歴史の授業で「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」について習いましたか?

明治時代が始まる直前、旧幕府軍と新政府軍が戦ったこの戦争で、新潟の「新発田藩(しばたはん)」はある決断をしました。それが「奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)」を離れて官軍につくという行動です。

この決断によって、新発田藩は「裏切り者」と呼ばれることになりました。でも、本当にそうだったのでしょうか?新発田藩の藩主や家臣たちはどんな想いでこの決断をしたのでしょうか?そして、新発田藩が官軍についたことで、戦局はどう変わったのでしょう?

今回は、そんな「新発田藩の裏切り」について、塾長である私が、わかりやすく解説していきます!

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戊辰戦争で新発田藩はなぜ裏切り者とされたのか?

戊辰戦争の中で、新発田藩は「裏切り者」と呼ばれました。その理由は、新発田藩が「奥羽越列藩同盟」に一度は参加しながらも、最終的に官軍側についたからです。しかし、この決断の裏には、新発田藩独自の事情や背景がありました。それでは、一つずつ見ていきましょう!

新発田藩の「裏切り」とは?戊辰戦争での立場を解説

新発田藩はもともと「尊王派(そんのうは)」といって、天皇を大切にする考えを持っていた藩です。しかし、周りの藩が次々と「奥羽越列藩同盟」に参加していく中、新発田藩も強い圧力を受けました。

最初は同盟に加わりましたが、戦いが激しくなるにつれて、「本当にこのままでいいのか?」と悩むようになります。

実は、新発田藩は地理的にもとても重要な場所にありました。新潟港を守る役割があったので、官軍も旧幕府軍も、新発田藩を味方にしたかったのです。そんな中で、新発田藩は「このまま同盟に残ると大変なことになる」と考え、最終的に官軍に寝返ることを決めました。

この動きが、結果として「裏切り者」と言われる理由になったのです。

新発田藩が官軍についた理由とは?その背景を解説

新発田藩が官軍側についた理由は、大きく分けて3つあります。

1つ目は、新発田藩がもともと尊王派であり、新政府を支持する考えがあったこと。もともと幕府のために戦うつもりがなかったのです。

2つ目は、地理的な問題です。新発田藩は、新潟港に近く、この港が戦争の鍵を握る重要な場所だったため、官軍にとっても旧幕府軍にとっても重要な地域でした。そのため、新発田藩はどちらの勢力からも圧力を受けることになりました。

3つ目は、領民(りょうみん)を守るためです。戦争が激しくなると、戦場となった土地の人々が苦しむことになります。もし新発田藩が同盟側に残っていれば、大きな戦火に巻き込まれてしまったでしょう。そのため、「少しでも被害を減らしたい」と考えた家老たちが、官軍側につく決断をしたのです。

新発田藩の裏切りは戦略的な選択だった?

新発田藩の裏切りは、感情的なものではなく、生き残るための「戦略的な選択」だったと言えます。

歴史を振り返ると、戦国時代でも幕末でも、「どちらにつくか?」の判断を間違えた藩は滅びてしまいました。新発田藩は、藩を存続させるため、そして領民を守るために慎重に考えた上で、新政府軍側についたのです。

また、結果的に新発田藩は存続し、廃藩置県まで続くことができました。逆に、最後まで旧幕府軍に忠誠を尽くした長岡藩は、大きな被害を受けてしまいました。そう考えると、新発田藩の判断は「正しい選択」だったのかもしれません。

新発田藩の裏切りが与えた影響とその結果

新発田藩が官軍についたことで、戦局は大きく変わりました。

新発田藩は、官軍の進軍を助ける形になり、旧幕府軍が計画していた作戦が崩れてしまいました。特に、新政府軍が新潟方面に進む際、新発田藩の寝返りによってスムーズに進軍できたのです。これは、奥羽越列藩同盟にとって大きな痛手となりました。

また、新発田藩が官軍についたことで、同じように迷っていた他の藩も「こっちについた方がいいのかも?」と考えるようになり、結果的に奥羽越列藩同盟は崩壊していきました。

新発田藩の裏切りは正義だったのか?

「裏切り」と言われると悪いことのように感じますが、新発田藩の行動は「正義」とも言えます。

なぜなら、新発田藩が戦わずに済んだことで、多くの領民が守られたからです。もし新発田藩が最後まで同盟側にいたら、長岡藩のように戦火に巻き込まれ、多くの人々が命を落としていたかもしれません。

また、歴史的に見ても「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があります。どんなに忠義を尽くしても、負けた側は「賊」とされてしまうのが歴史の常です。新発田藩は「負ける側にいたくない」という判断をしたとも言えます。

こうして見ると、新発田藩の決断は「裏切り」ではなく、「生き残るための賢い選択」だったのかもしれませんね。

戊辰戦争での新発田藩の裏切りへの現代の評価

新発田藩の裏切りは、150年以上経った今でも語り継がれています。歴史の授業ではあまり詳しく取り上げられませんが、地元の人々の間では「裏切り」として語られることもあれば、「正しい決断だった」と評価されることもあります。

では、現在の新発田藩の評価や、地域の人々の考え方はどうなっているのでしょうか?

新発田藩の裏切りは今も「裏切り」として語られる?

戊辰戦争の際に旧幕府軍側についた長岡藩などでは、新発田藩の行動を「裏切り」と見なす声が今もあります。特に、戦争で甚大な被害を受けた長岡藩の人々にとっては、「新発田藩が最後まで同盟側についてくれていたら、戦局は変わっていたかもしれない」と考える人もいるのです。

例えば、地元の歴史愛好家の中には、「新発田藩の裏切りがなければ、長岡藩はもう少し持ちこたえられた」という意見を持つ人もいます。しかし、歴史を客観的に見てみると、新発田藩が同盟側に残っていた場合、さらに多くの犠牲者が出た可能性が高いことも事実です。

そのため、「裏切り」という評価は、立場や考え方によって異なることがわかります。

新発田市の人々はどう考えているのか?

新発田藩の「裏切り」は、地元の人々の間でも意見が分かれる話題です。

新発田市では、歴史を学ぶ機会が多く、「新発田藩は領民を守るために最善の決断をした」と考える人も多くいます。そのため、「裏切りではなく、生き残るための決断だった」という見方も強いです。

しかし、一部の人々の間では「新発田藩は歴史的に見ても少し消極的な対応が多かったのではないか?」と批判的な意見もあります。実際に、新発田藩は幕末の動乱期において、他の藩のように大きな戦いを起こすことなく、慎重に立ち回っていたのです。

このように、新発田市の人々の間でも、歴史の見方によって意見が分かれることがあるのです。

「新発田藩の裏切り」は映画やドラマでも取り上げられる!

最近では、新発田藩の裏切りをテーマにした映画『十一人の賊軍』が公開されました。この映画では、新発田藩が官軍につくまでの経緯や、そこでの葛藤が描かれています。

監督:白石和彌, Writer:池上純哉, 出演:山田孝之, 出演:仲野太賀, 出演:尾上右近, 出演:鞘師里保, 出演:佐久本宝, 出演:千原せいじ, 出演:岡山天音, 出演:松浦祐也, 出演:一ノ瀬颯, 出演:小柳亮太, 出演:本山力, 出演:野村周平, 出演:音尾琢真, 出演:玉木宏, 出演:阿部サダヲ
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この映画が公開されたことで、新発田藩の決断がどのようなものであったのか、多くの人が関心を持つようになりました。映画の中では、家老・溝口内匠(みぞぐちたくみ)が、新発田藩の未来のために苦渋の決断を下す様子がリアルに描かれています。

このように、新発田藩の歴史は、映画やドラマなどのメディアを通じて新たな視点で語られるようになっているのです。

新発田藩の裏切りが地元の文化に与えた影響

新発田藩の決断は、地元の文化にも影響を与えています。例えば、新発田市には「五階菱(ごかいびし)」という家紋があり、これは新発田藩主・溝口家の家紋です。この家紋は現在の新発田市の市章にもなっており、「新発田藩の歴史を大切にしよう」という意識が根付いています。

また、新発田市では歴史に関するイベントが開催されることもあり、地元の人々が自分たちの歴史を振り返る機会が多くあります。特に、戊辰戦争に関する講演や展示が行われることもあり、歴史の評価について意見交換が行われることもあります。

このように、新発田藩の歴史は、現在の新発田市の文化や市民の意識にも深く関わっているのです。

「裏切り者」か「賢い判断」か?歴史をどう見るか

最後に、新発田藩の裏切りについて、改めて考えてみましょう。

歴史には「勝者の視点」と「敗者の視点」があります。新発田藩が官軍についたことで、結果的に戦争を早く終わらせることができた可能性もあります。その意味では、「賢い判断」だったと言えます。

一方で、長岡藩や奥羽越列藩同盟の視点から見れば、「信じていた新発田藩に裏切られた」と感じるのも理解できます。戦争というのは、時代の流れによって判断が変わるものなのです。

重要なのは、「新発田藩がなぜその決断をしたのか?」をしっかり考えることです。ただ「裏切り者」と決めつけるのではなく、当時の状況や藩の立場を理解することが大切なのです。

総括:戊辰戦争における新発田藩の裏切りまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 新発田藩は戊辰戦争で「裏切り者」とされた
    • 一度「奥羽越列藩同盟」に参加したが、最終的に官軍側についたため。
  • 新発田藩が官軍についた理由
    1. 尊王派の立場 :もともと新政府寄りの思想を持っていた。
    2. 地理的要因 :新潟港をめぐる戦略的な要所だった。
    3. 領民を守るため :戦火を避け、藩と民を存続させるための決断。
  • 新発田藩の決断は戦略的なものだった
    • 旧幕府側に残っていた場合、藩や領民に大きな被害が及ぶ可能性があった。
    • 官軍側についたことで、戦争が有利に進み、新政府にとっても重要な動きとなった。
  • 新発田藩の裏切りによる影響
    • 官軍の進軍がスムーズになり、奥羽越列藩同盟の崩壊を早めた。
    • 同盟内で迷っていた他の藩も官軍側につく流れを作った。
  • 新発田藩の裏切りに対する評価
    • 「裏切り」と批判される側面 :特に長岡藩など旧幕府側の人々には今でも「裏切り」と認識されている。
    • 「正しい判断」と評価される側面 :藩と領民を守るための賢明な選択だったという意見もある。
  • 現代における影響
    • 新発田藩の家紋「五階菱」は現在の新発田市の市章になっている。
    • 戊辰戦争をテーマにした映画『十一人の賊軍』が公開され、新発田藩の決断が再評価されている。
  • 歴史をどう見るか?
    • 「裏切り」と見るか、「生き残るための戦略的判断」と見るかは視点による。
    • 重要なのは、新発田藩が置かれた状況や立場を理解し、歴史を多角的に考えること。