今日は「東郷平八郎(とうごう へいはちろう)」という人物について、分かりやすくお話しします。

「東郷平八郎は何をした人?」
「何がすごいの?」

と疑問に思っている人も多いですよね。

実は東郷平八郎は、日本の歴史の中でもとっても有名な海軍の指揮官なんです。彼のすごさは、日本を戦争で勝利に導いたことだけではありません。その考え方や戦い方、そして人柄まで、世界中から称賛されるほどなんですよ。

この記事では、そんな東郷平八郎の生涯や功績、どんな点がすごいのかを簡単に、でもしっかりと解説します!

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東郷平八郎は何した人か簡単に解説!生涯と功績

東郷平八郎は、日本海軍の英雄であり、日露戦争での日本海海戦での勝利で世界的に名を馳せました。今回は、彼がどのような人物であり、何を成し遂げたのかを簡単に解説します。

その生涯を振り返り、東郷がどれほど重要な役割を果たしたかを探っていきましょう。

東郷平八郎は何した人?日露戦争で日本を勝利に導いた海軍の英雄

東郷平八郎は「日露戦争(にちろせんそう)」で、日本の海軍を指揮してロシアの大きな艦隊を打ち破った人物です。

この戦いの中でも特に「日本海海戦(にほんかいかいせん)」という戦いが有名で、ここで東郷平八郎は「連合艦隊(れんごうかんたい)」という海軍のチームを指揮し、ロシアの「バルチック艦隊(かんたい)」に勝ちました。

バルチック艦隊は当時、世界でもトップクラスに強いとされていたロシアの艦隊です。それを見事に撃破したことで、世界中が驚きました。この勝利によって日本は日露戦争に勝つことができました。東郷はまさに「勝利の立役者(たてやくしゃ)」だったのです。

この戦いのあと、東郷平八郎は「東洋のネルソン」とも呼ばれるようになります。ネルソンはイギリスの有名な海軍司令官で、東郷がそれと同じくらいすごい人だと世界が認めたということです。

薩英戦争や戊辰戦争にも参加した武士

東郷平八郎は1847年に、現在の鹿児島県にあたる「薩摩藩(さつまはん)」で生まれました。子どものころから剣術などを学んで育ち、若いころには「薩英戦争(さつえいせんそう)」や「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」といった日本国内の大きな戦いにも参加しました。

当時の日本は、江戸時代から明治時代へと大きく変わろうとしている時期でした。そんな中で、東郷は武士として国のために戦っていたのです。

戊辰戦争では、明治政府側の兵士として戦い、新しい日本のために活躍しました。このころの経験が、のちの海軍での働きに大きく影響を与えたといわれています。つまり、東郷は海軍に入る前から、すでに日本のために命がけで戦っていたのですね。

イギリスに留学して近代海軍戦術を学んだ人

東郷平八郎が世界で評価された理由のひとつは、イギリスへの留学経験です。明治4年(1871年)、東郷は海軍士官としてイギリスに派遣されました。留学先は当時の海軍強国であるイギリスの「ポーツマス」です。

ここで東郷は、最新の軍艦の仕組みや、海軍の戦い方(戦術)をしっかり学びました。また、英語を学び、外国の考え方にも触れることができたのです。

この経験が、のちに「日本海海戦」で大きく役立ちます。東郷は、ただ勇気があるだけの軍人ではなく、「知識」と「戦略」に優れた人物だったのです。

留学によって得た知識や経験は、日本の海軍全体の発展にもつながりました。まさに“先を見据える力”を持った人物だったのですね。

日清戦争:「高陞号事件」に冷静に対応した人物

東郷平八郎は、日露戦争の前に起きた「日清戦争(にっしんせんそう)」でも重要な役割を果たしました。そのとき東郷は「浪速(なにわ)」という軍艦の艦長をしていて、「高陞号(こうしょうごう)事件」という出来事に関わります。

高陞号はイギリスの商船でしたが、清国(現在の中国)の兵士や武器を運んでいました。日本はまだ正式に戦争を始めていない時期でしたが、東郷は国際法を理解し、きちんと手順をふんで対応しました。

まず停船を求め、応じなければ撃沈もやむなしという判断を下しました。最終的に高陞号は沈められましたが、この行動は日本の立場を守るために必要なものでした。

このときの東郷の判断力と冷静さは、多くの人に「すごい!」と評価されました。海の上で命を預かるリーダーとして、常に最善の行動を取っていたのです。

元帥・侯爵・国葬も受けた国民的英雄

戦争での活躍だけでなく、東郷平八郎はその後も多くの人に尊敬され続けました。日露戦争のあと、彼は「元帥(げんすい)」という最高位の軍人となり、「侯爵(こうしゃく)」という貴族の称号ももらいました。

さらに、1934年に亡くなったときは「国葬(こくそう)」という、国をあげてのお葬式が行われました。これはとても特別なことで、限られた人しか受けられない名誉です。

また、東京都渋谷には「東郷神社」が建てられ、神様のようにあがめられています。ここには今でも多くの人が訪れて、勝運や合格祈願をしています。

つまり、東郷平八郎は「歴史に名を残すだけでなく、今もなお人々に影響を与えている存在」なのです。

東郷平八郎は何した人か:何がすごいか簡単に解説

東郷平八郎が「何をした人か」は前半で分かりましたね。ここからは、「東郷平八郎の何がすごいのか?」という疑問に答えていきます。

戦術のすごさ、判断力の高さ、世界からの評価など、いろいろな面からその魅力に迫ってみましょう!

日本海海戦で世界を驚かせた「東郷ターン」

東郷平八郎のいちばんの「すごさ」は、日本海海戦における「東郷ターン」と呼ばれる戦術です。この戦術は、敵のバルチック艦隊の前で大胆に艦隊の向きを変えるというもの。普通なら大きなリスクがある動きですが、東郷はこれを見事にやり遂げました。

この「東郷ターン」によって、日本の艦隊は「丁字(ていじ)戦法」と呼ばれる有利な陣形を作り出し、敵の艦隊を一方的に攻撃できる体制を整えたのです。

一見、度胸があるだけに見える行動ですが、実際には敵と味方の距離、砲の性能、艦のスピードなどを正確に分析したうえでの「確信ある戦術」でした。まさに、冷静な頭脳と大胆な行動力の両方を兼ね備えた「天才的な指揮官」といえるでしょう。

戦闘開始30分で勝利を確信した冷静な判断力

日本海海戦では、砲撃が始まってからわずか30分で、東郷平八郎は勝利を確信していたといわれています。その理由は、敵の旗艦「スワロフ」などが次々と炎上し、バルチック艦隊の陣形がすぐに崩れ始めたからです。

東郷は双眼鏡で戦況を見ながら、「あ、また当たった」と冷静に話していたという記録もあります。このように、戦場のなかで動揺せずに状況を読み取り、勝敗の流れを早い段階で見極められる力は、まさに「名将」と呼ぶにふさわしいものです。

戦いの結果、日本側はほとんど損害がなかったのに対し、ロシア側は主力艦のほとんどを失い、世界でもまれに見る“完全勝利”となりました。これを冷静に導いた東郷の判断力は、現在でも軍事研究の教科書に載るほど評価されています。

国際法にも詳しかった東郷平八郎の知識と教養

東郷平八郎のすごさは、戦い方だけではありません。彼は「国際法(こくさいほう)」にもとても詳しく、その知識をもとに冷静な判断を下していました。

例えば、日清戦争前の「高陞号事件」では、まだ宣戦布告前にも関わらず、敵兵を運んでいたイギリスの商船を撃沈しました。このときも、東郷は国際法の「海上捕獲法」を正確に理解していて、ルールに基づいて行動したのです。

この対応は一時的にイギリスなどから非難されましたが、日本政府はきちんと説明し、最終的には問題になりませんでした。つまり、東郷は「ただの軍人」ではなく、世界のルールも理解して行動できる“知識人”でもあったのです。

世界中から尊敬され「東洋のネルソン」と呼ばれた

日本海海戦の勝利により、東郷平八郎は世界中から注目されました。特にイギリスでは「東洋のネルソン」と呼ばれ、大英帝国の英雄ネルソン提督と同じくらいの評価を受けました。

また、ロシアの敗北によって列強国のアジアに対する見方も変わりました。「アジアの国でもヨーロッパ列強に勝てる」という印象を世界に与え、植民地支配を受けていた国々に希望を与えたともいわれています。

さらには、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も東郷を称賛しており、世界中の軍人や指導者たちが彼の戦術や判断を研究しました。一国の軍人が、世界の歴史を動かすほどの影響力を持ったという点が、東郷の「本当にすごいところ」です。

今でも神社にまつられ「勝利の神様」として親しまれている

東郷平八郎はその功績から、亡くなったあとも「神様」のようにまつられています。東京都渋谷区にある「東郷神社」では、東郷を「勝運(しょううん)の神」として祀っています。

この神社は「勝負運」や「合格祈願」、「出世開運」などのご利益があるといわれ、受験生やビジネスマンなど多くの人が参拝に訪れます。また、境内で売られている「Z旗守(ぜっときまもり)」も人気で、これは日本海海戦のときに使われた旗をモチーフにしています。

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まさに、東郷平八郎は「歴史の人」であると同時に、「今も人々に力を与えてくれる存在」なのです。その影響力は、時代を超えて生き続けています。

総括:東郷平八郎は何した人か簡単に解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 東郷平八郎は、日露戦争の「日本海海戦」でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本海軍の英雄。
  • 「東洋のネルソン」と呼ばれ、世界から称賛された名指揮官。
  • 薩摩藩出身で、薩英戦争や戊辰戦争にも若くして参加していた。
  • 明治時代にイギリスへ留学し、最新の海軍戦術や技術を学んだ。
  • 日清戦争では「高陞号事件」で国際法を理解した冷静な判断を見せた。
  • 日本海海戦では「東郷ターン」により敵前大回頭し、丁字戦法で完全勝利を収めた。
  • 冷静な判断力で砲撃開始30分で勝利を確信したとされる。
  • 戦術だけでなく、国際法や外交にも精通した知識人だった。
  • 戦後は元帥や侯爵となり、亡くなった際には国葬が行われた。
  • 渋谷の東郷神社では「勝利の神様」として今も多くの人に信仰されている。