました。学校では英語の授業が行われ、多くのフィリピン人が英語を話せるようになりました。この影響は今でも続いており、フィリピンは英語が通じる国として知られています。
フィリピンは日本の植民地だった?占領と第二次世界大戦
1941年、日本軍がフィリピンに侵攻し、当時フィリピンを統治していたアメリカ軍を追い出しました。日本は「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げ、アジアの国々を欧米の支配から解放すると主張していました。しかし、実際には日本軍の統治は厳しく、フィリピンの人々は多くの苦しみを経験しました。
特に1945年の「マニラの戦い」では、フィリピンの首都マニラが激しい戦場となり、多くの市民が犠牲になりました。その後、アメリカ軍がフィリピンを奪還し、日本軍は撤退。フィリピンは再びアメリカの支配下に戻りました。
このように、日本の占領時代は短かったものの、戦争による被害は非常に大きく、今でもフィリピンの歴史に深く刻まれています。
フィリピンの独立はいつ?アメリカ支配からの解放
第二次世界大戦が終わった後、フィリピンはついに独立を果たします。1946年7月4日、アメリカからの独立が正式に認められました。この日はアメリカの独立記念日と同じ日で、当時のアメリカがフィリピンにとって特別な日を選んだとも言われています。
しかし、独立後もフィリピンはアメリカの影響を受け続けました。例えば、アメリカ軍の基地がフィリピン国内に設置され、経済や政治の面でもアメリカの支援を受けていました。
それでも、フィリピンは自らの力で発展を続け、今では東南アジアの中でも経済成長が期待される国の一つとなっています。
フィリピンの植民地時代が現在に与えた影響とは?
フィリピンの歴史を振り返ると、植民地支配が現在の社会に大きな影響を与えていることが分かります。
- スペイン時代の影響:キリスト教が広まり、カトリックが国民の約80%を占める
- アメリカ時代の影響:英語が公用語として定着し、アメリカ式の教育や経済システムが導入された
- 日本時代の影響:戦争の記憶が残り、戦後の復興支援に日本のODA(政府開発援助)が活用された
このように、フィリピンは歴史的な出来事によって、現在の文化や社会が形作られているのです。
フィリピンはどこの植民地?疑問とトリビア
フィリピンの植民地支配について詳しく学んだところで、ここからはさらに深掘りしていきます。フィリピンが植民地になった理由や、他の植民地だった国との比較、今も残る植民地時代の名残について見ていきましょう。
また、テスト対策に役立つ語呂合わせも紹介します。
フィリピンが植民地になった理由は?東南アジアの地政学
フィリピンが植民地になった大きな理由の一つは、その地理的な重要性です。フィリピンは東南アジアの中心に位置し、アジアとヨーロッパをつなぐ貿易の中継地として、昔から注目されていました。
16世紀の大航海時代、ヨーロッパの国々は香辛料を求めて東南アジアに進出しました。フィリピンは香辛料の産地ではなかったものの、貿易の拠点として価値がありました。そこでスペインは、フィリピンを支配することでアジア貿易の拠点を確保しようとしたのです。
その後、アメリカもフィリピンを支配することで、アジア市場への影響力を強めようとしました。日本も同様に、フィリピンを「大東亜共栄圏」の一部とすることで、アジアの統一を目指していました。
つまり、フィリピンは世界の大国にとって重要な場所だったため、植民地支配の対象になったというわけです。
フィリピンの植民地化を防げた可能性はあったのか?
フィリピンが植民地化を防ぐことはできたのでしょうか?歴史を振り返ると、フィリピンが独立を維持できた可能性は低かったと言えます。
なぜなら、スペインが侵略する前のフィリピンは統一国家ではなく、多くの小さな部族や王国が存在していたからです。例えば、日本やタイは強力な中央集権国家を持っていたため、外国の侵略を防ぐことができました。しかし、当時のフィリピンは統一された国家ではなく、スペインのような強大な国に対抗する力がありませんでした。
また、フィリピンの指導者たちはヨーロッパの軍事力に対抗する武器や技術を持っておらず、植民地化を防ぐ手段がほとんどありませんでした。
もしフィリピンが植民地化されずに独立を守っていたら、東南アジアの中でも独自の文化を発展させていたかもしれません。しかし、当時の状況を考えると、それはとても難しいことだったのです。
フィリピンの植民地時代の名残が残る場所と文化
植民地時代の影響は、今もフィリピンのさまざまな場所や文化に残っています。特に、スペインとアメリカの影響が色濃く残っているのが特徴です。
- イントラムロス(Intramuros)
マニラにあるスペイン統治時代の城塞都市で、まるでヨーロッパのような街並みが広がっています。 - バロック様式の教会(世界遺産)
サン・アグスティン教会など、スペイン時代の建築が今も残っています。 - スペイン語由来のフィリピン語単語や姓
フィリピン人の姓には「ゴンザレス」「ロペス」などスペイン系のものが多くあります。 - アメリカ式の教育制度
学校では英語が使われ、カリキュラムもアメリカ式が多く採用されています。
このように、フィリピンの文化には植民地時代の影響が深く根付いています。
フィリピンと他の植民地だった国の比較
フィリピンと同じく、植民地支配を受けた国は世界中にたくさんあります。ここでは、いくつかの国とフィリピンを比較してみましょう。
- インド(イギリスの植民地)
フィリピンと同じように、英語が広まりましたが、現在のインドでは英語よりもヒンディー語が主流です。 - ベトナム(フランスの植民地)
ベトナムではフランス語の影響が見られ、パンやコーヒーなどフランス文化が今も残っています。 - プエルトリコ(アメリカの植民地)
フィリピンと同じくアメリカの統治を受けましたが、今もアメリカの自治領として残っています。
このように、植民地支配を受けた国々は、それぞれ違った影響を受けているのがわかります。
フィリピンの歴史を覚える語呂合わせとテスト対策
歴史を覚えるのが苦手な人のために、フィリピンの重要な出来事を語呂合わせで覚えてみましょう!
- 「1521(イチゴニイチ)でマゼラン来航」
→ 1521年にマゼランがフィリピンに到着したことを覚えよう! - 「1898(イチバクレ)でスペインからアメリカへ」
→ 1898年、米西戦争でフィリピンはスペインからアメリカに譲渡されました。 - 「1946(イチキュウヨンロク)で独立」
→ 1946年7月4日、フィリピンがアメリカから独立しました。
また、フィリピンの歴史は 中学・高校の世界史や日本史のテストにもよく出題 されます。特に「マゼラン」「米西戦争」「第二次世界大戦」などのキーワードは要チェックです。
総括:フィリピンはどこの植民地か?まとめ
最後に、本記事にまとめを残しておきます。
フィリピンの植民地支配の歴史
- スペインの植民地(1521年~1898年)
- 1521年にポルトガル人探検家マゼランが到達
- 1565年にレガスピが上陸し、本格的なスペイン統治が始まる
- 300年以上にわたりカトリック布教、スペイン語の広まり、スペイン文化の影響を受ける
- アメリカの植民地(1898年~1946年)
- 1898年、米西戦争でスペインが敗北し、フィリピンはアメリカに譲渡される
- 1899年に米比戦争が勃発し、アメリカの支配が確立
- 英語教育やアメリカ式の教育制度・法律が導入され、近代化が進む
- 日本の占領(1941年~1945年)
- 1941年に日本軍が侵攻し、フィリピンを占領
- 「大東亜共栄圏」の一環として日本の統治が行われるが、厳しい支配が続く
- 1945年にアメリカ軍がフィリピンを奪還し、日本軍は撤退
- フィリピンの独立(1946年)
- 1946年7月4日、アメリカから正式に独立
- その後もアメリカの影響(軍事基地、経済、政治)は続くが、独自の発展を遂げる
フィリピンの植民地時代の影響
- スペインの影響
- キリスト教(特にカトリック)が国民の約80%に広がる
- スペイン語由来のタガログ語単語、スペイン風の建築や伝統行事が残る
- アメリカの影響
- 英語が公用語として定着し、英語教育が普及
- アメリカ式の政治制度や経済システムが導入される
- 日本の影響
- 第二次世界大戦の被害が大きく、戦後復興に長期間を要した
- 現在の日本との友好関係は、戦後の経済支援(ODAなど)によって築かれた
フィリピンが植民地になった理由
- 東南アジアの地政学的な重要性
- 貿易の中継地点として価値があった
- 大航海時代、香辛料貿易を求めるヨーロッパ諸国の進出
- スペイン、アメリカ、日本がそれぞれの目的で支配
フィリピンの植民地支配の名残
- イントラムロス(スペイン時代の城塞都市)
- スペイン統治時代のバロック様式の教会(世界遺産)
- スペイン語由来の姓(ロペス、ゴンザレスなど)
- アメリカ式の教育制度や英語の普及
フィリピンと他の植民地だった国の比較
- インド(イギリス植民地) → 英語は広まったが、ヒンディー語が主流
- ベトナム(フランス植民地) → フランス文化(パンやコーヒー)が根付く
- プエルトリコ(アメリカ植民地) → フィリピンと同じくアメリカの統治を受けたが、今も自治領のまま