今回は、日本海軍の名将・山本五十六(やまもと いそろく)についてのお話です。特に彼の「死因」や「最後の言葉」、そしてその時の様子に迫っていきます。
山本五十六は太平洋戦争の開戦を指揮し、日本国民からも非常に人気の高かった軍人です。そんな彼が、なぜ命を落とすことになったのか?そこには驚きの事実と数々の謎が隠されていました。
今回は、山本五十六の死因や最後の言葉を分かりやすく解説していきます。
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山本五十六の死因と最後の言葉!壮絶な最期の真相
太平洋戦争中に戦死した山本五十六。その死には公式の記録だけでなく、さまざまな謎や説が存在します。ここではその死因や最後の言葉、最期の様子を詳しく見ていきましょう。
山本五十六の死因は機銃による銃創
まずはっきりしていることからお話します。
山本五十六の死因は「戦闘機からの機銃掃射による銃創」でした。公式に記録された検死記録によると、山本の身体には大きく2つの致命傷があったとされています。
1つ目は「こめかみから下顎(あご)を貫通した傷」、そして2つ目は「背中から心臓にかけての盲管銃創(もうかんじゅうそう)」。どちらも一発で命を奪うほどの重傷で、「即死だった」とされています。
当時、山本は一式陸上攻撃機という飛行機に乗っていて、ブーゲンビル島の上空でアメリカのP-38戦闘機に襲撃されました。その際の機銃攻撃で致命傷を負い、機上で亡くなったというのが、日本海軍の公式な発表です。
自決説や陰謀説
でも、ここでひとつ疑問が出てきます。「本当に撃たれて亡くなったの?」という声があるのです。実は、山本の死因については、いくつかの「異説」が存在しています。
例えば、陸軍の軍医が残した検案記録の中には「顔に弾痕はなかった」とするものもあります。また、最初に遺体を発見した軍人たちの証言でも、「顔には傷がないように見えた」と話す人がいたそうです。
さらに、ある学者は「戦死したように見せかけるために、死後に弾痕を作ったのではないか」とも指摘しています。こうした話から、「実は山本は自ら命を絶ったのではないか」「誰かに撃たれた可能性もあるのでは」といった憶測が広がっていったのです。
ただし、これらの説には明確な証拠がないため、真相は今でも「謎」とされているのです。
最後の言葉は残されていない?遺書や名言
「山本五十六の最後の言葉って、どんな言葉だったの?」
これも多くの人が気になるポイントですね。
実は、山本が撃墜されたときは即死だったため、いわゆる「最後の言葉」は記録に残っていません。ですが、彼が生前に残した言葉や遺書のような文書が見つかっており、それが「遺言」のように扱われることもあります。
たとえば、トラック島の司令官室で見つかった紙切れには、こんな言葉が書かれていたそうです。
「戦いの犠牲となった多くの部下を思い、われもまた死地に向かう覚悟なり」
また、有名な名言として以下のような言葉も残されています。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
これは、山本がどれだけ人を大切にし、導こうとしていたかを表した言葉ですね。たとえ最後の瞬間に何も言葉を残せなかったとしても、彼の生き方そのものが「最後の言葉」として、今も語り継がれています。
最期の様子とは?撃墜から遺体発見までの経緯
では、山本五十六が撃墜されてから、どのように遺体が発見されたのでしょうか?その一連の流れを時系列で見ていきましょう。
1943年4月18日午前6時、山本の乗った飛行機はラバウルを出発します。そして約1時間半後、ブーゲンビル島上空でアメリカ軍のP-38戦闘機に襲撃されます。2機の一式陸攻のうち、山本が乗っていた1番機は黒煙をあげてジャングルへ墜落。もう1機は海へ不時着しました。
その後、地上の捜索隊が現地に向かい、山本の遺体を発見します。証言によれば、山本の遺体は座席に座った状態のまま外に放り出されており、軍刀を手にしていたという報告もあります。
遺体の損傷はそれほど激しくなかったとされ、一部の軍医によると「不時着後もしばらくは生きていたのでは」との意見もあったそうです。これもまた「即死ではなかったのでは?」という説の根拠の一つとなっています。
国葬と発表の遅れの理由
山本五十六の死は、ただの「戦死」ではありませんでした。彼は当時の日本において、国民的な英雄であり、日本海軍の中心人物だったのです。そんな山本が戦死したとあって、海軍や政府は大きなショックを受けました。
実は、山本の死はすぐには発表されませんでした。公式に発表されたのは、亡くなってからおよそ1か月後の5月21日。その理由は、「国民の士気を下げないため」だったとされています。
さらに、山本の葬儀は「国葬」として行われました。当時、皇族や華族以外で国葬になったのは山本だけ。これだけでも、彼がどれほど特別な存在だったかが分かりますね。
東條英機首相も、山本の死を悼んで次のような弔句(ちょうく)を詠んでいます。
「君逝き みにしむ責の 重きかな されどやみなん 勝てやむべき」
このように、山本五十六の死は、軍内部だけでなく、全国民に大きな影響を与えたのです。
山本五十六の死因に関して:海軍甲事件とヴェンジェンス作戦
ここからは、山本五十六が撃墜された作戦「海軍甲事件」と、それを可能にしたアメリカの暗号解読作戦「ヴェンジェンス作戦」についてお話しします。
じつは山本五十六の戦死には、偶然では片づけられない「スパイ映画のような裏事情」があったのです。
海軍甲事件とは何か?山本五十六戦死の真相
「海軍甲事件(かいぐんこうじけん)」とは、太平洋戦争中の1943年4月18日、山本五十六が搭乗していた一式陸上攻撃機がアメリカ軍に撃墜され、戦死した出来事を指します。
この日は、山本が部下の将兵を激励するため、前線基地のあるブーゲンビル島へ視察に向かっていました。彼はとても几帳面な人だったため、出発も飛行ルートも予定通り。しかしその正確さがあだとなり、アメリカ軍の待ち伏せ攻撃を受けてしまったのです。
この事件は、日本軍にとって大きな損失であり、戦争の流れを変えるほどの衝撃となりました。山本の死は、ただの戦死ではなく、計画的な暗殺作戦だったのです。
ヴェンジェンス作戦とは?アメリカが狙い撃ちした理由
「ヴェンジェンス(Vengeance)作戦」とは、「復讐」という意味を持つアメリカ軍の極秘作戦です。この作戦の目的はただ一つ、真珠湾攻撃を立案・指揮した山本五十六を撃ち落とすことでした。
きっかけは、アメリカ軍が日本の暗号を解読したこと。そこから山本の視察スケジュールを把握し、ガダルカナル島から戦闘機P-38を発進させて、撃墜するという綿密な作戦が実行されました。
当時のニミッツ司令官やルーズベルト大統領もこの作戦を承認。特に「山本がいなくなれば、日本軍の士気が下がる」と考えたのです。
このようにして、山本五十六という「敵国の象徴」に対して、まさに狙い撃ちの作戦が展開されたのです。
暗号が筒抜けだった!?古い乱数表使用のミスが命取り
では、なぜアメリカに山本の予定がバレてしまったのでしょうか?
実は、日本海軍は新しい暗号表に切り替える直前のタイミングで、古い乱数表を使って山本の行動予定を送ってしまったのです。その結果、アメリカにとっては解読が簡単な暗号となり、視察の日時・ルートが筒抜けになってしまいました。
これを知ったアメリカ軍は、ピンポイントで山本を迎え撃つ準備を整えたのです。
その後、日本海軍はなぜ情報が漏れたのか気づけず、暗号解読の存在すら把握していませんでした。このミスが山本の命を奪い、のちの日本海軍の敗戦へとつながっていくのです。
護衛戦闘機生存者の証言から見る空中戦
当時、山本五十六の飛行機には護衛の戦闘機「零戦」が同行していました。そのうち唯一の生還者、柳谷謙治(やなぎたに けんじ)飛行兵長の証言から、空中戦の様子が明らかになっています。
柳谷氏によると、空中では数十機ものP-38が襲いかかり、零戦ではまったく太刀打ちできなかったとのこと。一瞬のうちに山本の一式陸攻は撃墜され、仲間の機体も次々とやられていきました。
護衛機は必死に反撃しますが、敵の数が多すぎて防ぎきれなかったのです。柳谷氏はなんとか戦場を脱出し、基地に帰還。その後、「長官機が墜落した」と報告しました。
この証言から、山本の死はまさに「計画された奇襲」によるものだったことがわかります。
山本五十六撃墜の秘匿と英雄化
さて、アメリカは山本五十六を撃墜したことをどう伝えたのでしょうか?
答えは「しばらく秘密にしていた」です。なぜなら、「暗号を解読した」と日本側に知られたくなかったから。そのため、アメリカは「偶然撃墜した」と見せかけ、パイロットにも情報源を「沿岸監視員の報告」と説明していたのです。
さらに、攻撃を行ったパイロットの名前も当初は伏せられていました。後に彼らは「海軍十字章」などの勲章を受け取り、「英雄」として称えられるようになります。
戦後、アメリカでは山本の再評価が進み、「本当は戦争を望んでいなかった人物」として知られるようになりました。だからこそ、敵でありながら彼を尊敬する声も多く残っているのです。
総括:山本五十六の死因&最後の言葉まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- 山本五十六の死因は機銃による銃創
→「こめかみから下顎」「背中から心臓」への致命傷により即死とされている。 - 自決説や陰謀説も存在
→顔に傷がなかったとの証言や検案記録の矛盾から「自殺説」「死後損傷説」が出ている。 - 最後の言葉は残っていない
→即死だったため言葉は不明。ただし覚悟を記した紙や名言が「遺言」として扱われている。 - 最期の様子は空中撃墜→ジャングル墜落
→捜索隊が遺体を発見。軍刀を持っていた、損傷が少なかったという証言もある。 - 死は1か月秘匿され、国葬で送られた
→国民の士気を保つため公表が遅れた。東條英機も弔句を詠んだ。 - 「海軍甲事件」は計画的撃墜だった
→ブーゲンビル島視察中、アメリカ軍に暗号解読され待ち伏せされた。 - 「ヴェンジェンス作戦」は真珠湾の報復
→山本を狙い撃ちにするため、ルーズベルト大統領も許可した作戦。 - 古い暗号表使用が命取りに
→暗号切り替え前の送信ミスで行程が漏れ、撃墜が可能になった。 - 護衛機の生還者証言で空中戦の様子が判明
→P-38の集中攻撃でほぼなすすべなし。護衛機は全滅に近かった。 - アメリカは情報源を秘匿し英雄化
→暗号解読を隠すため偶然を装い、撃墜パイロットは戦後英雄に。山本も再評価された。