歴史の授業で「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」という言葉を聞いたことがありますか?この戦争は、明治時代の始まりに関わるとても大事な戦いです。

でも「どうして戦争が起きたの?」「誰と誰が戦ったの?」と、疑問に思うことも多いですよね。

そこで今回は、歴史を分かりやすく解説する塾長の私が、戊辰戦争が「なぜ起きたのか」や「どんな戦いがあったのか」を、できるだけかみ砕いて説明します。歴史のテストにも出る内容なので、しっかり覚えていきましょう!

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戊辰戦争の流れやそれぞれの戦いを分かりやすく解説

戊辰戦争は、1868年に始まり、約1年半にわたって続いた戦争です。この戦いは「日本の未来を決める戦争」とも言われるほど重要でした。戦争は日本全国で行われましたが、いくつかの大きな戦いがありました。

ここでは、その流れを分かりやすく解説します。

戊辰戦争の流れを歴史年表で確認

戊辰戦争の流れを年表にまとめると、以下の通りとなります。

年号出来事
1867年(慶応3年)・大政奉還(徳川慶喜が政権を朝廷に返上)
・王政復古の大号令(新政府樹立を宣言)
1868年(慶応4年)・鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争開戦、新政府軍勝利)
・徳川慶喜が江戸へ逃亡
・東海道・中山道・北陸道から新政府軍が江戸へ進軍
・江戸城無血開城(西郷隆盛と勝海舟の交渉成立)
1868年(慶応4年)5月・奥羽越列藩同盟結成(東北・北陸の諸藩が新政府に対抗)
・白河城の戦い(東北戦争勃発)
1868年(慶応4年)7月・二本松城の戦い(新政府軍勝利)
1868年(慶応4年)9月・会津戦争(白虎隊の自決)
・会津藩が降伏
1868年(明治元年)10月・旧幕府軍が蝦夷地(北海道)へ逃れる
・榎本武揚らが箱館(函館)を占拠
1869年(明治2年)5月・五稜郭の戦い(箱館戦争、土方歳三戦死)
・榎本武揚が降伏し、戊辰戦争終結

戊辰戦争の始まり「鳥羽・伏見の戦い」

戊辰戦争の最初の戦いは、1868年1月に起こった「鳥羽・伏見の戦い」です。この戦いは、現在の京都府で起こりました。

旧幕府軍は約15,000人の兵士を集め、京都に攻め込もうとしました。一方、新政府軍はその半分以下の5,000人ほどの兵力しかいませんでした。でも、新政府軍は最新の銃や大砲を持っていたため、戦いが始まるとすぐに有利になりました。

さらに、新政府軍は「錦の御旗(にしきのみはた)」という天皇の軍隊のしるしを掲げました。これによって、戦いの大義名分が「新政府軍=正義、旧幕府軍=賊軍」となってしまい、旧幕府軍の士気が一気に下がってしまいます。これが決定打となり、旧幕府軍は大阪城に撤退。

戦争の流れは、新政府軍に傾いていきました。

江戸城無血開城—戦争を避けた歴史的交渉

「鳥羽・伏見の戦い」で負けた旧幕府軍ですが、この後、新政府軍は江戸(今の東京)に向かって進軍します。しかし、この時、戦争による大きな被害を防ぐためにある交渉が行われました。それが「江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう)」です。

この交渉をしたのが、西郷隆盛(新政府軍側)と勝海舟(旧幕府軍側)です。二人の話し合いの結果、「江戸で戦争をしない」ということで合意し、1868年4月、戦わずに江戸城が新政府軍に明け渡されました。これによって、大都市・江戸が戦火に巻き込まれずに済みました。

この出来事は、歴史の中でも「日本の平和的な政権移行」として高く評価されています。

東北戦争—奥羽越列藩同盟の抵抗

江戸城が開城した後も、旧幕府を支援する東北地方の諸藩はまだ諦めていませんでした。彼らは「奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)」という軍事同盟を結び、新政府軍に対抗しました。

しかし、新政府軍は圧倒的な火力と戦術で次々と勝利を収めました。特に「白河城の戦い」や「二本松城の戦い」では、新政府軍の進撃が止められず、多くの東北の藩が降伏していきました。

最終的に、1868年9月には仙台藩と米沢藩が降伏し、奥羽越列藩同盟は崩壊しました。これによって、新政府軍の支配が日本全体に広がることになりました。

会津戦争—白虎隊の悲劇

東北戦争の中でも特に激しい戦いが「会津戦争(あいづせんそう)」です。会津藩は、新政府軍に強く反発し、最後まで戦い続けました。

しかし、1868年9月、ついに新政府軍が会津若松城を包囲しました。ここで有名な「白虎隊(びゃっこたい)」の悲劇が起こります。白虎隊は16~17歳の若い藩士たちで結成された部隊です。彼らは勇敢に戦いましたが、新政府軍に押されて飯盛山(いいもりやま)まで逃げました。

そのとき、白虎隊の少年たちは、城下町が燃えているのを見て「城が落ちた」と勘違いし、全員が自決してしまったのです。でも、実際には城はまだ落ちていませんでした。白虎隊の自決は「武士の忠誠心」を象徴する出来事として、今も語り継がれています。

最終的に、会津藩は降伏し、新政府軍が東北を完全に制圧しました。

戊辰戦争の終結—箱館戦争と土方歳三の最後

戊辰戦争の最終決戦は、「箱館戦争(五稜郭の戦い)」です。新政府軍に敗れた旧幕府軍の生き残りは、北海道(当時の蝦夷地)に逃れ、榎本武揚(えのもとたけあき)を中心に「蝦夷共和国」を作ろうとしました。

しかし、新政府軍はこれを認めず、軍を送り込みます。そして、1869年5月に五稜郭が陥落し、旧幕府軍は降伏しました。ここで有名な新選組副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)の最期が訪れます。

土方歳三は最後まで戦い抜きましたが、五稜郭の戦いの中で銃弾に倒れました。彼は「武士としての誇り」を貫いたまま、戦場で命を落としたのです。

こうして、約1年半にわたる戊辰戦争は、新政府軍の勝利で幕を閉じました。

戊辰戦争はなぜ起きた?原因を分かりやすく解説

戊辰戦争は1868年から1869年にかけて行われた、日本の歴史の中でとても重要な戦争です。では、どうしてこの戦争が始まったのでしょうか?

この戦争は「新しい日本を作りたい!」という新政府軍と、「まだまだ幕府を続けたい!」という旧幕府軍がぶつかった戦いでした。では、その原因を順番に見ていきましょう。

戊辰戦争の原因は「徳川政権の崩壊」と「新政府の対立」

江戸時代の終わりごろ、日本は大きな問題を抱えていました。300年も続いた徳川幕府が、いよいよ力を失ってきたのです。その理由のひとつは、外国の影響です。ペリーの黒船が来たことで、日本は鎖国をやめ、開国することになりました。でも、それに反対する人もたくさんいました。

「外国と仲良くしないと日本は遅れてしまう!」と考える人もいれば、「外国に支配されるかもしれない!幕府はしっかり守らなきゃ!」と考える人もいました。この考えの違いが、新政府軍(薩摩藩・長州藩など)と旧幕府軍(徳川幕府側)の対立につながったのです。

第二次長州征討の失敗が幕府の権威を弱体化させた

江戸幕府が弱くなっていった原因のひとつが「長州藩」との戦いです。実は、幕府は2回も長州藩を攻めています。でも、2回目の「第二次長州征討(ちょうしゅうせいとう)」で幕府は大失敗しました。

なぜ負けたのでしょうか?それは「薩長同盟」という強力なタッグができていたからです。長州藩と薩摩藩が手を組み、新しい時代を作ろうと動き始めたのです。

幕府はこの2つの藩に負け、「幕府はもう時代遅れだ」と多くの人に思われるようになりました。

大政奉還と王政復古の大号令が戦争の引き金になった

幕府がどんどん弱くなっていく中で、1867年に徳川慶喜(よしのぶ)という人が「もう幕府はやめます」と言って、天皇に政治を返しました。これを「大政奉還(たいせいほうかん)」と言います。

「えっ!?それなら戦争しなくてもいいんじゃないの?」と思うかもしれません。でも、新政府軍は「大政奉還をしても、徳川慶喜がまだ力を持っているじゃないか!」と怒り、「王政復古の大号令(おうせいふっこのだいごうれい)」という命令を出しました。

これによって、完全に幕府をなくし、天皇を中心とした新しい政府を作ろうとしたのです。

薩摩藩邸焼き討ち事件が戦争を決定づけた

新政府軍がどんどん徳川慶喜を追い詰める中、ある事件が起こります。それが「薩摩藩邸焼き討ち事件」です。

これは江戸にあった薩摩藩の屋敷が、旧幕府軍によって襲われ、焼き討ちにされた事件です。新政府軍はこれを口実に「ほら!旧幕府軍が攻撃を始めた!だから戦争だ!」と言い、ついに戦争が始まることになったのです。

テストで問われる「戊辰戦争の背景」

テストでは、戊辰戦争が起きた理由がよく出題されます。特に大事なのは次の3つです。

  1. 大政奉還(1867年) → 幕府が政治を天皇に返した
  2. 王政復古の大号令(1867年) → 新しい政府を作ることを宣言した
  3. 鳥羽・伏見の戦い(1868年) → 旧幕府軍と新政府軍がぶつかり、戦争が始まった

これらの年号を覚えるコツとして、「大政奉還は1867(いや、ろくな)ことにならない年」という語呂合わせを覚えるといいですよ!

総括:戊辰戦争を分かりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 戊辰戦争とは?

  • 戊辰戦争(1868~1869年)は、日本の未来を決めた戦争
  • 新政府軍(薩摩・長州) vs 旧幕府軍(徳川幕府・東北諸藩)の内戦

2. 戊辰戦争の流れ(年表)

  • 1867年
    • 大政奉還:徳川慶喜が政権を朝廷に返上
    • 王政復古の大号令:新政府成立宣言
  • 1868年
    • 鳥羽・伏見の戦い(1月):新政府軍勝利
    • 江戸城無血開城(4月):西郷隆盛と勝海舟の交渉成立
    • 奥羽越列藩同盟(5月):東北諸藩が新政府に対抗
    • 会津戦争(9月):白虎隊の自決、会津藩降伏
    • 旧幕府軍が蝦夷地(北海道)へ逃れる(10月)
  • 1869年
    • 五稜郭の戦い(5月):土方歳三戦死、榎本武揚降伏 → 戊辰戦争終結

3. 戊辰戦争が起きた原因

  • 幕府の衰退(第二次長州征討の失敗で権威低下)
  • 大政奉還(徳川慶喜が政権を返すも影響力を残す)
  • 王政復古の大号令(幕府を完全に排除)
  • 薩摩藩邸焼き討ち事件(旧幕府軍の攻撃を口実に戦争勃発)

4. 戊辰戦争の主要な戦い

  • 鳥羽・伏見の戦い(1868年1月、新政府軍勝利)
  • 江戸城無血開城(1868年4月、戦火を避ける交渉成立)
  • 東北戦争(奥羽越列藩同盟)(1868年5~9月、新政府軍勝利)
  • 会津戦争(1868年9月、白虎隊の悲劇、会津降伏)
  • 五稜郭の戦い(箱館戦争)(1869年5月、旧幕府軍降伏)

5. 戊辰戦争の影響

  • 日本全国が新政府の支配下に
  • 外国の介入を防ぎ、明治維新が進む
  • 武士の時代が終わり、近代国家への道が開かれる

6. テストで問われやすいポイント

  • 大政奉還(1867年) → 幕府が政権を返上
  • 王政復古の大号令(1867年) → 幕府を完全に排除
  • 鳥羽・伏見の戦い(1868年) → 戊辰戦争の始まり