今日は「ミッドウェー海戦に勝っていたら?」という歴史のif(もしも)をテーマに、子どもたちにもわかりやすくお話していきます。
ミッドウェー海戦といえば、太平洋戦争の中でも非常に大きな転機となった海戦です。日本はここで空母4隻を失う大敗を喫しましたが、もし勝っていたとしたら、その後の戦争や世界の歴史はどのように変わっていたのでしょうか?
今回は「勝っていたらどうなったのか?」という視点から、日本軍のその後、世界の変化まで、さまざまな角度で考えていきますよ!
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ミッドウェー海戦に勝っていたら?日本軍のその後をif考察
日本がミッドウェー海戦に勝っていたとしたら、太平洋戦争の流れは一時的に変わっていた可能性があります。しかし、勝利によって得られたのは「戦術的な成功」であり、戦略的な勝利とは限りません。ここからは「勝っていた場合」に起こり得たことを、現実的な視点で順番に考察していきましょう。
日本はハワイを攻略できた?
「ミッドウェーに勝ったら、次はハワイ!」と考えたくなるかもしれませんね。でも、実際にはハワイ攻略はかなり難しかったのです。
まず、ハワイは真珠湾という強力な軍港を持ち、アメリカ軍の重要な拠点です。ミッドウェーと違い、要塞化されていて防備が非常に強く、航空戦力や潜水艦の反撃も想定されていました。
さらに、補給の問題も深刻でした。ミッドウェーからハワイまでは距離があり、物資や燃料を安定して送り続けるには、かなりの数の輸送船と護衛艦が必要です。しかし日本にはそれを継続する力が足りませんでした。
もし強行していたら、逆に大きな損害を受ける可能性も高く、ハワイを攻略する前に撤退を余儀なくされていたかもしれませんね。つまり「ハワイ占領」は、ミッドウェー勝利の次のステップには現実的でなかったというのが、塾長の見解です。
ガダルカナル戦はどうなるか
史実では、ミッドウェー海戦の直後にガダルカナル戦が始まりました。日本軍はここでも苦戦し、戦局が大きく傾いたわけですが、もしミッドウェーで空母が無事だったら?
例えば、飛龍や赤城などが健在だった場合、航空支援が十分に行われていた可能性があります。そうなれば、ガダルカナルでの戦いももっと有利に進められたかもしれません。
特に重要なのは「制空権」です。航空機の援護があるかどうかで、地上部隊の動きがまったく変わります。もし日本が制空権を保てていたら、輸送船も無事に物資を届けられ、兵力の補充もスムーズにいったでしょう。
とはいえ、アメリカの反撃も強力で、完全な勝利とまではいかないかもしれません。でも、長期戦にはならず、日本がある程度ガダルカナルを維持できた可能性はありますよ。
日本は講和に持ち込めた
戦争を続けるのではなく、どこかで講和(話し合いで終戦)に持ち込めたら、日本にとっては大きな意味がありますね。では、ミッドウェーで勝っていたら、そんな展開はあったのでしょうか?
確かに、初期の段階で大きな勝利をおさめれば、アメリカ国内でも「戦争反対」の声が強まったかもしれません。戦争が長引くほど、アメリカの国民の負担は増えていくからです。
しかし、ここで問題になるのが「日本の外交力」です。日本は戦争中、アメリカとの交渉のチャンスをうまく活かせませんでした。諜報活動(情報収集)や交渉術が弱く、「勝ったから和平にしよう」という戦略が立てられなかったのです。
そのため、たとえミッドウェーで勝っていたとしても、それを「講和」につなげることは難しかったといえるでしょう。つまり、戦争を早く終わらせるには、勝利だけでなく、戦略と外交の力が必要だったのです。
日本の敗戦は回避できた
これは多くの人が気になるポイントですね。でも結論から言えば、たとえミッドウェーで勝っていたとしても「日本の敗戦は避けられなかった」と考えられます。
なぜなら、アメリカの「物量」が圧倒的だったからです。戦争中盤以降、アメリカではエセックス級空母などの新型艦がどんどん完成し、航空機もヘルキャットなどの高性能機が量産されました。さらに、VT信管やレーダーといった最新技術の開発でも日本を大きく引き離していました。
一方、日本は資源不足で、新しい艦や飛行機をつくってもパイロットが足りません。熟練搭乗員は次々と失われ、戦力は徐々に減少していきました。
つまり、たとえ一時的に勝っても、それを維持する力がなかったのです。勝利を活かして戦争全体を有利に運ぶには、国の産業力・技術力・資源確保の全てが必要でした。それが欠けていた日本では、敗戦は時間の問題だったのです。
ソ連参戦や原爆投下のタイミングは?
戦争の終盤、重要な出来事が2つありました。それが「ソ連の参戦」と「原子爆弾の投下」です。もしミッドウェーで日本が勝利していたら、これらのタイミングにも変化があった可能性があります。
まず、ミッドウェー海戦での敗北がなければ、日本の戦力はもう少し持ちこたえていたかもしれません。すると戦争終結の時期も遅れ、結果的に「1945年8月」より数ヶ月〜1年は長引いていた可能性が高いです。
そうなると、ソ連はドイツ降伏後さらに力を蓄えてから満州に進行し、日本列島にも上陸する準備が整っていたかもしれません。日本が朝鮮半島のように「南北に分断統治」される危険性も出てきます。
また、アメリカとしては戦争を早く終わらせるために、原爆投下をさらに過激に行ったかもしれません。広島・長崎に加え、さらに別の都市も標的になっていた可能性もあるのです。
つまり、ミッドウェーの勝利があっても、それが戦争の悲劇を避ける結果になったとは限らず、むしろ終戦をより悲惨な形にしていたかもしれませんね。
ミッドウェー海戦に勝っていたら?世界と日本の歴史はこう変わっていたかも
ここからは、日本だけでなく「世界全体」がどう変わっていたかを考えてみましょう。歴史の大きな流れの中で、ミッドウェーの勝利が与える影響は決して小さくありません。では、いくつかの視点でそのif(もしも)を見ていきましょう!
太平洋戦争の主導権は日本に?
一時的には、日本が太平洋戦争の主導権を握っていたかもしれません。
ミッドウェーで空母を4隻も失わず、アメリカの艦隊に大打撃を与えていれば、戦場での自由度が大きく広がります。海上航路の支配や補給線の確保、次の作戦への展開も、より有利に行えたでしょう。
しかし、それは「戦術的な主導権」にすぎません。「戦略的主導権」とは、資源・生産力・兵站まで含めた広い意味での力です。この点でアメリカに追いつくことは難しく、結局は再び主導権を奪い返されてしまったでしょう。
ですから、日本が戦争の流れを変えるには、ミッドウェー勝利「だけ」では足りなかったのです。
日本の航空戦力は持続できた?
史実では、ミッドウェーで空母4隻が沈み、多くの熟練搭乗員を失いました。これがその後の日本海軍の戦力低下に直結したわけですが、もし勝っていたら?
まず、空母を温存できていれば、航空機の運用が続けられ、ガダルカナルなどの後続戦にも強力な航空支援が可能だったでしょう。そして何より、「ベテランのパイロット」を失わなかったことが非常に大きいです。
日本の搭乗員養成は時間がかかり、短期育成ではなかなか一人前には育ちません。なので、戦争の中で「育てた人材を失わない」ことが何よりも重要だったのです。
とはいえ、物資や燃料不足という根本的な問題は残ったまま。長期的に見ると、やはり航空戦力の持続には限界があったと思われます。
連合艦隊の評価はどうなっていた?
ミッドウェーでの敗北は、日本海軍の指導者たちの評価にも大きく影響しました。特に山本五十六や南雲忠一などの評価は、戦後に大きく分かれています。
もしミッドウェーで勝利していたら、山本五十六は「天才的な戦略家」としてさらに称えられていたでしょう。南雲忠一も「実行力のある指揮官」として名を残したかもしれません。
ただし、戦局がその後悪化すれば、「一時的な勝利に酔いしれた」と批判されることもありえます。つまり、最終的な結果によって評価は大きく変わるのです。
歴史上の人物は、その時々の出来事だけでなく、全体の流れの中で評価されるということを、塾長としても伝えておきたいですね。
アメリカの反攻はどう変わった?
アメリカは戦争初期こそ苦戦しましたが、1943年以降は強力な反撃体制を整えていきました。もしミッドウェーで敗れていたら、その反攻計画にも遅れが出ていたでしょう。
とくに、エセックス級空母の配備やIsland Hopping(中部太平洋攻略作戦)の開始は、数ヶ月は遅れたかもしれません。
ですが、アメリカの生産力はとてつもなく強大でした。戦争が少し長引いたとしても、新たな艦や航空機を次々と投入できる体制が整っていたため、最終的には巻き返してきたはずです。
反攻のスタートは遅れるけれど、止まることはなかった。そんなアメリカの底力が、この戦争の本質だったとも言えるでしょう。
戦後の国際秩序も変化していた?
最後は、戦後の世界までifストーリーを広げてみましょう。
もし日本がミッドウェーで勝利し、戦争が長引いていたら、戦後の世界秩序も少し違っていたかもしれません。例えば、ソ連がより積極的に日本に進出していたら、朝鮮戦争のように「日本が南北に分断」される可能性もありました。
また、アメリカによる占領政策も、より厳しくなっていたかもしれません。GHQの民主化政策や憲法改正、経済支援なども、違った形で行われていた可能性があります。
つまり、ミッドウェーの勝利は、戦争だけでなく「戦後の未来」さえも大きく変える可能性を秘めていたのです。
総括:ミッドウェー海戦に勝っていたら?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- ミッドウェー海戦で勝っていても、ハワイ攻略は現実的ではなかった
→ 防備の固さや補給の難しさから、占領は困難だった。 - 空母が残っていれば、ガダルカナル戦は有利に進められた可能性がある
→ 制空権と補給が改善され、日本の戦局がやや好転した可能性も。 - 勝利を講和につなげるのは困難だった
→ 外交力や諜報力が弱く、和平への道筋は描けなかった。 - 敗戦は避けられなかったと考えられる
→ アメリカの物量・技術・生産力の前に、日本の戦力は長期維持が不可能。 - 戦争が長引き、ソ連の参戦や原爆投下の影響が大きくなった可能性もある
→ 日本の分断統治や、原爆の追加投下リスクも。 - 一時的に太平洋戦争の主導権を握れた可能性あり
→ ただし戦略的な優位にはつながらない。 - 空母と熟練搭乗員の損失を防げた可能性がある
→ とはいえ、資源や燃料の制約は依然として大きな問題。 - 連合艦隊の指導者評価が変わっていたかもしれない
→ 勝てば名将扱い、負ければ批判の対象。 - アメリカの反攻開始は遅れても、反撃自体は止まらなかった
→ 米国の国力により、最終的には巻き返された。 - 戦後の国際秩序や日本の占領政策も変化した可能性がある
→ ソ連の影響拡大、日本の分断、厳格な占領統治の可能性。