今回は、歴史のテストによく出る「柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)」と「盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)」の違いについて、分かりやすく説明していきます。
どちらも「日本と中国のあいだで起こった事件」で、「戦争のきっかけになった」という点が似ているので、間違えやすいポイントなんですね。
この記事では、比較表でちがいをまとめるところからスタートして、それぞれの事件の意味や流れ、テストに出やすいポイントまで、くわしく見ていきますよ!
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柳条湖事件と盧溝橋事件の違い:比較ポイント
この2つの事件は、どちらも「戦争の始まり」として教科書に出てきますが、実は起こった年や内容がぜんぜん違います。ここではその違いをわかりやすく比較しながら解説します。
柳条湖事件と盧溝橋事件の違いを比較表で解説
まずは、テスト勉強にもピッタリな「違いがひと目でわかる表」を見てみましょう。
| 比較項目 | 柳条湖事件 | 盧溝橋事件 |
|---|---|---|
| 発生年 | 1931年(昭和6年) | 1937年(昭和12年) |
| 場所 | 中国・奉天(今の瀋陽) | 中国・北京郊外の盧溝橋 |
| 原因 | 南満州鉄道の爆破事件(※日本軍が自作自演) | 日中両軍の小競り合い(発砲がきっかけ) |
| 日本の目的 | 満州を支配しやすくするため | 中国への全面的な侵攻 |
| 結果・影響 | 満州国を建国 → 国際連盟脱退 | 日中戦争(全面戦争)に突入 |
このように、年・場所・きっかけ・目的・影響がそれぞれ違います。しっかり覚えておきましょう!
柳条湖事件とは?満州事変のきっかけになった事件
柳条湖事件は、1931年(昭和6年)9月18日に、中国の奉天(ほうてん)で起こりました。日本の関東軍が、自分たちの守っていた「南満州鉄道(なんまんしゅうてつどう)」を爆破し、それを中国軍のしわざに見せかけて攻撃をはじめた事件です。
つまり、日本軍の自作自演(じさくじえん)だったのです。
この事件をきっかけに、関東軍は一気に満州全体を占領し、1932年には「満州国(まんしゅうこく)」という国をつくりました。もちろん、中国はこの国を認めていません。
国際連盟も日本の行動を非難し、日本はついに国際連盟を脱退。この事件から、日本は世界で孤立し始めたのです。
盧溝橋事件とは?日中戦争のはじまりとなった事件
盧溝橋事件は、1937年(昭和12年)7月7日に、中国の北京ちかくにある「盧溝橋(ろこうきょう)」で起こりました。
このとき、日本軍が夜間の軍事演習をしていたところ、「発砲音(はっぽうおん)」が聞こえました。誰が撃ったのか分からなかったのですが、これをきっかけに日本軍と中国軍のあいだで本格的な戦いが始まってしまったのです。
この事件から、戦争は広がっていき、「日中戦争(にっちゅうせんそう)」という大きな戦争へと発展しました。
柳条湖事件よりもさらにはげしい戦いが始まったのが盧溝橋事件なのです。
なぜ混同されやすい?類似点と違う点を整理
この2つの事件は、どちらも「中国で日本軍が戦争をしかけたきっかけ」になっていて、よく似ているように見えます。だから、テストでも混同しがちなのです。
似ている点は以下のとおりです:
- 日本軍が中国に攻撃をした事件
- 中国との戦争のきっかけになった
- 昭和時代に起こった
- 学校の歴史教科書に出てくる
ですが、目的と結果は大きく違います。
- 柳条湖事件は、「満州を自分のものにしたい」という思いから起こされた計画的な事件。
- 盧溝橋事件は、「ちょっとしたきっかけで全面戦争になった」という流れの中での事件。
この違いを理解しておけば、テストでも混乱しませんよ!
柳条湖事件と盧溝橋事件の頻出ポイントまとめ
テストでよく出るのは、「いつ・どこで・なぜ・どうなったか」の4点セットです。特に間違いやすいのが「年」と「目的」です。
覚えておきたいポイントはコチラ!
- 柳条湖事件(1931年)→ 満州事変 → 満州国 → 国際連盟脱退
- 盧溝橋事件(1937年)→ 日中戦争の始まり → 南京事件など
また、「満州事変のきっかけになったのは?」「日中戦争の原因となった事件は?」という時系列問題もよく出ます。年号はゴロ合わせで覚えるのもおすすめです。 たとえば、1931年(昭和6年)は「いくさは一発(1931)柳条湖」など工夫してみましょう!
柳条湖事件と盧溝橋事件の違い:中国にもたらした影響

柳条湖事件と盧溝橋事件は、それぞれが「戦争の始まり」となる大きな事件でした。でも、単に「始まり」だけでなく、その後の歴史にも深い影響を与えたのです。
ここからは、それぞれの事件のあとに何が起こったのか、そして世界にどんな影響を与えたのかを順を追って見ていきましょう!
柳条湖事件後の流れ:満州事変から国際連盟脱退まで
柳条湖事件のあと、日本軍は中国・満州の支配をどんどん広げていきました。そして1932年には「満州国(まんしゅうこく)」という国を勝手につくってしまいます。
この行動に対して、中国はもちろん、世界中の国々がびっくりしました。特に、国際連盟という世界の平和を守るための組織は、日本の行動を調査するため「リットン調査団(ちょうさだん)」を送りました。
調査団は「日本の行動は正しくない」と報告し、国際連盟も日本を非難しました。ですが、日本は反発して1933年に国際連盟を脱退。
これをきっかけに、日本は国際社会の中で孤立(こりつ)していくことになります。柳条湖事件は、日本が世界から信頼を失う大きな分かれ道になったのです。
盧溝橋事件後の影響:日中戦争に発展した理由
盧溝橋事件のあと、日本と中国の軍はすぐに戦いを広げていきました。特に日本軍は、北部・中部・南部へと中国全土に攻撃をしかけ、日中戦争(にっちゅうせんそう)が始まりました。
この戦争は「全面戦争」と呼ばれるほど大規模で、多くの都市や人々がまきこまれました。なかでも有名なのが、1937年末に起こった「南京事件(なんきんじけん)」です。日本軍が中国の首都・南京を占領し、多くの人が命を落としたこの事件は、国際的にも大きな問題になりました。
中国は蒋介石(しょうかいせき)率いる国民政府が、あきらめずに抵抗を続けたため、戦争は長期化していきます。この出来事が後の太平洋戦争にもつながっていくのです。
国際関係に与えた影響とは?アジア・世界への広がり
この2つの事件は、日本と中国の間の問題だけでは終わりませんでした。日本の行動は、アジア全体、さらには世界の国々との関係にも大きな影響を与えたのです。
柳条湖事件のあと、日本が国際連盟を脱退したことで、「日本は勝手な国だ」と思われるようになりました。そして、イギリスやアメリカなどの列強国も、日本に対して警戒(けいかい)するようになります。
盧溝橋事件以降は、日本の戦争が中国全土に広がったことで、欧米諸国もますます心配になりました。とくにアメリカは、のちに中国を助ける立場となり、日本との関係がどんどん悪化していきます。
このように、アジアの1つの事件が、世界の対立や戦争への流れにもつながっていたのです。
昭和の戦争のはじまりとしての意味
柳条湖事件と盧溝橋事件は、それぞれの時代でとても重要な意味を持っています。どちらも、昭和時代の「戦争の始まり」となった事件なのです。
柳条湖事件からはじまる「満州事変」は、軍が政府の許可なく勝手に行動する「軍部の暴走」が目立つようになったきっかけでした。そして盧溝橋事件は、日本が完全に戦争の道に入り、中国全土にまで戦いが広がる「全面戦争」の出発点となりました。
この2つの事件は、やがて「太平洋戦争(たいへいようせんそう)」という、もっと大きな戦争へとつながっていきます。つまり、昭和のはじめの戦争の流れを学ぶうえで、とても大事な分岐点(ぶんきてん)となる事件なのです。
なぜ日本は戦争に突き進んだ?:軍部の台頭と世論の変化
なぜ日本は、こんなにも戦争に向かって突き進んでしまったのでしょうか?
柳条湖事件では、関東軍が政府の命令なしに戦争を始めたことがポイントです。それでも政府はそれを止めず、むしろ支持するような流れになりました。新聞やラジオなどのメディアも、「日本軍の活躍!」といったように、戦争を応援するような報道をして、国民の多くもそれを信じてしまいました。
また、不景気や不安が広がる中で、人々は「軍隊なら国を守ってくれる」と思い始め、軍の力が大きくなっていったのです。このようにして、日本は少しずつ、でも確実に、戦争への道を進んでいったのです。
総括:柳条湖事件と盧溝橋事件の違いまとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
| 比較項目 | 柳条湖事件 | 盧溝橋事件 |
|---|---|---|
| 発生年 | 1931年(昭和6年) | 1937年(昭和12年) |
| 場所 | 中国・奉天(今の瀋陽) | 中国・北京郊外の盧溝橋 |
| 原因 | 南満州鉄道の爆破事件(※日本軍が自作自演) | 日中両軍の小競り合い(発砲がきっかけ) |
| 日本の目的 | 満州を支配しやすくするため | 中国への全面的な侵攻 |
| 結果・影響 | 満州国を建国 → 国際連盟脱退 | 日中戦争(全面戦争)に突入 |
