今回は「シベリア出兵(しゅっぺい)」という、ちょっと聞き慣れないけどとっても大事な出来事について、子どもでも分かるようにやさしく解説していきます。
この出来事は、第一次世界大戦の終わりごろ、世界が大きくゆれ動いた中で、日本が行った海外出兵のひとつです。
でも、ただの戦争ではなく、
「なぜ出兵したの?」
「どうして失敗に終わったの?」
「国内にどんな影響があったの?」
など、知っておくべきポイントがたくさんあります。
それでは、一緒に見ていきましょう!
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シベリア出兵をわかりやすく!目的・背景・結果
シベリア出兵は、ロシアという国が革命で大混乱していたときに、日本をふくむいくつかの国が軍隊を送り込んだ出来事です。とても寒いシベリアの地で何が起きたのか、順番に見ていきましょう!
シベリア出兵とは?いつどこで起きたかを簡単に解説
シベリア出兵とは、1918年から1922年にかけて、日本やアメリカ、イギリス、フランスなどがロシアのシベリアという場所に軍隊を送ったできごとです。
「シベリア」というのは、ロシアの東側にあるとても寒い地域で、広くて人も少ないところです。このとき、ロシアでは革命(ロシア革命)が起きて国内がバラバラになっていました。
そんな混乱の中、連合国(れんごうこく)とよばれる国々が「ロシアの中で孤立したチェコスロバキア軍を助けよう!」という名目で出兵をはじめました。日本もその中のひとつとして、兵士を送りました。
でも、この出兵には表向きの理由とは別に「本当の目的」もあったのです。それをこれから見ていきます。
なぜシベリア出兵が行われた?表と裏の目的を簡単に説明
表向きの目的は、「シベリアに取り残されたチェコスロバキア軍の救出」です。これを聞くと、困っている仲間を助けるための行動のように思えますね。
でも、実は本当の目的はそれだけではありませんでした。当時ロシアでは社会主義の政権ができていて、それが周りの国に広がるのを日本や他の国々がとても恐れていたのです。
特に日本は、すでに朝鮮半島や満州(中国の東北地方)に進出していたため、そこに社会主義の考えが広がると困ってしまいます。そのため、「社会主義を封じ込めること」「ロシアの資源や権益を手に入れること」も出兵の本当のねらいでした。
つまり、表向きは「助けるため」、でも裏では「自国の利益を守るため」というのが、シベリア出兵の本当の理由だったのです。
ロシア革命との関係は?社会主義の広がりを恐れた列強の思惑
1917年、ロシアでは「ロシア革命」と呼ばれる大きなできごとが起きました。これにより、ロマノフ王朝という長年つづいてきた王様の政権が倒されて、世界で初めての「社会主義」の国ができたのです。これが「ソビエト政権」、のちのソ連(ソビエト連邦)です。
社会主義とは、みんなが平等な社会を目指す考え方で、貧富の差をなくそうとするものです。でも、これが広がると、王様やお金持ち、資本家にとっては困ることになります。だから、イギリスやフランス、日本などの資本主義国は「自分たちの国にも革命が起きたらどうしよう」と不安になりました。
そこで、革命を起こしたソビエト政権を倒すために、ロシアに軍隊を送って社会主義の広がりを止めようとしたのです。この一連の行動を「干渉戦争(かんしょうせんそう)」とも呼びます。
日本の出兵理由は?陸軍と政府の思惑の違いも解説
日本では、出兵をめぐって政府と陸軍の間で意見のちがいがありました。政府は「できるだけ小規模にして、他の国と協力しながら行おう」と考えていましたが、陸軍は「今こそシベリアに日本の力を広げるチャンスだ!」と強気でした。
当時は「統帥権(とうすいけん)」という制度があり、軍の命令は天皇から直接出ることになっていました。これを利用して、陸軍は政府の意見を無視して勝手に兵士をどんどん増やしていったのです。
さらに、アメリカは日本がシベリアを自分のものにしようとしているのではないかと疑い、兵力に制限をかけました。しかし、日本はこの制限を破って、最終的には7万人以上の兵士を送り込むまでになりました。
シベリア出兵の経過まとめ!何が起きてどうなった?
シベリア出兵は1918年に始まりました。最初は「チェコ軍の救出」という目的でしたが、だんだん日本だけが本格的に戦い続ける形になっていきます。
他の国(アメリカ・イギリスなど)は、第一次世界大戦の終結とともに、1920年ごろまでに撤兵していきました。でも日本だけは出兵を続け、1922年までシベリアにとどまりました。
さらに日本は、北サハリンという地域にも軍を派遣していましたが、こちらの撤退はさらに遅れて、最終的に1925年5月になってようやく完全にシベリアから撤兵することになります。
約7年ものあいだ、日本は遠いシベリアに兵を送り続け、多くの犠牲や費用を出したことになります。
シベリア出兵を分かりやすく:米騒動・外交悪化・失敗の理由
シベリア出兵は、日本にとって大きな「失敗」でした。軍を送っただけでなく、国内にも大きな混乱を引き起こし、外国との関係も悪くなってしまいました。ここからは、出兵の影響やその後どうなったのかについて、詳しく見ていきましょう。
米騒動の原因と関係は?米の買い占めと庶民の怒りが爆発
シベリア出兵が発表されると、「兵士の食料としてたくさんの米が必要になる」と考えられました。これを見越して、商人たちは「米を今のうちに買い占めて、高く売ろう」と考えます。つまり、米をたくさん買い集めて売るのを止めたのです。
その結果、市場に出回るお米の量がへり、米の値段がどんどん上がっていきました。お米が買えなくなった人たちは、当然怒りますよね。1918年7月、富山県の漁村で暮らす主婦たちが「お米を安く売れ!」と米屋におしかけたのをきっかけに、全国に「米騒動(こめそうどう)」が広がりました。
この騒動では、暴動が起きたりお店が破壊されたりして、日本中が大混乱。人々の怒りは米商人だけでなく、「戦争なんか始めた政府が悪い!」という形で、政治にも向けられました。
なぜシベリア出兵は失敗したのか?日本軍が直面した困難
日本は7万人以上もの兵士をシベリアに送る大規模な作戦を行いましたが、結果としてこの出兵は「大失敗」に終わります。
その理由のひとつが「過酷な自然環境」です。シベリアは冬になると氷点下30度をこえるような寒さが続く場所で、多くの兵士が凍傷(とうしょう)で手や足を失ったり、命を落としたりしました。
また、戦った相手は「パルチザン」と呼ばれるゲリラのような兵で、普通の軍隊とはちがい、少人数でこっそり襲ってくるので、なかなか勝てませんでした。
さらに、戦いは長引き、費用もどんどん増えていきました。なんと10億円以上(当時のお金で!)が使われ、3,000人の命が失われ、けが人も2万人以上出たといわれています。戦果(せんか)はほとんど得られず、「何のために戦ったのか分からない」と多くの人が感じるようになりました。
国内政治への影響は?寺内内閣の総辞職と大正デモクラシーへ
米騒動で人々の怒りが爆発すると、政府はその責任を取らざるを得なくなりました。当時の内閣総理大臣は「寺内正毅(てらうちまさたけ)」という軍人出身の人物です。
人々の不満は「お米が高いのも」「戦争を始めたのも」ぜんぶ政府のせいだ!という声に変わっていき、ついに1918年9月、寺内内閣は「総辞職(そうじしょく)」=内閣をまるごとやめることになりました。
これをきっかけに、政治の主導権が軍人から民間人(政党政治)にうつっていきます。これを「大正デモクラシー」といいます。人々の声をもっと政治に反映させようという流れが、このあと少しずつ強くなっていくのです。
外交への影響は?アメリカやソ連との関係悪化が深刻に
シベリア出兵は、日本の「外交(がいこう)」にも大きな悪影響をもたらしました。
まず、アメリカとの関係が悪くなりました。日本は「兵力を制限する」というアメリカとの約束を破り、勝手に大軍を送ってしまったからです。アメリカは「日本はシベリアを自分のものにしようとしてるんじゃないか?」と強く疑いました。
この不信感は後の「日英同盟の解消」にもつながります。そして、日本は世界から「信用できない国」と思われるようになってしまいました。
また、ソ連(旧ロシア)との関係も最悪になりました。もともとシベリア出兵は「ソビエト政権を倒すための戦争」でもあったので、当然ソ連からの信頼はゼロ。長いあいだ国交はありませんでしたが、ようやく1925年に「日ソ基本条約」が結ばれて国交が回復します。
シベリア出兵のその後と教訓!昭和の戦争へつながる道筋とは?
シベリア出兵は、ただの失敗で終わっただけではありません。この出兵を通して「軍部が勝手に行動しても誰も止められない」という前例ができてしまったのです。
当時は「統帥権(とうすいけん)」という制度のせいで、軍は政府の命令を無視して動くことができました。そして、軍の独走を止めることができなかった経験が、昭和時代の「軍国主義(ぐんこくしゅぎ)」へとつながっていきます。
つまり、シベリア出兵は「日本が戦争へと進んでいく第一歩」ともいえるのです。
この教訓から学ぶべきことは、政治と軍のバランス、そして人々の声を無視した戦争の怖さです。過去の歴史を知ることで、同じあやまちをくり返さないようにすることがとても大切なのです。
総括:シベリア出兵をわかりやすく解説まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
- シベリア出兵は1918〜1922年に日本などがロシアに軍を送った出来事
→ ロシア革命で混乱したシベリアに、チェコ軍救出を名目に出兵。 - 表向きの目的は「チェコ軍の救出」だったが、真の目的は社会主義の封じ込めと権益確保
- ロシア革命で社会主義政権が誕生し、資本主義国がその広がりを恐れた
→ 日本、イギリス、フランスなどが干渉戦争を開始。 - 日本では政府と陸軍で出兵方針に違いがあり、陸軍が統帥権を盾に独走した
- 最初は連合国と一緒だったが、次第に日本だけが出兵を続け、1925年まで駐留
- シベリア出兵により、米の買い占めが起きて米価が高騰し、「米騒動」が全国に広がった
- 過酷な寒さ・ゲリラ戦・長期化で出兵は失敗に終わり、多くの死傷者と莫大な費用がかかった
- 米騒動の責任で寺内内閣が総辞職し、政党政治が始まる「大正デモクラシー」へ進展
- アメリカやソ連との外交関係が悪化し、日本は国際的に信頼を失った
- 軍の暴走を止められなかったことが、昭和の軍国主義・戦争の土台となった
