今日は歴史の授業でよく出る「朱印船貿易」と「勘合貿易」の違いについて、分かりやすく解説します!

「どっちが先に行われたの?」「どうして証明書が必要だったの?」といった疑問にしっかり答えます。

さらに、歴史のテストに役立つ語呂合わせも紹介しますよ!歴史が苦手な人も、これを読めばスッキリ理解できること間違いなしです。

朱印船貿易と勘合貿易の違いを比較!どっちが先?

まずは、朱印船貿易と勘合貿易の基本的な違いを比較表で見てみましょう。

朱印船貿易と勘合貿易の比較表|違いを一目で理解

以下が、朱印船貿易と勘合貿易の比較表です。

項目勘合貿易朱印船貿易
時期1404年~16世紀中頃1604年~1635年
貿易の相手明(中国)東南アジア(シャム・ルソンなど)
貿易の方法「勘合符」を使い、朝貢貿易として行われた「朱印状」を使い、許可制の貿易が行われた
貿易品目生糸・明銭・書物、日本からは硫黄・刀剣・銅など生糸・絹織物・砂糖、日本からは銀・硫黄・刀剣など
終焉の理由室町幕府の財政難・応仁の乱江戸幕府の鎖国政策(日本人の海外渡航禁止)

勘合貿易は 室町時代、朱印船貿易は 江戸時代 に行われました。

つまり、勘合貿易の方が先!ですね。

勘合貿易とは?室町幕府が行った貿易の仕組み

勘合貿易は室町幕府の三代将軍・足利義満が始めた貿易です。当時、日本周辺では倭寇(わこう)と呼ばれる海賊が暴れまわっていました。

明(中国)は、「日本の正式な貿易船と海賊を区別しないと貿易はできない!」と言いました。そこで、日本の貿易船が勘合符(かんごうふ)という証明書を持つことになったのです。

勘合貿易では、

  • 生糸や明銭、書物などを輸入
  • 硫黄や銅、刀剣などを輸出

このような品物が取引されました。

しかし、室町幕府が次第に財政難に陥り、 応仁の乱(1467年~)で混乱すると、貿易は徐々に衰退しました。

朱印船貿易とは?江戸時代初期に行われた東南アジア貿易

一方、朱印船貿易は1604年に徳川家康が本格的にスタートさせた貿易です。

この貿易では、幕府が発行する「朱印状」という許可証を持つ船だけが、海外へ行くことを許されました。

朱印状↓

主な貿易の相手は、

  • シャム(タイ)
  • ルソン(フィリピン)
  • カンボジア
  • ベトナム(当時は安南)

などの東南アジアの国々です。

取引された商品には、

  • 日本からは銀・硫黄・刀剣
  • 東南アジアからは生糸・絹織物・砂糖

などがありました。

朱印船貿易によって、日本人が東南アジア各地に「日本町」を作ったことも大きな特徴です。

しかし、1635年には幕府が「日本人の海外渡航禁止」を発令し、朱印船貿易は終わりを迎えました。

勘合貿易・朱印船貿易の歴史を語呂合わせで覚えよう!

歴史のテストに役立つ語呂合わせを紹介します!

✅ 勘合貿易の始まり(1404年)
👉 「1404(いちよんまるよん)、勘合符で貿易だ!」

✅ 朱印船貿易の始まり(1604年)
👉 「1604(いちろくまるよん)、朱印状でGO!」

✅ 朱印船貿易の終わり(1635年)
👉 「1635(いちろくさんご)、鎖国で朱印船STOP!」

これを覚えておけば、テストの点数アップ間違いなしですね!

勘合貿易と朱印船貿易の歴史を深掘り!ポイントまとめ

ここからは、勘合貿易と朱印船貿易の背景や影響をさらに詳しく見ていきます。テストに出やすいポイントや、歴史の流れも押さえておきましょう!

勘合貿易はなぜ日明貿易と呼ばれるのか?

勘合貿易は「日明貿易(にちみんぼうえき)」とも呼ばれます。なぜなら、日本(にち)と明(みん)の間で行われた貿易だからです!

この貿易は、中国(明)の「朝貢貿易」の一部として行われました。朝貢貿易とは、日本の将軍が「日本国王」として明の皇帝に貢物を送るという仕組みです。

その見返りとして、明からは

生糸や絹織物
明銭(貨幣)
書物や美術品

といった貴重な品が贈られました。

ただし、これは「対等な貿易」ではなく、あくまでも明の支配下にある形式でした。そのため、室町幕府の将軍の中には「こんな貿易は嫌だ!」と考え、貿易を中断した人もいました。

朱印船貿易は自由貿易に近かった?幕府の狙いとは?

一方、朱印船貿易は「自由貿易」に近い仕組み でした。

室町時代の勘合貿易とは違い朱印船貿易では、

将軍や幕府が直接関与せず、商人や大名が自由に貿易を行えた
取引相手は明(中国)ではなく、東南アジアの国々
朝貢関係ではなく、対等な貿易だった

という特徴がありました。

幕府は、「貿易の利益は幕府が管理したい!」と考え、
✅ 許可証(朱印状)を発行し、勝手な貿易を禁止
幕府に認められた商人や大名だけ に貿易を許可

というルールを作りました。

これにより、東南アジアの各地に日本人が移住し、「日本町」が作られたのも大きなポイントです。

勘合貿易と朱印船貿易の終焉|どんな影響を残したのか?

どちらの貿易も、ある理由によって終わりを迎えます。

勘合貿易の終焉(16世紀中頃)


室町幕府の財政難 により、貿易を維持できなくなった
応仁の乱(1467年~) で国内が混乱し、貿易どころではなくなった

室町幕府が弱体化したことで、明との貿易は自然に消滅してしまいました。

朱印船貿易の終焉(1635年)

✅ 幕府が 鎖国政策 を進め、日本人の海外渡航を禁止
✅ キリスト教の広まりを防ぐため、外国との貿易を制限

朱印船貿易は幕府の命令で禁止されました。こうして、日本は「鎖国」の時代に入っていきます。

テスト対策!勘合貿易・朱印船貿易に関する重要用語まとめ

歴史のテストでは、重要用語をしっかり覚えることがカギ!ここで、必ず覚えておくべき用語をまとめます。

勘合符(かんごうふ):日本と明の間で使われた貿易証明書
朱印状(しゅいんじょう):江戸幕府が発行した貿易許可証
倭寇(わこう):日本や中国の沿岸で活動した海賊
日明貿易(にちみんぼうえき):勘合貿易の別名
日本町(にほんまち):東南アジアに作られた日本人の居住地

この5つはテストに出る可能性大なので、しっかり覚えましょう!

勘合貿易と朱印船貿易はテストに出る?覚えておくべきポイント

最後に、テストでよく出る重要ポイントをおさらいしましょう。

どっちが先? → 勘合貿易(1404年開始)
貿易の相手国 → 勘合貿易は明、朱印船貿易は東南アジア
証明書の違い → 勘合符(室町)と朱印状(江戸)
終焉の理由 → 勘合貿易は室町幕府の財政難、朱印船貿易は鎖国政策

この4つのポイントを押さえておけば、歴史のテストはバッチリ!

総括:朱印船貿易と勘合貿易の違いまとめ

最後にもう一度、朱印船貿易と勘合貿易の違いをまとめておきます。

項目勘合貿易朱印船貿易
時期1404年~16世紀中頃1604年~1635年
貿易の相手明(中国)東南アジア(シャム・ルソンなど)
貿易の方法「勘合符」を使い、朝貢貿易として行われた「朱印状」を使い、許可制の貿易が行われた
貿易品目生糸・明銭・書物、日本からは硫黄・刀剣・銅など生糸・絹織物・砂糖、日本からは銀・硫黄・刀剣など
終焉の理由室町幕府の財政難・応仁の乱江戸幕府の鎖国政策(日本人の海外渡航禁止)