寺田屋事件って聞いたことがありますか?

幕末の歴史の中でも、特にドラマチックな出来事の一つです。この事件は、実は2回起こっていて、1862年のものと1866年のものがあります。「えっ、2回も?」と思うかもしれませんね。実はこの2つの事件、まったく違う背景があるんです!

1862年の寺田屋事件(寺田屋騒動)は薩摩藩の内紛、1866年の寺田屋事件は坂本龍馬が命を狙われた事件でした。

特に1866年の事件では、お龍という女性の勇気ある行動が龍馬を救ったんです。今日は、この2つの寺田屋事件について、塾長がわかりやすく解説しますよ!

※AmazonのKindle Unlimitedは月額980円ですが、3ヶ月無料期間があります。その間、読み放題対象の電子書籍は全部無料。途中で解約ももちろん自由。そのため、電子書籍が実質0円で読めます。以下に、歴史の語呂合わせに関連する無料書籍を載せておきます。

↓実質無料で読めるおすすめ歴史の読み物↓

著:河合敦, 著:房野史典
¥1,617 (2025/07/04 03:22時点 | Amazon調べ)
著:ぴよぴーよ速報
¥1,529 (2025/07/04 03:24時点 | Amazon調べ)

寺田屋事件をわかりやすく解説:2つの事件

寺田屋事件は、江戸時代末期の日本で起こった大きな出来事です。でも、実は「寺田屋事件」と呼ばれるものが2つあるんです。1862年の事件は、薩摩藩の内部での戦い(寺田屋騒動)、1866年の事件は坂本龍馬襲撃事件です。では、それぞれの事件について詳しく見ていきましょう!

寺田屋事件とは?簡単にわかりやすく解説

寺田屋事件とは、京都伏見の船宿「寺田屋」で発生した歴史的事件の総称です。1862年と1866年の2つの事件があり、それぞれ別の目的と背景がありました。

1862年の寺田屋事件は「寺田屋騒動」とも呼ばれ、薩摩藩の過激派と島津久光(しまづひさみつ)の勢力が衝突した事件です。

一方、1866年の寺田屋事件は、坂本龍馬が幕府の役人たちに襲撃された事件です。この時、龍馬はお龍の機転によって逃げ延びることができました。

それぞれの事件の詳細を、次で詳しく説明していきますね!

1862年の寺田屋事件(寺田屋騒動)の原因

1862年の寺田屋事件は、薩摩藩の内部で起こった争いです。薩摩藩は、この時、意見が2つに分かれていました。

1つ目は「公武合体派」(こうぶごうたいは)。これは、朝廷(天皇)と幕府が力を合わせて日本をまとめるべきだと考えていました。そのリーダーが島津久光です。

2つ目は「尊王攘夷派」(そんのうじょういは)。こちらは、天皇を中心にして外国を追い払おうと考えていました。その代表が有馬新七(ありましんしち)です。

この2つのグループが「これからの日本をどうするか?」でぶつかってしまったのです。

有馬新七たちは「もう幕府を倒すしかない!」と考え、寺田屋に集まって討幕計画を立てていました。しかし、この計画を知った島津久光は、彼らを止めるために鎮撫使(ちんぶし)という特別な部隊を送りました。

これが寺田屋事件の始まりです。

1862年の寺田屋事件の結果と影響

島津久光が送った鎮撫使は、まず有馬新七たちに「計画をやめなさい」と説得しました。でも、有馬新七たちは納得しません。こうして討幕派と鎮撫使の戦いが始まりました。

結果として、有馬新七を含む過激派9名が命を落としました。薩摩藩は幕府と協力して、討幕派を抑える方向に進んでいきます。この事件の影響で、薩摩藩はしばらく幕府寄りの動きをしていくことになります。

しかし、討幕派の考えがなくなったわけではありません。実は、この事件のあと、討幕の中心は薩摩藩から長州藩へ移っていきます。この後、長州藩は幕府と戦うようになり、日本の歴史は大きく変わっていきました。

1866年の寺田屋事件(坂本龍馬襲撃事件)の発端

1866年の寺田屋事件は、坂本龍馬が命を狙われた事件です。

坂本龍馬は、幕末の日本で薩摩藩と長州藩を仲直りさせる役割を果たしました。これが有名な「薩長同盟」です。しかし、幕府にとっては、この同盟は非常に危険でした。「薩摩と長州が手を組んで幕府を倒そうとしている!」と考えたからです。

そこで、幕府の役人である伏見奉行が、寺田屋に泊まっていた龍馬を襲撃することを決めました。これが1866年の寺田屋事件の始まりです。

1866年の寺田屋事件の結果と影響

幕府の役人たちは、真夜中に30人以上の捕り方(警察のような存在)を連れて寺田屋を包囲しました。すると、お龍がいち早く異変に気づきます。お風呂に入っていたお龍は裸のまま階段を駆け上がり、龍馬に「逃げて!」と知らせました。

龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で応戦し、仲間の三吉慎蔵(みよししんぞう)と一緒に戦いました。しかし、龍馬は戦いの中で左手の親指を斬られてしまいます

その後、お龍の指示で寺田屋の裏口から脱出し、材木小屋に身を隠します。その間にお龍は、薩摩藩の屋敷まで走って助けを求めに行きました。お龍の活躍によって、龍馬と三吉慎蔵は無事に助け出され、薩摩藩の屋敷へと逃げることができました。

この事件の影響で、坂本龍馬はますます幕府にとって危険な存在になりました。そして、この後の「近江屋事件」で、ついに暗殺されることになります…。

寺田屋事件をわかりやすくお龍の勇気ある行動

1866年の寺田屋事件は、お龍の勇気ある行動がなければ、坂本龍馬は命を落としていたかもしれません。ここからは、お龍がどのように活躍したのか、彼女の人生やその後について詳しく見ていきましょう。

お龍とは?坂本龍馬を救った女性の正体

お龍(楢崎龍)は、京都の医者・楢崎将作の娘として生まれました。しかし、父親が亡くなったことで一家は貧しくなり、お龍は生活のために働かなければならなくなります。

そんな時、坂本龍馬と出会い、やがて恋仲になります。そして、お龍は寺田屋の仲居として働きながら、龍馬を支えるようになりました。寺田屋の女将・お登勢も、お龍を温かく見守っていたそうです。

1866年の寺田屋事件では、入浴中だったお龍が異変を察知し、裸のまま階段を駆け上がって龍馬に知らせるという勇気ある行動を見せました。まさに命の恩人ですね!

お龍が坂本龍馬を救った瞬間!驚きの機転

この事件で一番有名なのが、お龍のとっさの判断です。お風呂に入っていたお龍は、外が妙に騒がしいことに気づきました。窓の外を覗くと、多くの捕り方(幕府の役人)が提灯を持って寺田屋を包囲していたのです!

「このままでは龍馬が捕まってしまう!」

そう考えたお龍は、裸のまま階段を駆け上がり、寝ていた龍馬を叩き起こしました。このおかげで、龍馬と仲間の三吉慎蔵はすぐに戦闘態勢を整えることができました。

さらに、お龍は逃げ道を確保するために漬物槽をどかして裏口を開けるという冷静な行動も取っています。結果として、龍馬たちは命からがら逃げ延びることができたのです。

お龍と坂本龍馬の日本初の新婚旅行

この事件の後、お龍と龍馬は薩摩藩の保護を受けることになりました。西郷隆盛の勧めで、お龍と龍馬は鹿児島へ湯治旅行に行きます。これは、日本で最初の「新婚旅行」とも言われています。

お龍は龍馬とともに薩摩の温泉を巡り、ゆっくりと過ごしました。しかし、この幸せな時間は長く続きません。京都に戻った龍馬は、「大政奉還」に向けた動きを本格化させます。

やがて1867年、龍馬は近江屋事件で暗殺されてしまいました。お龍は、最愛の人を失ってしまったのです

坂本龍馬の死後、お龍はどうなった?

龍馬の死後、お龍はしばらくの間、薩摩藩の庇護を受けました。しかし、彼女の生活は決して楽ではありませんでした。

その後、京都で再婚するものの、夫とはうまくいかず、別れてしまいます。その後、彼女は横須賀へ移り住み、そこで一人寂しく暮らしました。最期は、貧しい生活の中で静かに生涯を終えたとされています。

しかし、お龍の勇気ある行動は、今でも語り継がれています。彼女がいなければ、坂本龍馬の活躍も、幕末の歴史も変わっていたかもしれませんね。

寺田屋事件の歴史的意義と現在の寺田屋

寺田屋事件は、幕末の動乱を象徴する事件の一つです。特に1866年の寺田屋事件は、坂本龍馬の活躍を助けた重要な出来事でした。

現在、京都伏見には「寺田屋」が残っています。ただし、実は当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失してしまい、今あるのは後に再建されたものです。それでも、寺田屋の内部には龍馬が使った部屋や刀傷、弾痕などが残されており、歴史を感じることができます。

また、近くには坂本龍馬とお龍の銅像もあり、2人の歴史的な結びつきを感じることができます。興味のある人は、ぜひ訪れてみてくださいね!

総括:寺田屋事件をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

1. 寺田屋事件とは?

  • 幕末に京都伏見の旅館「寺田屋」で発生した歴史的事件の総称。
  • 1862年の「寺田屋騒動」と1866年の「坂本龍馬襲撃事件」の2つがある。

2. 1862年の寺田屋事件(寺田屋騒動)

  • 原因:薩摩藩内で「公武合体派」と「尊王攘夷派」が対立。
  • 経過:尊王攘夷派の有馬新七らが寺田屋で討幕計画を立てる。
  • 結果:島津久光が派遣した鎮撫使が鎮圧。有馬新七ら9名が死亡。
  • 影響:薩摩藩は幕府寄りに動くが、討幕運動は長州藩へ移る。

3. 1866年の寺田屋事件(坂本龍馬襲撃事件)

  • 原因:坂本龍馬が薩長同盟を結び、幕府に危険視される。
  • 経過:伏見奉行が30人以上の捕り方を送り、真夜中に寺田屋を包囲。
  • 結果:お龍の機転で龍馬が逃げ延びる。左手親指を負傷。
  • 影響:龍馬の暗殺計画が加速し、翌年「近江屋事件」で暗殺される。

4. お龍の活躍

  • 機転を利かせる:入浴中に異変を察知し、裸のまま龍馬に知らせる。
  • 逃げ道確保:漬物槽をどかして裏口から逃走させる。
  • 助けを求める:薩摩藩邸まで走って救援を要請。

5. お龍と龍馬のその後

  • 日本初の新婚旅行:寺田屋事件後、薩摩で湯治(西郷隆盛の勧め)。
  • 龍馬暗殺:1867年、「近江屋事件」で暗殺される。
  • お龍の晩年:再婚するも離婚し、横須賀で貧しく暮らし亡くなる。

6. 現在の寺田屋

  • 現存する寺田屋は再建されたもの(鳥羽伏見の戦いで焼失)。
  • 内部には、坂本龍馬が泊まっていた部屋、刀傷、弾痕などが展示。
  • 近くには龍馬とお龍の銅像があり、歴史の舞台を体感できる。