今回は「なぜアメリカは国際連盟に参加しなかったのか?」という疑問について、子どもでも分かるようにやさしく解説していきますよ!
アメリカは国際連盟をつくるきっかけをつくった国なのに、どうして自分では入らなかったのでしょうか?
その理由を一つひとつ見ていくと、当時のアメリカの考え方や世界の状況がよくわかってきます。それでは一緒に見ていきましょう!
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国際連盟にアメリカが不参加な理由!なぜ加盟しなかったのか
国際連盟は、第一次世界大戦が終わったあとに「もう戦争はこりごりだ!」という思いから、世界の平和を守るために作られた国際的な組織です。
でも、この連盟を作ることを提案したアメリカのウィルソン大統領の国なのに、なんとアメリカ自身は参加しなかったんです。不思議ですよね?
ここでは、アメリカが参加しなかった理由を5つに分けて、ていねいに解説していきます。
国際連盟にアメリカが不参加な理由は「モンロー主義」があったから
アメリカが国際連盟に入らなかった一番の背景には、「モンロー主義(しゅぎ)」という考え方がありました。これは、1823年にアメリカのモンロー大統領が「ヨーロッパのことには関わらないし、アメリカのことにも口出ししないでね!」と言った政策のことです。
つまり、アメリカは「世界の争いごとに巻きこまれたくない」という思いが強かったんですね。第一次世界大戦でたくさんの犠牲が出たこともあり、国民の多くは「もう外国の戦争には関わりたくない!」と思っていたのです。
そんな空気のなかで、「外国のトラブルにも対応しなきゃいけない国際連盟に入るのはちょっと……」とためらったんですね。
「議会の反対」があったため
もう一つの大きな理由は、アメリカの「議会(ぎかい)」が反対したからです。
国際連盟に入るためには、ヴェルサイユ条約という条約をアメリカの議会が「OK!」と認めなければなりません。でも、当時のアメリカの上院(じょういん)では、共和党という政党が多くをしめていて、ウィルソン大統領(民主党)の案に強く反対していたんです。
彼らは「国際連盟に入ると、アメリカが戦争に巻きこまれるかもしれない。それはまずい!」と考えていました。結局、何回も話し合いがされましたが、上院はヴェルサイユ条約を批准(ひじゅん=正式に認めること)しませんでした。
だからアメリカは、国際連盟に参加できなかったんですね。
ウィルソン大統領の理想と現実のギャップ
ウィルソン大統領は、「世界に二度と戦争が起きないようにするには、国と国が話し合いの場をもつことが大事だ!」という理想をもち、「十四か条の平和原則(へいわげんそく)」という提案も出しました。国際連盟も、そのアイデアの一つとして生まれたのです。
しかし、この理想はアメリカ国内ではあまり受け入れられませんでした。
「きれいごとを言ってるけど、実際はそんなにうまくいかないよ」と思う人が多かったのです。また、ウィルソン大統領は病気にもなり、議会との対立もうまく解決できませんでした。
理想と現実のギャップが広がっていき、結果的に国際連盟への不参加という選択につながってしまいました。
国際連盟の仕組みにアメリカが懸念を示した理由
国際連盟の中では、何かを決めるときに「全会一致(ぜんかいいっち)」というルールがありました。これは、どの国も「はい」と言わないと決まらないという仕組みです。このルールだと、一つの国が反対するだけで何も決められなくなってしまうんですね。
さらに、国際連盟には「軍隊」がなかったため、ルールを破った国にたいして強制的に何かをさせることができなかったのです。
「注意はできるけど、止める力はない」という状態でした。アメリカは、「こんなに力の弱い組織に入っても、かえって責任だけが重くなるのでは?」と心配したのです。
アメリカ世論はなぜ国際連盟参加に消極的だったのか
アメリカの人たちの多くは、第一次世界大戦に参加して大きな犠牲を払ったことを忘れていませんでした。多くの若者が戦争に行き、たくさんの命が失われたのです。
だからこそ、「もう海外の争いには巻き込まれたくない!」という考え方が広がりました。これを「孤立主義(こりつしゅぎ)」といいます。
「わざわざヨーロッパの問題に関わらなくてもいい」「アメリカはアメリカのことだけを考えよう」という声が多かったため、国際連盟への参加を望む声は強くなりませんでした。
アメリカの国民の気持ちが、参加へのブレーキになってしまったのです。
国際連盟にアメリカが不参加な理由:影響とその後の動き
アメリカが国際連盟に入らなかったことで、どんな影響があったのでしょうか?また、のちにできた「国際連合」との違いは何だったのでしょう?
ここでは、アメリカ不参加の影響や、国際連盟の問題点、そして国際連合がどう違うのかを見ていきます。
アメリカ不参加が国際連盟に与えた影響
国際連盟は、平和を守るために大きな国が協力することが前提になっていました。でも、世界でもっとも力のある国の一つだったアメリカが参加しなかったことで、その信頼性はぐっと下がってしまったのです。
「作った国が入ってないって、どういうこと?」「じゃあ、本当に大事なときに助けてもらえるの?」という不安が出てきました。
そのため、ほかの国々も国際連盟の力を信じきれず、連盟の決定を無視したりすることもありました。アメリカの不参加は、国際連盟のスタートから大きなマイナスになってしまったのです。
日本やドイツ・ソ連も一時は国際連盟に不在だった理由
アメリカだけでなく、ほかにも大きな国が国際連盟にいなかった時期がありました。まず、ドイツは第一次世界大戦の敗戦国だったため、最初は入れてもらえませんでした。のちに加盟しましたが、1933年には脱退しています。
ソ連(当時は社会主義の国)は、最初は招待されず、1934年になってようやく参加。しかし1939年、フィンランドとの戦争を理由に連盟から除名されました。そして日本も、1931年の満州事変がきっかけで批判され、1933年に脱退しました。
このように、大事な国が次々と連盟を去っていったことで、国際連盟はどんどん力を失っていきました。
「全会一致制」はなぜ機能不全を起こしたのか
国際連盟では、すべての決定を「全会一致」で行うルールがありました。つまり、60近くあった加盟国すべてが「はい」と言わないと、何も決められなかったのです。
たとえば、どこかの国がルールを破ったときでも、1国でも反対すれば対応できません。話し合いがスムーズに進まず、大切な問題も先送りになることが多かったのです。
このルールでは、スピード感ある対応や強いリーダーシップをとるのがとても難しく、戦争を止めたりする力にはなれませんでした。そのため、「決められない国際機関」として世界の信頼を失っていったのです。
国際連盟に軍事力がなかったことで何が起きたのか?
国際連盟は「話し合いで平和を守ろう」という理念のもとに作られました。でも、実際に悪いことをする国が出てきたとき、それを止めるための「軍事力」がなかったのです。
たとえば、日本が満州に進出して満州国をつくったとき、中国は国際連盟に訴えました。国際連盟は「ダメだよ」と注意はしたものの、それを止める力がありませんでした。結局、日本は言うことを聞かずに連盟を脱退してしまいました。
軍隊を持たない国際連盟では、ルールを破った国に強く出ることができなかったのです。これが、国際連盟が失敗した大きな理由の一つでした。
アメリカが国際連合には加盟した理由
そんな中で、第二次世界大戦が終わったあと、新たに作られたのが「国際連合(こくさいれんごう)」です。このとき、アメリカは最初から加盟しました。なぜなら、国際連合では、国際連盟の反省を活かして、いろいろな仕組みが改善されていたからです。
たとえば、国際連合では「多数決」で物事が決まりやすくなり、実際に軍事力を使うための仕組みもつくられました。さらに、本部をアメリカのニューヨークに置いたことで、アメリカも深く関わるようになりました。
アメリカは「今度こそ平和を守る組織に参加しよう!」と考え、国際連合に加わったのです。こうして、アメリカは世界の平和づくりに大きな役割を果たすようになっていきました。
総括:国際連盟にアメリカが不参加な理由まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- アメリカが国際連盟に不参加だった理由は「モンロー主義」が背景にあった
- 議会(特に共和党)の反対により、ヴェルサイユ条約が批准されなかった
- ウィルソン大統領の理想(14か条)とアメリカ国内の現実とのギャップがあった
- 国際連盟の制度(全会一致・軍事力なし)にアメリカは不安を感じていた
- アメリカ国民は「孤立主義」の考え方が強く、国際問題への関与を嫌がっていた
- アメリカが不参加だったことで、国際連盟の信頼性や影響力が下がった
- ドイツ・ソ連・日本も一時的に国際連盟に不在で、連盟の力は弱まっていった
- 全会一致制のため迅速な決定ができず、機能不全を起こしていた
- 軍事力がなかったため、侵略行為に対して有効な対応ができなかった
- アメリカは反省を活かした国際連合には加盟し、平和維持に貢献するようになった