今回は、日本の偉大な細菌学者・野口英世(のぐちひでよ)について、「なぜ左手に火傷を負ったのか?」という疑問にわかりやすく答えていきます。

実はこの火傷が、彼の人生を大きく変えた出来事でした。医師を志すきっかけとなり、世界で活躍する細菌学者への道が開けたのです。

それでは、さっそく詳しく見ていきましょう!

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野口英世の火傷の理由とは?幼少期の悲劇

野口英世の火傷は、ただの不運な事故ではありませんでした。その火傷が、のちの彼の人生や進む道を決定づける大きな「転機」だったのです。

火傷の理由は囲炉裏への転落

野口英世が火傷を負ったのは、なんとまだ1歳半のときのことです。彼は福島県の貧しい農家に生まれ、わらでできた「保育かご」に寝かされていました。お母さんのシカさんが畑仕事をしている間、赤ちゃんの英世はその中でおとなしくしていたはずでした。

ところが、ある日、英世は目を覚まし、這い出してしまいます。そして家の中にあった「囲炉裏(いろり)」の火に左手を突っ込んでしまったのです。当時は医者もいない、またはお金がない家庭が多く、すぐに病院で治療を受けることができませんでした。

お母さんはじゃがいもをすりつぶして、包帯代わりにぼろ布を巻くという、家庭での応急処置をするしかありませんでした。

火傷はどれくらいひどかったのか?左手の状態を解説

火傷の程度は非常にひどく、数十日後に包帯を外した時、英世の左手は見るも無残な状態になっていました。指は互いにくっついてしまい、まるで「握りこぶし」のように変形してしまっていたのです。

特に親指は手首の付け根にくっつき、中指や薬指は手のひらに張り付いて離れないような状態でした。こうなると、手としての機能をほとんど失ってしまいます。

この「癒着(ゆちゃく)」という状態は、現代でも火傷の後遺症として知られています。しかも当時の医療では、それを完全に治すのはとても難しかったのです。英世の左手は、重度のやけどによる「瘢痕拘縮(はんこんこうしゅく)」という状態だったのです。

火傷が野口英世の人生に与えた影響

この火傷は、英世の子ども時代にも大きな影響を与えました。左手が変形していたことで、同級生たちから「てんぼう、てんぼう」(=天坊、つまり不具者)とからかわれ、学校に行くのも嫌になってしまいました。

一時期は不登校になった英世。しかし、そんなときに支えたのは、やはり母・シカさんの存在でした。

「私のせいで、こんな体になってしまった。本当にすまない。だからこそ、勉強して立派な人になるんだよ」と涙ながらに語るお母さんの言葉に、英世は深く心を動かされます。

それからというもの、彼は猛勉強を始め、学校でも常にトップクラスの成績を取るようになりました。火傷は英世の「悔しさ」と「やる気」を引き出した、人生の大きな原動力となったのです。

火傷の作文がきっかけ?手術のための寄付と感動エピソード

英世は高等小学校4年生のとき、「僕の左手」という作文を書きました。その中には、「この手では努力しても、一人前にはなれないのでは」といった悩みや苦しみが綴られていました。さらには、「いっそ自分で指を切り離してやろうかと考えたこともある」とまで書かれていました。

この作文を読んだ恩師・小林栄先生と同級生たちは心を打たれ、「英世に手術を受けさせよう!」と寄付金を集めます。当時のお金で約10円、現代でいうと数万円から十数万円相当の大金です。

この善意のおかげで、英世は会津若松の病院で初めての手術を受けることができました。これは、ただの手術ではなく、英世の「人生を変える第一歩」になったのです。

火傷をきっかけに医学を志した野口英世の原点とは?

手術を受けて左手が少しでも使えるようになったとき、英世は強く感動しました。「医学の力で、自分のような人間が救われた!」という実感が、彼に医師への憧れを抱かせたのです。

火傷というつらい経験を乗り越えた英世は、「自分も、苦しむ人々を救える医者になりたい」と考えるようになります。これが、彼が医学の道を志す原点になりました。

つまり、野口英世の火傷は、彼の人生の「悲劇」であると同時に、「希望の始まり」でもあったのです。

野口英世の左手の火傷手術は成功したのか

野口英世の左手は、重度のやけどによって大きく変形していましたが、彼は3度の手術を受けることで、ある程度の機能を取り戻しました。その一つ一つの手術は、彼の人生と深く結びついており、医学の力を実感する出来事でもありました。

9歳で初めて左手の手術を受けた!その内容とは?

英世が最初に手術を受けたのは、9歳のときです。この手術は、同級生や恩師の善意によって集められた寄付金で実現しました。

この時行われた手術は、くっついてしまった指と指の間を切り離すという、比較的単純な処置でした。しかし、医学的にはとても意味のあるものでした。なぜなら、これまで「握りこぶしのようになっていた左手」が、わずかではありますが、指が動かせるようになったからです。

この手術によって、英世は少しずつ「希望」を持つようになりました。完全な機能回復ではありませんが、これが彼の「再出発」の第一歩だったのです。

16歳で再手術!野口英世は左手の指が使えるようになった?

次の手術は16歳のときに行われました。このときは、さらにしっかりと癒着を切り離し、手の機能を高めることが目的でした。

手術の結果、英世の左手は、親指と人差し指を使って物をつかむことができるまでに回復しました。もちろん、健常な手と同じように動かせるわけではありませんが、鉛筆や道具を持つことができるようになったのです。

この手術で得られた「自由」は、英世の生活に大きな変化をもたらしました。そして何より、彼自身が「手術を受けることでここまで良くなるなら、自分も医術を学んで人の役に立ちたい!」という強い決意を持つきっかけになりました。

21歳で受けた3回目の大手術とは?日本初の有茎皮弁移植術の成功

21歳になった英世は、3回目の大手術を東京帝国大学(現在の東京大学)で受けることになります。この手術を行ったのは、近藤次繁(こんどう つぐしげ)という、ヨーロッパで学んだ優秀な外科医でした。

このときの手術は「有茎皮弁移植術(ゆうけいひべんいしょくじゅつ)」という、日本では初めての方法で行われました。簡単に言うと、皮膚と筋肉を別の場所から切り取り、血管をつなげたまま移動させる高度な手術です。

この大手術は見事に成功し、英世の左手の可動域はさらに広がりました。それにより、彼は医師になるための「実地試験」も突破できたのです。この手術がなければ、英世は医師免許を取れなかったかもしれません。

手術後の左手はどれだけ使えた?後遺症と研究生活への影響

3回の手術を経て、英世の左手はかなりの回復を見せましたが、完璧な状態には戻りませんでした。親指は外側に大きく曲がり、他の指も先が短くなってしまっていたのです。写真を見ると、左手の不自由さは一目でわかる状態でした。

しかし、そのような後遺症があっても、彼は研究に没頭し、世界中で多くの成果を挙げていきます。左手だけでは細かい作業が難しかったため、英世は右手を中心に使って実験や研究を進めました。

その努力と工夫は、並大抵のものではありませんでした。火傷による障害を持ちながらも、自分の限界を超えるように働き続けたのです。

火傷と3度の手術が野口英世の原動力に!医学者としての歩み

英世にとって、火傷と手術は「苦しみ」だけでなく、「夢」や「使命」を与えてくれるものでした。

火傷によって学校でつらい経験をし、劣等感も持ちましたが、それをバネにして勉強に励み、医学の道を歩み始めたのです。そして手術を通じて感じた「医学の力」に感動し、世界中の病と闘う人生を選びました。

その後、彼はアメリカに渡り、黄熱病や梅毒などの難病の研究に尽力しました。51歳でアフリカにて黄熱病にかかり、そのまま亡くなってしまいますが、彼の功績は今も語り継がれています。

火傷は英世にとって、「人生の障害」であると同時に「運命を切り開く鍵」でもあったのです。

総括:野口英世の火傷の理由&手術まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 野口英世は1歳半のとき、自宅の囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負った
  • 医者にかかれないほど家が貧しく、母がじゃがいもで応急処置をした
  • 火傷により指が癒着し、左手は握りこぶしのように変形していた
  • 小学校では「てんぼう」とからかわれ、不登校になったこともある
  • 母の励ましで猛勉強を始め、成績は常にトップクラスだった
  • 「僕の左手」という作文がきっかけで、恩師や同級生が手術費を募金
  • 9歳で初めて手術を受け、わずかに指が動かせるようになった
  • 16歳で再手術を受け、物をつかめる程度に機能回復した
  • 21歳で東京帝大にて日本初の有茎皮弁移植術を受け、さらなる回復
  • 左手には後遺症が残ったが、右手中心に研究を続けて大きな成果を出した
  • 火傷と手術の経験が、医学の道を志す原点になった
  • 火傷は英世にとって「障害」であると同時に「人生の転機」だった