今回は「満州事変(まんしゅうじへん)」という、昭和の初めに日本が中国で起こした大きな事件について、「どうしてそのウソが世界にバレたのか?」を中心に分かりやすく解説します。

実はこの事件、日本が“やられたフリ”をして戦争を始めたことが後から分かり、大きな国際問題になりました。

そのウソを見抜いたのが、国際連盟から送られた「リットン調査団」でした。
この調査団がどんなふうに真相を明らかにしたのか、日本の言い分はなぜ通じなかったのか、一緒に見ていきましょう!

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満州事変はなぜバレたのか?関東軍の謀略が暴かれた理由

満州事変とは、1931年に中国の満州という地域で起こった事件です。日本軍(関東軍)が中国の軍に攻撃されたと主張して戦争を始めましたが、実は日本軍の自作自演(自分で仕掛けたウソ)だったことがのちにバレてしまいました。

では、どうしてそのウソが明らかになったのでしょうか?順を追って見ていきましょう。

柳条湖事件はなぜ疑われたのか?関東軍の不自然な行動が発端

バレたきっかけは、1931年9月18日に起きた「柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)」という爆破事件です。南満州鉄道の線路が爆破され、「中国の軍がやった!」と関東軍は主張してすぐに軍事行動を始めました。

でも、ここに不自然な点がいくつもあったのです。

まず、爆破の規模がとても小さく、列車は普通に通れたこと。これでは「本気で爆破しようとした」とは思えません。そして、関東軍はまるで準備していたかのように、爆破の直後すぐに作戦を開始し、満州の各都市を次々と占領していきました。

「これはおかしい」と世界が思ったのも当然ですね。あまりにも出来すぎたタイミングと手際の良さが、関東軍の自作自演だったのではないかという疑いを強めました。

なぜ日本政府は真相を隠せなかった?内外の情報伝播の影響

実は日本政府は、関東軍の行動を最初はまったく知らされていませんでした。

政府は「戦争を大きくしたくない」と思っていたので、「不拡大方針(これ以上広げない方針)」を出しましたが、関東軍はそれを無視して行動を続けてしまいました。

さらに、時代はすでに新聞や電信(今でいうSNSのようなもの)が発達していた時代。関東軍の動きや、現地の爆破の不自然さはすぐに世界中に伝わりました。外国の新聞記者たちも現地にいて、日本軍の言い分と現場の様子が食いちがっていることを報道したのです。

こうして、日本がいくら「自衛のため」と説明しても、外から見ると「ウソをついている」と感じられてしまったのです。

国際世論はどう反応した?欧米諸国が“自作自演”と確信したわけ

特にアメリカやイギリスなどの国々は、日本の行動に強い疑いを持ちました。アメリカでは「スティムソン・ドクトリン」という声明を出し、「他国を力で占領して作った国は認めない」とはっきり表明しました。

日本は「中国の軍が先にやったから反撃しただけ」と言いましたが、柳条湖事件の被害の小ささ、関東軍の動きの早さ、不自然なタイミングなどが重なって、世界は「これは日本が仕掛けたものだ」と考えるようになります。

しかも、日本はすぐに「満州国」という新しい国を作ってしまいました。これも、「中国から土地を取るのが目的だったのでは?」と疑われる大きなポイントになったのです。

バレた原因の決定打とは?リットン調査団の現地調査の詳細

そこで国際連盟は、日本と中国の両方の話を聞くために、「リットン調査団(リットンちょうさだん)」というチームを作って現地に送りました。調査団はイギリスのリットン卿を団長に、アメリカ、ドイツ、フランス、中国の代表も加えた中立的なメンバーでした。

彼らは実際に満州を見て歩き、たくさんの人々に話を聞き、南満州鉄道の破壊現場も調べました。さらに、日本が作った満州国についても詳しく調べ、「本当に現地の人が望んで作った国なのか?」を確かめたのです。

この現地調査こそが、日本の主張に矛盾があることを世界に示す決定打となりました。

リットン報告書の中身とは?「自作自演」と断定された根拠を解説

リットン調査団は、約半年間の調査の結果をまとめて「リットン報告書」として発表しました。そこには次のようなことが書かれていました。

  • 柳条湖事件は日本軍が計画したものの可能性が高い
  • 満州国は中国から独立した国とは言えず、日本の支配下にある
  • 日本の軍事行動は「自衛」とは認められない

この報告書は1933年2月、国際連盟で採択され、42か国が賛成、日本だけが反対しました。つまり、世界のほとんどの国が「日本がウソをついていた」と認めたことになります。

この瞬間、「満州事変はバレた」と言っても過言ではありません。

満州事変はなぜバレた?国際社会に信用されなかった理由

リットン報告書によって、満州事変の真相が世界に知れ渡ったあとも、日本は自分たちの行動を正当化しようとしました。しかし、その説明は国際社会に受け入れられませんでした。

なぜ日本の主張は通らなかったのでしょうか?当時の日本の対応や失敗、そしてその後の流れを見ていきましょう。

日本の主張はなぜ通じなかった?「自衛」の論理が通用しなかった理由

日本は「自分たちの居留民(現地に住んでいる日本人)を守るための自衛行動だった」と説明しました。しかしこの主張は、世界の国々には受け入れられませんでした。

なぜなら、日本はすでに「不戦条約(ふせんじょうやく)」という、戦争をしないと約束する条約に入っていたからです。また、満州での軍事行動は「九カ国条約」という、中国の主権を守る約束にも違反していました。

さらに、爆破の証拠や戦争を始める理由があいまいだったため、「正当な理由がないのに戦った」と見なされてしまったのです。

満州国はなぜ認められなかった?傀儡国家と判断された経緯

日本は満州を占領したあと、「これは中国とは別の新しい国です」として、1932年に「満州国」を建国しました。名前だけ聞くと独立した国のようですが、実際は日本軍がすべてを決めている「傀儡国家(かいらいこっか)」だったのです。

清の最後の皇帝・溥儀(ふぎ)を表向きのリーダーにしたものの、重要な役職はすべて日本人が占めていました。住民の声は反映されず、実際には日本の命令で動く国だったのです。

リットン調査団はこれを見抜き、「この国は本当の独立国ではない」と報告しました。だから世界中の国々は、満州国を認めなかったのです。

日本国内ではなぜ支持されたのか?軍部と世論の危険な一体化

海外では日本に批判が集まりましたが、日本の中では関東軍の行動を「よくやった!」とほめる声が多くありました。なぜなら、新聞やラジオなどのマスコミが「日本の正義」を強調して伝えたからです。

また、昭和恐慌という経済の大不況で苦しんでいた国民にとって、満州という新しい土地でのチャンスは希望のように見えました。軍隊の活躍が英雄のように報じられ、政府や国民もだんだん軍部の考えに影響されていったのです。

この「軍と世論の一体化」は、のちの戦争への道を止められなくなる原因にもなってしまいました。

リットン報告書採択後、日本はなぜ国際連盟を脱退したのか?

1933年2月、国際連盟はリットン報告書を採択し、日本に「軍を引いて、満州を元に戻しなさい」と勧告しました。しかし日本はそれを受け入れず、3月にはついに国際連盟からの脱退を表明します。

このとき、日本代表の松岡洋右(まつおか・ようすけ)は演説のあと、他の国々が見ている中で議場から退場しました。

この出来事は、世界の人たちに「日本は国際社会と話し合うつもりがない」と思わせてしまい、日本の孤立化が決定的になった瞬間でした。

満州事変がバレたその後…日本が歩んだ道と世界の反応

満州事変が「バレた」あと、日本は世界から距離を置き、次第にファシズム国家(ドイツやイタリアなど)との関係を強めていきました。さらに、1937年には「日中戦争」、1941年にはアメリカと戦う「太平洋戦争」へと突き進んでいきます。

こうした流れの始まりが「満州事変」だったのです。世界中が「日本は危険な国になった」と見なし、ますます信頼を失っていきました。

つまり、満州事変でのウソがバレたことは、日本の未来を大きく変えるターニングポイントだったのです。

総括:満州事変はなぜバレたのかまとめ

最後に、本記事のまとめを残しておきます。

  • 満州事変は1931年、日本の関東軍が仕掛けた「自作自演」の事件だった。
  • 柳条湖事件の爆破は被害が軽微で、関東軍の行動が準備されすぎていたため疑われた。
  • 日本政府は軍の暴走を止められず、情報はすぐ世界中に伝わった。
  • 欧米諸国は日本の主張を疑い、「自衛ではなく侵略」と判断した。
  • 国際連盟は「リットン調査団」を現地に派遣し、調査で日本の不正を明らかにした。
  • リットン報告書は「日本軍による計画的行動」や「満州国は傀儡」と断定した。
  • 日本は報告書に反発し、1933年に国際連盟を脱退して国際的に孤立した。
  • 国内ではマスコミや国民の支持が軍部を後押しし、軍国主義が進んだ。
  • 事件ののち、日本は日中戦争・太平洋戦争へと進む大きな転換点となった。
  • 満州事変の「ウソ」がバレたことが、世界からの信頼を失う原因になった。