“努力も才能”
こんな言葉を聞いたことはありませんか?
一般的に才能は先天的なもの(遺伝)ですが、努力は後から頑張ってすること(後天的なもの)と捉えられがちです。
だから、何か成果が出ない時は「努力不足」が問題だと考える人が多い。勉強という競技は、特にそう考えられているように感じます。
しかし、努力できるかどうかもまた、遺伝的要因の影響を大きく受けるのではないか?というのがここでの問いかけです。
言い換えれば、「努力できる才能があるか・ないか」ということです。
そこで本記事では、「努力は才能なのか?」について私見をお伝えします。塾の指導現場で多くの生徒を見てきた立場から、正直ベースで感じていることをお伝えします。
努力は才能なのか:塾講師が指導現場で感じている本音

まず最初に、サンプルとしては少ないと批判されるかもしれませんが、実際に子供を指導している立場で、「努力も才能なのか?」をどう感じているのかを正直ベースでお伝えしていきます。
結論:努力は才能です
まず最初に、結論からお伝えします。
・努力できるかどうかも才能である
正直に言えば、これが自分の中で出ている結論です。
指導現場で生徒を見ていると、何も言わなくても頑張る子がいる一方、何度言っても頑張れない子に必ず遭遇します。
何年やっても、どの学年でも、決まって生徒のタイプは分断されます。
「やる気を出させてあげられないお前が悪い!」と批判していただいても構いません。実際、自分の指導能力が100点満点だと言うつもりもありません。「やる気ス○ッチ」と名乗る塾もあるようなので、そう言う人はぜひそちらにどうぞ。
しかし、子供のやる気を出して、コンスタントに努力を継続させられるようにするなんてこと、親含めて他人ごときが本当にできるのでしょうか?
モチベの上がる話をして一瞬心に火をつけることは出来ても、継続的に努力し続けられるようにする魔法の方法があれば教えて欲しいです。1億で買います。
それが本当に再現性高く出来るなら、1億なんてすぐ回収できるでしょうからね…
努力できるかどうかは性格の問題
生徒を何名も見ているので、努力できるタイプの子とそうでない子の違いなど、数週間でも指導すればすぐに分かります。
なぜか?
コツコツ努力できないタイプには、共通項があるからです。
・めんどくさいことが嫌い
・嫌なことがあればすぐに逃げる
大体この2つに集約されます。
正直、前者の生徒は努力はできないけど、点数はそこそこ高いってケースがあります。途中式などをめんどくさがって書かないタイプですが、地頭は悪くないので点数はそこそこ取れる。
でも、コツコツ覚えないといけない社会の点数は低い。あと、授業態度や提出物が最悪なので、内申点は取れない。結果的に、公立高校受験だと結果は微妙になる…
ただ、天才肌も多いので、まだ希望を捨てなくてもいいです。このことは、以下の記事でも書いています。
なお、後者(嫌なことからすぐにげる)に関しては、話になりません。
しかし、このような生徒の性質というのは、ほとんどが性格的な問題に起因します。(※甘やかされすぎて、逃げ癖が付きすぎているというのもあるが。)
“性格は遺伝で決まっている”ということは、大体の方が納得されると思います。であれば、性格の影響を受ける努力もまた、遺伝要因(才能)の影響を受けまくることにも納得がいくはずです。
努力できるかどうかは知能(遺伝要因)の影響も受けている
努力できるかどうかを分析するとき、「知能(IQ)」の影響も決して無視できないと思います。
正直、賢い子の方が努力はできる子が多く、賢くない子に努力できない子が多いのは体感として紛れもない事実だと思います。
もちろん、賢い子の中には、地頭が良くて努力が少なくても点数が取れてしまう子が一定数いるので話がややこしくなります。小中学だと、努力しなくても地頭だけで押せちゃうので。
ただ、そういう生徒を一旦除外して考えれば、知能と努力にもある程度相関関係が見られます。特に、知能が低い生徒と努力ができない生徒には強い相関関係があります。
でも、これって当たり前と言えば当たり前。
そもそも努力してる子って、「自己犠牲を払ってでも今努力することが、将来の自分にとってメリットがある」って考えているんですよね。
ただ、こうやって考えられる人はそもそも頭がいい。知識や想像力などがきちんとあるわけですからね。
一方、知能が低いとそういう発想にそもそもならない。大人が教えてあげても、知能が低いとイメージが湧かない。結局、「今楽しいか・今しんどいか」的な短期目線でしか物事を考えられない。
当然ですが、将来の自分にとってメリットになることに対して努力なんてしない。これは、努力の前にある思考パターンの差の話なのですが、それって知能の差とも言えますよね?
もちろん、親から聞かされている日常の言葉や価値観の影響もありますが、知能が低いとそれすら伝わらない。知能的に理解するのが難しいわけなので…
そういう意味で、知能も努力に影響を与えると言えます。そして、その知能は遺伝要因の影響をモロに受ける才能の一種です。
努力は才能なのか:研究結果やそれを踏まえての対処法

ここまでは、努力は才能なのか?について、学主塾の指導現場での経験を踏まえながら私見をお伝えしてきました。
ここからは、もう少しデータベース的な裏付けも紹介します。
また、努力も才能であることを踏まえてどうすべきかについても解説していきます。
努力を勤勉性と定義するなら遺伝の問題
努力という言葉を当たり前に使っていますが、そもそも努力の定義はすごく難しいです。
ただ、世間一般的なイメージの努力って、コツコツやる力(=勤勉性)的なものと捉えられているように思えます。
では、勤勉性はどう決まるのか?
これについては、各能力と遺伝の関係について調べた慶應大学教授のデータが非常に参考になるので載せておきます。

これは最近では結構有名になった図表です。各項目について、赤色の棒線の大きさが全体的な遺伝の影響の割合です。
これを見ると、勤勉性は約60%は遺伝で決まってしまいます。その他40%ぐらいが、何かしらの環境要因の影響を受けるということです。
なお、遺伝については上記図表が収録されている以下の書籍が大変勉強になるので、一度読んでみて欲しいと思います。
話を戻すと、勤勉性が努力と呼ぶに値するものなら、それは60%は遺伝で決まるということ。つまり、努力できるかどうかは半分以上は受精卵の段階で決まっていたということを意味します。
こうなると、努力も才能という言葉がいよいよ現実味を帯びてきます。
努力は才能:どう対処する?
改めて自分の意見を述べると、努力もまた才能だと思います。
“努力の天才”
という言葉を聞いたことはありませんか?
自分の中では、NARUTOに出てくるガイ先生が弟子のリーに対して言ったシーンとして強く頭に残っています。

そういう意味では、NARUTOの世界でも、努力を才能の1種として捉えていたことになりますね。
やっぱり、人生で大事なことはワンピースとナルトの2つで50%は学べると確信できます。ナルト読んでいない人は、マジで読んでください。勉強とかしなくていいから。笑
話を戻しますが、努力できるかも才能であれば、人生どう逆転していいかわからなくなりますよね?
でも、そこは発想を変えるべき。
そもそも、努力しなきゃいけないところで勝負すること自体がナンセンス。基本的に、あなたにそれは向いていない。
そうではなく、努力しなくても一定の成果が出せる領域を選定することが人生では大事だと思います。つまり、「夢中になれること」を探すべき。
努力は夢中に勝てないのです。
自分の中で本気で打ち込めるものが見つかれば、その時点で何か成果は出ます。そして、その領域でさらに努力すれば、もっと大きな成果がでます。
大事なのは、努力バカにならないこと。
「”どこで何を”努力するのか」の方が、絶対に重要度高いと思います。
総括:努力は才能なのか?まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
努力は才能の一部である
- 努力できるかどうかは、性格や遺伝的要因によって大きく影響を受ける。
- 勤勉性は約60%が遺伝で決まり、残りの40%が環境の影響を受けるという研究結果がある。
努力できる生徒の特徴
- 努力できる子は目標を持ち、将来のメリットを考えられる知能が高い傾向がある。
- 努力できない子は「めんどくさい」や「嫌なことを避ける」といった性格的要因が強く、知能が低い場合も多い。
努力に頼らない戦略が重要
- 努力できるかどうかを問うよりも、努力しなくても一定の成果が出せる「夢中になれること」を見つけることが重要。
- 努力を盲目的に続けるのではなく、自分に合った「どこで何を努力するか」を考えるべき。