今回は「辛亥革命(しんがいかくめい)」について、子どもでも分かるようにやさしく解説していきます。

「中国で昔あった革命だよね?」というくらいのイメージしかない人も多いかもしれません。でも実は、この革命がきっかけで中国の政治は大きく変わり、今の中国や台湾にもつながっていくんです。

この記事では、辛亥革命がなぜ起こったのか、誰が関わっていたのか、どんな影響があったのかを順番にわかりやすくお話しします。それでは一緒に学んでいきましょう!

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辛亥革命をわかりやすく解説!内容・きっかけ・目的

辛亥革命は、中国の歴史を大きく変えた出来事です。ここでは、辛亥革命が「いつ」「なぜ」起きて、「どんな国」を作ろうとしたのかを、子どもにもわかる言葉でやさしく説明します。

辛亥革命とは?清王朝を終わらせた歴史的な革命の正体

辛亥革命とは、1911年に中国で起きた大きな革命のことです。簡単に言えば、2000年以上続いてきた「皇帝が支配する国」を終わらせて、「国民が主役になる国」を作ろうとした動きです。

このとき中国を支配していたのは「清(しん)王朝」という満州族の王朝でした。でも、中国の多くの人は漢民族で、満州族による支配に不満をもっていました。

そんな中、武装した軍人たちが「もう清の時代は終わりだ!」と立ち上がり、それが全国に広がっていきます。これが「辛亥革命(しんがいかくめい)」です。「辛亥(しんがい)」というのは1911年の干支(かんし)を表す言葉で、その年に起きたからこう呼ばれています。

この革命の結果、中国では「中華民国(ちゅうかみんこく)」という新しい国ができ、清王朝の皇帝は退位しました。つまり、中国の歴史における「皇帝の時代」がここで終わったのです。

辛亥革命のきっかけは?アヘン戦争と満州族支配への不満

辛亥革命が起きたきっかけは、長い間にたまった国民の不満でした。

まず1つ目は、清王朝が外国に負け続けていたことです。アヘン戦争や日清戦争などでイギリスや日本に負け、中国の土地や権利をどんどん奪われていきました。人々は「清は弱すぎる!」と怒りを感じていたのです。

2つ目は、清王朝が満州族という少数民族による王朝だったことです。中国の多くを占める漢民族からすれば、「外国人に支配されているようなものだ!」と強く不満を持っていました。

さらにもう1つ大きな出来事がありました。それは「鉄道を国のものにする」という政策です。本来は民間企業が運営していた鉄道を、清の政府が取り上げてしまったのです。これによって多くの人たちの仕事やお金が失われ、大きな反発を招きました。

このようにして「清を倒して新しい国を作ろう!」という気持ちが高まり、辛亥革命へとつながっていったのです。

辛亥革命の目的:三民主義と共和制国家の実現を目指した理由

辛亥革命の目的は、「国民が主役の国=共和制国家」を作ることでした。これを強く訴えたのが「孫文(そんぶん)」という人物です。

孫文は「三民主義(さんみんしゅぎ)」という考え方をもとに新しい国づくりを進めようとしました。三民主義の内容は次の3つです。

  • 民族主義(みんぞくしゅぎ):外国の支配をやめて、中国人の手で国を治める。
  • 民権主義(みんけんしゅぎ):国民一人ひとりが政治に参加できるようにする。
  • 民生主義(みんせいしゅぎ):国民の生活をよくするための制度を整える。

つまり、「自由で平等な社会をつくろう!」というのが孫文の理想だったのです。これまでの皇帝政治では、国民の声はまったく届きませんでした。孫文たちは、それを変えたいと考え、辛亥革命を起こしたのです。

辛亥革命の中心人物は誰?孫文と彼を支えた日本人たち

辛亥革命のリーダーといえば、やはり「孫文(そんぶん)」です。彼は中国の民主化をめざし、命がけで革命運動を続けた人です。孫文は中国国内だけでなく、海外にも逃れながら支援を集めました。特に日本は孫文を何度もかくまい、支援した国でした。

孫文を支えた日本人として有名なのが「梅屋庄吉(うめや しょうきち)」です。彼は映画会社を経営していた実業家で、自分の財産を使って孫文を支援しました。「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援する」という言葉が残っています。

他にも、宮崎滔天(みやざき とうてん)という思想家もいます。彼も孫文に心を打たれ、自分の生活を犠牲にしてまで支援を続けました。このように、孫文一人の力ではなく、多くの人たち、とくに日本人の支えがあってこそ、辛亥革命は成功したのです。

経緯を簡単に!武昌起義から中華民国の誕生まで

辛亥革命は、1911年10月10日、中国中部にある「武昌(ぶしょう)」という町で始まりました。これを「武昌起義(ぶしょうきぎ)」といいます。この反乱をきっかけに、周りの省(地方)も次々に「清とはもうやっていけない!」と宣言して、独立していきました。

そのころ、孫文は海外にいましたが、すぐに中国に帰国。1912年1月1日には、南京で「中華民国(ちゅうかみんこく)」の成立が宣言され、孫文は初代の「臨時大総統(りんじだいそうとう)」になりました。

そして同じ年、清の最後の皇帝「宣統帝(せんとうてい)・溥儀(ふぎ)」が退位し、約300年続いた清王朝はついに終わりました。こうして中国は、アジアで初めて「共和制国家(皇帝がいない国)」となり、まったく新しい時代に入ったのです。

辛亥革命のその後をわかりやすく解説

辛亥革命で清王朝が終わり、中国は「中華民国」という新しい国になりました。でも、それで平和になったわけではありません。革命のあとには新たな混乱や争いが続き、いまの中国や台湾にも大きな影響を与えていきました。

ここからは、辛亥革命の「その後」についてわかりやすく見ていきましょう!

中国はどうなった?袁世凱と混乱の時代へ

辛亥革命のあと、中国のトップになったのは孫文ではなく「袁世凱(えん せいがい)」という軍の実力者でした。

孫文は「国民のための国」を目指していましたが、袁世凱は「自分の力を強くしたい」と考えていました。実際に、袁世凱は自分を皇帝にしようとしたのです。

国民はこれに大反対し、各地で戦いが始まりました。袁世凱はその後まもなく病気で亡くなりますが、中国はその後「軍閥(ぐんばつ)」と呼ばれる小さな軍隊同士がバラバラに国を治める時代になります。

この時代、中国では政府が何度も変わり、安定した国づくりはなかなかできませんでした。辛亥革命で王朝は倒れましたが、その後の混乱もとても大きかったのです。

台湾の関係とは?中華民国が台湾政府になった理由

辛亥革命によって生まれた「中華民国」は、いまの「台湾(たいわん)」のもとになった国です。でも、なぜ台湾と関係があるのでしょうか?

それは、1949年の「中国内戦」が理由です。このとき「国民党(こくみんとう)」と「共産党(きょうさんとう)」という2つの大きな勢力が争い、共産党が勝って「中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)」が中国本土に誕生しました。

一方、負けた国民党は台湾に逃れ、そこに中華民国の政府を移しました。つまり、辛亥革命でできた中華民国の流れは、いまも台湾に続いているのです。

ちなみに台湾では、辛亥革命が始まった10月10日を「雙十節(そうじゅうせつ)」といって、建国記念日のようにお祝いしています。そして孫文は「國父(こくふ)」=国の父として、とても尊敬されています。

孫文のその後と「革命いまだ成らず」

孫文は辛亥革命のあとも、中国をよくするためにずっと努力を続けました。しかし、理想通りの国にはなかなかなりませんでした。彼は亡命をくり返しながら活動し、日本にも何度も逃れてきました。孫文を支援した日本人たちの存在は、彼にとって大きな支えだったのです。

晩年の孫文は病気になり、「革命いまだ成らず(かくめい いまだならず)」という言葉を残して亡くなりました。これは「革命はまだ終わっていない。これからも国民が努力を続けなければならない」という意味です。

孫文のこの言葉は、いまでも多くの人に受け継がれています。そして台湾だけでなく、中国本土でも「革命の父」として尊敬されているのです。

中国共産党との関係

辛亥革命のあと、中国では「国民党」と「共産党」が争う時代に入りました。そして最終的には「中国共産党」が勝利し、現在の「中華人民共和国」が1949年にできました。この中国共産党も、孫文の行動や三民主義を一部取り入れていました。だから中国政府も孫文を「中国民主革命の父」として高く評価しています。

また、孫文が言った「中華民族(ちゅうかみんぞく)」という言葉は、今の中国でもよく使われています。これは、いろいろな民族を1つの「中華民族」としてまとめる考え方です。

でもこの考え方には、「少数民族も漢民族と同じにしよう」という面があり、ウイグル族やチベット族などへの扱いについて世界から批判もあります。つまり、辛亥革命の考え方は、いまの中国の政治や社会にも深く影響を与えているのです。

辛亥革命は成功?失敗?

辛亥革命が「成功だったのか、失敗だったのか」は、見る人によって意見が分かれます。

日本や台湾などの民主主義の国から見ると、「皇帝を倒して民主的な国を作ろうとしたから成功」と考える人が多いです。実際に中華民国という国ができ、自由や平等の考え方が広まりました。

でも中国本土では、「そのあとに混乱が続いたし、革命は未完成だった」という見方が強いです。だからこそ、共産党は「我々こそが革命を完成させた」と主張しているのです。

どちらの見方も一理ありますが、はっきり言えるのは、辛亥革命が中国の歴史を大きく変えた「ターニングポイント」だったということです。

総括:辛亥革命をわかりやすく解説まとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 辛亥革命とは1911年に起きた中国の革命で、清王朝を終わらせ、中華民国が誕生した。
  • 革命のきっかけは、清の外国への敗北や鉄道国有化政策、民族差別への不満だった。
  • 革命の目的は「三民主義」に基づいた国民主体の近代国家をつくること(民族主義・民権主義・民生主義)。
  • 中心人物は孫文で、彼は日本に支援を求め、多くの日本人が協力した。
  • 辛亥革命は武昌起義から始まり、清朝の滅亡と中華民国の成立に至った。
  • 革命後、中国は混乱し、袁世凱の独裁や軍閥の争いが続いた。
  • 台湾は辛亥革命の中華民国の流れを継いでいる。台湾では孫文を「國父」として尊敬している。
  • 孫文は「革命いまだ成らず」という言葉を残して亡くなり、理想は未達成のままだった。
  • 共産党も孫文を高く評価しており、その思想は現在の中国にも影響を与えている。
  • 辛亥革命の評価は分かれるが、中国の歴史を大きく変えた重要な出来事である。