今日は「三国干渉(さんごくかんしょう)」について、子どもたちにも分かるように、やさしく解説していきます。
この出来事は、日本が日清戦争に勝ったあと、ヨーロッパの強い国たちから「待った!」をかけられたというお話です。でも、ただの「横やり」ではありません。それぞれの国に深い理由があって、日本も大きな選択を迫られました。
「なぜそんなことが起きたの?」「どんな影響があったの?」という疑問に、しっかり答えていきます!
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三国干渉はなぜ行われたのか?理由を分かりやすく
三国干渉は、1895年に起きた日本と列強の間での大きな外交事件です。日清戦争後、日本が遼東半島を獲得したことに対して、ロシア、フランス、ドイツが強く反発しました。
その背景には、列強の東アジアに対する戦略や国際関係の複雑さが影響しています。
三国干渉が起こったのはなぜ?きっかけは?
三国干渉が起こったきっかけは、日清戦争のあとに結ばれた「下関条約(しものせきじょうやく)」です。この条約で、日本は清(しん)という国から、遼東半島(りょうとうはんとう)という地域をもらうことになりました。
この遼東半島は、中国の北東にあり、とても大事な場所です。なぜなら、海に面していて船を出しやすく、軍事的にも経済的にも重要な拠点だからです。
そのため、ヨーロッパの強い国、ロシア・フランス・ドイツは、「日本がこんな場所を持つなんて、困る!」と考えました。特にロシアは、すぐ近くの満州(まんしゅう)という地域に目をつけていたので、日本に先を越されるのがイヤだったのです。
こうして、日本が手に入れた遼東半島を返すように、3か国がそろって「勧告(かんこく)」をしてきたのが三国干渉です。
なぜロシアは三国干渉を主導したのか?狙いは不凍港と南下政策
三国干渉の中心となった国はロシアです。では、なぜロシアはそこまでして日本に反対したのでしょうか?それは「不凍港(ふとうこう)」が関係しています。
ロシアは寒い国で、北の港は冬になると氷で船が出せなくなります。そこでロシアは、一年中凍らない港=不凍港を南の方に求めていました。遼東半島の先にある旅順(りょじゅん)や大連(だいれん)は、その条件にぴったりだったのです。
ロシアは「南下政策(なんかせいさく)」といって、昔から南の方に進出していこうとしていました。そのため、日本がその地域を手に入れると、自分のチャンスがなくなると考えたのです。
こうしてロシアは、日本の遼東半島獲得を止めるために、フランスとドイツを味方に引き入れて、三国干渉を始めたのです。
なぜドイツとフランスが加わったのか?列強の思惑と同盟関係の影響
ロシアだけでなく、フランスとドイツも三国干渉に加わりました。では、この2つの国はなぜ参加したのでしょうか?
フランスはロシアと「露仏同盟(ろふつどうめい)」という秘密の約束を結んでいました。仲が良かったので、ロシアに協力することは自然なことだったのです。
ドイツの理由はもう少し複雑です。ドイツは、ロシアが西のヨーロッパに注意を向けると、自分の国が危なくなると考えていました。だから、ロシアの興味を東アジアに向けさせることで、自分たちのヨーロッパ側の安全を確保したかったのです。
また、ドイツも東アジアでの影響力を持ちたかったので、「日本に文句を言うグループ」に入ることで、自分も発言権を得ようとしたのです。
つまり、三国干渉は「列強(れっきょう)」とよばれる強い国々が、自分たちの利益を守るために結託した行動だったのです。
なぜ日本は三国干渉を受け入れたのか?軍事力と国際関係の限界
日本はせっかく戦争に勝って、遼東半島を手に入れたのに、どうしてそれをあっさり返してしまったのでしょうか?
それは、単純に「力の差」があったからです。当時の日本は、日清戦争でようやく勝ったばかりで、ロシア・ドイツ・フランスという大国3か国と同時に戦う力はありませんでした。
さらに、日本はイギリスやアメリカに助けを求めましたが、「私たちは中立です」と言われてしまいました。つまり、日本は一人で列強と向き合わなければならなかったのです。
そのため、政府は苦しい決断を迫られました。戦争を避けるために、遼東半島を清に返すことを選んだのです。このとき、「日本は屈した(くっした)」とも言われますが、国を守るための勇気ある決断でもありました。
なぜ「臥薪嘗胆」が生まれたのか?三国干渉と国民の反応
三国干渉のあと、日本の国民の間では大きなショックと怒りが広がりました。なかには、泣いて悔しがる子どももいたそうです。
そんなとき、よく使われた言葉が「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」です。これは「復しゅうのために、つらいことを我慢する」という意味です。昔の中国の話がもとになっていて、「復しゅうのために、苦い肝(きも)をなめて耐えた」というエピソードに由来します。
この言葉は、日本の人々が「いつかロシアに仕返ししてやるぞ!」という思いを表すスローガンになりました。
そして実際に、日本はこの悔しさをバネにして軍備を整え、約10年後の日露戦争でロシアと戦うことになります。三国干渉は、日本の外交・軍事の方向を大きく変えた出来事だったのです。
三国干渉はなぜ行われた?内容とその後の影響
ここからは、「三国干渉ってどんなことをされたの?」「その後、日本や世界はどう変わったの?」という点を、塾長がわかりやすく解説していきます。
三国干渉は、ただの外交トラブルではありません。アジアのバランスが大きく変わるきっかけになった、歴史的にもとても重要な出来事でしたよ!
三国干渉の内容とは?遼東半島返還の勧告の中身を解説
三国干渉の内容は、とてもシンプルですが、強いインパクトがありました。1895年4月23日、ロシア・フランス・ドイツの3か国が日本に対して、次のような「勧告(かんこく)」を出したのです。
「日本が遼東半島を持ち続けることは、清国の首都である北京を脅かすし、朝鮮の独立にも悪影響がある。だから、清に返したほうが東アジアの平和のためにもいいですよ。」
この「返したほうがいい」という言い方の裏には、「返さなければ戦争も辞さない」というプレッシャーがありました。とくにロシアは、軍艦を動かすほどの強い姿勢を見せていました。
つまり、日本は「やさしいお願い」ではなく、「力づくの脅し」にあったのです。
三国干渉の結果、日本が失ったものと得たものとは?
三国干渉の結果、日本はやむを得ず、手に入れたばかりの遼東半島を清に返すことにしました。これは、日本にとって大きな損失でした。
しかし、まったくの「ただ返す」ではありませんでした。清国との交渉の中で、日本は返還の「代償金」として 3000万両(約4,600万円) を受け取ることになりました。
これは日本にとって慰めにもならない金額でしたが、そのお金はのちの軍拡計画「六六艦隊」などに使われ、日本の軍事力強化に役立つことになります。
とはいえ、国際的には「日本は列強に屈した」というイメージがついてしまい、日本政府も国民も大きな悔しさを感じました。
三国干渉の影響① ロシアの遼東半島進出と清国の変化
三国干渉のあと、最も得をしたのはロシアです。日本に返させた遼東半島を、今度は自分たちが清国に「貸して」と言って、1898年に旅順・大連を租借(そしゃく)しました。
租借というのは、他の国の土地を「借りて使う」制度ですが、実質的にはその国のものとして使われることが多いです。
こうしてロシアは、不凍港を手に入れて、満州や朝鮮への進出を加速させました。その動きに対して清国の中では外国の影響に反発する動きが強まり、政治もさらに混乱していきました。
三国干渉によって、清国がさらに列強に支配される道をたどることになったのです。
三国干渉の影響② 日英同盟・日露戦争へと続く対立の火種
三国干渉で受けた屈辱は、日本の外交と軍事の方向を大きく変えることになりました。政府は「もう2度と屈しない!」という思いから、軍備を強化していきます。
その中で日本が目をつけたのが、イギリスとの協力です。イギリスはロシアの南下政策を警戒しており、日本と利害が一致していました。1902年、日本はイギリスと「日英同盟(にちえいどうめい)」を結び、ロシアに対抗する準備を整えます。
そして1904年、ついに日本はロシアと戦争を始めます。これが「日露戦争(にちろせんそう)」です。三国干渉で始まったロシアとの対立は、ここで大きな戦いに発展したのです。
三国干渉の影響③ 「中国分割」や義和団事件との関係とは?
三国干渉は、日本だけでなく、清国やアジア全体にも大きな影響を与えました。列強は、清国が弱っているのを見て、「これはチャンスだ!」とばかりに、さまざまな地域を租借したり、鉄道敷設権(てつどうふせつけん)を得たりしていきました。
これがいわゆる「中国分割(ちゅうごくぶんかつ)」です。清の中で、外国の国がそれぞれ自分の影響力を持とうと争ったのです。
このような外国の侵略に対して、中国の民衆は怒り、やがて「義和団(ぎわだん)」というグループが立ち上がります。そして、外国人を攻撃する「義和団事件」へとつながっていきます。
つまり、三国干渉は日本と列強の関係だけでなく、中国や東アジア全体の歴史を大きく動かした出来事だったのです。
総括:三国干渉はなぜ行われた?理由まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
✅ 三国干渉の理由と背景(なぜ行われた?)
- 日清戦争の結果、日本が遼東半島を獲得 → ロシアが強く反発。
- ロシアの目的は不凍港の確保と南下政策の実現。
- フランスは露仏同盟による協力、ドイツは東アジアへロシアの関心を向けたかった。
- 日本は軍事力で列強に対抗できず、やむなく遼東半島を返還。
- 国民の怒りから「臥薪嘗胆」というスローガンが生まれた。
✅ 三国干渉の内容とその後の影響
- 三国(ロシア・フランス・ドイツ)が日本に遼東半島の返還を勧告。
- 返還の代償として清から3000万両を受け取るも、国民は屈辱を感じた。
- ロシアは旅順・大連を租借し、満州や朝鮮への進出を強化。
- 日本は軍備を増強し、日英同盟を結んで日露戦争へと進んだ。
- 清では「中国分割」が進み、義和団事件など混乱が拡大した。