今日は「開拓使官有物払下げ事件(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)」について、みんなにも分かりやすく解説していきますよ!

この事件は、明治時代に起きた“政治の大問題”のひとつです。でも、ただの昔の事件だと思ってはいけません。

「なぜ問題になったのか?」「だれが悪かったのか?」をしっかり知ることで、今の社会や政治の見方も変わってくるんです。

さあ、塾長と一緒にタイムスリップして、事件の真相にせまってみましょう!

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開拓使官有物払下げ事件をわかりやすく解説!何が悪い?

それでは早速、開拓使官有物払下げ事件について解説していきます。

開拓使官有物払下げ事件とは?簡単にわかりやすく

開拓使官有物払下げ事件とは、1881年(明治14年)に、北海道を開拓するために使っていた国の建物や工場など(これを「官有物」といいます)を、特定の会社に「とても安い値段で」売ろうとしたことが発覚し、大きな問題になった事件です。

この「特定の会社」は、五代友厚(ごだいともあつ)という人が作った「関西貿易社」という会社で、当時の開拓長官だった黒田清隆(くろだきよたか)と同じ薩摩藩の出身でした。

このように、「お友だちにだけ安く売ってしまう」という行動が「不公平だ!」「ズルい!」と国民の怒りを買い、新聞などで大きく取り上げられたのです。

これが「開拓使官有物払下げ事件(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)」と呼ばれる大事件のはじまりです。

黒田清隆と五代友厚の関係と「薩摩閥」問題

事件の中心人物は、開拓長官の黒田清隆と、実業家の五代友厚です。2人はどちらも「薩摩藩(さつまはん)」の出身で、とても仲の良い関係でした。

当時の明治政府では、薩摩や長州の出身者が多くの重要な役職を占めていました。これを「藩閥政治(はんばつせいじ)」といいます。つまり、一部の出身地の人たちだけで政治を回していたのです。

黒田は、北海道の開拓事業を続けたいと考えていましたが、政府の財政が苦しくなってきたため、工場などを手放すしかありませんでした。そこで、信頼できる五代友厚に安く譲ろうとしたのです。

でも、国民から見ると「身内だけでうまくやっている」「ズルしてる」と見えてしまいました。これが批判を集めた大きな理由のひとつなんですね。

不正と見なされた理由と世論の反応

問題になった一番の理由は、「払い下げの金額が安すぎる!」ということです。

もともと約1,500万円(今のお金で数百億円)もかけて作られた施設や工場などを、たった約40万円(現在でいうと十数億円)で売ろうとしたのです。しかも、30年間利子なしでゆっくり払っていい、という特別な条件つきでした。

この情報が新聞で報道されると、世の中は大騒ぎになりました。

「なぜこんな大切な国の財産を、身内にだけ安く売るんだ!」
「政治家と実業家が結託して、税金をムダにしているじゃないか!」

当時は、自由民権運動といって、国民が「政治にもっと関わりたい!」と声を上げていた時代です。だからこそ、「民の声を無視して、勝手に決めるな!」という怒りが爆発したんですね。

明治十四年の政変と国会開設への影響

この事件がきっかけとなって、明治政府のなかでも大きな変化が起きました。これを「明治十四年の政変(めいじじゅうよねんのせいへん)」といいます。

この政変では、事件に関わった黒田清隆が責任を取って辞任しました。そして、事件の情報を新聞にリーク(秘密をバラすこと)したと疑われた大隈重信(おおくましげのぶ)も、政府から追い出されてしまったのです。

でも、この事件には“良い影響”もありました。国民の怒りを受けた政府は、「このままではマズイ!」と考え、ついに10年後に国会を開くことを約束しました。

つまり、この事件があったからこそ、日本に「国会」が生まれる大きな一歩となったのです。

森友学園問題と似てる?現代との共通点とは

実は、この開拓使官有物払下げ事件は、現代の「森友学園問題」ととてもよく似ていると言われています。

森友学園問題も、国の土地を「ある学校法人」にとても安い値段で売ったことで、「政治家と仲良しだからでは?」という疑いがかけられました。国の財産が特定の団体に安く渡されたという点が、今回の事件とそっくりなんです。

こうした「官(おかみ=政府)」と「民(みん=会社や国民)」の癒着(ゆちゃく:ズブズブの関係)は、昔も今も問題になっています。

つまり、開拓使官有物払下げ事件は、歴史の話だけでなく、今の政治を考えるヒントにもなる大切な出来事なんですね。

開拓使官有物払下げ事件を分かりやすく:影響やその後

さて、ここからは事件のもっと深いところに迫っていきますよ。「どうしてこんな事件が起きたの?」「本当は誰が悪かったの?」など、より詳しい背景や影響を、塾長がていねいに解説していきます!

北海道開拓と10年計画:開拓使の役割とは

開拓使(かいたくし)は、1869年(明治2年)に作られた、北海道や樺太(からふと)などを開発するための特別な政府の役所です。

なぜ北海道の開発が急がれたのかというと、当時ロシアが南の方へ進出していて、「北海道が取られるかも!」という危機感があったからです。また、北海道は石炭や木材などの資源が豊富で、工業や農業の発展にもピッタリでした。

そこで、明治政府は「開拓使10年計画」という大きな計画を立てて、北海道に工場をつくったり、鉄道を引いたり、農業を始めたりしていきました。

この計画の責任者が黒田清隆。彼は「北海道を日本の未来に欠かせない土地にしたい!」という強い思いで仕事をしていたのです。

政府の財政難と赤字続きの北海道開拓事業

しかし、開拓使の10年計画が終わる1881年(明治14年)ごろ、政府は大きな問題を抱えていました。

それは、お金が足りない=財政難(ざいせいなん)です。西南戦争(せいなんせんそう)という大きな戦争のせいで、政府はたくさんのお金を使ってしまっていたのです。

そのため、北海道の開発にこれ以上お金をかけることができなくなりました。しかも、作った工場や農場の多くはまだ赤字(もうけが出ていない状態)だったのです。

黒田清隆は「ここで開発をやめてしまったら、今までの努力がムダになる!」と考え、政府ではなく民間企業に引き継いでもらうことを決めました。

つまり、この事件は「北海道開拓を続けたい!」という黒田の想いと、「もうお金がない…」という政府の現実がぶつかって起きたものだったのです。

新聞の報道と大隈重信のリーク説を検証

この事件が世の中に知られるきっかけになったのは、新聞の報道でした。

特に「東京横浜毎日新聞」や「郵便報知新聞」が「払い下げの条件があまりにも甘すぎる!」と大きく報じたことで、国民の間に怒りが広がっていったのです。

では、誰がこの情報を新聞に漏らしたのでしょうか?

実ははっきりとした証拠はありませんが、当時政府の中でこの払い下げに反対していた大隈重信(おおくましげのぶ)が、「新聞にリークしたのでは?」と疑われました。

大隈は三菱財閥とつながりがあり、三菱もこの払い下げに興味を持っていたため、「ライバルをおとしいれるために情報を流したのでは?」という説が出たのです。ただし、本当のことは今も分かっていません。これが事件の“謎”のひとつなんですね。

北海社と関西貿易社の関係と“誤報”の可能性

実は、この事件にはもうひとつややこしい話があります。

新聞は「五代友厚の関西貿易社に官有物を払い下げる」と報じましたが、実際には「北海社(ほっかいしゃ)」という会社が中心でした。

北海社は開拓使の役人だった安田定則(やすださだのり)がつくった会社で、黒田清隆は「開拓事業を理解している者に引き継いでほしい」と考えて安田を選んだのです。

でも、北海社はお金がなかったので、関西貿易社がバックアップとしてお金を出すことになっていました。つまり、「本当に買おうとしていたのは北海社で、関西貿易社は支援していただけ」という説もあるのです。

もしこれが本当なら、「黒田と五代の癒着だ!」という新聞報道は少し間違っていたかもしれないということになります。

この事件が教科書に載る本当の意味

では、なぜこの事件が教科書にまで載るほど有名なのでしょうか?

それは、この事件をきっかけに日本の政治が大きく動いたからです。

事件後、大隈重信が政府を追われ、黒田清隆も辞任。代わって登場したのが伊藤博文(いとうひろぶみ)です。彼は「これ以上国民の怒りを買うわけにはいかない」と考え、10年後の国会開設を約束しました。

これが、明治憲法や立憲政治へとつながっていく大きな一歩になったのです。

つまり、開拓使官有物払下げ事件は「日本に国会ができるきっかけを作った歴史の転換点」とも言えるのです。だからこそ、テストにもよく出てきますし、しっかり覚えておいてほしい事件のひとつなのです!

総括:開拓使官有物払下げ事件をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 開拓使官有物払下げ事件は、1881年に国の財産(官有物)を特定の会社に不当に安く払い下げようとした事件。
  • 払い下げの相手は、実業家・五代友厚が設立した「関西貿易社」で、当時の開拓長官・黒田清隆と同じ薩摩藩出身。
  • 一部の出身地だけが政治の中心となる「藩閥政治」への批判が強まり、国民の不満が爆発。
  • 払い下げ金額は、約1500万円分の官有物がわずか約40万円・無利息30年払いという破格条件だった。
  • 新聞報道により事件が発覚し、「不公平」「癒着」といった世論の批判が広がる。
  • 政府内では、大隈重信が情報をリークしたと疑われて追放され、黒田清隆も辞任。
  • この事件がきっかけで「明治十四年の政変」が起こり、政府は10年後の国会開設を約束。
  • 現代の「森友学園問題」との共通点も多く、昔も今も“官民の癒着”は大きな社会問題。
  • 北海社が実際の購入者で、関西貿易社は資金提供だけだったという“誤報説”も存在。
  • この事件は日本に国会が生まれるきっかけになった歴史的な転換点として、教科書にも取り上げられている。